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人造のアーダム  作者: 猫一世
アイオライト
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アイオライト 第一節

 血だ。まだ血が足りない。

 復讐はまだ続く。この牙も喉も、未だに渇いたままだ。

 あと何人、殺せば満ち足りる?

 あとどれだけの血を飲めば飢えから解放される?

 いや、そもそも今何人屠ったのかも、どれほど血を啜ったかも覚えていない。

 ああ、また陽が昇る。月が落ちる。

 これでもう殺さなくていい。喰らわずにすむ。

 さあ、今日はもう眠ろう。



 

 久しぶりの休暇をもらい、私は家で映画を見ていた。かなり古い映画で、コミックに登場するヒーローたちの実写映画だ。今にしてみると、CGは雑なものだが、しかし演出やストーリーは、それを補って余りある。現代においても十二分にエンターテインメントの機能を果たしていた。

「うむ、面白かった。しかし、これは次回作が気になるな。折角の休暇だし、今日は全部……」

 そう独り言を口にしていた時だった。頭に鳴り響くミカエラからの通信音。嫌な予感がした。ミカエラから連絡があるときは、大抵仕事の依頼だ。

 貴重な休日が露と消えそうな予感に恐怖しながら、一縷の望みをかけて、通信に出る。

「リューベック?休日よね。貴方にやってほしいことがあるの」

 開口一言目がこれである。私の映画漬け予定の一日は、予想通りに霞となっていった。




 ミカエラから受けた任務は案の定、遥か遠国で、やはり飛行機を使っての旅路となった。窓の外に広がる雄大な空の景色を楽しみながら……なんてことが叶わぬほどの速度で空を旅すること数時間、旅立った頃は西日が差し込み始めていたというのに、私は二度目の昼を迎えていた。

 そろそろ空きっ腹ではあったので、またも空港内で食事を済ませようと、あちこちを見渡す。食事どころを模索している最中、空港内の天井がところどころ無くなって、中身の鉄骨やらパイプ類がむき出しになっているところを見つけた。工事中なんだろうか?

 数分の散策後、それらしいレストランを見つけ、そこで食事を頼む。カリーブルスト、チーズの盛り合わせ、ビールという、まさにこの国を代表するかのような取り合わせだ。昼間っからビールを飲むのはどうかと思ったが、周りの人も皆、大きなビールグラスを手に食事を楽しんでいるので、そんなためらいも一瞬で消し飛んだ。

 ソーセージはカリカリで、そしてややスパイシーなために、味、食感共に刺激的で実に楽しい。チーズの盛り合わせも塩気がいい塩梅で、ソーセージともよく合う。少しばかり口の中が辛さと塩気でくどくなってきたころに、ピルスナービールを流し込む。ビールの苦みと炭酸の爽快感が口をリフレッシュし、再び舌がソーセージとチーズを欲するようになる。

 チーズとソーセージ、そしてビールというルーチンを何度か繰り返していると、あっというまに皿の上のものが消えてなくなった。少しばかり物足りないというか、名残惜しさがあるが、時間もあまりないので、空港を後にした。

 



 空港外で待機していたアラドカルガの専用車に乗りこむ。とはいっても中は無人で、運転するのも私だ。アラドカルガは原則として、単独で行動する。下位組織である会所(ロッジ)から時折人手を借りることはあるが、我々は個人が組織のようなものであるために、基本的には助けを求めることはない。特に今回の一件のような、あまり大した問題でないときは、基本的に後回しにされることが多く、別件を請け負うアラドカルガが、ついでにこなすようなものであった。しかしどうにもこの国の近くにアラドカルガがおらず、また皆フルタイムで活動しているために、暇を持て余していた私が駆り出されたというわけだ。

 実際大した任務でもなく、ついでに観光でもしてきたらどうかというミカエラの進言もあり、結果この任を請け負うのに、それほど抵抗感もなかった。

 



 空港から一時間半ほど車を走らせると、目的地に到達した。街を流れる川沿いの道から、英雄の名前の付いた通りへと曲がる。一ブロックほど行くと、その角には二階建ての小さな家があった。色はロージーブラウンというのか、都鼠色と言うのか、少し赤みがかった灰色の家だった。四辻の北西に位置するその家は、立方体のようでありつつ、道路に沿った壁は丸みを帯びていて、扇形にも似ていた。

 家主の名はハーラル・ベルク。デザインドにして、メレトネテル、そして半年前にこの世を去った。今この家に住んでいるのは、その妻であるラグンヒルデ・ベルク。彼女はデザインドではあるが、しかしメレトネテルではない。本日の要件は勿論ハーラルに関する事であるが、少しばかり事情が複雑である。

 呼び鈴を鳴らして、しばらく玄関の先で待つと、扉がゆったりと開いた。その隙間から訝しげに現れる人影。

 女性、会うのは初めてだが、どうやら彼女がラグンヒルデ・ベルクらしい。画像で見た際には、美しい色素の薄いブロンドを携えた白き乙女、といった感じであったが、もはや肌の色は白を通り越して青ざめてさえいた。大きな天藍石の如き瞳だが、しかしその目元の隈にどうしても目が行ってしまう。美人が見る影もないと言えば誇張になるが、しかし本来の彼女の美貌とはかけ離れていた。

「あの……」

 ぽつりと、ぎりぎり聞き取れるほどの声で私に呼びかける。

「ああ、私はアラドカルガの……」

 バタン。てっきり自己紹介を仰いでいるのかと思いきや、私の素性を聞くや否や、彼女は扉を勢いよく締めてしまった。

「えーっと……ミズ・ベルク?」

 愕然と立ち尽くすこと数分、するとインターホンから

「どうぞ」

 とぼそりと声がした。

 言われるがままに、ベルク家へと足を踏み入れた。




「すみません……片付けていなかったものですから……」

 と、弁明はしているものの、家の中ははっきり言ってかなり綺麗だった。というより散乱させられるような物自体が見当たらず、殺風景もいいところだった。一体何を片付けなければいけないのかと少し疑問に思う。

「どうぞおかけください」

 彼女の言葉は、やはりかなり小さいものの、この静かな街であれば、それを遮るような騒音もなく、聞き取るには支障はなかった。

「ああ、ありがとうございます。それよりアラドカルガの方から、本日の訪問の件は連絡されておりませんでしたか?」

「いえ……いえ、聞き及んでおりました。私ったら、うっかり忘れていて……」

 忘れていた?今日の件を忘れるほど、彼女は憔悴しているのか?

「ミズ・ベルク、改めて聞きます。本日の件は……」

「ええ、覚えております。夫の、夫の死のことですよね」

 先ほどまで蒙昧だった瞳に、何か力が宿るのを感じる。

「あ、ああ。その、旦那さん、ハーラル氏の特殊な力を知っていた者たちへの、記憶処理が完了したことの報告と、それとこれを渡しに」

 銀色のアタッシュケースを机の上に置き、中をラグンヒルデに見せる。

「我々の不手際ゆえの事態でした。こちらはその謝罪になります」

 中には一生遊んで暮らせる額の現金。メレトネテルを守るのはアラドカルガの仕事であり、それを果たせなかった場合は、ある種の違約金という形で、こうした莫大な慰謝料が支払われる。こうやって、アラドカルガは何事も金で解決しようとしてきた。

「……」

 ラグンヒルデは、黙ったまま、その金を冷淡に見つめている。しばらくして

「ありがとう、ございます」

 と彼女は、ぺこりと、軽く会釈し、礼を言う。意外な反応というか、普通であれば大抵「金で夫は戻ってこない!」なんて激昂されるのが常なんだが、ラグンヒルデはあろうことか恨み言一つ吐かずに、それどころか礼まで述べている。

「あ、いえ。この度は誠に申し訳ありませんでした」

 私はラグンヒルデの底知れない不気味さもあってか、この場からそそくさと退散することにした。謝罪の一言を述べ、最後に一礼し、ベルク家から逃げ出すように、外に出た。

「……まぁ、色々混乱してるんだろうな」

 あらためてベルク家を眺めると、先ほどまでは中世のメルヘンチックな建築に見えていたが、しかし今や魂を喰らう魔女の家にも見えなくもなかった。とにかく、ラグンヒルデ・ベルクという女に、私は心底恐怖していた。




「行ったか?」

「ええ、行ったわ」

 二階の窓から、先のアラドカルガが帰るのを見取る。

「どうやら彼らは僕の死を信じてくれたようだね」

「けど、ハーラル?少し困ったわ。あんな大金を貰っちゃって、アラドカルガには悪いことしちゃった」

 窓から離れ振り返ろうとすると、背後からハーラルが私の腰に手を回し、抱きしめてくる。力強いのに、息苦しさを感じさせない優しい抱擁。顎を私の左肩に乗せてくるハーラル。その彼の顔を左手で触れる。

「いいじゃないか。僕たちが幸せに暮らすための資金と思えば。それに私が死んでいないからといっても、彼らに一切の非が無いというわけではないだろう?」

 ハーラルが耳元で囁くのは、こそばくもどこか心地の良いもので、彼とこうして会話しているだけでも、私の頬に熱が籠もる。

 彼は先ほどまで私の腹部に手を回していたが、いつの間にか左手が大腿部を、右手は私の唇をなぞっていた。まるで私の中の熱を確かめるように、そしてさらにその火照りを高ぶらせんとするように。

「ふふ、悪い人」

「君の為なら世界を敵にでも回すさ、ラグナ」

 するりと、私の体からハーラルが離れる。名残惜しくなって、後ろを振り返るとハーラルの姿はもうそこにはなかった。

「そう……今日も、やるのね……ハーラル」

 ハーラルの姿の代わりに、その空間には血の匂いが漂っていた。

 ああ、また月が昇る。

 また血が流れる。

 復讐はここに、世界を紅に染めるまで。

 



 観光がてら、その帰り道で、昼も軽食程度ですませたこともあってか、少し早めの夕食をとろうとレストランを探す。適当に検索をかけ、見つかった店へと赴く道中、芳ばしい匂いを店の外まで漂わせているパン屋に遭遇したりしたが、やはり今はがっつりと肉が食べたいこともあり「帰りに買って帰ろう」と邪念を振り払う。

 目的地のレストランは、この国の肉料理を多く扱っており、どれも食欲をそそる逸品ばかりだ。

 長らくメニューとにらみ合いを続け、迷いながらも料理を決める。頼んだ品はローストポークの塊に切り目がいれられ、その間にチーズとハムが挟まれて、よくグリルしたものだった。またそれと一緒にグリーンピースや玉ねぎを、トマトソースで味付けし炒めたライス、そして付け合わせにはカリカリに挙げられたフライドポテトと、レタスとトマト、きゅうりのピクルスのサラダが添えられていた。

 誰が見ても不味い要素など一つもないような、贅沢な料理だった。ローストポークをフォークで斬ると、中のチーズがとろりと溢れてくる。勿体ないとばかりに、その溢れ出たチーズを一口大にスライスしたポークに充分に搦めてから、口に放り込む。味蕾を通じて脳に快楽が注ぎ込まれる。この機械の肉体には、内臓と脳を除くと、生身のままなのは口であったが、食事の度にそのことを天に感謝する。胡椒とソースでほどよい辛さの肉を、まろやかなチーズが包み込むことで、お互いの短所をつぶし合って、その上で長所を伸ばしあう相乗効果が生まれている。

 それぞれの料理を一口ずつ食べ終わり、再びローストポークをつつこうとすると、向かいの席に先ほど料理を運んできてくれたお嬢さんが座ってきた。

「ねえ、あんたさ、アジア人かい?」

「珍しいかい?」

 ラドラービールを流し込み、口の中のものを食道に押し込む。

「そりゃ珍しいさ。この辺りじゃ、観光地もなけりゃ、ビジネス街もないからね。外国人ってだけでも滅多にないことなのに、アンタみたいなアジア人はそれこそ生涯お目にかかれないと思っていたよ」

 外見から言えば、年齢はおよそ十代後半から二十代前半といったところだろうか。若々しさを見せつけるかのように輝くウェーブがかったブロンドと、その頬のそばかすが何ともかわいらしい。ラグンヒルデも美人であったが、目の前の少女は彼女のような痩せぎすの体ではなく、ほどよく健康的なふくよかさをもっていた。

「といっても、川向うに城があるだろう?あれは結構な観光地になりそうだが」

「ん?ああ、いや、確かに少し昔までは観光客で溢れかえってたみたいだけどさ、ほら今の時代、単に古い城ってだけじゃ人は集まらねえのさ。だってネットで少し調べりゃ、三六〇度見渡せるストリートビューがあるしな。わざわざ時間と金かけて旅する人間も減ったのさ」

 彼女は少し物憂げに、窓の外を眺めている。見た目は随分若いのに、言動はその相貌と相反して大人びていた。

「ところでこの料理、凄く美味いよ。ローストポークは肉の旨みが良く出てるし、何よりナイフいらずの柔らかさで上質だ。それにこの中に入ったチーズとハム、最初はローストポークの中にハムってのはどうかと思ったが……、いや、なかなかどうして、ハムとチーズの塩味が、肉の濃厚さをさっぱりとさせている。食べたことないが、なんていう料理なんだ?」

 少し暗い話になりそうだったので、雰囲気を変えるべく、食事の話に移る。

「ん?ああ、これはね、ルスティガー・ボスニアックっていうのさ。名前の由来は知らないけどね、私も好きだよ。このあまり健康に気を使ってない感じの組み合わせがたまらない」

 なるほど彼女のふくよかな健康体は、普段の食生活が起因らしい。

「ところで、あんた、この辺り旅行するのは良いけど、夜はやめときなよ」

「ん?」

 ああ、そういえばこの国は夜の出歩きに厳しいんだったなと言うと、彼女は首を横に振った。

「いや、最近さ、出るんだよ。連続殺人鬼がさ」

「連続殺人?そんな物騒なことが起きてるのか?」

 彼女は周りを見渡した後、机の上に身を乗り出し、私の耳元で囁く。

「ああ、夜になるとな。誰も姿は見たことないんだが、夜中に男の唸り声がして、その声の方に向かうとよ、死体が転がってるんだよ。しかも必ず内臓が、まるで獣でも襲ったかのように食い破られてるんだ」

「おいおい、それじゃあその殺人鬼は、人を殺して……」

 その後の言葉を口に出そうとしたが、しかし今自分が食事中ということを思い出し、グッと飲み込む。もしあのまま口に出してたら、別のものまで口から出かねなかった。

「うっぷ。そうか、わかったよ。夜は出歩かないようにする。忠告ありがとう」

 どういたしましてと、にっこりと笑い、彼女は厨房へと戻っていった。

「連続殺人、ねぇ」

 自分でも何故だかわからないが、この連続殺人事件のことを考えていると、一瞬、ラグンヒルデの顔が脳裏をよぎった。

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