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人造のアーダム  作者: 猫一世
セラギネラ
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セラギネラ 第三節

「人類の救世主だって……?」

 彼女の言葉は、それ単体では謎でしかない。しかしこれまでエルが語ってきた不可解で断片的な物語が、まるで一本の線で繋がるようであった。彼女がこれまでいたという森、水、白い部屋、彼女の別称である『六一二七』という番号、特殊な力、デザインドを思わせる外見、これまでの食生活。

 それが表すのは、彼女は何かの目的をもって生まれ作られた実験体だということ。一体どういう目的かまではわからないが、しかし無機物のみで生存が可能というだけでも、彼女の存在は世界を根底から覆しかねない。食糧危機もエネルギー問題もあっという間に解決してしまう。しかしそれだけに、彼女がどれほど表で言えない非人道的な実験体であるかも自ずと明らかになる。

 一体彼女は、どんな人生を辿ってきたのか。隔絶された環境で一体彼女は何をされたのか。

 想像こそできないが、誰もが彼女の過去に陰鬱な情景を見出さざるを得ないほどの状況だ。しかし一番残酷なのは、エル自身が、その生き方を凄惨とも不幸だとも思えないということだろう。過去も自身の力すらも淡々と、まるで本でも読むかのように正確に、感情すら発露させず語る様子を見ても、俺は彼女を憐れむ以外にできることがなかった。

「どうしてそんな顔するの?」

 まるで俺の感情を読み取ったかのように、俺の顔を覗き込み、不思議な表情を浮かべる。まるで見たことないものを発見したかのような、本当ならば俺が彼女に対しすべき面持ちだろう。

「いや、その、エル、君はあまりに普通の生活を知らなさすぎる」

「生活に普通があるの?」

 昔見た映画で、よく野蛮人と文明人が邂逅し、文明的な生活に馴染めず、変わった行動や常識外の行動をしたりする野蛮人に、目を見開く文明人、なんてのをコメディタッチで描いた作品があった。しかし現実はまるで反対だ。驚いているのは彼女ばかりで、まるで俺の方が野蛮人のようだ。如何に俺が常識という鉄檻によって、狭い世界に閉じ込められていたかがよくわかる。

 エルが普通を知らないのではなく、俺が普通しか知らないのだ。

「エル、俺と暮らそう」

 そうだからこの言葉は、彼女をこの常識という牢獄へと封じるためでなく、

「うんいいよ。ケンヨーと暮らす」

 俺の首を絞めつけるこの鎖を彼女に断ち切ってもらうためなのだ。

 

 


「報道規制は?」

「完了済みです。政府越しに親政府的なメディアは全て情報を封鎖しました。またSNSなどのネットメディアも我々の作ったアカウントを用いて大量のデマ情報を拡散し、混乱させております。しかしこれほどの情報操作は必要だったでしょうか?」

 近隣の都市にあるコーヒーチェーン店は、昼時にもかかわらず閑散としていた。平日ともあれば労働者や、学生が押し掛けるものと思っていたが、しかし見渡す限り客は私とアリヤのみだった。

「流石にあれほど大規模な捜索網だ。この国の軍も利用しているし、大量に我々の組織の者を動員している。ある程度情報はコントロールしておかないと、いずれにせよ飛びついてくる阿呆がでてくる。だから、誰も飛びつけないように情報を飽和させるのだ。一方でマスメディアは一部たりとも情報を流さない。この崩壊したバランスは、憶測が憶測を呼ぶような状況をもたらす」

「心霊現象やUFOと同じですね」

 うむ、と頷きコーヒーをぐいと飲み干す。コップの中の氷がからりと音を立て、結露した水が手を伝う。

「砂漠の中なら人は蜃気楼も追いかけるし、僅かな水のため隣人を殺す。そしてどんな汚水でも遠慮なく啜る」

「まこと浅慮で醜悪ですね。人間は」

 イェリコ捜査にナルサムたちはかなり本腰を挙げていて、かなりの人員を派遣している。これはかつてのチェンリー・カーン騒動以来の勢力だ。それだけイェリコの力は彼らからすれば喉から手が出るほど欲しいということだろう。だが彼らはどうにも、情報統制に力を入れなさすぎる。アラドカルガ憎しで、彼らの真似事をしたくないのだろう。隠れてコソコソするのは得意だが、根っからの日陰者体質のせいか表に立って戦うことがあまりに苦手。だからこうやって馬鹿みたいに人員を派遣し、その動きを隠そうともしない。そもそも相手は姿形を自在に変える、いやそれどころか人の形である必要すらない。そんな人間を探すのに必要なのは数ではないと、少し考えればわかるであろうに。

「全く人には得手不得手があるとはいえ、こればかりはあまりに杜撰すぎる。こんなことでは一年かかっても見つからんぞ。ミカエラの裏切り以降、我が組織は腐るばかりだ」

「今の発言は、背信の恐れがありますよ、テリピヌ様」

 ひやりと、背筋に不快な痺れを感じる。その正体は目の前にいるアリヤの睥睨、それは純度百パーセントの殺意。躊躇いも慈悲もない。

「口が過ぎた。撤回する」

「次からは気を付けてくださいね、テリピヌ様」

 廷臣(タワナンナ)などとよく言ったものだ。実のところ彼女らは組織そのものなのだ。彼らが仕える相手は我ら幹部でも、ナルサムでもない。イルルヤンカシュという組織そのものが、彼女たちの奉仕する神なのだ。ナルサムへの誹謗中傷などはどれだけ言っても彼女らは気にも留めない。彼女らが怒りを示すのはイルルヤンカシュという組織そのものへの不軌のみ。

「私は決してイルルヤンカシュを裏切らんよ。お前が一番理解しているだろう」

 すると彼女も同じくアイスコーヒーをストローで飲み干して、こちらに居直る。殺意はもはや微塵も感じられない。

「失礼をば。フッツィヤ、いえミカエラの裏切り以降、我々も過敏になっておりますので」

「ミカエラ、特例中の特例、新参ながらその実力故に、古の十人の末席に身を置き、組織史上唯一のNo.Ⅺ。あれほどの逸材の反旗だ。お前たちが苛立ちを覚えるのも無理はない、か」

 フッツィヤとは、ミカエラがイルルヤンカシュであったときの名前であり、忌々しくも私の一つ上の階級の称号だ。彼女の裏切り以降、フッツィヤの称号は永久欠番となることになった。

「全く欠番にするくらいなら、私にくれても……」

「テリピヌ様?」

 またも背筋に電流が走る。全く恐ろしいカラミーアだ。




 あれから二か月たった。エルは情報の吸収が兎に角早く、片言気味だった言葉も非常に流暢になり、この国の文化や風習も理解しつつある。そして俺自身も彼女の置かれた境遇をさらに理解することができた。彼女は何らかの組織の実験体で、そして非常に過酷な実験が行われていた。不死であることを確かめるべく鉄砲を乱射されたり、毒を体内に注入されたりなど、聞くだけで地獄のような環境だった。しかし彼女は決してそれを苦と思わなかった。痛みはあったが、そのうちに慣れ、それが日常となっていったためだ。しかし一方である日の実験、よく記憶には無いそうだが、いつの日か、彼女は組織から脱走したそうだ。

 すっかり初対面のころとは様子が変化したエルだったが、ただ未だに水以外の物を口にしようとしない。しかし驚くことに彼女は健康体そのもの、人は一週間程度なら水だけで生きられるとは言うが、その溌溂とした意気には微塵の衰えもなく、それどころか日に日に増すばかりである。

「堅洋、散歩か?」

 玄関先でふゆの首輪にリードを付けていると、エルがこちらへ顔を出した。

「ああ、ついてくるか?」

「うん」

 こうしてふゆの散歩に行くのは俺たち二人の日課になりつつあった。夏期休暇こそ終えたが、俺は大学四回生で、そもそも繰り返しキャンパスへと行く必要もなく、指導教諭には家で研究していると伝えている。就職活動も特にする必要は無い。だからこうしてふゆとエルの三人で仲良く暮らしているのだ。

 しかし健勝さと豊かな感情を手に入れるエルとは対極に、ふゆは少しづつ衰えが顕著になってきた。散歩するときは自分の力だけでは、おぼつかない足取りで、最悪こけてしまい、どこかに頭をぶつけかねない。そのため歩くときは体を手で支えてやりながら歩くことになる。今回は俺ではなくエルがその仕事をしてくれるらしい。いつも中腰でやるのは非常に疲れるので、そろそろ体を支えるハーネスでも買おうかと思っているが、ただ今はこうしてエルの手助けを見ることが、どこか心地良かった。

「ふゆ、辛そうだ」

「けど、こうやって頑張らないと。そのうち本当に歩けなくなるからな。勿論頑張れる範囲だ。なぁに、ふゆは俺よりよっぽど忍耐力があるさ」

 ふゆは俺が幼い頃、まだ七つの頃に家に来た。彼女はいつも強気で、幼い俺には気の強い妹に見えた。いつも俺と喧嘩し、俺の手は何度も彼女に噛みつかれた。最近は寄り添って夜を共にするほどであるが、これはこのような争いを続けていたからに他ならない。衝突なき友情はあり得ないと、今では随分痛感する。

「確かに、同じくらい幸せそうだ」

「それに、そろそろ誕生日だからな、ふゆの。彼女はよくわかってるだろ?誕生日にご褒美が貰えるのを知っているんだ。十一月一日、エルも覚えておいてくれ」

 こくりと頷き、彼女はそのままふゆの身体を支え続けている。

 この光景を見て、失った家族を俺は取り戻したように思えた。エルとふゆ、三人でいつまでも幸せに暮らす未来を、夢想せざるをえなかった。

 



 すっかり捜索は暗礁に乗り上げていた。我々は彼女の姿が変化していることを推測し、姿以外の方法での捜索を行った。例えば放射能である。映像では彼女は核融合反応が行えることが確認されているが、その際に三重水素などの放射性物質を放出しているのではないかと推測したが、肝心の施設すら、全く放射能が検出されなかった。核融合炉を食らい、その原理を利用したものだと思っていたが、何か異なる原理なのではないかと、これは諦めた。

 次に森の中で獣の死体などを探し、彼女の痕跡を辿った。食事の形跡などがどこかに見当たらないかと探したものの、これは明らかに失敗だった。彼女はそもそも無機物すら取り込み、エネルギーに変換するわけで、そもそも獣にしたって丸のみにされれば痕跡など残らない。またここで我々は第一の操作で放射能が検知されなかった理由を一つ推測した。

 放射能を食した可能性があるのではないか。

 憶測の域を出ないが、もし肉体の中で生成した核エネルギーをそのまま自身の熱量に変え、その際に発生した放射性物質を更に全て吸収しているのだとすれば。

 その推察は、これからの捜索の難易度の高さを思い起こさせるが、しかし同時に抑えきれぬ胸の高まりを生んだ。

 もしそれが事実なら、イェリコは確実に我々の世界を進化させる鍵となる。不死、不老、無限のエネルギー、質量保存の超越、全てが我々の目指す頂きへの道標である。

 そしてもし、彼女が今もなお、進化を続けているのなら。

 メレトネテルの最奥(オメガレベル)に至っているとするならば。

「テリピヌ様」

 アリヤの提示した端末の画面には、地図と住所が表示されていた。

「ロワイエが見つけたようです。つまり」

「ああ、史上五人目、現存する者の中では三人目のオメガレベルが、史上初めての人工のメレトネテルとは、心が躍るじゃないか」

 我々がメレトネテルの能力に等級を付けるための絶対的尺度にして、メレトネテルを見つけることができるメレトネテル、先の騒動で大幅に弱体化した我々イルルヤンカシュの起死回生の一手、それがジェニー・ロワイエである。彼女の力はそれほど安定しているわけではない。非常に気まぐれだし、しかも近づかないと察知することすらできない。しかしなぜ我々が彼女を尺度に等級を定めているのかというと、それは彼女が遠く離れた場所でも検知できるメレトネテルは、ロワイエの言葉を借りれば「力が強い」のだという。我々がオメガレベルと呼ぶのはまさに、このロワイエが離れた場所からも察知できるメレトネテルのみである。

 とはいえその知らせる場所は少し大雑把で、半径約五キロ以上の範囲が絞り込めないのだが、今回は周辺の衛星映像を確認したところ、天井に大きな穴の開いた家が発見されたという。家屋が少なく閑散としていて、先の施設があった森にも近い場所であったために、ここの家に彼女がいる可能性は高い。

「ようやく、家に帰れそうだな、アリヤ」

「はい、テリピヌ様」

 この国に来たばかりの頃は鬱陶しい熱に悩まされる日々だったが、しかしすっかり冷えきった夜気と、少しばかり渇きを感じる透き通った空気は、星空に輝く満月の光を濁らせずに地上へと導いていた。




「おやすみ。エル」

「おやすみ、堅洋、ふゆ」

 ふゆの誕生日前夜、俺たち三人は同じ布団の上で、川の字で寝ていた。ふゆは若い頃は決して家の中でトイレ以外では粗相することはなかったのだが、ここ数日は寝ている時に布団を濡らすことが多くなった。そのため一週間ほど前から布団の隣にふゆ用の寝所を用意していたが、エルがやはり寂しいと、こうして再び共に寝ることになった。

 就寝前の挨拶をすませ、俺は照明から吊り下がる紐を引き、部屋を包んでいた白い光は消え、代わりに緋色の豆電球が頼りなく淡い光を発している。黒い世界をぼんやりと橙に染める灯りを見ていると、頭の奥から目を閉じるようにという指令が届く。くらりくらりと世界がぼやけ、俺は意識を睡魔へと預けた。




「……よう」

 睡魔の腕が俺から離れていくのを感じる。そして同時に鼓膜には何か音が届いている。

「堅洋!!」

 瞼をあげると、エルが俺の身体を揺らしながら、俺の名前を何度も呼び掛けていた。

「どう、したんだ……エル。まさかふゆが……」

 ふゆがまた布団に地図でも作ったかと思ったが、布団に湿り気はなく、ふゆはエルの隣でおすわりの姿勢で俺を見ていた。

「堅洋、逃げよう。何か来る」

「何かって……まさか泥棒か」

 二か月の間、彼女と過ごしてきたが、今見せている表情は、これまで見たことが無いものだった。まるでなにかに怯えているような。俺の問いかけに彼女は強く首を横に振った。

「もっと、悪いモノだ」

 まるで彼女の警鐘にタイミングを合わせたかのように、ガラスが割れる音が鳴り響く。それも一方向からではなく、あらゆる方向から聞こえるのだ。

「伏せて!!」

 エルは俺とふゆの上に、何かから庇うように覆いかぶさる。

 と同時に、暗闇の中を閃光と轟音が木霊する。一体何が起きているのかわからず、ただけたたましい音に怯え震えるふゆを俺は抱き留めるしかできなかった。

 音がしばらくして止むと、エルがすくと立ち上がる。

「ここにいて」

「な、エル、一体何が起きて」

 彼女を引き留めようと、手を掴もうとすると、エルは突然俺の身体を抱きしめた。

「すぐに終わるから。安心して」

 さっきまでの鬼気迫る声とは異なり、柔らかで、子供をあやすような穏やかな声色。

 突然の行動に呆気に取られていると、いつのまにか目の前からエルが消えていて、すぐさままた先ほどの騒音が鳴り響く。少し落ち着いたからか、鼻孔を擽る火薬の匂いから、その音の正体が銃声なのではないかと気づけた。しかし今回はその音に交じって、別の音も聞こえる。それは間違いなく男の悲鳴だった。

 しばらく断末魔と銃声の共演が続くと、途端静寂が再び訪れた。

「堅洋、ここから逃げよう」

 するとエルが再び顔を表した。彼女の腕は暗闇で良く視認できなかったが、何かどろりとした黒いモノがへばりついていることがわかった。

「なあエル、一体」

「いいから!!」

 エルの声に驚き、急いで荷造りをした。エルと俺の着替え、生活用具、ふゆの餌などを段ボールに詰める。これはエルが持ってくれるそうで、俺は財布や通帳などの貴重品とふゆを抱きかかえて、部屋の外に出た。

 廊下も電気を消し薄暗いため、明かりをつけようと思ったが、エルが

「見ない方が良い」

 とスイッチを押そうとする手を制止する。その言葉に素直に従い、廊下を恐る恐る歩くが、足には不快な液体がまとわりつき、暗闇の回廊に横たわるそれを、想像せざるを得なかった。

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