トキソプラズマ 第五節
私の目的地は、このアラドカルガの拠点において、さして重要ではない。しかし私にとって、この場所こそが最も肝要な攻略対象といっても過言ではない。
一辺、二十メートル程の正方形状の部屋で、その雪白の壁は医療施設を思わせるが、しかし部屋の随所に設置されている巨大な装置は、まるで機械工場の如き威容を誇っていた。
ここはアラドカルガを改良する部屋である。アラドカルガは最初、ベルテシャツァル型、ソロモン型、サムソン型の三つから選び、自身の身体を改造するが、これらの性能はそれほど大きく差はない。しかし任務などで功績をあげればあげるほど、アラドカルガに貢献すればするほど、彼らの身体は更なる改良を行うことが許可される。これは最初から高い性能を誇るアラドカルガを生み出してしまうと、背信などによる損失が大きいためである。
経験豊富なアラドカルガほど、性能が高いのはそのためであり、現在ベルテシャツァル型はミカエラ、ソロモン型はエアラルフ、サムソン型はモートレントが、それぞれの型の頂点に立っている。
しかしこの施設がそれほど重要ではないのは、そもそもアラドカルガでなければ無意味なことに加え、ここを使用するには、アラドカルガの能力が必要であるからだ。つまり私がこうしてここにいることは、例えるならガンスミスに弓矢を持ち込むようなものだ。アラドカルガは予期すらしていまい。
「いや、残念だが、君がここにいるのは予測できたよ」
巨大なアームを持った設備の背後から、聞き覚えのある声がし、そして見覚えのある男が姿を現した。私の心中を見事言い当ててみせたこと脂下がるかのような表情は、僅かに瞋恚の灯を我が胸中に燻らせるものだった。
「そうか。それなら大総監を殺すことも、予測できたということか?ならどうして阻止できなかったんだ?不思議なこともあるもんだな」
彼の誇り顔に、私はお返しとばかりに当て擦りを行う。だがリューベックの心情にはさしたる変化は見られなかった。
「確かに、それは予測できなかったよ。肝心の私の記憶が消えていたからね。だが今は違う。今は君の術策は全てお見通しだ」
「記憶が消えていた?」
彼の発言において、気にかかった言葉を思わず反復してしまう。
「ああそうさ。お前に操られているときに、記憶を覗かれたら困るからな」
彼の言葉を信じるとすれば、リューベックは私の力を見くびっていたわけではなく、その目的のために故意に操られに来たということだ。
「それで、お前は一体何の記憶を消して、何が目的だったんだ?どうやって私の計略を潰す気なんだ?」
「おいおい、随分焦ってるじゃないか。君らしくない」
なおも続くしたり顔が、私を焦慮に駆らせたが、それを顔に出せば間違いなく、彼に余勢を駆らせるだけだろう。
「そうか、じゃあお前は気づいたんだな。私がアラドカルガの肉体を得ていることに」
だから私は、彼がその口を自慢げに開く前に、答え合わせをしてやった。
「ほう。まさか自分から語ってくれるとは。いや、私が言おうとしたことくらいはお見通しか。オルフェア、君の身体は……、いや、こう言った方が正確かね。アルエリスの身体を使えば、私の思考を読むなど造作もないことだろう」
アルエリス、それが今の私の身体の本来の持ち主である。私は本当に偶然、イルルヤンカシュにより彼女が捕らえられる瞬間に立ち会った。無力化されたアルエリスを連れ去ろうとするイルルヤンカシュを、我が言葉の桎梏で縛り付け、そのまま私の拠点へと連れ帰った。
「まんまと騙されていたわけだな。アルエリスは我々の目の前で自爆した。大量のアラドカルガの秘匿情報をイルルヤンカシュへと送信すると同時にな。我々はそう考えていたが、実際はあの爆発した体はダミーで、しかもデータの送信先はイルルヤンカシュではなく、君のもとだったわけだ」
彼が語っていることは全て正しい。アルエリスの失踪も、大量の情報漏洩も、全て私の作戦の初期段階であった。操ったイルルヤンカシュと、アラドカルガの下位職員、そしてアルエリスの知恵を用い、彼女の機械の身体を、そのまま私に移植した。
「そのことにはいつ気づいたんだ?」
「ああ、実はこれ、私が気づいたことではないんだよ」
私にとって、関心があるのは彼の回答ではなく、むしろ何を切欠に私の身体について気づいたかだった。
「ああ、なるほど。ハムドゥか」
「そう、彼はアルエリスの自爆が何らかの偽装だと疑っていたよ。なんなら背後に君の存在があるのも薄々気づいていた。彼は君を最初に見つけたアラドカルガだからね。君の力がアラドカルガに及ぶほどまで進化しているのではないか、そう私に持ち掛けてきた時は、さすがに驚いたよ。彼が君と闘ったのは、君の力の進化だけでなく、アルエリスの力も利用しているか否かまで確認するためだった」
ハムドゥ、私に人生で初の屈辱を与えた忌々しき機械人形。つまり彼は二度にわたって私の正体を解き明かした男ということ。もはやここまでくると、怒りを超えて称賛を送りたくなる。
「だが、それはお前が記憶を消した理由にはならないだろ。もし気づいていたら、そのことをさっさとお仲間に報告すればいい」
「よく聞いてくれた!そう、私の手柄はそこさ、オルフェア。君の脅威にいち早く察知したのはハムドゥの功績だが、その秘匿された事実の更に奥、筐底に秘したもう一つの事実に、私は気づいたのさ」
まるで先日の続きかのように、リューベックは仰々しく、演劇かのように振る舞う。
「君が力を進化させ、アラドカルガにも通用するようになった。その可能性をハムドゥは提案していたが、どうにも私はそれに懐疑的だったんだよ」
彼は機材を撫でながら、即興劇を続ける。
「君は私を操っている間、記録することを封じていたが、あれで確信したよ。君はアラドカルガを操るどころか、まして言葉を発さずに他人を操ることさえできない。そしてこれが完全な確証となった」
そう言うと、彼は小さな金属製の機械を、私の足元へ放り投げた。
「これをどこで?」
「いや、それは私のだよ」
機械を手に取り、確認する。これは確かに私がアルエリスから手に入れたものと同じ形をしていた。
「それは他人の脊髄に埋め込むことで、対象を意のままに操ることのできる装置。アラドカルガにしか使えない専用装備でな、情報を統制するための最終手段さ」
彼は懐からもう一つ同じ装置を取り出し、それを垂直に投げると、緩い弧を描き、再び自身の掌の中に収めた。
「ハムドゥは、君が百を超える軍団を、まるで自分の手足のように指揮できるのは、君が声を発さず他人を操ることが可能になっているからだと、そう疑っていたがな。だがアラドカルガを操り、言葉を用いず他者を操作する。それができるのに、君はその力をあまりに矮小な範囲でしか行使しなかった」
本質的な答えを直接語らず、婉曲的な表現しか用いないのは、恐らくこのやり取りを長引かせるのも、リューベックの目的なのであろう。
「君は今も変わらず、他人を操るには言葉を直接発する他なく、さらにはアラドカルガも未だ操れない。私が君のもとへ行ったのはそれを確認するためさ」
彼の言葉、その先にある彼の真意は、非常に冷酷で、私に勝るとも劣らない。
「つまりお前は、あのアラドカルガたちや、私が操っていた人間たちさえも、全て利用して、私が隠していたもう一つの事実を解き明かそうとしたわけか」
「そうさ。君のことだ。もう一つくらい仕込んでる罠があると思っていた。まさかそれがアラドカルガの機械義体とイルルヤンカシュの強化人間の技術の合わせ技とは思わなかったがね」
なるほど、これは驚きだ。
「だがこれで君の秘密は全て解き明かされた。君がこうして、アラドカルガの改造施設にいるのも、その身体をさらにアップデートする方法を模索するためだったのだろうが、残念だったな。私たち四人によって、君の計画は失敗に終わる」
ぞろぞろと、エアラルフ、ミカエラ、モートレントの三人も姿を現す。
ああ、この期に及んで私は彼らに驚かされっぱなしだ。
「いかにアルエリスとはいえ、エアラルフよりも演算能力は高くない。それに加え、ミカエラと私も助力する。君の身体の支配権を奪ってしまえば、この戦いも終わりだ」
まだ、この愚かな鉄人形は、私の想定通りにしか動けないのだから。
起動。
頭の中で命令を下したのは、人間に対してではなく、ある兵器に対してである。
遥か上空、成層圏にて滞空する、無人飛行機に搭載された、『使徒殺し』と呼ばれる、指向性電磁パルス発生装置。
皮肉にも私が更に秘していた作戦は、彼らの実践したものとよく似ていた。
もし私の身体の秘密に気づいたら?
もし私の力の真相に感づいたら?
彼らの取りうる作戦の一つに、複数のアラドカルガ、及びエアラルフの投入は十分に想定できる事態だった。この使徒殺しはイルルヤンカシュによって秘密裏に開発されていたEMP兵器である。
放たれる電磁パルスは、四人のアラドカルガの頭上から容赦なく降り注ぎ、彼らの自由を奪った。
「まさか……EMP……?」
膝をつき、辛うじて口を動かすミカエラ。彼らがこれほどまでにこの事態を驚いているのには、二つ理由がある。
「ああ、アラドカルガ、お前たちはEMPに対して耐性があるが、この兵器はそれを貫通する。イルルヤンカシュがアルエリスを捕える際に使ったのもこの兵器さ」
まずは一つ目の理由を、私から彼らに説明する。
「だが、なぜおまえは動けるんだ……。これほどのEMP兵器、お前にも影響があるはずだろ……」
今モートレントが発した言葉が二つ目。ただでさえ通常より強力なEMP兵器、たとえ指向性兵器であろうと、同じ空間にいる私が全く影響を受けていないのは、確かに不可解だ。しかし使徒殺しとは、EMPだけでなく、実際はもう一つの兵器とのセットである。
アラドカルガとしての力を失った彼らには目視できないだろうが、私の周りにはエネルギーシールドが展開されている。これはEMPの影響を完全に防ぐ障壁であり、本来使徒殺しは、このエネルギーシールドで囲まれた空間内に、電磁パルスを発生させる牢獄である。
「まぁ、お前たちに何もかも説明してやる義理はないな。エアラルフ、お前を倒せば、文字通り、この世界で私を倒せるものはいなくなる」
本来の使い方ではないため、電磁パルスによる障害もいつ切れるかわからない。アラドカルガの体内には修復用のナノマシンがあり、今こうしている間にも、少しづつ体内のショートした回路の修復が行われているはずだ。私の目標の一つはアルエリスを超える演算能力を持ったエアラルフの破壊。今は何にも優先して迅速に達成すべきだ。
私はエアラルフのもとへと近づき、跪く彼の首を右手で掴んで持ち上げる。
「さぁ、お前たちの負けだ」
高らかに勝利宣言を行い、エアラルフの首を砕くべく、力を籠める。
「残念……だったな」
エアラルフはこの状況下でも、私を睨みつけ、捻りだすような声を上げる。
「僕たちには、仲間がいる」
一瞬たりとも、油断をした覚えはない。
何が起きても、例え上空からミサイルが落ちてこようと、冷静に対応できるはずだった。
それほどまでに周囲を警戒していた私だったが、全く何が起きたか知覚できなかった。
突如として私の身体は浮き上がり、遥か彼方へと吹き飛ばされた。
中空に舞い上がり、後ろの純白の壁に衝突するまでの間、私は感覚を集中させ、一体何が起きたかを観察した。だが、私の視界には、相変わらず電磁パルスの影響で身動き一つとれないアラドカルガたちしかいない。
〇・一秒後、私は壁に追突し、その後は重力に従って床に叩きつけられる。すぐさま姿勢を整え、再び周囲を見渡す。が、やはり先ほどの光景と何ら変わりなかった。
「一体何が」
そう言葉を漏らそうとしたとき、私は再び目視できぬ何かによって、左わき腹に鋭い衝撃が加わり、吹き飛ばされる。今度は壁ではなく、施設の機材に追突する。
大きな破壊音と、それと共に生じた火花の閃光が、私の感覚をわずかながら阻害する。その一瞬で、今度は右こめかみと、左脛に同時に衝撃が加わり、天地が逆転する。そして鳩尾に追撃の一撃が加わり、またも後方に吹き飛ばされる。
これだけ攻撃を行われて、私は未だ何が起きているかも理解できない。
常人よりも鋭敏な感覚を持つはずの私でさえ、視認できないことなどあり得ない。
あり得ない……?
まさか、メレトネテル……?
私を攻撃する謎の刺客がメレトネテルであるというなら、私が視認できないような攻撃を加えることは可能だろう。透明になる能力か、超高速で走ることができる能力、恐らくはこの強力な衝撃から後者だろう。
吹き飛ばされた先はまたも壁だったが、今回は壁に足をつけ、そのまま飛翔した。高さ三メートルほどの位置で私はこれまでの攻撃パターンを思い出していた。
たった五回の襲撃ではいささか情報不足、だが四の五の言ってる暇はない。次に攻撃が加えられそうな箇所、襲ってくる方向を推論する。いや、あの速さだ。タイミングでさえも間違うことはできない。
全神経を集中させ、達した結論。
ここにきて、私は天運に救われた。
瞬息の思考の果て、それによって到達した五つの推論。
このうち一つに、私は賭けた。
そしてそれは、完璧なまでに正解の選択肢だった。
タイミング、方向、攻撃箇所、その全てが予測通りであった。
私は、正面から突貫し、下腹部に向けて放たれた蹴りを右手で受け止めることに成功した。
私を攻撃していたものの正体、それはまだ二十代前半か、ひょっとすると十代後半程度の若い女性だった。
彼女は突如として動きを見切られたことへの吃驚か、目を見開いて私を凝視している。
だが彼女はすぐさま気炎を取り戻さんと私を睨みつけた後、体を捻って右足で私の顎を撃ち抜く。勢いは乗ってないとはいえ、豪脚から放たれる一撃は、脳を揺らして思わず意識が曇りかける。だがこの千載一遇の機会を逃してはならない、そう自分に言い聞かせ、捕まえた足を手放さんと、一層握力を籠めた。
目の前の少女はわずかに顔を歪める。あれほどの高速移動と、蹴りを放つことができるのだから、その骨も肉体も相当丈夫だろうが、その表情から、私でも彼女の肉体を破壊できることを悟った。
左拳を振りかぶり、彼女の左足の膝を狙って全力で振り下ろした。
これで彼女の足を折ることは叶わないだろうが、しかしあれほどのスピードで再び駆けることは不可能になるだろう。
拳に伝わる鈍い感触。だが、私の拳が捉えたのは少女の足ではなく、いつの間にか目前へ現れていた金髪の女の右腕だった。まるで鋼鉄、いやそんな生易しいものではない。女性にしては確かに屈強な肉体ではあるが、これはとてもじゃないが人間の頑健さを遥かに超えていた。
アラドカルガ……?いや、まさか、
「お前もメレトネテルか……?」
金髪の女の拳が私の頬に撃ち込まれ、これには耐えきれず、壁に三度目の激突をする。
「全く、エミー、だからあれだけ先走るなって言っただろうに」
金髪の女性は、俊足の少女の頭を掴み、まるで言うことを聞かなかった子犬にするように、優しく叱りつけている。
「だってさ、アリア。もし私が走ってなかったら、絶対アラドカルガ殺されてたよ?」
「まぁ確かに危機一髪だったみたいだけどさ」
ふと、アラドカルガの方を見やると、リューベックが不敵な笑みでこちらを見ていた。なるほど、どうやら今回ばかりは彼らが上手だったらしい。
流石の私でもこの事態は意想外だった。
まさか、私の目の前に、生身の人間を連れてくるなんて暴挙をするような愚か者だったとは。
「止まれ」
命令を下した。これでこの二人は身動きは取れない。耳栓のような物がないのも先ほどの会話から把握済み。さらに意思疎通はできていたが、二人の間には連絡をするような機器も用いている様子もない。
つまり彼女たちは私の力を知らないのか、全く無防備なまま私の目の前に姿を現したのだ。
これが、リューベックの秘策なのだとしたら拍子抜けも良いところだ。わざわざ私に超人を奴隷にする機会を与えてくれ……
再び、私の身体が中空を舞った。
顎を正確に捉える蹴り上げを受け、天井にまで届かんかというほど浮かんだ私に、アリアと呼ばれていた女性が追い打ちをかけるように、隕石のような重量感の拳を放った。
「なぜ……私の命令が効かない……!?」
思わず心中の怨嗟を口から漏らしてしまうほどに、私の思考は完全に乱れていた。
「まぁなんていうか説明するのが難しいんだが、私たちにお前の力は通じないんだ。そういう力を持った仲間がいてな」
「馬鹿な……!?」
私の驚嘆の声に呼応するように、クスリと笑うリューベック。
「不可能を可能にする。それがメレトネテルだろう。それを想像できなかった、いや想像しようともしなかったお前の負けだよ」
体は未だに動かせない。にもかかわらず、彼、いやアラドカルガ四人の態度は、まるで既に凱歌を奏しているようである。
「君の行動原理は、常に自身が一番になることだ。その能力を使えば、世界中の人間が君に傅いただろう。しかしそこにアラドカルガという例外が現れた。それだけじゃない。君は知らされたんだ。世界には君と同じ超人が何人もいると。さぞ絶望しただろう。さぞ呆然しただろう。だが君はそれを乗り越えようとした。見事な情熱だ。しかしオルフェア、ここにきて君はまた想像力を欠いた。いや、あえて思慮から外していたか?」
リューベックは未だ跪きながらも、私の心の裡を少しづつ解き明かしていく。まるで私の思考を全て見通しているかのように。
メレトネテルのエミーとアリアが、私の前に立ちはだかり、下目にかける。まるで自分たちの力の方が優れていると顕示するように
沸々と、熱湯のように胸の奥底から吹き上がるものを感じる。複数の色が混じりあい、えぐ味が強く、虫唾が走り、頭に血が上る、そんな言葉にしがたいものが眼窩で煮えたぎる。
「さて、じゃあさっきの続きだ。覚悟しろよ、オルフェア・シケリアノス」
形勢逆転。敗色は濃厚。
もう私が用意した計略は尽きた。悔しいが目前の二人については確かに慮外のことであった。
アリアは腕力と頑強さで劣り、エミーには敏捷において完敗。
二人を相手にするのは苦難であり、しかし時間をかければ、アラドカルガが復活する。
だが、手はある。
奴らは私が、この場の誰一人として操れないと踏んでいるが、しかしそれは誤りだ。
そして、それが私の持つ、最後の切り札。




