8.声を失った少女(1)-暁side-
「……ん……」
ぱちりと目を開く。……天井の石造りが目に入る。
何だか……随分長い間、眠っていた気がする。
俺は布団の中で思い切り背伸びをした。
ふと隣を見ると、シャロットがくうくうと眠っている。
「……っ……!」
ベッドから跳び起きて、すかさずその場を離れる。
これは……どういう状況なんだ……?
部屋を見回すと、こぢんまりとした小さな居室だった。ミュービュリの俺の部屋とあんまり変わらない。
……どう見ても、一人部屋だよな。
「――シャロット!」
思わず叫ぶと、シャロットがビクッとして飛び起きた。
「あ……アキラ」
「おい! お前、な、何を……」
「そっか……私、眠くなって寝ちゃったんだ。アキラがぐうぐう寝てたから……」
「人のせいにするな。何しに来た」
「……そんなに怒らなくてもいいじゃない」
シャロットはそう言うと、ベッドからもそもそと降りた。
こいつ……俺のこと、全然意識してないな……。
「目覚めて……廊下に出たらね、アキラが隣の部屋にいるって聞いて……」
「で?」
「様子を見に来た」
「見に来て、何で他人のベッドに潜り込んでるんだ」
「もうすぐ目覚めるかなって思って待ってたんだけど……逆に私の方がまた眠くなっちゃって……」
シャロットはそう言うと、大欠伸をした。
「大きいベッドだしいいか、と思って端っこを借りたの」
「………………」
俺達はもう子供じゃないんだぞ、と言おうとしたが
「じゃあ着替えてくるねー」
と言ってシャロットはさっさと部屋を出て行ってしまった。
……ったく……。あいつ、自分のこと全然わかってないな……。
俺の前で……遠慮がなさすぎるんだよ。
それからしばらくすると、シャロットは何やら紙の束を抱えて現れた。
髪の毛もきれいに結って、ちゃんとドレスも着ている。
シルヴァーナ女王やコレットが着ているような本物のドレスではなく、シンプルなシルエットの、膝下ぐらいまでのワンピースだ。
「……いつもの神官服じゃないんだな」
「あれはやめたの。これはね、私用に……動きやすい服を作ってもらったの。『ハッタリ』しようと思って」
「……ハッタリ……?」
「バメチャンにね、王女らしく振る舞うことは大事なことよって言われたから」
「ふうん……」
何だかよく分からないけど……シャロットはばめちゃんに綺麗にしてもらったときのこと、かなり嬉しかったんだな。
「……で、それは何?」
シャロットが抱えている紙の束を指差す。
「次元の穴の資料。ネイア様に聞こうと思って」
「ああ……」
俺とシャロットは部屋を出ると、神官に案内してもらって神殿に向かった。
あのとき……ソータさんが駆け出した背中だけ憶えている。
俺達は、水那さんを助けられたんだよな。
……で、それから丸3日経っているらしい。神殿までの道すがら、案内をしてくれている神官が教えてくれた。
ソータさんは水那さんに付きっきりで、朝日はユウに付きっきりらしく――二人とも、部屋から一歩も出て来ないそうだ。
ユウはかなり消耗しているみたいだった。水那さんは助けられたし……朝日はきっと、ユウにフェルティガをあげてるんだろう。
安心できるまでは……多分、出て来ないだろうな。
「……どうぞ」
神殿の間の前まで来ると、神官が一礼をする。
そして「アキラ様とシャロット様がいらっしゃいました」と告げてその場を離れていった。
「……失礼します……」
一声かけて、俺は扉を開いた。
神殿の奥……闇は、完全に消え失せている。勾玉が……鈍く光っているだけ。
手前のテーブルで書物を広げながら、ネイア様とセイラ様が何か話していた。
セイラ様は18歳で、俺たちより3歳年上だ。ネイア様の娘で――つまり、次のヤハトラの巫女ということになる。
パラリュスの闇が片付いたら、後を継ぐって聞いた気がするな。
「……おお、目覚めたか。……ご苦労だったの」
ネイア様がにっこりと微笑んだ。
「あの……水那さんは……」
「昨日、目を覚ました。だが……身体がまったく動かせないらしいからの。自分で歩けるようになるまで……休むことになるだろう」
そう言うと、ネイア様は勾玉に目を向けた。
「二人も、しばらく休息するがよい。残念ながら、勾玉を完全に浄化するにはいたらなかったからの。……もう一度、レジェルと三人で仕事をしてもらわねばなるまい」
「わかりました」
「あの……」
シャロットが持っていた紙の束をネイア様の目の前に置いた。
「……何だ、これは?」
「ウルスラの祠の……次元の穴の記録なんですけど」
「……は?」
ネイア様が紙の束とシャロットを見比べてぽかんとした。
「ウルスラの次元の穴は……太古の昔にウルスラの血を使って鎮めたのではなかったか?」
「あの……私が実験で……裏庭の祠に開けた、新たな穴です」
「――何?」
ネイア様の表情が変わる。そして紙の束を掴むと、物凄い速さで真剣に読み始めた。
「……お主ら」
それまでずっと黙っていたセイラ様が立ち上がり、俺達の方に近寄って来た。
「実験って……何をしたのじゃ?」
「神器とフェルティガの干渉で穴が開くと聞いたので……私が実際にやってみて……」
「え?」
「開いた後はシャロットが次元の穴がどこに繋がるかを視て……で、俺がそれをミュービュリで調べて……そうやって、候補地を絞り込んでいったんです」
「な……」
セイラ様がびっくりした表情で俺達二人を見た。
「何のために?」
「えっと……興味?」
「あと、何か利用できないかっていう……」
「……」
俺達の答えに、言葉を失う。
「――シャロット」
一通り目を通したらしいネイア様が、頭を抱えながら低い声で言った。
「お前、これを、何で……」
「あの……候補地なんですけど、これで全部かなって思って……」
「――この馬鹿者」
「……」
穏やかなネイア様が、めずらしく怒っている。
シャロットがびくりと肩を震わせた。
「次元の穴は……ミュービュリに行く手軽な手段、という訳ではないのだぞ? 穴が開いた以上、ミュービュリからこちらに紛れ込む可能性も十分にある……危険なものなのだ!」
「それは……」
「それを安易に開ける……開けるなど、全く……」
そう呟くと、ネイア様はガックリと肩を落とした。
「まさか……開けることができるとは……」
「フェルティガの干渉による、ということを立証したかったんです」
「しなくてよいのだ!」
ネイア様がビシリと叱りつけた。
「全く……ウルスラの血筋だからか、本当に好奇心旺盛で困る」
シャロットは「でも」と言って尚も食い下がった。
「ちゃんとその可能性も考えて……書庫の方は完全に封鎖してもらいました。シルヴァーナ女王にお願いして……。それで、祠の方も私がいない間は結界を張ってあります」
「……で? これによると、アキラもだいぶん協力しているようだが?」
ネイア様がチラリと俺の方を見た。
俺は知らねぇぞ、と思ってたけど……やっぱり共犯になるらしい。
「えーと、まあ……」
「……」
ネイア様は俺達を見比べると、はあーっととても深い溜息をついた。
「とにかく……これ以上は触れるな。……わかったな」
「……はい……」
「……すみません……」
どうやらシャロットは(……いや、俺もか)とんでもないことをやらかしてしまったらしい。
仕方なく、俺とシャロットはぺこりと頭を下げた。
「……ぶふっ……」
ずっと俺達のやり取りを見ていたセイラ様が、吹き出す。
「……凄い……凄いのう、二人は……」
「セイラ。褒めるな。調子づかせる」
「いや……ただ、この二人なら……ミジェルのことも……」
ミジェル? ……って、誰だっけ。
「……ふむ……」
ネイア様が頷く。
「ミジェル……レジェルさんの妹さんですよね?」
シャロットが言った。
「よく憶えておるの」
「初めてヤハトラに来た時……5年前かな。一瞬だけ顔を合わせたけど……すぐ引っ込んでしまって」
シャロットが思い出しながら言う。そして俺の方に振り返ると
「アキラもその場にいたじゃない。憶えてる?」
と聞いてきた。
「……そうだな。引っ込み思案なんだなって思った……ような……」
「違うの。すごく不安定なフェルティガを抱えてたの」
「……そうなのか?」
「そう。だから……何となく憶えてた」
「――そこまでわかっているのなら話は早い」
ネイア様はそう言うと、椅子を勧めてくれた。
俺たち二人が腰かけるのを待って、ネイア様は話し始めた。
「……ミジェルのフェルティガは、どうやら声なのだ」
「声……?」
「発する声が力を持っている。今から5年前、レジェルとミジェルはラティブの国に食糧を仕入れに出かけた。エンカも一緒だ。そのとき、暴漢に襲われ……ミジェルはその声で暴漢を倒してしまった」
「……それって、やめて!とか助けて!みたいな叫び声で……ってことですか?」
「恐らく……そうだ」
……ユウみたいな戦闘タイプのフェルティガエだったのかな。
「殺した訳ではないが……ミジェルにとっては、かなりショックだったようだ。それから一言も喋らなくなった」
「……喋る声、すべてが力になるんですか?」
「……多分……」
どうもさっきから、ネイア様の歯切れが悪い。
「あの……どういうフェルティガかもわからないってことですか?」
「……うむ」
「どうして……」
フィラでは、力の強い両親の元に生まれた人間は必ず女王の託宣を受ける。
あまり強くない家の者も、発現したときにどういうフェルティガかを必ず視ることになっている。
ウルスラでは、王宮内で生まれた赤ん坊については必ず調べると、前にシャロットが言っていた。
ヤハトラにはジャスラの大半のフェルティガエが集められているっていうから……その辺もちゃんと確立されているもんだと思っていたけど……。
「ヤハトラには……純粋なジャスラのフェルティガエしかおらん」
俺の疑問に答えるように、ネイア様が言った。
「そしてジャスラのフェルティガエは、慈の女神ジャスラの祝福ゆえか、障壁や治癒など、身を守るフェルティガが大半だ」
「へえ……」
「よって未知のフェルティガに対する手段がわからないのだ。フィラやウルスラの能力が強く、多岐に渡るのは……ミュービュリの血を引いているからだ」
「……」
「ジャスラでミュービュリの血を引くフェルティガエは……あの姉妹だけだ」
「なるほど……」
だから……どれぐらいの力があるのかも制御する方法もわからないままになっているってことか。
それって……かなりしんどいんじゃないかな。
「あの……じゃあ、喋らずに……どうやって意思の疎通を図っているんですか?」
「手を握ると気持ちを伝えることができるようだが……」
「そうなんだ……じゃあ、まだどうにか……」
ちょっとホッとして呟くと、
「そうかな……」
とシャロットが心配そうな顔で言った。
「何で? だって、話はできるんだろ?」
俺が言うと、シャロットはちょっと呆れたような顔をした。
そして
「――アキラ……これからしばらく黙ってて」
と急に俺に命令した。
「へ? 何でだよ」
「いいから。何があっても、声を出しちゃ駄目よ」
「……」
よくわからないが、とにかく言う通りにしてみるか。
頷くと、シャロットはこほんと咳払いを一つした。
「アキラ、モデルの仕事は楽しい?」
「……」
「アサヒさんに聞いたよ。前より対人関係がよくなったって」
「……」
「……特に、綺麗な女の子だと大丈夫なんだって?」
「ばっ……」
意味が違うし! ……と叫びそうになって、俺は慌てて口を押さえた。
「はい、失敗」
「適当なこと言うな!」
「とにかく……今の『ばっ』で誰かを傷つけると思ったら……怖くない?」
「……あ……」
そう言えば……そうか。
嬉しいとか楽しいとか、そういう感情なら、まだいい。
でも怒りとか恐れとか……そういう感情の方が突発的に声が出やすいのに……出せないんだ。
悲しくても……声を上げて泣くこともできないんだ。
「……ま……そういう訳だ」
セイラ様はそう言うと、俺たち二人をじっと見つめた。
「ミジェルはそれ以来……ひどく消極的になってしまった」
「……」
「二人なら、そんなミジェルを少しでも変えてくれる気がしての……」
「……そう……ですね……」
俺とシャロットは顔を見合わせた。
確かに、フェルティガの育成法が確立しているフィラ出身の俺や、フェルティガを視ることに長けているシャロットなら、ミジェルを助けることができるかもしれない。
「とにかく……会ってみてくれぬか。わらわが案内するゆえ」
セイラ様はそう言うと、すっくと立ち上がった。
俺とシャロットは立ち上がると、ネイア様に会釈をしてセイラ様の後についていった。




