17.守ること、守られること(3)-ソータside-
モーゼと別れ……ヴォダはゆっくりとハールの海岸に向かって泳いでいた。
「ヴォダ、しばらくは……ジャスラの付近にいてくれよ。俺は、なかなかこうして出れないかもしれないけど……」
“……うん”
「……淋しいか?」
“……ううん”
ヴォダはプルプルと身体を震わせた。
“ヴォダ、忙しいの。じいじや、ととみたいに……立派な廻龍になるの。だから、頑張るの”
そう言うと、ヴォダは少しスピードを上げて海面に向かって泳ぎ始めた。
「……そっか」
“……それに、じいじのもうすぐ、ソータが思うより、長いの。……だから、だいじょぶ、なの”
「長いって……どれぐらい?」
“5年ぐらい?”
「……なるほど」
何千年も生きてきたモーゼにとっては……あっという間の時間だろう。
ハールの海岸に着くと、ヴォダはあっという間に海に帰って行った。
本当に張り切っているようだ。
俺は水那をおんぶすると、ゆっくりと歩き始めた。
「颯太くん……ヤハトラまで、歩くの?」
「ああ。……だから、ジャスラ中を徒歩で旅してたから大丈夫だって」
「でも……」
「――ソータ様!」
急に目の前に、ヤハトラの神官が現れた。
「うわっ……びっくりし……」
「ソータ様、ミズナ様……! 私と共に……神殿まで来ていただけませんか? 浄化を行いたいとの……ことなのですが……」
俺の言葉を遮り、神官が息も絶え絶えに言う。
「それは……いいんだが。水那は、大丈夫か?」
水那はこくりと頷いた。
身体の自由がきかないだけで、フェルティガについては十分潤っているようだ。
神官が俺の手を取った瞬間、身体が宙に浮く。
……気が付くと、ヤハトラの入口に跳んでいた。
とにかく急いでいるようだったので、俺は水那をおんぶしたまま、神殿の間に向かって走った。
息を切らしながら神殿に到着する。
扉を開けて中に入ると、ネイアとセイラが勾玉の前に立っていた。
暁とシャロットとレジェルはその前に座っている。
「ソータ、ミズナ……すまなかったな」
「それはいいが……どうした?」
「とにかく……アキラをすぐにテスラに帰さねばならぬ。よって、勾玉の浄化をしたい」
「……」
緊急事態のようだったので、俺は理由を聞くのを止めた。
水那を勾玉の前に用意してあった椅子に座らせる。
水那は深呼吸をすると、手を合わせ、瞳を閉じた。
俺は水那の後ろに立つと、両手で神剣を構えた。
「――それでは始める。ミズナの瞳が開いたときが……合図だ」
ネイアはそう言うと、さっと横に引いて跪いた。
セイラもネイアと反対側の脇に寄り、同じく跪く。
勾玉が……ほんのり光る。
――女神ジャスラの闇よ……鎮まりたまえ……。
胸の奥の勾玉の欠片から……水那の祈りが聞こえる。
そして――眩しい光が神殿を覆い尽くすのを感じた。
二回目の浄化で、勾玉は完全にもとの輝きを取り戻した。
暁はすっくと立ち上がると
「ソータさん、水那さん……ありがとう。ごめんね!」
と言って慌ただしく神殿を出ていった。
シャロットが会釈だけして、慌てたように暁を追いかける。
レジェルは二人を見送ると、ゆっくりと立ち上がった。
「初めまして、ミズナさん。レジェルと申します。このジャスラの浄化者です」
深々とお辞儀をする。
「あなたが……時々、浄化を……手助けしてくれた、ことは……知っていました」
水那はゆっくりとそう言うと、少しよろめきながら立ち上がろうとした。
身体を支えてやると、水那は俺に体重を預けたままゆっくりとレジェルに頭を下げた。
「本当に……ありがとう……ございます……」
「いえ、そんな……」
レジェルは少し慌てたように首を横に振った。
「レジェルも……長い間ヤハトラに拘束して申し訳なかったの。……小さい子もいるというのに」
ネイアが申し訳なさそうに言った。
「一度……ハールに戻るがよい。何かあれば、使いを出すゆえ……」
「では……そうさせていただきます。ミジェルのこと、よろしくお願い致します」
「うむ。……こちらこそ、今度はミジェルの力を借りることになるのだからな」
「いえ……ミジェルにとっては、むしろ喜ばしいことだと思うので……」
レジェルはそう言うと、にっこり笑った。
そして俺達にも会釈をすると、神殿の間から出て行った。
セイラは「ミジェルの様子を見てくる」と言って、続けてこの部屋を後にした。
その場に――俺と水那、ネイアの三人だけが残された。
「……ミジェルは、ヤハトラに残るんだな」
ミジェルはセイラの幼馴染だが、ヤハトラに来るときはいつも姉のレジェルと一緒だった。
姉妹はぴったりと寄り添っていて……別行動することなんてなかったのに……。
それにここ数年は、ミジェルの顔自体、全く見なかった。
急に引っ込み思案になってしまって、すぐに隠れてしまって……。
だから、レジェルが帰ってミジェルだけ残るなんてことは、初めてだ。
「そうだ。……アサヒを救ってもらわねばならん」
「朝日……?」
そういえば……朝日はこの場にいなかったな。
てっきりこの浄化も手伝うと思っていたんだが……。
まぁ、残りの闇自体はそんなに凄い量ではなかったから、朝日の手を借りるまでもなかったけど……。
「とにかくこちらで話そう」
そう言うと、ネイアは広間の脇にある椅子を進めた。
俺は水那の手を引きながらテーブルまで歩いた。
俺達が座ったのを見計らって、ネイアは口を開いた。
「まず……ユウディエンのことだが」
「ああ……うん」
「フェルティガの老化を患っている。放っておけば、1ヶ月ほどで死んでしまう状態だ」
「は!?」
フェルティガの老化? そんなの初耳だ。しかも……余命1ヶ月!?
「フェルティガエの自己回復力が衰え……最終的にはゼロになる。ここに着いたとき、ユウディエンはかなりのフェルティガを失っていた。だからアサヒは浄化の手助けをしたあと……ここ1週間、自分のフェルティガをユウディエンに与え続けていた」
「……フェルティガを補う限りは大丈夫だからか?」
「そうだ。しかし……アサヒは懐妊してしまった」
「……してしまった、って……」
何か言い方がおかしいな。
「それって、喜ばしいことじゃないのか?」
「本来は……そうだが……」
そう言うと、ネイアは少し考え込んだあと、おもむろに口を開いた。
「ユウディエンとアサヒが、フィラの三家の直系だということは知っておるな?」
「ああ」
「フィラでは三家間の婚姻は禁忌なのだそうだ。なぜなら子供ができたとき、その子供は母親のフェルティガを吸収して通常の数倍の速さで成長し、この世に出る。母体がそれには耐えられず、死亡してしまうからだそうだ」
「え……」
「ユウディエンによれば、無限にフェルティガを蓄えるアサヒだから、アキラを無事出産できたということだ。しかしそのアキラの出産のときも……無理をしたため、死にかけたという」
「……」
フェルティガを吸収……。
俺はふと、半年ぐらい前の会話を思い出した。夜斗の姉……理央に二人目の子供が産まれたときだ。
* * *
「すっごく可愛くてね。羨ましい!」
「朝日だって不可能じゃないだろう?」
「私は……駄目なの。今年の冬は、水那さんを助けるんだから。それに……」
そこまで言うと、朝日はゆっくりと首を横に振った。
「それに?」
「ううん……何でも。とにかく、私は……もういいのよ」
* * *
そのときは聞き流していたけど……。
今思えば、水那を助けることがどうして関係するのか……。
そうか……自分のフェルティガを吸収されたら、水那を助ける妨げになるからか。
そして……ユウにフェルティガをあげなければならないから……だから、もういいって言ってたのか。
「――いいか、ソータ?」
ネイアの声で我に返る。
「あ……うん」
「アサヒは子供ができたことがわかって……錯乱しかけた。子供を生むことを選べば、ユウディエンを死なせてしまう……とな。何をするつもりだったのか……ミュービュリに行こうとしたらしい。セッカがいなければ、大変なことになるところだった」
「セッカ……来てるんだな」
「どうやら何か無茶をして、セッカの家の近くで倒れていたそうだ。今もとりあえずアサヒに付いてもらっている」
「……」
「今は、アサヒとユウディエンを同じ場所に寝かせてある。他者にフェルティガを与えることができるのはアサヒしかおらん。だから……ヤハトラのフェルティガエを総動員して、とにかくアサヒにフェルティガを与え続ける。そして……アサヒの身体を通してユウディエンにもフェルティガを供給する」
「……なるほど……」
「しかし……なかなか難しい。供給が足りなければユウディエンは死んでしまう。しかしアサヒのフェルティガをユウディエンに与え過ぎれば、アサヒが死んでしまう」
「……」
「それで、アキラにはテスラに帰ってもらったのだ。テスラにはアキラの出産に立ち会った治療師も多くいる。二人をヤハトラから動かすことは絶対にできぬゆえ……」
「ふうん……事情は……わかった」
俺が頷くと、ネイアはふうっと息を漏らした。
「今はヤハトラの治療師で二人を見守っている。ユウディエンによれば、およそ2か月半……3月上旬には、臨月を迎える」
「2か月半!?」
思わず叫ぶと、ネイアは再び大きな溜息をついた。
「禁忌だと言ったであろう。……本当に……母体にどれほどの負担がかかるか、想像を絶する。全く予断を許さない状況だ」
「……」
「申し訳ないが、それまではソータを手伝うことはできぬ。ミズナも……すまない」
「いいえ……」
「パラリュスの未来は勿論、大事だが……目の前の命には代えられぬ」
「……」
俺は水那と顔を見合わせると、黙って頷いた。
どっちみち……テスラの協力がなければ、俺はこれ以上何もできない。
水那の身体もまだ本調子ではないし……とりあえず、暁がテスラから帰ってくるのを待とう。
しかし……それから4日経っても、暁は帰って来なかった。
朝日とユウは、生きている。
お腹の子供も、懸命に生きようとしている。
あれだけ世話になった二人なのに……俺にできることは、何も見つからなかった。
――どうすればいい。俺が、今、やるべきことは……。
遥か彼方のテスラの大地を思い……俺は、ぎゅっと唇を噛みしめた。




