ちくわにキュウリをつっこむヤツって結局なんて言うの?
俺はグルメと言う訳じゃない。ただ、うまいものを喰うのが好きなのと、1人でいる時間が好きなだけだ。
カリカリとペンを動かし、必要があればテーブルの左側に置いたパソコンを操作して、足りない情報を調べる。創作における自由さはあっても、わからないまま進めるのは作品の味を落としてしまう。それは作家を続けるのに必要な人気が無くなるのに繋がる。最低限の努力はどんな仕事にも必要だ。
安っぽいチャイムが鳴り、やっと来たかと俺は立ち上がって玄関を開けた。
「いやー、先生。原稿はどうですか」
編集の秋口君が、勝手知ったる我が家のようにポリ袋を持参して上がり込んでくる。こんな部屋に来る人間は決まっているが、その中の1人と言ったところだ。
先ほどまで作業をしていたテーブルの側に座り、俺が座るのを心待ちにした眼差しを向けてきた。目的は原稿よりも、そのポリ袋から出ている新聞紙に包まれたものだろうな。
仕方なく、という表面上の気持ちと、その中身に期待しながら俺も座る。
彼の人懐っこい顔と、少し出ている腹、そしてアクティブな力がどこに詰まっているかわからない小柄な体が、ワクワクという表現のように身体が上下に、小刻みに揺れている。
楽しみはとっておくもので、そもそも本来俺達がしなければいけない仕事、原稿のやり取りを進める。これが終われば今日の俺はこれからフリーになれる。そこで楽しむのが筋だろう。ありがたいことに、この仕事に関しては考えているより早く終えることはできた。
さて、早速その中身を開けてみると、あったのは本わさびだった。更にポリ袋から取り出されたのは、木製のすりおろし器。確か、さめ皮おろしと言った奴だ。
「これで、何か作れってことか」
期待してますよぉという声と、楽しみを前面に出されても、俺は作家であって料理人ではない。こういう時は人が面倒だと感じてしまう。いや、そもそも彼が面倒に分類する相手なのかもしれないな。
冷蔵庫を開けて食材をチェックする。出かけて必要な物を買いに行くというのも、それはそれで楽しい。しかし、今日はそうすることが興がそがれる感じがする。ここにある材料でいろいろやる方が一興だ。
メインになる鶏もも肉に、酒と砂糖を少々まぶしてもみこみしばらく置く。その間に手早くできるおつまみとして、酒のつまみとして残していった秋口君のちくわ、後は漬物用のキュウリを取り出す。ちくわは適当に斜めに切って、キュウリは穴に入るサイズに切る。
もちろんこれではよくある、ちくわにキュウリをぶち込んだアレなのだが、折角の本わさびがもったいない。そのアレに付けるものとして出るマヨネーズと味噌。それらに擦ったわさびを混ぜ込み、味噌はおまけに花かつおもトッピングする。
「や、先生。これいけますねぇ!」
ガツガツと喜んで喰うのはいいのだが、俺の分をよく忘れてくれる。食えなくなる前に、わさマヨと味噌わさで例のアレをいただく。うん、うまい。シンプルなのはわかりやすくていいな。
さて、ここから更に鶏もも肉を水気を抜いて、塩コショウをして、小麦粉をまぶして焼き上げる。油が跳ねる音共に香る鶏肉のこの匂いは、いつ嗅いでも凶悪だな。そこに準備していたわさびと麺つゆ、砂糖、ネギを入れたタレを投入する。臭いが更に凶悪になって、これは飯を食っていても腹が減るな。
これには当然ご飯が必要だ。さっきのちくわのアレ、いやキュウリのアレ。まぁ、例のアレを作る最中にご飯の準備は済ませている。鶏むね肉が焼き上がって、切り分けている間に炊き上がる。我ながらよくできた時間配分だろう。
切り分けている間に盛り上がってきたボルテージは、大皿に盛った鶏もも肉のおかげで沸点になってきた。さて、喰うぞと気合を入れて肉に箸を伸ばす。
カリッとした皮に、喰い応えのあるもも肉特有の触感。そこに甘さと一緒にやってくるワサビの清涼感、これはもう、箸を止めている場合じゃないな。
「これはいいですよ! わさマヨつけてもいけます!」
秋口君もテンションが上がったようだ。いつの間にやら取り出した酒で鶏もも肉をアテにしている。男のやもめ暮らしの食卓、礼儀や作法などある訳もなしか。
スーパーの安物の鶏もも肉が、本わさびを加えただけで極上品に変わるとはな。今日の食事は満足できた、やっぱり秋口君が持ってきたものだ。問題なのは、自分じゃなくて人に作らせることだけどな。その彼はすっかり満足して帰っていった。
そういえば、これから俺の原稿を持って会社に戻ると言っていた気がする。そんなに飲んでなかったとは思うが、ばれたら大目玉を喰らうだろう。言ってしまえば自己責任というやつだな、俺は何も知らなかったことにしよう。
夜の空気は気持ちいい。窓を開けて夜の光景を2階からぼんやり眺める。例え目の前の光景が、電柱が並び、一軒家が並んで時折人が歩くような市街地の光景でも、風情と言えば風情だ。自分がどんな気持ちに感じるかが大事だろう。
やっぱり1人でいるのが気楽だな。秋口君やそれ以外と人とも飯を食う機会はあるが、俺には孤食のほうが気楽だ。好きなように好きな食べ方をできるのは1人でいる強みだ。
もちろん、1人でいる弊害はある。会社勤めならともかく、俺みたいなのは身体を壊すと一貫の終わり。保証は何もないし、何より突発的な何かが発症してそのままお亡くなりもある訳だ。それ以外にしなければいけないことは、全部自分の方にのしかかってくる。気楽ではあれど、楽ではないということだ。
そのことを、ただ好き勝手をしたいだけ為に1人がいいと言っている若造に言ってやりたい気もするが、そんなくだらないことで事件が起きるこの世の中。忠告を聞けないなら、自らの身をもって経験してもらうのが一番だ。
具体的に何か1人でなきゃいけない理由がないなら、恋人や嫁さんがいた方がいい。長い人生を付き合ってくれる人間を得られたら、いろいろな面で楽なもんだろう。気楽ではないだろうにしてもだ。
俺はいろいろな経験をして、1人でいることを選んでる。こういう風に料理を出して振る舞ったり、自由気ままに締め切りまでに執筆するだけの仕事。1人でいるからできることと、1人でいてやれる仕事を俺はたまたま手に入れた。
なんてことを考えていると、少しばかり小腹が空いてくる。そういえばまだわさマヨが残っていたのと、もらったハムが余っていたことを思い出す。2つを取り出して、テーブルに置いて座る。上品に箸など使わず、素手でハムを掴んでわさマヨに付けて喰べる。
マヨネーズのクリーミーさと、ワサビの匂いがいつものハムマヨを1ランク上の食べ物にしてくれる。ここに酒の一杯でもあればいいのだが、酒を呑むと仕事ができない俺には、買いだめはない。今から買いに行くにしても、残念ながらつまみは残りわずか。何か買い足すとしても、それをアレンジするのが手間だ。
やりたいからと何でもやるのが自由じゃない。やりたいけどテキトーな理由をつけて諦めるのも自由。自由とは究極なまでに選択することだろうな。
「さて、喰った。後は洗って、歯磨いて…。後は軽く運動してから寝ないとな」
選んだことを全うするのは面倒だ。けど、自由は選択することで、選択することは責任を全うすること。責任が全うできなければ、選択する自由なんて与えられない。
けどまぁ、そんなこと高尚に考えることじゃない。うまい飯を喰うために、どうすればやってけばいいか考えるだけだ。さて、やることやったら寝るとしよう。