タルト屋さんから異世界へ
お下がりのセーラー服に、足元は動きやすい芋ジャージ。
足早に歩く人の流れの邪魔にならないように自転車を停めて、財布に入ったお札をにやにやと覗き見る。
とうとうこの日がやってきた。
月に一度の少ないお小遣いを貯めてきたのは、今日この日のためにあった。
駅前にある有名なタルト専門店の前はいつもと同じ光景で、甘いものを求める人達が列をなしている。
普段見ているだけだったその光景。
私は踊り出したい気持ちを押さえて最後尾へと並ぶ。
タルトの入った箱を持って歩くサラリーマンを横目に見ながら、注文内容をしっかりと確認する。
あの箱を持って家に帰ったら、弟も妹もみんな大喜びするに違いない。
みんなが嬉しそうにはしゃぐ様子を想像している間に店内へと案内される。
照明にまで拘っているお洒落で可愛い店内。
私と同じ高校生も何人か居るけれど、スカートの下に赤紫のジャージを履くようなダサい女子はいない。
少し気後れしながらも憧れのお店へ足を踏み入れた瞬間、私は落下した。
店員さんの陽気な挨拶が遠のいて行く。
「い!?」
言葉にならない悲鳴をあげて、下へ下へと落ちていく。
胃が浮くような気持ち悪さの中、色んな思い出が甦る。
二段ベッドが並ぶ子供部屋。
大好きな兄妹や優しいシスター。
お下がりの服を取り合って喧嘩する妹を宥めるのはいつだって私の役目。
小学校に入る前から弟や妹のオムツ替えをするわたしを先生達は微笑ましく見てくれていた。
これって走馬灯ってやつかな。
両親の顔はあまり覚えていないけど、今回の人生も結構幸せだったかもしれない。
でも、最後に。
「タルト食べたかった…!」
思いの丈を言葉にした瞬間、浮遊感が消え目の前が少し明るくなった。
「食わせてやろう」
「へ?」
視界が回復する間もなく床へと打ち付けられた。
幸いな事に床には毛足の長い絨毯が敷かれているようで打ち付けられた衝撃は少ない。
けれど捻りあげられた肩が悲鳴を上げる。
痛みで咄嗟に声がだせない私の頭上から、男の低い怒りの声が聞こえた。
「誰だお前は?どうやってここに入った?刺客か?」
「…いっ!たい、んだけど!」
「全て吐いたら好きなだけタルトを食わせてやる。牢獄でな」
「いやいや!それ美味しくないでしょ!てか話をするんなら腕を離して、くださいー!」
空いた手で床を叩くけれど、手触りのいい絨毯は私の主張を邪魔する。
「お前は誰だ?」
痛みで意識が遠くなりそうになった瞬間ようやく拘束が解かれた。
這うようにして相手から距離を取ると、警戒しながら相手を見上げる。
そこには金髪碧眼の綺麗な外人さんが居た。
状況が掴めず喋れずにいる私を、相手は鼻で笑ってきた。
「刺客でないのなら色気で落としに来たのか?それにしては不恰好だが」
「しかく?いやっ、違います!」
相手の威圧感に思わず正座をしようとしたけれど、床に手をついた際捻られた肩の痛みが襲ってきた。
そんな私に気付いたのか、一瞬動きが止まったけれどそれ以上の反応はない。
「どうやってここまで来た。引き入れたのは誰だ」
「いや、私も意味が分からなくて…。ん?」
緊迫した空気を放つ相手を見上げていると、彼の容貌には見覚えがあった。
けれど私の知っている人物はいつも柔らかく微笑む可愛い青年だった。
「どうした?惚ける気か?」
「…シュベルト?」
「ほう。王子である俺の名を敬称なしで呼ぶとはよほど死にたいらしいな」
「シュベルトでしょ!?翠魔山で食人植物に捕まったあげく真っ裸になったシュベルトでしょう!?」
「何故その話を知っている!?」
「レオナ様の誕生日プレゼントを買いに行くって付き合わされた挙げ句、レオナ様に私との関係を誤解されたよね?あ!あの時約束したお詫びのスペシャルケーキ!まだ貰ってなかったよね!」
「おい。その話は誰から。…セレスティア?」
唖然として私を見る彼を見て確信する。
私は前世で生きた異世界に来てしまったのだと。