1.嵐の前の静けさ(1)-朝日side-
「えっと……クズリちゃんね。はい、口を開けてー」
私が言うと、目の前の小さな女の子が一生懸命大きく口を開けた。
「はい、いいよ。じゃあ、次にお腹出してね。……うん。はい、じゃあ次は、ぐるっと回って……あ、背中見せてね。……うん。はい、オッケー。服を着ていいからね」
「はーい」
女の子は服を元に戻すと、目の前の椅子にちょこんと座り直した。
「どこか痛いとか、何かある?」
「ううん」
「毎日、夜はちゃんとおやすみできてる?」
「できる! でも……」
「でも?」
「おねむのときぷるぷるして起きちゃうことがあるの」
「ぷるぷる……この辺かな?」
女の子の鳩尾辺りを触ると、女の子は小さく頷いた。
「……わかったわ。でも病気じゃないから、安心してね」
「本当?」
「ええ。……お母さんや理央――リオネールさまの言うことをちゃんと聞いていれば、大丈夫よ」
私が頭を撫でてやると、女の子は安心したようににっこり笑った。
「ありがとーございましたあー」
「はい」
元気に外に駆け出して行く。入れ違いに、理央が入って来た。
「……今ので最後の子だと思うわ。お疲れ様」
「そっか」
最後の女の子のカルテを書く。
そして一つに纏めると、理央に渡した。
「はい、これ」
「あ……ありがとう。朝日の指導のおかげで、フェルティガエもちゃんと夜は眠るようになったから……みんな結構、体力がついてきたと思うわ」
「よかった。それで、えっと……このギュルジャっていう男の子と、最後のクズリっていう女の子が……そろそろ発現すると思うわ」
「えっ!」
理央が二人のカルテを見て、驚いたように目を見開く。
「ギュルジャはともかく……クズリは普通の家の子よ。両親も――祖父母も、フェルティガエではないわ」
「それでもフィラの人達は女神テスラの流れを汲んでいるから……誰でも発現する可能性があるの。それに、クズリみたいに先祖がえりみたいな形で発現する子は、特に気をつけてね。加減がわからなくて、爆発することがあるから」
「わかった。母親とも相談して……ちょっと気をつけるようにするわね」
理央はそう言うと、深く溜息をついた。
「……子供たちを一斉に診断するってどういうことかと思ってたけど……やってよかったわ。四歳になったら必ず診断をするとか、した方がいいかしら?」
「そうね。後は……特に病気が心配な子とかはいなかったから、このカルテを見ておいてくれればいいわ。フィラの治療師に頼んでおいてね」
私はそう言うと、荷物を片づけて鞄に入れた。
ここは、フィラの村の集会所みたいな場所。
子供たちの健康診断をするために、借りていたのだ。
今は、私はユウについてあちこち飛び回っているから病院を開くことはできないけど、いつか……フィラに診療所をつくれるといいな。
ウルスラやジャスラも巡って、各国で伝えられる治療法を取り入れて……確立して、広めて……いつか……。
そのために、今もミュービュリの知識も交えた上で、治療師とも話をしているし……。
外に出ると、冷たい空気が私達二人を包んだ。
空を見上げると、ちょうど飛龍のサンがこちらに向かって飛んでくるところだった。
「あ……ユウだ」
「明日――行くんでしょう? ジャスラに」
「うん」
私は肩の鞄をかけ直した。
「しばらく帰れないと思う。水那さんを助けたあとも……何があるかわからないし。それに、この機会にジャスラの治療師ともじっくり話をしてこようと思うの。ジャスラってテスラやウルスラと比較しても治療師の数が多いのよ」
「そうなの。……まぁ、ゆっくりして来たらいいわよ。ずっとユウと一緒にあちこち飛び回ってたんだもの」
理央はそう言うと、くすりと笑った。
「そう言えば、暁は?」
「暁はヴォダで旅してみたいからって、ソータさんと一緒に二日前に出て行ったの」
「ヴォダ……?」
「ソータさんの廻龍。飛龍より移動に時間がかかるから、一足先にね」
「そう……」
「あ、リオネールさん」
不意に男の子の声が聞こえた。
振り返ると、ヨハネだった。
「ああ……ヨハネ」
「これ、頼まれていた書類です」
「ありがとう」
「こんにちは、アサヒさん」
ヨハネが隣の私に気づくと、ぺこりと頭を下げた。
もうすっかり、立派な若者になっている。確か……17歳だったはず。
暁と一緒に遊んでいた頃を思うと……何だかしみじみとした気持ちになる。
まるで、親戚のおばさんのようだ……。私も年を取ったってことなのかな。もう31だし……。
「三日前ぐらいにアキラとちょっと話したんですけど……あれから姿を見かけないんです。どこにいるんですか?」
「ああ……ちょっと、用事があってね。もう……帰っちゃったの」
「――そうですか」
ヨハネは目を逸らすと、何かを諦めたかのように小さく溜息をついた。
ヨハネは実は、カンゼルの息子だ。
だから、私には叔父にあたるということになる。
でも、ヨハネはどこか不安定なところがあるから、そのことは言っていない。
同時に、闇についてやこのパラリュスに起こっていることも、まだ話してはいない。
私達が三家の直系だということは、知ってしまっているらしいんだけど……。
だから、ヨハネはソータさんや夜斗を手伝いつつも、肝心なところは何も知らされていないので……ひょっとしたら、ちょっと不満に思っているかもしれない。
でも……こればかりは、仕方ないよね。女王の許可も得られていないから……。
ヨハネは「それじゃ」と言うと、村の中に入っていった。
まだ何か荷物を抱えていたから、理央以外にも用事を頼まれたのだろう。
その後ろ姿を見送ると、私は理央と別れ、村の外れまで歩いて行った。
ユウがサンに寄りかかりながらボーっとしていた。
「お待たせ!」
「……あ、朝日」
ユウは私に気づくと、にっこり笑った。
「子供たちの診断、どうだった?」
「やってよかった。フェルティガエの発現の前振れとか、普通の子との違いとかもよくわかったし……」
言いながら、私はサンに飛び乗った。ユウの背中に掴まろうとすると、
「今は駄目」
と言って手を払いのけられてしまった。
「……何で……」
「フェルティガが減少しているから、朝日から吸い込んでしまうかもしれない。水那さんを助ける前に、俺が貰う訳にはいかないでしょ」
「……ん……」
サンが飛び立つ。フィラがどんどん小さくなる。
私がテスラに移住してから……1年以上が、過ぎた。
ユウとは毎日一緒にいる。
ユウは、自分から不意打ちのように抱きついてくることはあるけど、私が抱きつこうとすると、極端に嫌がる。
私からフェルを吸収するのを避けるためだ。
特にここ半年ぐらいは、触れることすら避けるようになっていた。
多分……フェルの回復量がかなり減ってきているという自覚があるからだろう。
「でも……ちょっとぐらいなら……」
「――朝日……」
ユウが困ったように溜息をついた。
その顔を見て、私は慌てて笑った。
「ごめん……ちょっと言ってみただけ……だから」
私がこんなに不安そうにしていたら、ユウだって気にしてしまう。
それに、こんなにユウの身体の心配ばかりしている状態でユウに触れたら、絶対フェルをあげてしまうに違いない。
……ユウが言っていることは正しい。
「本当に大丈夫。気にしないで」
私がもう一度力強く言うと、ユウはちょっと笑って小さく「ごめんね」と呟いた。
「俺……ソータさんを、早く楽にしてあげたい。もう絶対、確実に、水那さんを救い出してほしいんだ。――朝日には」
「……うん」
「俺が直接手伝えることは何もないからこれぐらいしか……だから……ごめんね」
「ううん……わかってる。ユウが謝るようなことじゃないよ……」
私はそう言うと、なびいているユウの上着の裾を掴んだ。……これぐらいならいいよね?
ユウは小さく頷くと――とても淋しそうに微笑んだ。
「これで……最後――か」
手にしたフェルポッドを眺めながら、思わず溜息をつく。
ミリヤ女王から内密の許可を受け、私は王宮図書館にあるディゲのフェルポッドから、ディゲのフェルを貰っていた。
私のフェルを減らすことはできないから……ディゲのフェルをユウに渡すためだ。
ユウが眠った頃を見計らって、こっそり注ぎ込んでいた。
今は……そのディゲのフェルとユウ自身の回復量を合わせれば、かろうじて失われていくフェルの量を上回っている。
でも……そろそろ厳しい。
明日、ジャスラに行って――水那さんを救い出せれば、私のフェルをユウに渡すことができる。
そうすれば……ユウは……。
「……」
私はゆっくりと、首を横に振った。
それでも……いつかは追いつかなくなるだろう。
私のしていることは、ただの延命治療にすぎない。
どうしても……根本からの解決策が見つからない。
それは仕方ないことなの?
ヒトの寿命だから……どうしようもないの?
どうにかしようとすることは……生命の理に反するの?
「――まだおったのか」
声がして振り返ると、アメリヤ様だった。
私は慌てて手に持っていたフェルポッドを棚に戻した。
「あ……明日からしばらく来れなくなるので、やれることは、やっておこうかと……」
「ディゲのフェルはそれで最後のようじゃの」
「はい……あとは、もう……」
そう答えたあと、私はギョッとしてアメリヤ様の青い瞳をまじまじと見つめた。
私は名目上、アメリヤ様の留守の間に図書館の整理をするということでここに出入りしている。
ディゲのフェルを貰うことは、私とミリヤ女王だけの秘密だったから……。
「え……ど……え?」
「われが気づかぬと思っていたのか」
「え……は……」
「図書館に入ったときよりも出た時の方がフェルティガが増えておれば、すぐにわかるであろう。まさか居眠りしていた訳でもあるまい」
「……は……」
そう言えば、一度アメリヤ様とすれ違ったっけ。あのときに……。
「あの……すみません。あの……ミリヤ女王の、許可を……一応……」
「まあ、そうであろうの。いくらアサヒでも勝手に盗むことはないであろうし」
そう言うと、アメリヤ様はふっと息をついた。
「どのみち……ディゲのフェルティガの用途についてはいささか困っていた。開けるまで威力も効果もわからんしの。……まあ、かまわぬ」
そう言うと、アメリヤ様は私の方につかつかと近寄り……私がしまったフェルポッドを取り出した。
私の目の前で蓋を開ける。
私が意識を集中するまでもなく……そのすべてが私の中に吸い込まれる。
「……思えば、初めてアサヒの力を見たが……本当に稀有な能力じゃのう」
「そうです……かね……」
「闇には……本当に気をつけるのじゃぞ。お前が闇にとり憑かれたら……完全に、終わりじゃ」
「はい」
私は深く頭を下げた。
「そのときには――自害する覚悟で、臨みます」
「……うむ」
私の言葉に……アメリヤ様は小さく頷いた。
そうだ……中途半端な気持ちでいてはいけない。
ユウのこと、水那さんのこと――いろいろあるけど、最終的には――あのキエラ要塞の闇を封じることが、目的なんだから。