婚約者の来訪
旅に必用なものは用意してくれるとのことなので、私の出来ることといえば言えば体力をつけることくらいだ。
基本馬車での移動らしいけれど、『深い森』周辺は馬も通れない厳しい場所だ。
足手まといにならないように、ひたすら体力をつけることに専念する。
セルビスから許可を貰った私は、敷地内をぐるぐると歩いていた。
屋敷と言ってもそれほど広い敷地ではない。
セルビスは普段お城に居てたまの休日に戻ってくるくらいらしいので、屋敷の管理はほとんどマリさん一人でしているそうだ。
それに今日は前回食べれなかったタルトをシュベルトが持ってきてくるらしいので、自然と動かす足にも力が入る。
糖分を摂る分、しっかりと運動しなくては。
暫くして一旦屋敷に戻ろうかと思っていた時、言い争うような声か聞こえてきた。
遠目から様子を伺うと明らかに貴族といった服装の二人が居た。
セルビスの客人なのかもしれないけれど、私が出ていって色々聞かれたら面倒だ。
屋敷には戻らずもう少し時間を潰そうと踵を返そうとした時、銀髪の女性と目が合ってしまった。
「貴女名前は?」
「お嬢様!いけません!」
敷地内へと入ってきた女性は、凛とした声で私に向かってきた。
話しかけられてしまっては、マリさんがこの状況に気付いてくれるまでこの場を上手く乗り気るしかない。
「大変失礼ですがどちら様でしょうか?」
「私は貴女の名前を聞いているの」
「レオナ様、お止めください!」
「レオナ様?」
聞き覚えのある名前にセレスティアの記憶を呼び起こす。
手入れのされた真っ直ぐな銀髪に、つり目がちな瞳。
覚えている容姿より化粧が濃いのが少し気になったけど、彼女はシュベルトの婚約者だったレオナ様だ。
レオナ様は私の顔を見て一瞬息を飲んだように見えた。
少し声を震わせながら、先程よりも強い口調で問いかけてきた。
「貴女は誰なの?」
「えっと、蒼井です」
私がセレスティアであることは、レオナ様は知らないはずだ。
恐る恐る名字を名乗るとレオナ様はにっこりと微笑んだかと思うと、ゆっくりと手を振り上げた。
「レオナ様!」
展開の早さに付いていけず受け身になっていた私とレオナ様の間に入ってきたのは、息を切らしたセルビスだった。
肩で息をしながらレオナ様の細い腕を掴むセルビスの背中を見上げていると、レオナ様は「どうしてそんな女を庇うのですか」と詰め寄る。
どうしていいか分からない私が視線をさ迷わせていると、この場を納められそうな人物がやってきた。
「レオナ嬢。一体どうされたのですか?」
「こちらが聞きたいくらいですわ、シュベルト様」
「貴女はレオナ様の侍女ですね。何故レオナ様が私の屋敷に?」
あまりにも非常識な訪問に申し訳ないと頭を下げる侍女に対して、レオナ様からはいらいらしている感じが伝わってくる。
「大変申し訳ないございません。レオナ様が突然セルビス様の屋敷にお寄りになりたいとおっしゃられまして。何度もお止めをしたんですが」
「それでレオナ様、本日はどういった経緯で私の屋敷にいらっしゃったんですか?」
「貴方に用があったのでありません。私はこのアオイという少女に話があるのです」
「私にですか?」
明らかに好意的ではないレオナ様の態度に冷や汗がでる。
運動後の清々しい汗とは全然違う。
「その前にお茶を用意させましょう。公爵令嬢であるレオナ様をずっと立たせているわけにはいきません。アオイは一度着替えてきなさい」
セルビスがそう言うと、シュベルトがレオナ様を上手くエスコートしながら屋敷へと入っていく。
私は運動中だった為汚れの目立たない紺のワンピースとお気に入りの芋ジャージでその様子を見守った。
そして全員が屋敷に入るのを確認した私は、屋敷の裏口を使って自室へと急いだ。
着替えを手早く済ませて、出来るだけ待たさないように早足で歩く。
客間へと辿り着いた私は部屋から微かに聞こえてくる声を聞いて、深呼吸してから背筋を伸ばした。
「失礼致します」
許可を得て部屋に入るとそこにはテーブルを挟んで向かい合うようにしてシュベルトとレオナ様が座っていた。
セルビスがシュベルトの背後に控えめに立っていたので、座ってはいけない空気を読んでセルビスの隣に移動した。
ふと視線感じて隣をを見上げると、セルビスが驚いた顔をしていた。
「え?」
「いや、何でもない」
前を見るとシュベルトもこちらを振り替えってなんとも言えない表情をしていたので、自分の立ち位置を間違えたかと再び冷や汗をかく。
「大丈夫だ」
表情に出ていたのか苦笑しながらも頷くシュベルトに少し安心していると、正面に座るレオナ様の強い視線に再び緊張する。
「先程はお見苦しい態度で失礼致しました。わたくしは公爵家令嬢のレオナと申します」
「こ、こちらこそ!私は蒼井柚葉と申します」
レオナ様の丁寧でいて堂々とした態度に、私は流暢とは言いがたい自己紹介をする。
「失礼致します。お話の前に人払いを。マリ」
「畏まりました」
お茶の準備を終えたマリさんはセルビスの指示にしたがって、困惑するレオナ様の侍女と共に部屋を出ていった。
緊迫する空気の中、ひと呼吸してシュベルトが口を開いた。
「先程も説明したが、アオイは事情がありセルビスの屋敷に滞在してもらっている」
「あら、そうですか。ですが何故シュベルト様がこちらへ?それを何度も」
「彼女と偶然会った時に私の不注意で怪我をさせてしまった。その見舞いだ」
「あら、そうなのですか。それにしても、まるで生き写しですわね」
セレスティアの事を言っているのだろう。
レオナ様の棘のある言葉に、シュベルトがなんでもないといった様子で頷く。
「本当に。ところでレオナ嬢。何故私がここに来るとご存じだったのですか?」
「風の噂で聞きましたの」
「風の噂?」
「シュベルト様が『アオイ』と言う女性のもとへ足繁げく通っていると」
「それは誰から?」
「風の噂だと言いましたでしょう?まさか本当だとは思っていませんでしたが」
レオナ様は私に対して明らかに好意的ではない。
これ以上は言うつもりはないというレオナ様の態度に、シュベルトは諦めたように溜め息をつく。
「王位継承で揉めているこの時期に変な噂をたてられても困ると思い貴女にも話さずにいた。誤解をさせてしまい申し訳ない」
「ええ。こんな時期に婚約者以外の女性の元へ通うなど、ご自分の首を絞めているようなものです。それを分かっていながらも彼女に会いたかったのですか?」
レオナ様の攻撃がシュベルトに移っているのを戦々恐々と見守る。
「それには事情がある。しかしこれをレオナ嬢に話すわけにはいかない」
「あら?よろしいんですの?私、アオイの事をつい喋ってしまうかもしれません」
「レオナ嬢」
「シュベルト様は私という婚約者より、こんな正体不明の女を取るとおっしゃるのですか?セレスティアとこれほどにも似ている彼女を、シュベルト様は囲うおつもりですか?」
「そんなつもりはない」
「納得いきません」
レオナ様の言っていることは全くと言っていいほど事実無根だ。
けれど事情をしたらい人間からは、そう見えるのかもしれない。
暫くの間二人の見詰め合いは続き、最初に口を開いたのはシュベルトだった。
「セルビス」
シュベルトが諦めたようにセルビスを振り替えると、セルビスが心得たとばかりに頷いた。
「アオイはセレスティアの親族です」
「親族?」
レオナ様の訝しげな台詞と同様に、私も思わず声が出そうになったのを飲み込む。
「アオイはセレスティアと同じくテニッシュ様に育てられていました」
「テニッシュ様に?」
これまでずっと不機嫌な表情をしていたレオナ様が、予想外とばかりに驚いていた。
そして同じように予想外の設定に驚いていた私は、レオナ様に気付かれないように必死に無表情に努める。
「はい。最近になってその事実が判明したため、彼女を保護しテニッシュ様の捜索に協力してもらっています」
そういう設定になっているのか。
それならそうと事前に話しておいて欲しかったと思うのは、居候の身分として我が儘だろうか。
「協力、と言うことは『深い森』へ?」
「はい」
レオナ様の頭の回転の早さに驚いている中、セルビスは淡々と説明をしている。
レオナ様は暫く考え込んでいる様子で頬に手を当てていた。
「もしティニッシュ様を見つけらたら心強いですわね」
「ああ。彼が私達側に就いてくれる保証はないが」
「…分かりました。この話は私の心にだけで留めておきます」
レオナ様の言葉に少しだけど部屋の空気が弛んでいたところ、レオナ様と真正面から目が合った。
「事情を知らなかったとはいえ、アオイ様には本当に失礼を致しました」
「いえ!私こそ…」
レオナ様の凛とした態度に、前世を懐かしんでシュベルトの訪問を単純に喜んでいた自分が恥ずかしくなる。
この後今後の話を少しだけして、レオナ様は屋敷を後にした。