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人造のアーダム  作者: 猫一世
コルウス・コラックス
30/47

コルウス・コラックス 最終節

「離して!」

 男と女が揉めている。男は女が身動きとれぬよう羽交い絞めにしている。

 その女の腕は細く、その膂力では男を振り払うことはできないだろう。だが彼女は手にしていたナイフで、男の脇腹を刺す。深手にはなっていないが、男は突然のことで驚いたのか、それとも凶器の危険性に怯んだのか、女を離してしまう。

 女はよろめきながら、男から必死に逃げた。

 だが逃げた先は、車道。

 残酷なまでにタイミングが悪く、走り迫るトラック。


 その夢とも現ともとれぬ映像はそこで途切れる。


 これが、私が彼と出会ったときに見えた未来である。




「なぁ、なんでこうなった?」

 私とウェンディは、なぜか、ともにベッドの上に腰かけていた。

「うん、わかるよ、その気持ち。私だって貴方とこうしてるの、不思議だもの」

 二階建ての安いモーテルの一室、それも、あちこちがガタがきていて、ベッドとシャワー室以外、ろくに清掃も行き届いていなかった。

 彼女が自身の殺される光景を幻視したという場所が、ここだというが、そもそもどういう経緯で彼女はここを訪れることになるのか、まったくわからない。

「いやーね。まあそのうちわかるよ。ハハハ……」

 ごまかすような乾いた笑い声を出し、そっぽを向くウェンディ。

「まぁ、場所がわかっただけでもマシか。人目はあまりないが、君を守るのはそれほど悪くない立地だ」

 そのモーテルは入り口は玄関の扉のみで、二階の部屋のために窓から侵入するのも困難だ。加えて部屋の前の廊下にはカメラがあり、それを用いれば、ほぼ確実に彼女を守り切れる。あとは襲撃の時間がわければいいのだが……

「ああ、それね。大体ならわかるよ」

「え、いや、時間はわからないんじゃ……」

 そうか、そもそも彼女がここで殺されるのは、ウェンディがここに訪れる”予定”があったということ。だとすればその予定自体を変えなければ、ある程度の時刻は予測できるということ。

「あ、一応言っておくけど、ここで何する予定だったかは内緒、よ?」

 心を読まれたのか、それとも単に予測しただけか、彼女はそっと人差し指で、私の口に優しい楔を打ち込んだ。

「多分だけど、この辺りを寄ろうと思っていたのは大体今日の十八時かな。滞在は三時間くらいだと思う」

「それは恋人も一緒かね?」

 すると、彼女は急に眼を見開いて、こっちを見つめてきた。

「驚いた。貴方も心が読めるの?」

「いや、こんなモーテルに一人で来るのがおかしいだろ」

 それもそうか、と彼女は納得していた。

 このやりとりで、私は彼女の特徴というか、欠点のようなものを理解した。

 彼女は、他人と接しているとき、驚くほどに人を見ない。

 普通人間は、他人と接触しているとき、相手の言葉だけでなく、動きも見る。手は口ほどに、とは言うが、他人の感情を推し量るには、表情や姿勢、発汗……、多くの要素を観察する必要がある。

 だがウェンディは、それをする必要がない。だから彼女は他人に関心を示さない、

 今回の一件もそうだ。感情を読み取れるのであれば、そんな殺意を抱かれるまで、その知人を怒らせる必要はなかったはずだ。ましてや場合によっては未来を予知できるほどに、人間の感情を正確に読み取れる能力を持つ人間が、自分の言葉が相手に与える影響を無視できようはずもない。

 にも関わらず、彼女は自身に言い寄ってきた人間に、その好意を跳ね除けるだけに留まらず、逆鱗に触れるような真似をした。

 ウェンディ・ウィンケルホーン、彼女には誰よりも他人の機微を理解できるはずなのに、誰よりも他人との触れ合いができない。

「おーい、全部聞こえてるぞー。全く、失礼な人だな!」

「……ところで、恋人は今どうしてるんだね?もう時間も十五時を過ぎるころだが」

 怒りを露わにするウェンディを無視し、話を本題に戻す。

「全く。えっと、今日は自宅で待機してもらおうと思ったんだけど。あ、まだ連絡してなかったや。今していい?」

「ああ、いいぞ」

 彼女は小型の携帯端末で、ショートメッセージを恋人に送る。

「よし、これでいいかな。じゃ、あとは時間を待つだけだね」

 


 

 待つこと二時間、特に変わったことは起きていない。怪しい人間が通りかかるどころか、そもそも人の気配すらない。しかしだからこそ、ここは殺害現場としては相応しい場所ともいえるだろう。人目に付かず、人通りも少ない。だが、その用意周到な殺人犯の唯一の誤算は、ウェンディの能力と、そして私、アラドカルガの存在だ。

 しかし、やはり万全を期したい。

「うーん、そうさなぁ。見た目、見た目くらいは言っておいても……」

 彼女が私の心を読んで、先んじて私の未来の要求にこたえようとしてくれた、その時であった。

「待て」

 モーテルの玄関の監視カメラに映りこむ二人の人影。一人は女性、もう一人は男性。最初は同伴かと思ったが、その様子を見るに、単に同時に入ってきただけのようだ。

 掌の空間投影のプロジェクターで二人の姿を映し出し、ウェンディにそれを見せる。

「うん、間違いないよ」

 女性は階段を上がっているが、肝心の男のほうは、未だに玄関の近くで何かを待つようにたたずんでいた。

 このモーテルは入り口が一つだけなので、男を誰にも見られずに制圧するには

「窓から出るしかないか。ウェンディ、君はここにいてくれ。決して外に出ないように」

 アラドカルガが超法規的な措置をとれるとはいえ、今回は物的証拠はなく、ウェンディの証言のみである。一人程度の目撃者であれば、正直力技でどうにでもなるが、あまり手荒な真似を繰り返したくはない。

 モーテルの窓から飛び降りて、一階の玄関に誰にも見られぬように男に忍び寄る。

 彼は携帯端末の画面に注視しており、周りへの警戒心はそれほどない。念のため彼の顔を、データベースで認証すると、ロークという、ウェンディの学友であることがわかった。情報によれば

 好機とみなし、その男の背後から近づき、一瞬で地面に押さえつけ、拘束する。

 刹那の出来事に、自分の身に何が起きているかもわからず、目を丸くしているローク。

「な、なんだ!?」

「私はアラドカルガだ。この辺にデザインドに対して犯罪行為を行おうとしている人物がいると知ってね」

「な!?」

 図星なのか、彼は暴れるのをやめて、静かに肩越しでこちらを見てくる。

「ち、ちがう!俺じゃない!俺はここで見張るように頼まれただけなんだ!」

 彼のその必死の弁明は、私に大いなる失態を気づかせた。

「しまった!」

 執行人はこの男ではない。

 私は彼を離し、大急ぎでウェンディの元へと駆け付けた。




 モーテルの扉を勢いよく開け放つと、そこにはナイフを構えた女性と、それに向き合うウェンディがいた。突然の人物に驚いてか、ナイフをもった女性は、ウェンディから一瞬目を離し、こちらに振り向く。

 凶器の先が、ウェンディからわずかに離れたその一瞬、私は彼女の腕をつかんで、地面に押し倒した。

「離せ!!離せ!お前は誰だ!なんで邪魔をする!!」

 この犯人からすれば、私の存在は完全に意識の外であっただろう。意表をつかれた彼女は、腕をじたばたさせて、拘束から抜け出そうとするが、私の腕力では全く抵抗できていなかった。

「おい、ウェンディ。犯人があの男じゃないなら、そう言えよ、まったく」

「あっれ~?私、別に男の子に告白されたとは言ってないんだけどなぁ?」

 命の危機というのにこの余裕はなんなのだろうか。よっぽど殺されない自信があったのか、それとも……。

「ウェンディ、まさか」

「ええそのまさかよ」

 いつも通り、私が言葉を言い終える前に、かぶせ気味に答えてくる。

「さて、ヴェラ。あなたにいくつか質問があるわ」

「クソ、クソ……!」

 ナイフを持った少女、ウェンディにヴェラと呼ばれたその少女は、彼女からの問いかけに答えず、小声で悪態を吐き続ける。

「私を殺したいって、今も思ってる?」

 彼女の力を考えれば、これは必要のないやり取りだ。だが彼女はこの行為に意味を見出しているようだった。

「ええ、思ってるわ。あなたを殺したいって。手に入らないなら、アイツにくれてやるぐらいなら!!」

「そう、わかった。リューベック、その子を離してあげて」

「なっ」

 ここにきて、彼女はまた珍妙な提案をしてきた。やはりこのウェンディという人間の行動は、まったく理解ができない。

「大丈夫だから」

 その言葉を信用する形で、私はしぶしぶヴェラの拘束を解いた。ただし警戒は緩めてはおらず、もし彼女が危害を加えようものなら、すぐさま止めに入れる。もちろんナイフは取り上げている。

 立ち上がったヴェラは私を一瞬睨んでから、再びウェンディに怒りを露わにした。

 するとウェンディは私に向かって腕を伸ばし、

「それも」

 とナイフを指さしてきた。私は彼女の発言の意図を理解できず、最初は彼女がナイフを渡すように催促しているものと思っていた。だがその真意は

「ヴェラにナイフを返してあげて」

 という、さらに奇々怪々なものであった。

 さすがにこれを承認するわけにはいかないが、ウェンディは頑なにナイフを指さしていた。

 根負けして、私はナイフをヴェラに返す。流石のヴェラも、これに対しては狼狽を隠さずにはいられなかった。しかしその吃驚も、彼女の表情からはすぐに消え、力強くナイフを握りしめていた。

「ねえ、ヴェラ、あなたは私を殺したいほど愛してくれてるのね」

「ええ、そうよ……」

 その言葉だけでヴェラはすでにたじろいでいた。自身の気持ちを言葉に言い表されるほど、気味の悪いものはない。

「そう、それなら。私の答えは一つ。私は絶対に死なないわ」

「は……?」

 ウェンディの表情に未だ焦りの色はない。こうしてる状況さえも、まるで彼女の掌の上かのようであった。

「だって、私には帰りを待つ愛する人がいるもの。絶対にあなたなんかに殺されてあげないんだから。これは決定事項。あなたの愛より、私の愛のほうが絶対に強い。断言するわ」

「うるさい、うるさああい!!!」

 ウェンディの自信に溢れたその態度に焚きつけられるように、ヴェラはナイフを構え、ウェンディに突進する。目を離すつもりはなかったのだが、ウェンディの気迫に圧倒されていた私は、反応が遅れてしまった。それは一瞬であったが、あまりに致命的な油断であった。

 ウェンディの首に突き立てられるナイフ、散る赤い鮮血。

 だがヴェラのナイフは、喉笛を貫くことはなかった。

「え……?」

 ナイフは首に刺さる寸前で止まっていた。流れる血は首からではなく、そのナイフの刃を握るウェンディの手からのものであった。

「ほら、殺せないでしょ」

 ウェンディの表情はいまだに全く崩れていない。掌の出血量から考えて、傷はかなり深いはず。痛覚を一時的にシャットダウンできる我々アラドカルガなら兎も角、生身の人間にこんな芸当が可能とは思えない。

「これが私なの。私の愛なの。どれだけ傷つこうと、侮辱されようとも、私は絶対に折れない」

 徐々にヴェラのナイフを握る力が緩んでいく。

「ウェンディ……あなた……」

 ヴェラの表情は何かを恐れるかのように、青ざめていた。

 彼女が抱く畏怖の原因は、滴る紅い雫への後悔か、それとも……。




 その後、ウェンディの要望もあって、ヴェラは警察に突き出すことなく、家に帰すことになった。

「説明してもらおうか。今回の事件について」

 ウェンディの手のひらの手当てをしながら、彼女に今回の真相を問いただす。

「真相も何も。あの子、私のことが昔から好きでね。けど自分から告白することはなく、ひたすら拗らせ続けてた。私が恋人を作ったと聞いた日にもね、知らぬ顔で祝福してくれちゃってさ」

 傷口を消毒後、医療テープを張る。彼女は「いたた」と呻きながら、動作を確認するかのように、手のひらを開いたり握ったりしている。

「それだけですめばよかったのに、あの子、ロークに頼んでマッチポンプ仕組んだりしちゃってさ。ヴェラ、あんな男に弱みを握られて、可哀そうに」

 ロークというのは、ヴェラの共犯者として、見張りを任されていた男だったか。あの男は情報によれば女癖が悪いという。そんな男への協力を、一体彼女は何を対価にして得たのであろうか。ウェンディは自分が殺されかけたというのに、彼女への恨みごとは全く発せず、その表情は同情にも似た憂いが見え隠れした。

「しかし、今回私の協力は必要だったか?君一人でなんとかできたんじゃないか?」

「ううん、この方法が一番、失うものが少なくすんだルートなの」

 それ以上、彼女と私の間で会話はなく、静かに解散して、この事件は終わりを告げた。




 家の鍵を開け、中に入る。もう誰も出迎えてくれない、寂しい家。だが今日は例外であった。

「あ、あーーー!ウェンディ!今日のデートの約束ほっぽって!どこに行ってたの!!」

 どたどたと慌ただしく、眼鏡をかけた深い褐色の肌の、美しい少女が玄関に向かって走ってきた。

「まーまーフラーヤ。今日は私ちょっと疲れてるから、勘弁してー」

「疲れてるって何よ!昨日、『貴方の家に集合だ』って、『もしかしたら遅れるかもしれないけど、一日中家で待ってて』、なーんてみょうちきりんな要求をしといて、いざ帰ってきたら疲れたですって!?」

 ぷんぷんという効果音が聞こえてきそうなくらい、頬を膨らませ怒っているフラーヤ。

「フラーヤ、落ち着いて」

 彼女の怒りを制止しようと手を振ると、彼女は私の手のひらに巻かれた医療テープに目を留めた。

「ちょっと、ウェンディ、その怪我どうしたの?」

 私の右手をつかみ、マジマジと眺めるフラーヤ。

「いやー少しひと悶着あって……」

 弁明しようとしたその時、フラーヤは力強く私の体を抱きしめてきた。

「また、また無理して。なんで私の見えてないところでそうやって無茶するの……」

 ああ、これだ。私がまだ死ねない理由がここにある。

 フラーヤの優雅にウェーブのかかった黒髪を撫で、そして私も柔らかく抱擁を返す。

 フラーヤ、ああフラーヤ。

 愛しい人。美しき乙女。私の恋人。

「ねえ、フラーヤ」

「ウェンディ?」

 涙目になりながらこちらを見つめるフラーヤは、この世の何にも喩えられぬほどに愛らしい。

 その表情に誘われるように、私は思わず彼女と唇を交わす。

 

 その接吻は、今まで味わったどんな果実よりも甘美であった。


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