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人造のアーダム  作者: 猫一世
ノトファグス
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ノトファグス 第五節

 ユリアと私は、今車の中にいて、それはある小さな家の前に停車している。

「ねえ、リューベック、少しだけ待ってもらっていい?」

 出発前は志気の強い瞳をしていたが、今バックミラー越しに映る彼女の顔は、迷いの色を隠しきれていなかった。無理もない。今私が車を止めているのは、物心つく前に彼女を捨てた両親の邸宅なのだから。

 勿論デザインドといえど、子供と別れざるを得なかった両親の情報は秘匿される。突き止めようとしても確実に情報は統制され、常人がそれを手にすることは決してない。まぁ情報を管理しているのは他でもない我々なのだが。

「君が気負う必要はないさ。君が彼と会うことに、罪悪感を感じる必要は無い」

 この言葉は慰めにはなるまい。そもそも彼女は責任感や罪の意識から躊躇っているわけではない。しかし思い浮かぶ言葉が他になかったのだ。そしてこの沈黙は、彼女を苦しめるような気がした。

 いや、沈黙に耐えられなかったのは私の方か。

 私の言葉を聞いて、ユリアは俯いた顔を上げ、私の方に目をやる。

「ありがとう、リューベック。口下手だけど、良いアドバイスだったわ」

 ユリアの眉間から少しだけ力が抜け、口角も少しだけ上がっている。

「ふふ、大丈夫。貴方の不器用な言葉は、きちんと私に届いたわよ」

 そう言うと彼女は車の扉を勢いよく開け放ち、見知らぬ生家へと彼女は赴く。私も彼女に続いてゼビアー家へと歩を進める。

 インターホンの手前で、ユリアが止まり、そこで右手をボタンの方へと伸ばす。一瞬の逡巡か、腕は一度止まったが、すぐに彼女の腕は目標へと再び向かう。もはや呼び鈴という呼称が正しいとは思えない電子音が鳴り響いた後、今度は人の声がその機械から聞こえてくる。

『はい。どちら様でしょうか?』

 警戒や不安は微塵も感じさせない、軽快な声音。その僅か数語で構成された音は、ユリアの心に再び動揺をもたらした。機械越しの男性の声は返事がないことにして、僅かに疑問の吐息が聞こえる。

 インターホンはカメラが付いていて、間違いなく我々の姿は、ユリアの父、エリック・ゼビアーに見えているだろう。だが勿論目の前の若い女性が自分のかつて捨てた娘だとは思うまい。

「あの、私、ユリア」

 一縷の覚悟が紡いだ声は、不安と焦燥の音で濁り、僅かに言葉として認識できる程度の淡いものだった。

『ユリ……ア?』

 返ってきた父親の反応からは、驚愕と不安、当惑は感じられなかった。まるで昨日の昼食のメニューを思い出すかのような、言葉の詰まらせ方だった。

 私はユリアの背後にいて、顔は伺えないが、堅く握りしめられた拳が震えている様子から、その心情を察するのは容易かった。

「アンタの……」

 喉の奥で潰された声は、彼女の感情の変化と、これから炸裂するであろう怒号を明瞭に予兆していた。

「娘だ!!!」




 外観では小さく見えた家だったが、中に入ってみると、内装は非常に丁寧で美しかった。エリックは背が低く、痩せ気味で、頼りない雰囲気を纏っていた。溌溂としたユリアとは顔も性格もそれほど似ていなかった。

「まさか、君が来るとはね」

「すみません。アラドカルガとして、貴方とユリアが会うべきだと判断しました。勝手ながら」

 エリックの言葉に、ユリアは思わず食って掛かりそうになったが、咄嗟に私が割って入り、事なきを得た。

「いや、今のは失言だったな。すまん。それで、君は、何故僕が必要なんだ?」

 ユリアは、彼の質問になんと答えればいいかわからないと言うように、私の顔をじっと見つめている。

「あー……、その、貴方が一親等であれば、公開できる情報ではあるのですが」

「その資格はないな。僕には君の親になる権利はもうない。言い換えよう。何に僕が必要なんだ?」

 エリックは私とユリアに交互に視線を移している。

「その権利を与えに来たんだよ」

「は?」

 その思いがけないユリアの提案に、エリックが思わず情けない声を上げてしまう。

「実は、彼女の親になっていただきたい。今日一日だけでいい」

「そんな、困るよ」

 彼の表情がどんどん弱っていくのがわかる。力強くエリックを見つめるユリアに対し、彼は彼女とまっすぐ向き合おうとせず、俯きながら目を泳がせている。

「ねえ、エリック。いえ、父さん」

 恐らく初めて呼ばれたであろう、父という称号。しかしその一言は、落ち着かないかぶりをピタリと止めてしまうほどの衝撃を持っていた。

「私は、別に、父さんが私を捨てたことを何も恨んではいないの。一時期は良い暮らしはできなかったけど、今は何も困ってないもの。いえ、厳密に言えば一つだけ悩みはあるんだけど、それを解決する手段を持ってるのは父さんだけなの」

 怒涛の畳み掛けに、エリックは思わず顔を上げる。表情は依然として弱弱しく、今にも泣きそうだった。

「エリック、今我々が必要なのは、彼女を生んだ経緯、名前の由来、遺伝子パートナーの存在、そういう他愛のないことなんだ。話したくないことには触れなくていい。ただ、彼女の起源の幾つかを、その口から教えてくれればそれでいいんだ」

 エリックは実はこれまで結婚したことはない。流石に恋人の存在までは把握していないが、ユリアをドゥアザルルに注文した時も、配偶者の存在は見当たらなかった。実はデザインドの精製は、一応パートナーの存在が必要となる。一人の遺伝子から作られたデザインドは、子供というよりただのクローンだからだ。勿論希望があれば、そしてドゥアザルルの厳しい条件と、アラドカルガによる素性調査を乗り越えさえすれば、独身であっても遺伝子バンクから希望のパートナーを選べる。元々志願者は自分たちの子供たちを美男美女にするために、このバンクを利用することも多い。

 エリックもまた、配偶者不在だった。しかしそんな状況でさえ、彼はユリア、娘を望んだのだ。例え捨てたしても、彼女への思い入れは強いはず。

「僕は、僕は、あまりに浅慮だった。僕にだって子育てはできると、そう思ってた」

「エリック、それは決して君が親としての資格がないことが原因ではない。むしろそれは今もなお多くの人間を悩ませる普遍的な苦痛なんだ」

 事実デザインドが捨てられることは、それほど珍しいことではない。一時期はかなりの社会問題になり、特にエリックのような、配偶者のいない男性はその筆頭である。元より独身男性とデザインドは色々問題も多く、それゆえに審査は格段に厳重になる。だがアラドカルガとドゥアザルルでさえ、子供を捨てずに育てきることができる人間の判断は困難なのだ。それは親になる人にとっても同じ。捨て子をしてしまう人々もまた、『自分は子育てができる』と確固たる自信を持っていたはずなのだ。

「だから困ると言ってるんだ!僕はその苦痛さえも、与えられる資格がない!!」

 エリックが突然出した大声は、ところどころ裏返っていて、聞き苦しいものだった。彼はまたも俯いてしまったが、体の震えと、重力に従って滴る水滴が、今の彼の精神状態を物語っていた。

「どういうこと?資格とか権利とか、私を生んでおいて、どうしてそんな勝手なことを……」

「違うんだ。僕は君の親なんかじゃない」

 自分は親ではない、と考えてしまうのはデザインドの親には多い精神状態だが、エリックのそれは少しだけ事情が違った。

「僕は、本当に親じゃないんだ。ある女にただデザインドの赤子を預かってくれと頼まれただけなんだ」

「馬鹿な。きちんとユリアの生成場所も、君の監査についての情報もある」

「それは全て偽造した、って聞いた」

 『頼まれた』、『聞いた』、彼の言葉が指し示す、この場に存在しない第三者。

「じゃあ彼女の本当の両親は、その『ある女』だと」

「それもわからない。名前も、住所も知らない」

 彼は首を何度も横に振る。

「はぁ?じゃあどこの誰ともわからない女から私を預かって、そして捨てたってわけ!?」

 エリックは答えない。まだ何かを隠している様子だった。いや隠しているというより、言いあぐねているといったようだ。

「何を貰った?」

「え?」

「ユリアと一緒に、何を引き取ったかと聞いている」

 正直予想はついているが、できればエリックの口から、真実を聞きたかった。

「金だ。私と君、二人が一生遊んで暮らせる金を貰った。それが君を預かり、育てるための報酬でもあった」

 この部屋に耳が痛くなるような沈黙が訪れた。三者が沈黙を貫く理由は違った。私は呆然、エリックは悔悟、そしてユリアは、

「っざけんな!!」

 彼女の右拳が、エリックの頬を正確に捉えて、彼は椅子ごと、後ろに倒れ込んだ。

 追撃を仕掛ける勢いだったので、私は彼女の身体を背後から軽く羽交い絞めした。

「すまないすまないすまない……」

 壊れたラジオのように、何度も謝罪の言葉を繰り返すエリック。

「なあエリック。少しだけでいい。その『女』に関する情報を教えてくれ。頼む」

「彼女は、彼女は白人だ。言葉に訛りがあった。突然僕の家に押し掛けてきた。三日後に赤子を届けると。最初は勿論断ったさ。けど大金を見せられて、それで……」

 始めこそ饒舌ではあったが、言葉の勢いはどんどん弱まって、最後には聞き取れないほどの呟きとなっていた。

「何で捨てたのよ」

 未だにユリアは私が抑えているが、少しだけ落ち着きを見せていた。

「僕には何もなかった。生きるためだけに働き続ける毎日に嫌気が指してたんだ。真面目に生きているのに、誰も褒めてくれない。立派な金持ちも、偉い学者先生も誰も僕を救ってくれない。誰も僕に手を差し伸べてくれない。女も男も誰も僕を見てくれない。ただ普通にしていただけなのに、いや、普通にしろと言われたからそうしただけなのに!!」

 ユリアへの問いかけの答えにはなっていない。だが今は黙って耳を傾けるべきだと直感した。

「だから特別な何者かになりたかった。僕は何かを成し遂げたかった。見てもらいたかった。助けてほしかった。褒めてほしかった。そんな中で彼女と君が訪れた。チャンスだった。特殊な存在になれる好機だと思った。けど違ったんだ。莫大な金を手にして、長大な時間を得て、僕に訪れたのは虚無だけだった」

「何よ。ポエティックに言えば同情してくれると思ったわけ?」

 いつの間にか、私は彼女から手を離していた。ユリアは一歩一歩彼に近づいていく。

「父さん、いえエリック。アンタは自分が普通だと。平均で、中庸で、中間だと言いたいのよね?なんて傲慢。アンタは当たり障りがなく、自然に、そして曖昧に換言しているけど、つまりは自分が誰かの上にいる存在と思い込みたいのよ。誰かよりはマシだとね」

「ち、ちがう!!」

 ジリジリと距離を詰めるユリアに、エリックは尻もちをついたまま後ずさる。

「アンタはいつも逃げているの。世界からも、社会からも、他人からも、そして私からも。普通という虚勢、虚飾も同じ。特別な努力や夢、障害や抑圧を持つ人間になりたくないのよ。強い人間になることもできない。弱い人間と認めたくもない。そうやって何もかもから逃避を続けて、その終着が『普通の人間』。そしてそれすら耐えられなくなってまた逃げた。ねえ教えて?アンタには何が残っているの?」

「うるさい。うるさい。人造人間風情が、知った口を……」

 ユリアはエリックの目の前で立ち止まった。そしてあまりに冷たくて、あまりに温かい視線を送り続ける。

「私が知っている『弱い人』たちは、皆、自分が弱いことを理解してた。這いつくばって、人に助けを求めて、精一杯生きていたの。アンタにはそんな人たちは『哀れ』に見えるのでしょうね。違うわ。人間は弱いの。当然でしょ。世界は一人で生きるには広すぎる。弱いから皆で助け合うの。弱いから強くなれるの。

 アンタは弱い人すら助けられない。強い人にもなれない。普通であり続けるために、透明になって、他人の中に紛れておいて、自分が誰からも見てもらえないことを嘆くなんて、本当おかしな矛盾よね。そんなに普通になりたいのなら、声も上げず、動かず、永遠に路端の砂礫になればいいじゃない」

 エリックは大粒の涙を流して、激しく身震いしている。ユリアはそんな彼を見て、軽くため息をつく。

「もういいわ。アンタから得るものは何もないわよ。アンタに救ってもらおうとした、私が愚かだった」

 彼女は勢いよく踵を返して、外へと出ていった。

 そんな彼女を、エリックは見送らず、ただ床に涙の跡を作り、年甲斐もなくしゃくりあげ続けていた。

「なぁ、もう聞こえないかもしれないが。エリック、君は誰かに見てもらいたいと言っているが、誰も見ていないじゃないか」

 私もまた、彼女を追いかけて、この家を後にした。

 結局得られたことは何もなかったが、エリック・ゼビアーが、ユリアを捨てた理由はよくわかった。

 彼はユリアと似ている。

 誰からも見てもらえないと言いつつ、彼は何者かになることを恐れるあまり、ユリアという娘の存在を受け入れられなかっただけなのだ。

 しかし大きな違いはある。最も根本的で主要な二人の差異。

 

 ユリアは、世界を、人をよく観察し、理解し、関わり続けた。

 ただ、己だけ、その視野から外れてしまっていただけなのだ。




 その後私とリューベックは病院へと戻った。結局問題は解決せず、明日の手術も中止され、今後の予定は色々と延期になった。

「私って、何なんだろう」

 今更になって、父親、エリックに言い放った言葉の数々が自分に矢雨となって降り注いできた。全く、自分が何者かも知らないのに、よくもまああれだけ大口を叩けたものだ。

 ただ少しだけ変わろうと思った。

 鏡、あれからずっと遠ざけいたそれと向き合おうと思った。

 手鏡を持って、自分の顔を見つめる。

 食道を焼け付かせるモノが込み上がってくる。

 だが、目を逸らさずに、深呼吸しながら耐える。

 喉奥に満たされた苦しみを、私の肉体は必死に取り除こうとする。

――ねえ。――

 そんな時だった。どこからか、私に語り掛ける声がする。

――気づいてしまったんだね。――

 幻聴なのか、いやそれにしては非常に明瞭に私にその声は語り掛ける。ふと周りを見渡すが、勿論病室には私一人だった。

――そこじゃないよ。私はずっとここにいる。――

 不思議な感覚だった。声ははっきりと聞こえるにも関わらず、それがどの方向からしているのか全く分からないのだ。だが何故か、見るべき方向、つまりこの声の言う『ここ』がどこかはすぐにわかった。

――どうだった?エリックは。弱い人だったでしょ。頼りなくて、力が無くて、愚かな人だったでしょう。――

 鏡の中に、見知らぬ女性がいる。驚きのあまり、鏡を手放してベッドの端に飛びのいてしまう。

――違うわよ。鏡に人がいるわけないじゃない。私は貴方よ。ユリア。――

「ふ、ふざけないで。アンタなんか変身した覚えはないわよ」

――それも違うの。逆なのよ。順序が逆。貴方が私になるのではない。私が貴方になったのよ。――

 意味がわからなかった。私に語り掛ける私の存在。それだけでも相当頭を疑う状態なのに、声の持ち主の言い回しは、迂遠で間接的で理解するのが困難だった。

「ねえ、もっとはっきり言ったらどう?本当にアンタは私なの?私ならもっとはっきり言うんだけど」

――ふふ。ねぇ、貴方、その力で若返ったことあるかしら?――

「はぁ?いや、そりゃあるけど。てか、それが私のさっきの質問とどう関係あるのよ」

 もう手鏡は見ていないが、声の持ち主が今どんな顔しているかは、何故か手に取るようにわかった。

 にやりと、口角を鋭く上げ、目じりはその反対に下がった、何とも憎たらしい表情だ。

――そう、大有り。この力でね、赤子に変身はできると思う?――

 未だ直截とは言い難い表現であったが、しかしその言葉の意味ははっきりと分かった。

――ねえ、本当に貴方の最初はユリア・ゼビアーだったのかしら?――

「嘘でしょ。じゃあ本当はアンタが最初の私だって言いたいわけ?」

 考えたくはなかった。そんなのが真実なら、今の私どころの話じゃなくなる。一体、私とは、何者なんだ?

――うーん、実のところ私はユリア、という名前ではないし、そもそも私が最初かすらわからないのよね。――

 私の肉体の奥底から語り掛けてくるその存在は、そもそもユリアですらないという。もう耳を塞いでしまいたかった。これから先の真実は、とても耐えられそうにない。

――私はユラ・サイヤラって言うの。ちなみにユリアという名前は私が名付けたのよ。良い名前でしょ?――

「ユラ?何よそれ。変な名前。で、ユラ、最初かどうかわからないってどういうことよ?」

 ユラと名乗るその声が、名付け親ということがわかると、少しだけ嘔気が引いたのを感じた。どうやら私の抱える問題を取り除くには、彼女との会話が一番の薬なのは認めざるを得ないようだ。

――私たち、仮にユハ、とでもしておきましょうか。ユハとは貴方も知っての通り、変身能力者(シェイプシフター)、そのため肉体は何度も若返らせることができるし、老いさせることもできる。ただ一見すると長命で不死のようだけど、実は一定間隔で赤子からやり直す必要があるみたいでね。そしてそれは記憶を更新することになるの。――

「待ってよ。あんまり頓痴気なこと言わないでちょうだい。じゃあなんでアンタはこうして私に話しかけてるのよ」

――それは、結局私はユラではないというか、残留思念みたいなものでね。私たちユハの存在を連続させるには、記憶を完全に途切れさせるわけにはいかない。ただし生き残り続けるには記憶を消す必要がある。だから一つの対抗策として、『転生の時期』になると、こうしてユハの使命と、その存在の根源について次の個体へと伝達されるようになっているのよ。――

 頓珍漢を超えて、もはやSFのような話になってきた。メレトネテルは常識を超越していると聞いたが、まさかこれほどとは。しかし、彼女の話を整理していると、少し気になる言葉があった。

「ねえ、貴方がこうして私に話しかけに来たってことは、私が今、変身願望に悩まされているのは」

――そ、今まさに貴方は『転生の時期』にあるの。――

 まさか、一番の疑問がこうしてあっという間に氷解してしまうとは思ってもみなかった。

――ただ、少しだけ、貴方は私とは事情が違うんだけど、ね。――

 しかし、またもユラは悪戯っぽい言葉で私を惑わせようとしてきた。

「どういうことよ、事情が違うって」

――そのお腹にいる子供、それは受精でできた子供じゃないの。簡潔に言えば、その子は『次のユハ』よ。――

 鳥肌が体中に立った。最早常識外れにも驚きはすまいと高を括っていたが、ここにきてそんな爆弾が飛び出すとは思ってもみなかった。

――いや、私としても疑問だったのよ。ユハの末端として生きる。その度に記憶をリセットする理由は何なのかって。人としての一生を全うできないまま、次の世代にバトンタッチ。なんだか、嫌になってね。私はユハではなく、ユラ・サイヤラなのに。けど結局変身願望に負けて、貴方になる運命を渋々承諾した。けど次の子には私と同じ思いをしてほしくなかったから、少しだけ細工したの。――

 ユラの大いなる計画、私のためを思って練られたというそれは、ユハの使命を、この胎児が解決しつつ、私という個人を存続させるという、なんとも有難迷惑な話だった。

「じゃあ、私はちゃんと避妊できてたってわけね」

――あら、気にするのはそこなの?でも困ったわね。本当に中絶するの?それじゃあ……――

 ああ、わかっている。ユハの血脈としての使命を全うするために子を産む。なら子を産まなければどうなるか。当然その使命は私本人へ返ってくる。私がこの子を堕ろすということは、つまりいずれ私という存在は消え、また新たなユハが生まれる。辿る過程は大きく異なるのにも関わらず、行きつく終着は結局同じ。その差異は、私が消えるかどうかということだ。

「考える時間が必要だなぁ」

 私は今は一切の思考を放棄すると言わんばかりに、ベッドに五体を預けた。

――ええ、貴方はじっくりと考えるべきだと思うわ。――

 その言葉を最後に、ユラの声は聞こえなくなった。

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