プロテノール 第一節
俺の住んでる町は良いところだ。飯も酒も美味いし、住民もみな気さくで楽しい奴らばかりだ。冬は流石に凍えるような寒さで、必ず雪が降るし、加えて強い風が吹くために、体感気温はかなり低い。しかしそんな寒さも言うなれば酒を飲むためのスパイスだ。寒けりゃ寒いほど酒は美味くなる。つまり欠点なんてほとんどないんだが、強いて言うならあまり面白いモノがない。今日日、インターネットを使えば面白い動画も見れるし、ド素人が書いた三文小説だって読み放題だ。退屈なんてしそうもないんだが、俺が求めてるのはそういうもんじゃない。
俺がパブを経営している理由は、酒を飲んだ奴らと面白可笑しな話をすることが楽しいっていうのもある。だが最近はめっきりそういう面白い出会いが無くなっちまった。常連の親父どもの与太話やら、スケベな女どもの身の上話とか、そういうのは確かに今でも面白いんだが、新鮮味がないんだよな。もっとこう聞いたこともないような話が聞きたい。それもパソコンとかからじゃなくて、目の前の生きてる人間からだ。このご時世に時代遅れなのはわかっている。この町だってそんなデカくないし、観光客も大して来ない。高望みなのは重々承知しているんだけど、それでも俺はこのパブを止めたくないし、町から離れたくもないんだ。
俺には似合わない逡巡をしようと思った理由は一つだ。とにかく今日は客入りが悪く、とても暇なのだ。従業員のベッキーちゃんも、今日は彼氏とデートとかで出勤してないし、ただ一人で店の酒を空けるだけだった。
「今日はもう客は来ないかねぇ」
そうぼやいて今日は早々に店じまいでもしようかと考えていた矢先、ドアベルの音が鳴り響く。
「あれ、もしかして今日お店やってなかった?」
入ってきたのは大きなカバンを背負った十代後半くらいの少女が入ってきた。
「ああ、やってるよ。歓迎したいところなんだが、ウチは子供の入店お断りなんだ」
「そこをなんとか。酒はいらないんだ。飯を食わせてくれ。もうどこの店も締まってるみたいで、ここしか開いてなかったんだよ」
出ていく様子もなく、彼女は既にカバンを椅子に置いて、カウンター席に座っていた。
「あんた、旅行者か?この国が酒に厳しい国って知らんのか」
この国は非常に未成年の飲酒に厳しい。いや飲酒という行為自体に厳しいと言っていい。他の国では街中を歩きながら酒を飲むなんてできるらしいが、基本的にこの国では外で酒を飲むことさえ許されない。家の中か、それともこうしたパブの中でのみ飲酒は許されている。大きなカバンと、言葉のアクセントから察するに、恐らく彼女は国外から来た者であろうが、こうした旅行者がこの国のルールを知らずにヘマをやらかすことは、それほど珍しい光景でもない。
「むぅ、じゃあ、お店を締めてよ」
「はぁ!?」
我が物顔で話を進めようとする少女。しかもすでに彼女はこの店のメニューを手に取って、何を食おうか考え始めていた。
「どうせ他にお客いないじゃない。だからこれは友人同士のお食事ってことで。それならいいでしょ?」
溜息をつきながら、彼女の言う通り、店の扉に”close”の札を掛けて、再び店内に戻る。
「ねー、ここってピザとかないの?」
「こんのアンクル・サムの若造が。ハンバーガーかサンドイッチにしとけ」
表面上は彼女に反発こそしているものの、俺はどこか彼女との出会いに少しだけ喜びを感じていた。少なくとも退屈は凌げそうだ。
「じゃあ、お礼に面白い話聞かせてあげるよ」
「ほぉ、嬢ちゃん。面白い話知ってんのか?」
ハンバーガーに挟むチキンを焼きながら、彼女の言葉に耳を傾ける。
「ええ、こう見えて私、色んな国を津々浦々歩き渡っているもの!ほら!」
そういってお嬢ちゃんは自身のパスポートの査証の頁を自慢げに披露する。確かにそこにはびっしりと色んな国の出入国スタンプが押されていた。
「へえ、凄いなこりゃ。嬢ちゃん一人で旅してんのか」
「そ!まあ女一人で、しかもこの年齢だと色々あるけどねぇ。それなりに楽しくやってるよ」
金とかどうしてるのか、親は何も言わないのか、なんてことも思いつく。しかし店の常連にはこの子のようなワケありな客は結構いて、そういう人たちに野暮なことを聞くのは、あまり得策ではないことは経験上理解していた。
「そうかい、じゃあ折角だし、嬢ちゃんの旅行記でも聞かせてもらおうかね」
調理中の暇つぶしにでもと、彼女に話題を振る。勿論あまり国外旅行の経験のない俺は、彼女の旅行譚には興味津々ではあったが。
「オッケー。それじゃあ、最初は『魔法使いのいる村』の話」
彼女の突拍子もない言葉に、思わぬ力が入り、トマトを斬っていた包丁が大きな音を立ててまな板を打つ。
「ちょっと待った。おもしろい話ってのはオカルト系のあれかい?」
「えー、聞いてもないのにいきなりオカルト扱いは少し失礼なんじゃないのー」
ぷぅっと不機嫌そうに頬を膨らませる少女。大人と子供の中間といった、そんなあどけなさの残る表情は中々可愛げがある。
「まぁどうせ暇してたんだ。期待半分で聞かせてもらうよ」
「よーし、絶対私の話を面白いって言わせてやる」
調理の手を再び動かし、耳だけを彼女の方に傾ける。
「まずこの魔法使いの村は、東南アジアにある小さな集落のことでね。この村には代表となる長がいて、その長はその地域の言葉で『魔術の父』と呼ばれているの。というのもね、その村では先代の長が亡くなると、次の長を決めるために魔術合戦をするの。それで村で一番魔術に秀でたと認められた人が長になるってわけ」
「ほぉ、世襲じゃないのか。つまりその魔術合戦というのは儀式みたいなもんか?」
ガサゴソと音がするので、気になって少女の方を見ると、彼女は自分のカバンを物色していた。何を探しているのか気になったが、とりあえず今はそっと見守ることにした。
「そそ。儀式、というか祭りみたいなのを催すの。この一族の代表はこの魔術を行う、とかを宣言して、その魔術が成功すれば村の人々に投票してもらえる。けど失敗すれば投票対象になることはなく、一族は『神から忌み嫌われた者』として暫く罵倒され続けるの。魔術の才能があるってことは、神々から好かれている証でもあったみたい」
「そりゃまた難儀な祭りだ。一か八かってわけかい」
つまりこの祭りの趣旨は、どれだけ多くの人を驚かせられるかということなのだろう。あまり驚かれない、簡単な魔術であれば(例えば明日の運勢を占うとか)、得票率は下がってしまうだろうが、成功率は高いため、『忌み子』の烙印を付けられることは避けられる。反対に大規模の魔術が成功すれば得票率は他を圧倒できるだろうが、代わりに失敗する確率も増え、結果損失を生みかねない。未開社会の文化ではあるが、村の代表選挙の在り方としては理にかなっているような気もする。
「で結構色んな魔術を皆してて、恋占いやら受胎祈願、漁獲量の予測なんてものもあったらしいんだけど、結果的に長に選ばれたのは『天気占い』の魔術師の一族だったの」
「ふむ。天気占いか。しかしそれくらいなら別に驚くようなことではないんじゃないか?雲でも見れば多少は推測できるだろうし、その村でも雲行きくらいは見てたんじゃないか?」
先進国の住民の俺だからこそ、こう思うのかもしれないが、天気占いは先ほどの理論で行けば、それほどハイリスクハイリターンな手ではない気がする。実際多くの地域で古代から雲の形状などを見て天気を予測する文化というのは存在していたわけだし。
「けど、その一族が凄いところはね、天気だけじゃなくて明日は暑くなるとか、少し涼しいとか、そういう細かいところも当てられるところなの。他にも何故か私と通訳を通さず会話ができたの。その様子も含めて多くの村民に驚かれていたわね」
「通訳なしで?ていうかお嬢ちゃんがその村に行ったのかよ。勇気あるなぁアンタ」
「でへへ。まぁ私は好奇心旺盛、当たって砕けるがモットーですから!」
えへんと、胸を張る少女。どうやら探し物は見つかったらしく、彼女はこちらへ向き直していた。
「で、長が決まった後に私、彼ら一族に食事の席に招待されたの。他の村人は私と話せなかったし、結構排他的な部族みたいだったみたいで。友好に接してくれたのは彼ら一族だけだったかな」
「食事の席ねぇ。俺は流石に無理だなぁ。言っちゃ悪いが、あまりそういう部族の飯って食いたかねぇなあ」
テレビとかで見る、部族の食事って大抵なんかよくわからないものの煮物だったり、虫を使ったものだったりと、あまり食欲はそそられない物が多い印象だ。
「うん、私も最初そう思ってて、お腹とか壊さないか心配だったのよね。けどびっくりしちゃった。出てきた料理全部凄い美味しかったの。というか味付けとか具材が少し違うくらいで、ほとんど西欧風の料理だったの。『きっとあなたの口に合うのはこういう料理でしょうから』って」
思わず再び調理の手を止めて、彼女に顔を向ける。少女は何故か得意げに、にたりと口角を吊り上げている
「もしやその一族、本当に魔術でも使えるのか……?」
「私もその時は流石にビックリしたんだけどね。食事が終わった後に君に秘密を教えてあげようって奥の間に連れていかれたの」
どうやらこの子は好奇心に勝てないタイプらしい。初対面の相手に食事に誘われるばかりか、家の奥に連れていかれるなんて、俺ならまず断るだろう。
「で、これがその秘密ってわけ」
こちらに見せてきたのは一枚の写真。写真に写っていたのは、いかにも未開の部族らしい木造建築と、その風景にはあまりに不釣り合いな電子機器の存在であった。
「おいおい、これってパソコンじゃねえか。なんでこんなとこに」
「私が来るニ、三年前にヨーロッパの人類学者が訪れてきたんだって。その人も私同様、村人たちに冷たくあしらわれたんだけど、その時唯一彼と仲良くしてくれたのが、その『現』長なんだって。人類学者と長はその後、互いに勉強しあう仲になったらしいの。長は村の歴史や文化、そして言語を学者に教えて、反対に学者先生は英語と、電子機器、それの使い方をお返しにあげたんだって」
それなら確かに正確な天気予報ができた理由もわかるし、英語が話せたのも納得だ。しかしそれは
「なぁ、それってズルじゃねえか?皆には魔法って言って、パソコン使ってんだろ?」
「そうそう、それ私も同じこと聞いたの。実際彼も自分が卑怯な真似をしていると理解していたわ」
「ふーむ。どうしても長になりたかったのか?何か事情があったとか」
そう言うと、彼女は再び写真を数枚取り出してこちらに差し出してきた。ある写真には船と海を背景に漁師たちが映っていて、またあるものには畑で畝を耕す村人が映っていた。どれも別の風景と別の人物が映り込んでいたが、なぜかどの写真にも周りの人々と比べると、少しばかし豪奢な格好をした男が映っていた。
「この男ってもしかして長か?」
「そうなの。それはね彼が村人たちに助言してるのを撮った写真。農業も漁業も、他にも色んなことに、村長はアドバイスを与えて、より良い物に改良していってるの。他にも希望者には英語を教えたり、算数とかを教えてるらしいよ。彼は村のことを誰よりも大事に思ってたんだけど、それと同じくらい危惧していた。このままでは近いうちに自分たちは搾取されるだけだって。しばらくは彼らを騙し続けることになるけど、時が来ればパソコンの存在を明かして、村人たちにもその使い方を教えるみたい」
「へぇ、立派な男だねぇ……おっと」
話し込んでいてすっかり忘れていた、付け合わせのフライドポテトを油から上げ、皿にそれとハンバーガーを盛り付けて、彼女の目の前に差し出す。
「ほらよ。ダブ・クラブバーガーだ。お前が世界中で食ってきた何よりも美味いから、腰抜かすなよ」
「ほほー!うまそー!!じゃあ頂き……」
と彼女は皿を取ろうとするが、俺は即座にその皿を彼女から遠ざける。
「ちょっと、何よ」
わかりやすくムスっとこちらを睨みつける少女。今にも飛びかかって皿を奪いそうな勢いだった。
「まあ待て。交換条件だ。お嬢ちゃん、他にも面白い話あるか?」
「え?そりゃまあ他にもいろいろあるけど」
俺の不意の提案に、少女は目を丸くしている。本当によく表情の変わる子だ。
「今の話で、お嬢ちゃんが無理やり店を開けさせたのはチャラだ。そして次の話も面白ければ、この当店自慢の究極のハンバーガーはタダにしてやる」
「えっ?良いの!?するする!もっとお話する!!」
瞳の中に星が見えそうなほど、目を煌めかせてこちらを見つめてくる。もし彼女が犬なら尻尾をはちきれんばかりに振りまくっていることだろう。
「よっし。じゃあ交渉成立だな。じゃあお嬢ちゃん、次の話を……」
「ミレット」
「うん?」
いつの間にか既に俺の手から皿を奪い取り、ハンバーガーを貪っている少女。よっぽど腹が減っていたらしい。
「私の名前だよ。ミレット・イエロー。仲良くなったんだし、名前で呼んでよ」
本当にこの少女、ミレットはとにかく警戒心というものが無いみたいだ。誰とでも仲良くなろうとする博愛主義の権化のようだ。危なっかしさに見ているこちらが不安になるほどではあるが、
「わかったよ。ちなみに俺の名前はリアムだ。よろしくな、ミレット」
「よろしく、リアム」
彼女のその在り方は、奇遇にも俺が憧れた姿でもあった。