20.誰もが失うことを恐れる(3)-暁side-
エルトラ王宮の中庭に着くと、神官が待ち構えていた。
ミリヤ女王が、すぐにでも謁見したいと言ってくれたらしい。
王宮内は……全体的に、物々しい気配が漂っていた。そう言えば、中庭にも何人もの兵士が見張りをしていた気がする。
――まるで、戦争中みたいだ。
いったい……何が起こったんだろう。
「……待っていたぞ」
大広間に入るなり、ミリヤ女王はそう言って厳しい表情をしていた。
いつもはどこか余裕あり気に微笑んでいる女王様なのに……。
「ミリヤ女王……アキラには、まだ……」
夜斗兄はそう言うと、ちょっと俯いた。
「……わかった。まず、アキラの話を聞こう。……アサヒのことだな?」
「はい」
「リオネールから妊娠のことは聞いた。それで、倒れたというのは? あの娘なら、有り余るほどのフェルティガを持っているはずだが……」
「水那さんを助けるためにかなり放出したのと……ユウを助けるためにフェルティガを渡していたから……。そのあと……夜斗兄と連絡を取り合ったあと、ミュービュリに行くって言ってゲートを開いて……その後のことは、俺にはわからないんですけど、何か無茶して、倒れたみたいです。……朝日は自分の身体のこと、気づいてなかったみたいで……」
「ふむ……」
「な……」
隣の夜斗兄がギョッとしたような顔をした。
「そのあと、しばらくして一度目が覚めたけど……錯乱して、また倒れてしまって。ユウが……俺のときと同じ状態だって言ってたから……」
「……」
「当時の王宮の……フレイヤ女王がして下さったこととか、あとエリンさんに何か聞ければ、と……」
「――わかった」
ミリヤ女王は扇をパチンと打ち鳴らした。
「とりあえず……エリン他、王宮治療師を三人遣わす。ジャスラに連れて行け」
「えっ!」
俺は思わず声を上げた。
ミリヤ女王は……個人的な事情や感情で簡単に動く人ではない、と朝日は言っていた。
冷たい訳ではなくて……女王としてそれは必要な――賢明さだと。
「どうして……そんなに手厚い対応を……」
「託宣だ」
「託宣……?」
「……『遠き果て 歪められた命 すべてを呑み込む娘 失くすことなかれ』……とな」
歪められた命……すべてを呑み込む娘……。
ユウと……朝日のことだろうか。
「テスラにとって、どうしても必要な存在だということだ。ならば、エルトラの……テスラの女王として、最大限の手は尽くさねばなるまい」
そう言うと、女王はすっと扇で正面を指した。
「あと……王宮図書館に保管してあるフェルポッドを貸し与える。フィラの人間にでも協力してもらうことだ。ただし……こちらは、返してもらうぞ」
「はい……」
そのとき、傍に控えていた神官がミリヤ女王に何か耳打ちした。
「……そうか」
ミリヤ女王は頷くと
「アキラ……われが朝日に与えたフェルポッドは……今、持っておるか?」
と聞いてきた。
「あ……あります。一つだけ。……何かに必要かと思って……」
「そうか。では……アキラはおばあ様と会うがよい」
「えっ!」
びっくりし過ぎて大声が出る。
「――フレイヤ……先代女王……様……ですか?」
「そうだ。今回の件で……どうしてもアキラに話しておきたいことがあるそうだ」
「え……」
フレイヤ様は……5年ぐらい前、眠っているユウの闇を浄化するときに会った。
年齢の割にすごく綺麗なおばあちゃんで、力も凄かったことを憶えている。
王宮の奥の北の塔で隠居されているって聞いていたけど……。
「……われからは以上だ」
「本当に……ありがとうございます」
俺は深々と頭を下げた。
ミリヤ女王はふっと微笑むと……そのまま何も言わず、奥へ消えて行った。
控えていた神官が俺のところに来た。フレイヤ様のところに案内してくれるらしい。
「夜斗兄は……」
「王宮治療師との打ち合わせと、フェルポッドの段取りは俺がしておいてやる。……行って来い」
「……わかった」
俺は夜斗兄に手を上げると、大広間を出て北の塔に向かった。
入り組んだ廊下を抜け、階段を登る。
「……こちらです。……他言無用に願います」
「……」
神官はお辞儀をすると、静かに去って行った。
扉を静かに叩くと「入れ」というしわがれ声が聞こえてきた。
「失礼しま……えっ!」
扉を開けた途端、物凄いフェルティガが俺を包んだ。部屋中に溢れかえっている。
俺は慌てて扉を閉めた。
見ると……奥の、窓の近くのベッドに、よぼよぼの小さなお婆さんが横たわっていた。
「え……フレイヤ……様……?」
5年前とは比べものにならないぐらい年老いている。まるで……30年ぐらい経ったみたいだ。
「……そうだ」
「……すみません……!」
うっかり驚いてしまった。すごく、失礼だった気がする。
「……われは……身体の老化を発症している。……もう、長くない」
「……」
俺はゆっくりと近寄ると、ベッドの傍の椅子に腰かけた。
フレイヤ様はちらりと俺を見たが、すぐに視線をまっすぐ天井に向けてしまった。
お話があるということだったから喋り出すのを待っていた方がいいんだろうな、と思って黙っていると――フレイヤ様は深い、溜息をついた。
「……あの頃、われは……長引く戦争の中で……小さな犠牲はいたしかたない、と……諦めることが多くなっていた」
「あの頃……?」
「あの娘……アサヒと初めて会った頃……だ」
「……」
フレイヤ様は俺を見ると……急に「ふっふっふっ」と笑いだした。
「諦める……お前の母には、およそ縁のない言葉であろうの……」
「そうです……ね……」
朝日は欲張りで努力家だ。
無理かも……と言いつつ、でもこうすれば、とかなんとか言って、いつもがむしゃらに突き進んでいる。
「アサヒが諦めなかったから……お前が産まれた」
「……」
「……ユウディエンは死ななかった。戦も……終わった」
「……」
「フィラは蘇り……闇は蔓延らずに済んでいる……」
「……無茶苦茶過ぎるときも……あるけど……」
「……そうじゃの」
フレイヤ様はまたもや「ふふっ」と小さく笑った。
「……お前が産まれるまでのこと……産まれてからのこと……われは最近よく思い出すのじゃ。まるで……われはお前の婆のような気分になった」
「……そんな……」
そんな風に思ってくれていたなんて……俺は全く知らなかった。
すごく偉い……遠い存在だと思ってたから。
もっと早く来れば……よかったのかな。
いや、でも……さっき、他言無用だと言っていた。
先代女王の立場では……きっとそれは、許されないんだろうな。
「アサヒは……決して諦めない……」
「……はい……」
「今も……そうであろう? ……自分の命も、子供の命も、ユウディエンの命も……どれも諦めることができず……苦しんでいる」
「……」
そうだね。そういうことなんだと、思う。
朝日が諦めなくて済むように――俺は、テスラに来たんだ。
「アキラよ……われのフェルティガを持って行け」
「えっ!」
唐突過ぎて、声がひっくり返る。
「身体の老化により……われは身体にフェルティガを収めておくことができなくなっている。ユウディエンとは違い……われは、フェルティガは衰えておらぬ。きっと……お前の……アサヒの役に立つ」
「でも……」
そんな恐れ多い、と思ったけどフレイヤ様はちょっと呆れたような顔で俺を見た。
「お前は変なところで畏まるのだな。……そこは、アサヒを見習った方がよいぞ」
「そうかな……」
思わずぼやくと、フレイヤ様が今度は「はっはっはっ」と大きな声で笑った。
「早くしろ。こうしていても……やがて外に抜け出て失われていくだけなのじゃ。われに婆らしいこともさせぬつもりか」
「……わかりました」
俺はカバンからフェルポッドを取り出すと、蓋を開けた。
部屋中に溢れていたフレイヤ様のフェルティガが凄い勢いで吸い込まれる。
「うおっと……」
許容量を越えたのか、溢れそうになったので……俺は慌てて蓋を閉めた。
「……ふう」
フレイヤ様が満足気に溜息をついた。
「あの……本当にありがとうございます。ジャスラに戻ったら……朝日に――ちゃんと渡します」
「……うむ」
「将来、俺の弟か妹が産まれたら……お前は女王様にフェルティガを貰ったんだぞ、すごいんだぞって……」
「――弟と妹だ」
「……えっ?」
フレイヤ様は瞳を閉じていた。
「えっ、あの……」
「退位すると……国が関わるような大きな物事は視えなくなるが……託宣の力が失われる訳ではない」
「えっと……?」
「お前には……弟と、妹ができるのだ。……賑やかになりそうじゃの」
そう言うと、フレイヤ様はゆっくりと目を開けた。青い瞳がわずかに輝いている。
「え……」
「双子となると……お前の時より負担はかかるかも知れぬ。ただ、アサヒも……以前とは比べものにならないほどフェルティガエとして成長している。回復量も昔の比ではない。王宮治療師に任せておけば……大丈夫……じゃ……」
それだけ言うと、フレイヤ様はゆっくりと瞳を閉じた。
「フレイヤ様!?」
「……大声を出すな。……まだ死にはせぬわ」
ムッとしたような声を出すと、フレイヤ様は片目だけ開けて俺を睨んだ。
「……今日は……久し振りにたくさん話をした。……ちょっと……疲れただけだ」
「……あの……本当に……ありがとうございました」
俺は椅子から立ち上がると、深く頭を下げた。
「……では、もう……行け」
「はい」
フレイヤ様はふっと笑うと、ゆっくりと瞳を閉じた。
俺はもう一度お辞儀をすると、静かに部屋を出た。
朝日……みんなが、諦めずに頑張れって言ってるよ。
それは……朝日に教えてもらったんだって。
じゃあ……それに応えなきゃ、駄目だよね。
俺は手の中のフェルポッドをじっと見つめた。
――フレイヤ様の想い……ちゃんと、届けなきゃ。




