ロンズデーライト 第三節
今、このビルは全ての電源が落とされており、パソコンも電話も、あらゆる電子機器が作動ない状態になっている。勿論その中にはエレベーターも含まれているが、私の乗っているエレベーターは問題なく作動していた。
エレベーターの中からでも、ビル内に響き渡る銃声は届いていたが、上階に向かうにつれて、その音は遠のいていき、そして最上階の六十五階に到着するころには、静寂に包まれていた。
エレベーターは開くと、目の前には明かりのない暗闇。だが私は暗視機能を使っているので、問題なく空間を把握できていた。この階層唯一の部屋、支部長室に向かって歩みを進める。支部長室は扉が電子ロックで閉ざされていたが、停電した今はその鈍重な鉄扉が物理的にこの部屋の開閉を不可能にしていた。力づくで開けられないわけではなかったが、私は扉の電力を復活させ、その上で電子ロックの暗号を解読し、強制的に開錠した。
「だ、誰だ!?アぺプケデッドのものか!?」
扉が開く音に反応して、支部長が声を荒げる。勿論この部屋も停電で照明が落ちているために、彼は私の顔を伺うことはできない。
「残念ながら違うよ。私はイルルヤンカシュだ。彼らなら今頃全員下で亡骸になってるだろうよ」
この部屋に電力を復旧させ、照明を灯す。彼は突如として現れた私に、驚嘆の表情を隠せなかった。
「な!?馬鹿な!!さっきまでそこにいた二人は何をしてるんだ!!クソッ!」
ここにきて命を懸けて守った彼らではなく、自分の命を心配か。敵ながら呆れる。
「黙れ。お前にある選択肢は二つだ。ここで死ぬか、それとも私にメレトネテルの情報を渡すか、だ」
「メレトネテルの情報!?馬鹿言え。あれは私でさえもアクセス権限のないものだ。まさかお前たち、それが狙いだったのか!?馬鹿どもが!!それならドゥアザルルではなく、アラドカルガを攻撃すべきだろうが!」
そんなこと我々は百も承知だった。その上であえてドゥアザルルを攻撃したのは理由がある。一つはアラドカルガへの攻撃の難易度の高さは、ドゥアザルルの比ではないこと。そしてもう一つがドゥアザルルでもメレトネテルの情報を引き出すことが可能だからだ。
「ああ、お前にアクセス権限が無いのは知ってるよ。けどな、情報は公開されていないが、一部のドゥアザルル支部にはメレトネテルへのアクセス用のコンソールは存在するんだ」
「は?何を言って……」
知らなくて当然だ。アラドカルガは、場所時間を問わずに、自由にメレトネテルの情報を引き出すことはできる。だが緊急時のみ、アラドカルガがドゥアザルルとの連携をとるために、例外的にあるレベルを超えた職員の所有するコンソールに、メレトネテルへのアクセス権限を許可することが可能である。ブラントーム支部の支部長ではそれが適わなかったが、この支部であれば恐らく、いや高確率で可能であろう。
私は支部長の死亡に覆われた首を掴んで、机に叩きつける。
「お前は黙ってコンソールを操作して、自分のIDでログインすればいい。あとは私がやる」
「ああ、わかった。わかったから。頼む、命だけは許してくれ」
首にかけていた力を少し緩め、彼にコンソールを操作させる。端末を起動し、その後IDを入力、ログインが完了した。あとは私が特別権限を使って、このコンソールにメレトネテルの情報のアクセスを可能にするだけだった。しかしその時、突然扉が開く音がした。
と同時に、私の顔に大砲の如き衝撃が襲い掛かった。
装備していたヘルメットは銃弾程度であれば容易に弾く堅牢な造りであったが、その衝撃によって半壊し、私の素顔が半分ほど露呈するほどであった。しかしその衝撃を起こしたものは、銃火器でも爆弾でもなく、目の前の女性が放った拳であった。
その闖入者は、追い打ちをかけようと再び拳を振るう。辛うじて回避をすることができたが、依然として地面に膝をつくという不利な体勢が続いていた。彼女の猛追が続く中、視界の端に支部長が出口に向かう姿が映り込む。私は再びこの部屋の照明を落とし、電子扉にロックをかける。また同時に照明も落ち、彼女の目眩ませにも成功した。
体制を立て直し、先ほどの剛拳を振るった女を観察する。先手は取らせたものの、改造強化した機械義肢なぞ、私の相手ではない。全ての神経接続を切断し、指一つ動かせない状態にすればいいだけの話だ。しかし、
(嘘でしょ。こいつ、機械義肢じゃないの!?)
銃弾すら弾く装甲を破壊するほどの拳打を、機械義肢ではない生身で放てる。そんなことが可能な存在なぞ、メレトネテルをおいて他にない。彼女を相手にするのは、あまりに都合が悪かった。彼女を殺せばイルルヤンカシュに殺され、かといってこの女は加減して戦えるような相手ではない。
少しは考える時間を稼げるかと思ったが、コンソールの明かりや、窓から差し込む僅かな月光のために、この空間は完全な暗闇ではなかった。そのため既に彼女はある程度闇に目が慣れてきたのか、私のことを完全に捉えていた。
彼女は飛び上がり、蹴りを振るう。上体を反らして紙一重で躱し、反撃に左腕を振るう。確実に顎を捉えて、失神狙いのそれは、しかしながら彼女を微動だにさせることすらできなかった。彼女の肌の堅牢さは、鋼鉄のそれであった。だが驚愕しているのはどうやら私だけなく、目の前の彼女も同様であった。
彼女が驚く理由は何となく理解ができた。私はアラドカルガと同等のスペックを誇る機械義体であるため、彼女ほどではないが常人の筋力を遥かに上回っている。恐らく思わぬ反撃だったのだろう。彼女の動揺も僅かなものであったが、同時に致命的なまでの隙でもあった。
鳩尾、脇腹、人中に拳を叩きこみ、よろめいた彼女の首を斬り落とすような回し蹴りを放つ。人間であれば死んでいてもおかしくない連打であったが、彼女は血の一滴も流さしていなかった。彼女は体勢を立て直すと同時に、裏拳を振るう。驚異的な破壊力を秘めていたが、狙いを定めていなかった一撃の為に躱すのは容易であった。下腹部を突き刺すように蹴る。一歩ほど後方によろめいただけであったが、その隙に腰のテーザー銃を取り出し、二発ほど発射する。
「があああああ!!」
恐らく肌にテーザーの針は刺さっていないだろうが、電流はしっかりと体に回ったようだ。今まで全く攻撃が通らなかったが、電流は有効打になったようで、完全に床に臥せった。
私は部屋の端で怯えている支部長を尻目に、コンソールへと戻り、操作を再開する。メレトネテルの情報へのアクセス権限を得て、情報をダウンロードする。ダウンロードを待機している間に、部下の兵たちに連絡を取る。敵の銃火器が使えぬ以上、一方的な蹂躙になると予想していたが、三十一人のうち、すでに二十三人もの死者が出ていた。残りの者たちもアペプケデッドと交戦中で、ほぼ均衡した状態にあった。
「各位、第二目標は達成目前だ。すぐに戦闘を中止し、撤退しろ」
短く連絡を済ませ、今度はイルルヤンカシュの本部へ連絡を入れる。
「メレトネテルの情報はダウンロードを完了しました。しかし二つほど報告があります」
向こうから返事は来ず、無言で報告の続きを促される。
「一つ目が今回の私の部隊のうち、二十三名が死亡。二つ目の報告はアペプケデッドのリーダーがメレトネテルでした」
「ほう。そのメレトネテルは誰かわかるか?」
声の主はNo.Ⅳだった。通信越しにだが他のメンバーの動揺も聞こえてくる。
「はい。アリア・ゴネイム。この国出身のデザインドです。詳細は既に転送してあります」
資料を確認しているのか、数秒ほど無言が続く。
「ふむ。面白い。彼女は今どうしている?」
「今は私がテーザー銃で麻痺させています。連れて帰りますか?」
私の提案を、イルルヤンカシュのリーダーたちは数秒検討したのち、
「いや、君の手に入れたデータがあれば、もはや手中にあるのと同じだ。それに彼女の性能を考えると、連れて帰るのも骨が折れよう。アリア・ゴネイムは適当に支部外に放置して、その後証拠隠滅も兼ねて、ボーヴェ支部を爆破しなさい」
「良いのですか?もしこの国で最大の支部の爆破ともなれば、アラドカルガはドゥアザルルの要請抜きでも動き始めますよ?」
「構わんよ。No.Ⅺ、ご苦労だった」
そこで通信は途絶え、同時にメレトネテルの情報のダウンロードも完了した。コンソールに接続していたメモリーを抜き、私も離脱を計る。今回の撤退方法はジェットパックによる飛行。簡易なもののため、数十分程度しか飛行できないが、裏手の森を越えて、待機しているトラックまで向かうだけなら全く問題はない。
支部長室唯一の窓に向かい、背中のジェットパックを起動する。だが
「に、がす、かあああああ!!」
喉から振り絞るような叫喚が背後から迫る。その声の主は、先ほどまで麻痺していたはずのアリア・ゴネイムであった。彼女は私の顔面を右拳で殴打する。その衝撃は最初のものよりも弱かったが、瓦解しかけのヘルメットを完全に破壊するには十分な威力であった。
月光に照らされ、完全に私の顔が晒される。ボーヴェ支部長は私の顔を見て、目を丸くしている。
「な!?お前、アラドカルガのリューベッ……」
彼が言葉を言い切るよりも先に、拳銃を抜き脳天に鉛玉を撃ちこむ。アリアはこの隙を見逃さず、私が銃を握っていた左腕と、胸ぐらを掴んで、床に叩きつけようとする。しかし私は両足で彼女の首を挟み込み、反対に彼女を投げ飛ばした。アリアは受け身をとってすぐさま立ち上がり、再びこちらへ突貫してくる。力任せに振るわれた正拳を躱して、彼女の背後に回り込む。対象を見失い、その勢いのまま拳は窓の左隣にあった壁に突き刺さった。
後ろを振り返ろうとする彼女の背中に、拳銃を数発放つ。先ほど回収した情報で、アリア・ゴネイムの肌はこの程度では傷つかぬことは知っていたために、これは決して殺すための攻撃ではない。銃弾は彼女の肌を貫きさえしないが、その衝撃は決して軽いものではない。ましてや麻痺がまだ完全に抜けず、足元がおぼつかない状態であればなおさらだ。
合計八発の銃弾によってよろめいた彼女は、そのまま窓にもたれかかった。拳銃は捨て、次に再びテーザー銃を取り出し、今度は直接彼女の背中に電極を押しつけて、電流を流した。
完全に体を硬直させ、今度こそ身動きが取れなくなった彼女の背中に、横蹴りを放つ。その蹴りの勢いで窓ガラスは割れ、そしてそのまま彼女は重力のまま、ビルの外に投げ出された。
「はぁ、はぁ」
思わぬ強敵に珍しく呼吸が乱れていた。この高さから落ちて無事か、少しばかり心配であったが、おそらく彼女のデータと、私の計算が間違っていなければ、命に別状はないはずだ。
あとはこのビルから私も脱出し、指示通りに爆破する。私たちの装備には小型ではあるが、強力な爆薬が仕込まれている。決して銃火器などの衝撃で誤爆することはなく、私の指示によってのみ起爆が可能なものだ。
すでに生存した兵は脱出しており、また彼らはその爆弾が内蔵された装備をビル内に置いてきている。死んだ兵たちの爆弾と合わせれば、このビルは問題なく倒壊する。
起爆スイッチを押し、私は窓から外へ飛び出した。ジェットパックを起動し、合流地点であるトラックへと向かう。数秒飛翔した後、後方からけたたましい音と、太陽のように眩しい光が発生した。ビルもまた先ほどの爆発音に負けぬほどに、轟轟と音を立てて崩れ去っていった。




