ロンズデーライト 第四節
目の前に広がる光景は、この闇夜を照らす燭台のようであった。しかし燃え盛るのは蝋ではなく鉄筋コンクリートの高層ビルであるが。人々の悲鳴、崩れ落ちる瓦礫、爆炎、様々な轟音が混ざり合ってもたらされるのは、なぜか不快な不協和音には感じられなかった。
これほどの大音量の交響曲が鼓膜に響き渡る中、脳内でまた別の音が聞こえた。それはアラドカルガ本部からの連絡音だった。
「ミカエラ。君はそこで何をしている?」
声の主はエアラルフ。アラドカルガで最も信用の出来る人間の一人であり、そして我々の中で最も電子演算能力の高い最優のアラドカルガでもある。
「答えて、エアラルフ。リューベック様は生きているの?」
「待て。なぜリューベックの名前を出す?」
怪訝にこちらを伺うエアラルフ。無理もない。テロの現場にいる理由と、死人の名前には何の関連性もない。
「ボーヴェ支部からリューベック様……先代リューベックの信号を探知した。それで駆けつけてみたら、ボーヴェ支部が燃えてて……。ねえ、これって」
私の言葉に対し、彼はしばらく沈黙する。一際大きな崩壊音が響いた後、エアラルフは口を開いた。
「ああ、それはイルルヤンカシュの仕業だが、リーダーには恐らくアラドカルガの裏切り者がいる。それで、現地にいた唯一の生存者であったアリア・ゴネイムの言葉に間違いが無ければ」
彼は言葉を一度切って、ひと呼吸を置いてから、こう続けた。
「その裏切り者は、死んだはずの先代リューベックだ」
重力が何倍にもなったような、深海にいるかのような、そんな息苦しい重圧が、この場に漂っていた。
「それで、アリア・ゴネイム。君が見たイルルヤンカシュのリーダーが、昨年死亡したはずのアラドカルガ、リューベックであったのは間違いないのかね」
「はい。お渡しされた資料の写真と、私が会った女の相貌は一致しています」
私の前には三人の老齢の男性。この三人はアラドカルガ最上層部である高位階の、その中でも最高権限を所有する大総監に位置する者たちだ。本来であれば、アラドカルガと協力関係とはいえ、下位組織に位置するドゥアザルルの職員では顔を合わせることさえ困難な存在だ。それほどの高位職員とこうして対面しているのは、ひとえに私が今回の大事件の関係者であるからだ。
「リューベックめが、あやつが裏切った?それも死さえ偽装であったというのか。なんたることだ」
「だがエアラルフが早期に勘付いてくれたのは不幸中の幸いよ。彼が早い段階でイルルヤンカシュの部隊を追跡し、その中に義体率六割を超える人物がいないことも確認できた。恐らくリューベックは、エアラルフの探知に引っかからないように、全身の機能を停止させたのだろう。だとすればあとはイルルヤンカシュか、我々、どちらが先に人形同然の彼奴を発見するかよ」
大総監の三人は楕円形の円卓の上座にかけ、私はその下座に立たされている。基本的に会話をしているのは私から見て右と左に座っている二人で、ちょうど私の対面に座っている一人はここまで口を開くことはなかった。彼は一見すると白髪に逞しい口髭を蓄えた老人だが、一言も発することもなくこの場の空気を完全に支配するほどの威圧が感じられた。
「あとのことはエアラルフとモートレントに任せればいいが、ミカエラともう一人の弟子はどうする?」
するとここまで唇を動かすことさえしなかった中央の玄冬の男が、ようやく口を開いた。
「最も彼女を信頼していたのも、その二人だろう。リューベックはイルルヤンカシュとの繋がりを今まで隠し通し、同時に死すら偽装してみせた計画性の高い女だ。もし弟子の二人が関与してきたとあれば、あらゆる手練手管を用いて篭絡しようと試みてくるだろう。二人は外出することのないよう、軟禁しておけ」
先ほどまで熱弁を交わしていたはずの二人は、中央の男の言葉に黙ってうなずくのみだった。この三人は全員指先一つで千を超える人間を動かすことができるほどの権威を持つものたちだが、どうやら中央の白髪の男はその中でも別格らしい。彼の言葉には、口をつぐんで同意するしかないらしい。
だが
「一言よろしいでしょうか」
私から言葉が発せられることを予期していなかったからか、右と左に座っている二人は目を見開いて、こちらに顔を向けてきた。だが中央の男は少しばかり眉間の皺が深くなった程度で、微動だにしていなかった。
「なんだ」
短く、それでいて今までで一番覇気の籠った言葉だった。
「先代リューベックの弟子二人に会わせてほしい」
「理由は?」
私の言葉に、左右の二人が反論しようとするが、それを制止するかのように、中央の男がすぐさま割り込んだ。
「アペプケデッドの運営は、アラドカルガの皆さまには秘密裏に行われていました。まずはその点についてお詫びを」
「前置きは不要だ。本題に移れ」
深々と頭を下げる私に、言葉の続きを促す。
「皆様にとっては決して快い行動ではなかったでしょう。恐らくお三方とも、私が今後前線に出ることを許さないかと思います。ですから、せめて私は二人の愛弟子から、先代リューベックが裏切った動悸に関する手掛かりを得ようかと。皆様の捜査の手助けにもなると思いますし」
「なぜそれを貴様に任せる必要がある?その程度の仕事なら、誰にでも務まる」
その眼に宿っていた覇気は少しだけ色あせていた。私の提案が期待以上のものではなかったことへの失意が原因であろうか。
「いえ、私でなくてはなりません。私でなければ。私は部下を全員失っているのです。本当は今にも飛び出して、あの女の息の根を止めてやりたい。ですがそうなってはアラドカルガにとっては好ましい事態とは言い難いでしょう。だから私のことを、その二人のアラドカルガに監視させるのです」
私が発した言葉に、今まで椅子の背もたれに身を委ねていた中央の男は、初めて体を起こして、机に肘をついた。先ほどの姿勢が全体を見渡すかのように監視するためのものであったとするなら、今のこの体勢はまさしく私だけを見定めるためのものだろう。
「つまり、それは脅しかね?」
「そう捉えてもらっても構いません」
その後、彼は私の要求を承諾。残りの二人は流石に納得いっていなかったが、それも彼の鶴の一言が黙らせた。
勿論、これは嘘だ。必ずあの女は私の手で殺す。しかしアラドカルガの目を掻い潜ってリューベックの位置を特定し、殺害することは困難を極める。だから私はその目的を果たすために、反対にアラドカルガを利用してやるのだ。
これは計画の一歩目に過ぎないが、それでもかなり一か八かな賭けではあった。彼らの目は決して節穴ではない。もし私が少しでも言葉の端に動揺を見せれば、彼らが私の要求をのむことはなかっただろう。
しかし私は自分でも驚くほどに、冷静に、そして巧妙に言葉を操ることに成功した。
今までに経験したことが無いほどの沈着で穏やかな演技を可能にしたのは、皮肉なことに今にも爆発してしまいそうな怒りの炎のおかげであった。
胸を焦がし、脳を沸騰させんばかりの憤怒の劫火は、しかしながら私の目的を達成させるための活力となっていた。
その目的とは、私の部隊を全滅させ、愛する男の命を奪った、あの女への復讐。
リューベックを殺すこと。
それこそが、今の私の唯一の行動原理であった。
私とガストンは、あの最悪の出会いから、その後何度か任務で一緒になることがあった。最初こそ、彼の軽口に辟易としていたが、ある時の事件がきっかけで私と彼との関係は大きく変化した。
「何よ、これ……」
某発展途上国での作戦中、制圧した敵拠点の近くにあったボロ小屋の中を覗くと、そこには裸体の十代程度の少女たちが所狭しと詰め込まれていた。彼女らはテロリストたちの慰み者であり、妊娠をしている者もいれば、重度の梅毒罹患者、中には四肢を欠損している者さえいた。
驚くことに、その少女たちの八割以上がデザインドであった。加えて彼女たちは須らく「親無し」と言われる存在であった。
デザインドは本来、子どもが産めないものや、妊娠を避けたい、もしくは理想の容姿と体を持つ子どもを欲する夫婦しか注文することができない。片親の場合も特別に認可されることはあるが、しかしその場合、一人で複数のデザインドを要請することはできない。理由は、売春や労働力などの、人間としての最低限な生活さえ送れない、奴隷が目的である場合が多いからだ。
そのため必ずデザインドそれぞれ一人に、カップルの二人、もしくは一人の成人が親として存在する。だが上記のような禁止された目的のために、違法に産み出され、商品のように売り買いされるデザインドが存在する。彼らの多くが大量生産のために戸籍上、架空の親を持っているために「親無し」と呼ばれている。
私とて生娘ではない。「親無し」の存在も、彼らがどのように生涯を過ごすのかも勿論知っている。だがこうして、彼らを目の前にすると、言葉が出なかった。
「あ、あ」
そのボロ小屋の中には、小さなカンテラがあったが、今はそれが点けられておらず、闇に包まれていた。そして扉を開けたことで差し込んだ陽光に、まるで吸い込まれるかのように数人の少女が這い出してきた。一見すると四肢が欠損していない者たちも、足首の腱が切られており、立ち上がって歩くことができなかった。
そこにいる女性たちには、言葉を話すことができるものはいなかった。彼女たちの姿や、立ち込める悪臭、五感の全てが不快を訴えるほどの醜穢と卑劣に塗れた空間から、彼女たちの味わってきた地獄がどれほどのものかは、容易に想像できる。
目を背けたくなった。この場から立ち去りたくなった。捕虜にした敵兵を殴殺したくなった。彼女たちを解放してあげたくなった。このような現状を世界に伝えたくなった。
溢れ出る選択肢、しかし何が正しくて、何が誤りなのか、それすら判断がつかないほどに、私は混乱をしていた。負の感情は目まぐるしく切り替わりながら、みしりと骨が軋むほどに拳を握りしめる。思わず泣いてしまいそうになったとき、私の肩に手が優しく置かれた。
「言ったろ。君のせいじゃない」
手の主はガストンだった。
「君が戦う理由は、君が強いから、だろ?ならその理由を怒りに任せるな。感情のまま拳を振るうな。矮小な存在に堕ちるな」
彼のその言葉は、決して激励でも慰めでもなく、叱咤であった。
「あんたって本当、嫌な男ね」
「ああ、そうだろう」
私とガストンの交流はこれを機に増えることになった。恋人になり、愛を育み、そして私の『秘密』を打ち明けた。
私たちは各地で活躍し、ある日、デザインドの生成と運営を管理している『ドゥアザルル』に所属するウィンロックという男に、『アペプケデッド』という組織に勧誘された。彼は私がメレトネテルであることも知っており、その能力を活かしてほしいとのことだった。
ガストンは最も長く共に戦った仲間であり、私を最も理解している友人であり、そして私が最も愛した男であった。
もしかしたら私は、いつのまにか彼の為にカッコよく、そして強くあり続けようとしていたのかもしれない。彼を失った今の私の、なんと情けなく、なんと卑小なことか。
私はもう、悪を挫こうとも、弱きを助けようとも、世界を良くしようとも思わない。私はもう一人の女を殺すことしか考えていなかった。
復讐でガストンは喜ばない?
ああ、わかっているとも。そんなこと誰に言われるまでもなく百も承知だ。
ただの自己満足であり、しかも仮に彼女を殺したとして、それで気が鎮まるとも思えない。
何も得られず、何も解決しない。
だけど、例え無駄な行為であっても、私は奴を殺さないと気が済まないんだ。
「それが知りたくて、私のところに来たの?」
突然現れた目の前の女性は、いきなり私に『先代リューベック』に関する情報を求めてきた。彼女が誰かは一目見てすぐにわかった。あの時、私が師の信号をわずかに拾い、ボーヴェに駆けつけた時、唯一の生存者として会ってはいた。
「貴方は知ってるの?どうして彼女がアラドカルガを裏切って、イルルヤンカシュに与しているのか」
「……貴方、『今』のリューベックには会ってきたんでしょ。それなら私の解答も彼と同じよ」
彼女が私よりも先にテンドウ・チアキ、つまり先代リューベックの跡を継ぎ、今リューベックを名乗っている彼と会って、同様の質問をしたことは既に知っている。そしてチアキが彼女の要求を断ったことも。
先んじて言葉を封じられたせいか、眉間に皺を寄せて不愉快さを露わにしている。情報では彼女はいかなる作戦にも冷静に務め、激情に囚われることはなかったと聞いているが、目の前の彼女からは、そんなストイックさは微塵も感じられなかった。
「先代リューベックは私やチアキ……今のリューベックと十年以上の付き合いなの。それでもって彼女は一片たりとも、不審な様相を見せることはなかった。それくらい完璧な偽装だった。裏切りなんて、今も信じられないくらいよ」
「私が、嘘をついたって言うの?」
信じられないという言葉に食って掛かるアリア。
「違うわよ。そう熱くならないで」
胸ぐらを掴んできた彼女を諭そうと試みるが、彼女は手を離さず、こちらを睨んできた。身長は彼女の方が低く、せいぜい百六十センチ後半といったところだろうが、アリアから発せられる鬼気は思わず私でも気圧されそうなほどであった。
「言っておくけど、私はあんたら二人とあの女の関係なんてどうでもいいの。いえ、聞けば聞くほど癇に障る。何故十年も近くにいて気付かないのかと、お前らアラドカルガの無能さに腹が煮えくり返るよ」
私の襟をつかんでいる右腕の力が一層強くなり、衣服が破ける音が聞こえる。このままでは私のYシャツが引き裂かれかねない。何とか落ち着かせなければ、私の身も危うい。
「わかったわよ。協力してあげるから、その右手を離して」
アリアは怒りと不信を入り混じらせた表情を変えることなく、右手をゆっくりと離した。やはりシャツの襟は派手に破け、胸元が露わになっていた。
「教えてあげる。私が唯一掴んでいる、リューベック様の手掛かり」
「な、お前、まさか!」
今度は私の肩を掴んで壁に押しつけられた。本当に驚くほどの怪力だ。
「いったいな。大丈夫よ、別に私は裏切者じゃない」
「じゃあ、何故お前はその手掛かりとやらをアラドカルガに話していない!?」
確かにごもっとも。もし先代リューベックの足跡に、少しでも関連してそうなことを知っているなら、それを報告するのが道理だろう。だからこそ、私の黙秘は何か策があってやった合理的なことではなく、純粋に私的な理由でしかない。
「リューベック様は、突如として死を迎えた。他殺にも関わらず犯人は捕まっていない。とてもじゃないけど私には彼女の死を受け入れられなかった。あの人は例え一個師団相手にしたって死にっこないもの」
ぎりぎりと、徐々に彼女の指が肩にめり込む。義体の疑似痛覚が、これ以上は義体の耐久が危険だと脳に信号を送っている。
「いい?私は最初からリューベック様の死には懐疑的だった。だから死んだ後も彼女の信号を常に探索していた。皮肉にも私がボーヴェ支部にいち早く駆け付けられたのもそのため。リューベック様はその信号をトラッキングされていることに気付いて、コンマ二秒で全通信機能をシャットダウンした。けどその刹那でも、リューベック様がどこに通信を送っていたかくらいは突き止めることができた」
「そんな重要な情報を、どうして仲間に報告しない!?それがあれば確実にあの女を追い詰められるだろうが!」
私も彼女も徐々に声が大きくなっていった。最も、同時に彼女の万力の如き握力も、耐えがたいほどに上昇していたが。
「アンタならわかるでしょ!もう一度愛する人に会いたかったからよ!!」
その一言で彼女の唸り声と締め付けが緩まった。
「ふざけないで……。貴方、アイツを守るつもり……?」
「私は彼女を助けるつもりはない。ただ一目、最後に彼女の顔がまた見たかった。そして、彼女を終わらせるのを、他の誰かに任せたくはなかった」
アリアは少し落ち着き、この部屋に備えられていたベッドに腰かけた。少しばかり沈黙が続いたのちに、彼女は再び口を開いた。
「アイツを殺すのは私がやる」
「ええ、良いわよ。本当は私がやりたいところだけど、報復するのは、私よりも貴方の方がよっぽど相応しいでしょうし」
以降、私たちの間に会話はなかった。件の信号を受け取った住所を書き綴った紙を彼女に渡し、一旦帰るように促す。
私はこの軟禁状態の偽装など、外に出かけるにはいくらか準備が必要だったからだ。まあエアラルフには、私やチアキに意識を向ける余裕はなく、それほど大掛かりな処置が必要なわけではない。
一通りの対策を済ませて、私は先ほどの住所へと向かうべく、軟禁用の部屋を後にした。




