【掌編】1995
ネットでのある書き込みに触発されて書きました。
1995年という年に焦点を当て、当時の自分を振り返りながら、現在のインターネットのあり方について、思うことを述べた、エッセイ風の掌編です。
記憶が曖昧な部分の脚色や、個人情報に関する部分のアレンジがありますのでエッセイ「風」です。
【掌編】『1995』
作:胡坐家(@AGLAYA0731)
阪神・淡路大震災から23年が経った日。あるネットの書き込みが目に入った。
それは、震災の慰霊行事の様子を若者がスマートフォンで撮影していたことに対する、年配の男性の苦言であった。
「彼はこの写真をどこかにアップするつもりなのだろう。甚大な被害を出した出来事さえ、彼にとっては友達と共有する話題に過ぎないのかと腹立たしく思った」といった内容が、かなり辛らつな口調で書かれていた。
はたして、この男性の言い分は正しいのだろうか。若者は本当に、彼のSNSの肥やしとしてしか行事を見ていなかったのだろうか。
私は、そんな疑問から、当時の自分を思い返してみた。1995年。大きく、悲惨なニュースの多い年だった。
1995年1月17日。当時学生だった私は、冬休みも終わりに近づいたこの日をアルバイトをして過ごした。朝、家を出るときに、兵庫のほうで大きな地震があったというニュースを見た記憶はあるが、私が住んでいる場所からはそれはあまりに遠いところの出来事で、実感といえるものはなかった。
アルバイト先は徒歩で行けるスーパーマーケットの中にある洋菓子屋だった。店の名に「東京」を冠してはいたが、お洒落とは程遠い店構えで、平日の午前中ともなれば暇もいいところだった。
早番の品出しパートのおばさんと地震の事を少し話題にしたが、当時は情報といえば新聞とテレビが全てのようなところがあり、お互い詳しい情報などないまま、おばさんは早めの休憩に入った。
たまにしか来ないお客さんにふたつみっつのケーキを包み、紙ナプキンやフォークの補充をし、隣の和菓子屋のアルバイトの子とおしゃべりをし――それはいつもの平穏な午前だった。
休憩から戻ってきたおばさんが、食堂のテレビでニュースを見たと興奮気味に話し始めた。
「どうやら、あの地震で数千人亡くなってるらしいの。知らなかった、酷いわね」
私も、同じフロアで働いていた従業員たちも、皆が本当にショックを受けた。その時の思いを正確に言葉にすることはできないが「日本中がひっくり返るような大災害を、今の今まで自分たちは理解していなかった」という事に対する動揺だと思う。
そこそこ大きなスーパーだったが、テレビは食堂のひとつきりであった。食事休憩に行った人が、その都度ニュースを見ては凄惨な状況を周りに話し、それが伝言ゲームのようにフロア内を走る。そんなざわざわと落ち着かない心持のまま、私は夕方にはアルバイトを終えて帰宅した。
そして冬休みが明け、和歌山に実家のある友人に地震はどうだったのかと聞いたが、うちは全然遠いよと笑われただけだった。
もう、誰も震災の話なんてせず、ただ毎日を漫然と過ごしていただけだったように思う。
同じ年の3月20日。こちらは春休みの最中だった。この日の私は朝から学校に集められ、就職の適性検査を受けていた。当時としては真新しいマークシート方式の検査で、かなりの数の質問に答えることで自分向きの職業を教えてくれるというものであった。
休みなのに1限から、ガイダンスも含めると午前中みっちりかかるこの検査を、私達は半ば解せない思いで受けていた。就職氷河期と言われ、周りではすでに活動を始めている者がちらほらいる中で、焦りを感じていなかったかというと嘘になるが、就職というものに嫌でも向き合わなくてはいけないことの気鬱さが、不満の形で現れた。
昼前にガイダンスを終え、コンビニで買ったパンと缶コーヒーを持って(購買が休みだったのだ)部室に向かうと、一足先に帰ったはずの友人がいた。事故かなにかで営団線がちゃんと動いていないようだと彼は言った。
「止まってるの?どのくらいで動くって?」
「知らないよ。俺も他のやつに聞いたんだ」
少し遠いが、JRの駅まで歩いて私鉄を乗り継げば家には帰れる。だが私達は同じように足止めを食っていた友人を伴って、学校そばのファミレスでドリンクバーを頼んで数時間を潰した。
学校で同じ講義をとることも減り、滅多に顔をあわせなくなっていた私達にはいくらでも話すことがあった。単位のこと、恋人のこと、卒業したあとのこと。
そんな楽しい時間を、誰一人として「地下鉄の駅まで走って行って状況を確認する」なんてことで潰したくはなかったのだ。
帰る頃には交通機関も通常通りに動いていて、私は1時間ほどで帰宅し、テレビをつけた。そこで初めて何が起きていたのかを知った。
営団地下鉄の車両内で毒ガスのようなものが撒かれ、何人もの人が亡くなっていた。地下鉄の出口付近と思われる道端に、倒れこむ人や、ハンカチで口を押さえて気分が悪そうにしている人たちの映像が映し出されていた。
これが、私がさっきまでいた学校と目と鼻の先で、1限の始まる少し前に起きていたとは信じられなかった。一緒にいた友人も、何も知らずに家に帰り、同じように驚いているのだろうと思うと妙な気分だったが、わざわざ電話をしてまで確かめようとは思わなかった。
買い物から帰宅した母親と部活動から帰ってきた弟に、如何に自分が今日済んでのところで大事件に巻き込まれそうだったかを話して驚かれ、夕飯の席で父親にも同じように話して、会社では巻き込まれた人もいたのだからそんな言い方をするんじゃないとたしなめられた。
地下鉄のゴミ箱はすべて撤去され、それからしばらくはニュースやワイドショーの話題もそればかりだった。
ただ、私達の周りからは事件の話はほとんど聞かれなくなった。震災の時と同じ、日々の生活に押し流され、事件の話はいつのまにか大事な話の下の、さらに下のほうに押しやられていた。
西のほうでは避難生活を送る人が居て、学校のそばでは大きな事件が起きたのに、無関心すぎて呆れると今なら当時の自分を叱責する事もできよう。だが、そのときの私は、リアルな実感をもてない自分に「当事者ではないから」という口実を設けて、考えることを避けていたのかもしれない。
4月がきて、就職活動を理由に洋菓子屋を辞めた私は、親戚の紹介で日払いのアルバイトをするようになった。
それは法人向けの健康診断の受付の仕事で、問診表を元に手元の名簿にチェックをつけ、年齢に応じた順路に案内するというおそろしく退屈な仕事だったが、好きなときに働けるのと、社員食堂で昼食が取れるのが楽しくて、結構気に入って働いていた。
ある時、受付に来た若い女性が、不安そうに私に尋ねた。
「すみません。この項目に該当するのですが、検査で何か違うんですか?」と。
その人から差し出された問診表を見ると、最後の項目として
『地下鉄サリン事件の被害者もしくは該当の電車に乗車していた』とある。
そんな項目が付け足しのように最後にあったなど知らなかった私はびっくりして、検査員の人を呼びに駆け出した。検査員は、あの事件の被害者の中には最近レントゲン撮影をした人がいるため、今回は撮影しないようにするための項目だと説明した。
女の人はほっとしたような顔をしたあと、とてもすまなそうに私に謝った。
「仕事に影響があったらどうしようかと慌ててしまいました。ごめんなさい」
気の利いた一言も返せないまま、私はもごもごと小声で順路を案内して、女の人は会釈をして行ってしまった。
その気まずさと僅かな後悔のせいか、私はこのとき思ったことを今でもはっきりと覚えている。それは「ニュースになるような出来事に巻き込まれてしまうと、本人の好む好まざるに関係なく、その後も色々と厄介なことが降りかかってくる。それってとても理不尽だ」ということだ。
就職活動中だったこともあり、私とそう年齢の変わらないあの女の人が仕事への影響を口にしたことがすごく意外で衝撃だったのだ。私ならきっと自分のことしか気にならないのに、社会人になったらそういう心配のほうが先に立つのだと、働くのが憂鬱になった。
なんと身勝手なと怒りを感じるかもしれない。
でも、当時の私には「大きな災害や事件に遭遇した場合のお手本」に出来る情報があまりに少なすぎた。先にも述べたが、情報といえばテレビ、新聞がかなりの割合を占めていて、そこで語られる体験談はマスコミのフィルターを通したものばかりだった。
映像や紙面がどんなに生々しい現状を伝えようとも、それは到底、現実の体験に敵うものではない。しかし私達はそれがリアルに劣るのだということすら、知る術がなかった。だから、実際に事件の被害者を目の当たりにして(それだって言われなければ知ることもなかった)、私は初めて「これは他人事ではない」と「リアルに」感じたのだ。
そしてそのなんともいえないやるせなさは、人に話して共有しても解消できない類の感情だということも分かっていた。
話を冒頭に戻すことにしよう。
慰霊行事をスマートフォンで撮影した若者や、事件現場に遭遇するとすかさずSNSにアップする人達は、必ずしも自己顕示や野次馬根性でそうしているとは言い難いのではないか。マナーやモラルの善し悪しを度外視して考えると、彼らはかつての私が感じた「他人事では済まされないものに遭遇してしまったやるせなさ」を、何処かの誰かと共有することで楽になろうとしているのではないだろうか。
震災のニュースを触れ回った従業員も、父親に叱られた私も、自分の中の暗澹とした何かを、どうにかして薄めたかったのかもしれない。
ただ、それとこれを短絡的に同じものだと認めることは私はできない。
インターネットのお陰で、私達は昔に比べて「真実」を知ることが出来るようになった。マスコミが取り繕えば、どこかの誰かがかならずその穴を見つけてしまう。そしてその情報は、おおもとの真実よりも速く確実に、私達の目に触れてしまう。悪いニュースであればなおのことだ。
そんな世界に慣れきってしまった私達は、自分たちの心のキャパシティをはるかに超えた量の「他人事では済まされないこと」を日々摂取している。その結果、本来なら自分が感じなくてもいいような負の感情に共感して傷ついたり、数百キロ離れたどこの誰かも知らない非常識な人間に怒りを覚えたりする。
私達の心は、とっくに容量オーバーを迎えているのだ。
「他人事」を抱え込みすぎて、自分を労わる余裕すらなくなってしまうだなんて皮肉以外のなにものでもない。私達はもっと、どこかの誰かが無遠慮に流し込んでくる「あなたもこう感じるべきだ」という押し付けを、邪険に遠ざけていい。
あらゆる出来事を拡散したがる若者も、それを批判する年配の人間も、それをわざわざ文章にしているこの私も、あなたの人生には全く関係がない、どこかの誰かさんだ。
【掌編】1995 完
お読みくださってありがとうございます。
筆者と同世代の(作中の1995年に学生だった)方がどう感じられたか興味があります。
こちらにメインで投稿しているのは小説ですが、時々こうしてエッセイ風のものも公開していきたいと思います。




