22.託宣の神子の宿命(2)-夜斗side-
テスラの異変は……6日前に始まった。
ヨハネが夜になっても帰って来ない、と飼育士から連絡がきたのだ。
急いでヤンルバに駆け付けると、飛龍が一頭いなくなっていた。
去年の冬も、こんなことがあった。
……また、無茶をしたのだろうか。
王宮の飛龍では、広範囲を探すことはできない。決まった時間にはテスラに戻ってきてしまうからだ。
その習性を唯一覆せるのがヨハネだった。
サンがいればよかったが……サンはユウや朝日と共にジャスラに行っていたので、どうすることもできなかった。
ヤンルバ、付近の村、エルトラ王宮――。とにかく各所で聞き込みをし、情報を集めた。
ヨハネの姿を最後に見たのは、王宮の神官だった。エルトラに来ていた浄化者をフィラに送らないといけないから、と言っていたらしい。
……しかし、二人と飛龍はフィラには現れなかった。
つまり、その浄化者も――ヨハネと共に姿を消している。
2日、3日経ち……これはいよいよ只事ではない、ということになった。
ヨハネはひょっとしたら誰かに誘拐されたのかもしれない。
誰か――まさか、闇が紛れ込んでいたのだろうか?
二人が最後にいたはずのヤンルバを、丁寧に捜索する。
……そして、ヨハネと一緒にいたはずの浄化者が見つかった。
恐怖のあまり精神の限界を越えたのか――浄化者は発狂しかかっていた。
すぐに治療をしようとしたが、彼は拒絶した。
「ヨハ……ヨハネ……が……」
俺が浄化者の少年を抱き起すと、彼はうわ言のように叫んだ。
「は……?」
「とにかく! あ……ああ……」
目の焦点が合っていない。奥歯をガチガチと言わせている。
髪を振り乱し……錯乱状態になっている。
「あ……伝え、なければ……早く……女王様……!」
どんな目に遭ったのか……これは尋常ではない。
まず、この浄化者の頼みを聞いた方が落ち着くのではないだろうか。
そう考えた俺は、すぐに女王に謁見を申し込み――彼を大広間に運んだ。
彼の肩に手を置き、女王の前で彼が見た光景を再現する。
それは……背筋が凍りつくほど……狂気じみたものだった。
◆ ◆ ◆
浄化者の視界が……ぐるりと回る。ヤンルバを見渡している。
そこには、他に誰もいなかった。飛龍もみな外に飛び出していたようだ。
奥でじっとしている老齢の飛龍と……他には一頭だけ。
「誰も、いませんね」
「そうだ、ね……」
そう呟いたヨハネの表情が……一変する。ガクリとその場に跪いた。
「ヨハネ……大丈夫ですか!?」
浄化者はヨハネに駆け寄ろうとして……思わず立ち止まった。
ヨハネの顔つきが……全く別人のものになる。
その恐怖に、おののいたのだろう。
「……そうだね。僕に、力さえあれば……」
ヨハネが凄い形相になり、呟いた。
……ゆっくりと、立ち上がる。
「ヨハネ……それは!?」
浄化者の瞳には、ヨハネの右腕を覆っている闇が映っている。
「いけません、しっか……」
「――うるさいよ」
ヨハネが浄化者に右手を翳した。
「ぐ……」
「僕に従えよ」
「い……や……」
「……楽にしてあげようとしているのに。抵抗すると――狂うよ?」
「いえ、わた……わた、しは……」
浄化者はヨハネの幻惑に抵抗しながらも……どうにか闇を浄化しようと――力を削ごうと、両手を前に差し出す。
ヨハネは可笑しそうに笑った。
「無理、無理。僕を屈服できるのはヒコヤだけだし……僕を縛るとしたら、アキラぐらいじゃないと……ね」
そう言うと、ヨハネは溜息をついた。
「これが最後だし……あまり騒ぎにはしたくないんだよ。……素直にならない?」
「うう……ううう……」
浄化者がかろうじて首を横に振る。
ヨハネはちょっと押し黙ると、ニヤリと笑った。
「じゃ……バイバイ」
その瞬間、不快な音が響き渡った。
◆ ◆ ◆
「ぐっ……!」
不快な音に、視ているこっちまで狂いそうになり……俺は慌てて映像を切った。
「……お役に……立て……」
少し正気に戻ったらしい浄化者がホッとしたようにそう呟いたが……限界だったようだ。
そのままひっそりと息絶えた。
「……何と……」
ミリヤ女王がギリリと歯ぎしりをした。
「これは……いつの出来事だ?」
「失踪した、3日前かと……」
「――キエラ要塞はどうなっておる!」
女王の言葉に……俺はハッとした。
フィラ、キエラ要塞、エルトラ王宮の近隣の村……まずは、各地にフィラの浄化者を派遣した。
ヤンルバは閉鎖し……飛龍は地下の空間に閉じ込めた。
ヨハネに飛龍をすべて操られたら、追いかけることもできない。
しかし……ヨハネは見つからなかった。
今はテスラにはいない……もしくは、キエラ要塞に潜んでいる。
これが、現時点での結論だった。
ヨハネがフィラの浄化者を手にかけたことがわかって……まず考えたのは、フィラの住民は無事だろうか、ということだった。
ヨハネが敵に回って最も厄介なのは……ヨハネの能力が、幻惑と隠蔽だということ。
ヨハネ自身に戦闘能力はなくても、強力なフェルティガエを操られてしまったら大変なことになる。
しかも、隠蔽で身を隠されたらどうしようもない。
ヨハネの幻惑と隠蔽を上回れるのは、俺を含め数人しかいなかった。
だから俺はここ数日、エルトラとフィラを行き来していた。
障壁を張る指示を出したり、見張りの位置を確認したり、浄化者と共に不審なところはないか回ったり……。
ただ、リオはそれにも限界があると考えたのだろう。
そして、暁が来ることを聞いて……フィラに絶対障壁を張った。
これで……ヨハネがフィラの人間を惑わすことはない。
勝手に外に出る人間がいないように気をつければいい。
ユウがとり憑かれたときのことを考えると……ヨハネはまず、キエラ要塞に向かったはずだ。
だが……浄化者によれば、キエラ要塞の闇は極端には減っていない、ということだった。
つまり、ヨハネはまだ、あまり力を取り戻せていないことになる。
ヨハネが消えて、ちょうど1週間……。
未だ要塞に潜み、力を取り戻そうとしているのか、それとも……。
朝日は、ミズナさんは助け出せたと言っていた。
とにかく……ソータさんには、なるべく早くテスラに来てもらった方がいいかもしれない。
闇は、やはりソータさんをかなり警戒しているようだ。ソータさんがいれば、闇は迂闊に動けなくなるだろう。
それまでは……エルトラの守りを固め、キエラ要塞を見張らなくてはならない。
ソータさんが、伴侶を連れて――このテスラの大地に戻ってくるまでは。




