スタシェルシュヴァイン 第二節
私、お母さんもお父さんも知らないんです。
だって私が子どもの頃死んじゃったもの。
私のせいでね。
最悪なことに、私のこの身から生まれる毒は、最初は大したことなかったんですよね。
一歳くらいになるかならないか、そんな時だったかな。私の毒は少しずつお母さんとお父さんの体をどんどん犯していきました。最初は体調を崩す程度で、けど一度倒れたら、そのまま死んじゃいました。
原因不明の死。その調査のため、アラドカルガの皆さんは、生き残った私の体も調べました。だって私だけ死んでないんだもの。何か新種の伝染病じゃないかと、疑われていたんです。思ってもいなかったでしょうね。私が原因だったなんて。
私の毒はそれからどんどん致死性を増していきました。
当時は粘液感染しかしなかったんですけど、とある時期を境に、空気感染もするようになってしまったんですね。けど皆、その変化には気付かずに、私の吐いた息で、隔離病棟の医師も患者さんも含めて、全員死んじゃったんです。
でも私は人を殺した、だなんて思ってもいませんでした。
だってまだ三歳だったんです。
お父さんも
お母さんも
お医者さんも
あの人も
あの人もあの人もあの人もあの人も
私が原因で死んだなんて、当時の私には考えもつかなかったんです。
最初に、私がそんな人間だと知らされたのは、確か六歳の頃だったんです。
その人は、私が殺した人の恋人でした。
私に復讐するために、一生懸命勉強して、一生懸命働いて
そしてアラドカルガに雇用された職員になったんですって。
凄いですよね。私に復讐したいためだけに、三年間も頑張ったんですよ。
そしてその時、何食わぬ顔をしていた私に、ナイフと真実を突き立てました。
一三九人。
私が殺した人数です。驚きですよね。
勿論、当時の私には受け入れられるわけもありませんでした。
一歩も動けなかった。私は突然現れた現実を処理しきれていなかった。
殺される。どうすればいい?とにかく逃げなきゃ。
自分の脳内でそんな不毛な疑問と解答を、何度も何度も繰り返すだけでした。
彼はナイフを私の首から少し離しました。その様子は私の首を切り落とそうと振りかぶっているようにしか見えず、私は必死に命を乞いました。
けどその切っ先の行方は、私の首ではなく、その男性の首でした。
唐突に自分の防護服を切り裂いたんです。それで彼の素顔が明らかになって。
……今でも彼の顔は思い出せます。
そう、彼の復讐は、私を殺すことじゃなかったんです。
いえ、もしかしたら最初は殺すつもりだったのに、あまりに私が何も知らないような顔していたから、計画を変更したのかもしれませんね。
結果からすれば、その計画は見事私に深い傷を与えたと言えるかな。
だって今では、あの時なぜ殺してくれなかったのか、なんて思うほどですから。
とにかく彼の復讐は、彼の死をもって完遂された。目の前でみるみる死への階段を昇っていく様子を、私はまじまじと見せつけられました。
私の能力の恐ろしさを、私の呪いの忌々しさを、私はその時初めて知りました。
彼は死に、私のベッドに倒れ込んできました。彼の今際の表情は、とても嬉しそうでした。
けど私は、気が動転して泣き叫びました。大人の人を持ち上げる力なんてなかったし、何より目の前で人が血を吐いて死んだ様子を見て、完全に動けなくなっていました。
ただひたすらに、喚くだけ。
その声を聞きつけて、やってきた他の職員さんがようやく、私からその人の体を引き離してくれたんです。けどその時の私はただただ現実から逃げようと目を逸らすだけ。
最初に駆けつけてくれた女性の職員さんは、凄い親身になってくれたんですよ。
五分くらい、私のことを励ましてくれました。
そのおかげもあってか、私は少しずつ、落ち着きを取り戻して。
それでその女の職員さんにお礼を言おうと思って、それで初めて顔を上げて、彼女の方を向き直ったんですね。彼女はきっとその鼓吹の声のように、優しく穏やかな表情をしていると私は思っていました。
けど、そこにあったのはさっきの男と同じ、死に行くモノの顔でした。
その時、私のウィルスは、彼女たち職員の防護服さえも突き抜けるほど成長していたんです。それも突然に。
一人が死に、私は叫びました。
その叫び声に呼応するように、一人、また一人とどんどん死んでいきました。
私が叫べば叫ぶほど、私の死の毒霧は、その病棟を黒く染め上げて行きました。
そしてその黒い死は病棟から飛び出し、その外にある街にまでたどりつきました。
あとからわかったことなんですけど、私が発しているウィルスってせいぜい二百メートルくらいしか空気中には感染しないんですって。
けどそれに誰かが感染した場合、そのキャリアの人を中心にまた1百メートル死が伝播して、次また百メートルに伝播して、それを繰り返してしまうんです。
私のいた病院の地域は結構田舎の方で、都市部からはかなり離れていたこともあってか、そこまで人口は多くなかったんですけどね。
二万四千人程度の人口でしたが、結構栄えていたんですよ?海が近いこともあって、魚料理がとても美味しくて、私も何度かその病院で食べさしてもらっていたんですが、本当に毎日の楽しみでした。
けど、もう食べられません。だって私が全員殺しましたから。
その事件は、新種の伝染病とだけ伝えられ、私のことはかなり厳密に秘されました。
二度と、あの男性のような復讐者を生み出さないように、そういう意図だったんでしょうね。
そして今に至るわけです。この病院で私はきっと一生を過ごします。
けど仕方ないんです。私が感情を高ぶらせたり、運動をしたりすると、私のウィルスはより進化して、もっと人を殺しちゃうかもしれないから。
だから我儘は言いません。私が殺した人の為にも、私は罪を償い続けなければ。
もう十年、あの大虐殺から経ちました。
きっと、まだ償えていない。まだ私は苦しまないといけない。
けどあの人、私といつも話してくれる人は、よく、
「ベッドに縛り付ける必要なんてない。運動だってしていい。本も読んでいい。こうしている方が君にとって毒なんだ」
なんて言っていました。優しいんですよ、彼は、とてもね。
彼の尽力もあってか、私には電子書籍と、一日一時間の運動が許されるようになったんです。電子書籍はベッドの上でも、思考だけで操作できるタブレットを使って毎日何冊も読みました。運動時間は走り回ったり、飛び跳ねたりしました。といっても、私の部屋の中でのみですが。
とても充実していました。いえ、充実してしまいました。
私はもっと苦しまないといけないのに。もっと傷つかないといけないのに。
けど私はその生活が手放せなかった。こんな幸せな毎日を放棄する事なんてできない。
そんな生活が一年間続いて、今でも運動時間や読書は手放していません。
だから、私はこれ以上、多分幸せになってはいけない。
きっと罰が当たる。神様はいつも私たちを見ているから。
皆を不幸にしておいて、幸せを享受し続ける。
こんな私を許してはいけない。許しちゃいけない。
罪人に幸福が訪れ、良き人に死が訪れるような不条理を私は認めたくない。
けど私は臆病だから、私自身を罰する勇気がもう無いから。
だから、私はいつも待っているんです。
天使様が、私を罰しにくることを。
これもきっと『罪』ですね。
『―――アラドカルガ、音声データ資料区分、記録番号〇九八三八一の再生を終了します』