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人造のアーダム  作者: 猫一世
カスアリウス
13/47

カスアリウス 第二節

 私はダッドリー・ブラックと、ジョアン・ブラックの娘、エミー・ブラック。

 娘とはいっても、私はデザインド、所謂人造人間だ。母は中々子宝に恵まれず、年齢的にはそろそろ出産が困難になるころ、両親はデザインドを選択した。

 二人は最近のデザインドの傾向とは異なり、遺伝子操作で才能や容姿を決めず、自分たちの遺伝子を利用し、仮に子供として生まれるならこうなるだろうという、自然さを追求していた。結果、この世に生を受けた私、エミー・ブラックはそれなりに平凡なステータスで生まれてきた。頭はそれなりに良く、自慢じゃないが容姿も若い頃の母と似て、それなりに美人だと思う。けど私が平凡として振舞えたのは、五歳まで。それ以降私は異常に筋力が発達し始め、見た目は同世代の子と殆ど変わらないのにも関わらず、既に五十メートルを五秒で走れるほどの脚力を得ていた。

 両親はこの頃に、私に平凡として振舞うこと、その力は人前で見せてはいけないということを教え込んだ。素直だった私はこれを素直に受け入れ、凡人としての生き方を歩むことになった。

 しかしある日、ブラック家を大きく揺るがす出来事が起きた。なんと母が子を身籠ったのだ。やっとのことで恵まれた子宝に、両親は共に大いに喜んでいた。

 私も勿論大喜びだった。この頃の私は自分がデザインドであると知らなかったからだ。毎夜毎夜弟と出会うことを今か今かと待ち望んだ。朝起きるたびに母にいつも

「お母さん!弟生まれた!?」

 なんて馬鹿なことを聞くのが日課になっていた。

 それから半年後、母は無事出産を終え、私はお姉ちゃんになった。

 どこからか湧いてきた庇護欲によって、私は毎日弟の面倒を母と一緒に見ていた。ご近所からは大変仲の良い姉弟として評判だった。

 そんな日々が続いていたある日、私はふと母の視線から私が消えていることに気付いた。母は私を見ていない。代わりにそれが向けられていたのは弟だった。最初は気のせいかと思った。そんな疑念を払うため、私は否が応でも母の視界に自分が入るように試みた。例えば食後のお皿を洗面台に持って行ったり、テストで良い点を取ったり、母が忙しい時に弟の面倒を見たりしていた。

 最初の頃は母も「ありがとう」とか「凄いね!おめでとう」と私の善行を認めてくれていた。けどそれも束の間、母はとうとう私に「良い子」と声をかけなくなった。

 そんな失意の私に追い打ちを掛けるように、もう一つ衝撃的な出来事があった。本当に偶然だった。両親がどちらも出かけていて、私はいつものように弟と遊んでいた。その時、私は13歳で、弟が6歳だった。弟の好きな組み立てブロックで遊んでいると、弟がつまずいて転んでしまった。運悪く転んだ先のブロックで膝を怪我してしまい、弟は痛みに泣きじゃくってしまった。私は傷薬と絆創膏を探して、箪笥を物色していた。その時私の目に飛び込んできたのは、『デザインドに関する保証制度』と書かれた封筒であった。

 私はその文面に興味を惹かれ、中身を読んでしまった。

 そしてこの時、私がデザインドであること、そして両親が私を視界の外へと追いやっていた理由に気付いた。

 私は、それ以降、両親の前で良い子ぶるのはやめた。

 勿論ぐれたりしたわけではない。単に私という存在をアピールすることをやめただけだ。父親は研究活動で多忙になり、母親も子育てが一段落ついたということで休職していた歯科医に復帰したこともあって、家に両親がいることも少なくなり、この生き方も好都合であった。

 家に大人がいなくなるのは不安だと、二人は執事を雇った。フレディという穏やかな男性だった。彼もまた心優しい人で、仕事とはいえ私と弟をよく面倒見てくれた。彼の作るフレンチトーストは弟の好物だった。

 けどその生活は私の精神を内側からじわじわと蝕んでいた。力を振るえないこと以上に、自分の能力を両親が認めてくれなくなったことは、予想以上に私の心を病ませていった。

 内在する苦悩を自覚してからは、私の行動は早かった。

 力が発揮できないならせめて誰も見ぬ場所で存分に振るおう。

 才能が認められないなら、せめて自分だけはそれを是としよう。

 結果、その二つの欲求を叶えるため、私の選んだ道は、昔読んだコミックのヒーローの真似事をすることであった。



 ヒーローの模倣の一環で、まず手始めにパトロールなんてものをやり始めた。といっても人目を忍んで真夜中に家を抜け出し、家々の屋根や、壁の上などを駆けているだけだったが。

 真夜中のため人は殆ど寝静まっていて、街頭にも人影は見当たらない。そうそういきなり悪と鉢合わせ、なんてことはないかと思っていた矢先だった。屋根の上から不自然に駐車している一台の車を発見した。勿論車が単に家の前に停まっているだけなら、それほど不思議なものでもないし、ここまでも何台も似たようなものを見てきた。しかしこの車だけは、中に人がいるにも関わらず、何故か電気もエンジンも掛けていなかった。

 屋根から飛び降りて、車から死角になる位置で、それを監視する。どうやら乗っているのは二人、流石に暗すぎて人相まではわからなかったが。

 彼らは何かを話し込んでいる。うむ、どう見ても怪しい。

 数秒後、助手席側の男が車を降りる。男と分かったのは、車から降りて街灯に彼が照らされたからだ。運転席の人間は、そのまま車にエンジンを掛けて、その場を去った。

 降車した男は紙袋のようなものを持っており、彼はその袋からタバコのようなものを取り出した。うん、確信はないけど、あれは悪い薬というヤツではないか。

 すぐさま彼を取り押さえようと一度飛び出そうとするが、再び物陰へと身を潜める。

 そうだ、ヒーローは顔を隠さないと。

 ということで何か顔を隠せるものは無いかと探す。付け焼刃ではあるが、首元のネックウォーマーを顔の下半分にまで被り、長い髪の毛をコートの中へしまう。

 準備は万端、私のヒーロー生活の記念すべき第一歩だ。

 私は物陰から飛び出し、未だタバコのような何かを吸う男へと駆ける。距離にして三十メートル、要した時間は一秒未満。これでもまだ最高速には程遠い。

 男は突然の出来事に目を見開き、タバコを落とす。当然だ。彼の視点では、いきなり目の前に人間が現れたように映っているのだから、この驚嘆も無理はない。

 彼の吃驚をつき、手に持っていた紙袋を奪う。

「ねえ、アンタ、これは何?」

 男は私の声で、自分が持っていたはずのそれがいつのまにか私の手に移っていたことに気付いた。

「な、なんだてめぇ。お前には関係ないだろ!返せよ!」

 こちらに飛びかかり、紙袋を奪い返そうとする。

 ああ、なんてとろいんだろ。

 彼の突進を余裕で回避する。そのまま男の背後へと回り込み、背を軽く蹴とばす。

 自分では手加減したつもりだったが、どうやら少しやりすぎたみたいで、男はそのまま三メートルほど吹っ飛び、路上に倒れ込んだ。

「げ、やりすぎちゃった?ごめーん、怪我してない?」

「な、なんなんだよ、お前。クソ!」

 悪態をつきながら再び立ち上がると、今度は私に背を向けて走り始めた。

 逃げる気か。いやはや無駄なあがきで。

 私は彼を一瞬で抜き去り、彼の前に立ちはだかった。

「は?何、え、今のナニ?」

「遅いよ、君」

 今度は先ほどよりも更に幾分か力を抜いて、右足で男の足を払う。

 彼はバランスを崩して、その場で尻もちをついた。

「ね、その紙袋の中身、教えてくれない?そしたら怪我させないけど」

「ざけんなよ……クソ……。あれ、もしかしてお前、女か?」

 ゲッ、バレた。流石に私の美貌はこれだけしても隠しきれないみたいだ。

「男か女か、そんなこと今気にすることかしら?」

 私は彼へ脅迫のつもりで、街灯の鉄柱を軽く蹴る。

 すると鉄柱は僅かながら凹み、それを見た男は、今度は顔を真っ青にしていた。

「は……?いやいや、いやいやいやいや、嘘だろ、なんだよお前」

「話すの?話さないの?」

 どうやら今のが決め手になったみたいで、彼は素直に紙袋の中身と、先ほどの運転手について事細かに暴露してくれた。私は怯える彼から紙袋を取り上げ、そのまま家に帰るように指示した。

 どうやら私の勘は当たってたみたいで、紙袋の中身は気分を高揚させる危ない薬。そして運転手はそれを売りさばいている斡旋人だそうだ。

 今の私は、どこか先ほど街を駆けまわっていた時以上に高揚感と満足感を得ていた。初めてのヒーロー活動がここまでうまくいくとは思っていなかったからだ。つまりすごく調子に乗っていた。

「あの車、確かこっちに走って行ったよね」

 次のターゲットは決まった。

 家屋の屋根へと飛び乗り、再び私は夜の街を駆けだした。




 その後、私は何度もヒーローとして活動した。夜な夜な家を抜け出しては、街を駆けまわり、悪人に鉄拳制裁ならぬ、鉄脚制裁を加えていた。顔の覆面はそれから夜用のサングラスと、何となくカッコいい気がしたのでマフラーを巻くことにした。また背格好で性別がバレないように、服装もできる限り男っぽいものにして、極力喋らないように試みた。

 ふふ、まさかこの街一番の富豪であり、大学の歴史教授、ダッドリー・ブラックの長女とは思うまい。

 ヒーロー生活は本当に充実していた。相手が相手なだけに、警察も私の存在を認知することはなかった。今まで私のためを思い、良く育ててくれた両親には勿論感謝している。この力は決して世間様に見せてはいけないということも重々承知している。

 しかし私は、この力を振るう解放感と、正義を執行する充実感に一度身を委ねてしまった。もう後戻りはできない。いつかこれが両親や弟にバレて、迷惑をかけることになるかもしれない。けどそれでも、私にはなさねばならないことがある。


 


ある日、私がいつも通りとっちめていた悪党の口から興味深いことを聞いた。

「お前、最近噂の……覆面の変態か……」

「変態とはなんだ。私はヒーローだ」

 ちなみにネットで最近ボイスチェンジャーを買った。喉の振動に合わせて声をその場で変更する優れものである。少し高かった。

「はっ、ヒーローごっこなられっきとした変態だよ。それに、お前のやっていることは無意味だ」

「無意味だと?」

 彼はこっぴどくやられたという割には、未だその表情には余裕が見られる。

「そうさ、お前の蹴とばしているクソ野郎どもはな、所詮は働き蟻だ。お前のやっていることは、地面の穴から出てきた蟻をいちいち踏みつぶしているみたいなもんだ。お前がプチプチ一匹潰している間にも、地下の巣で百匹生まれてんだよ」

「言いたいことはわかる。なら、アンタは巣の場所を知っているということか」

「知ってたとして話すとでも?」

 あーメンドクサイ。適当に足の骨でも折れば白状するかな。

「さあな。ただ賢い選択を考えるべきだと思うがね」

 脅しのつもりで、思いっきり地団駄を踏むと、煉瓦造りの古びた道はまるでガラスの如くひび割れる。

「へ、脅しのつもりかよ。まぁ良い。なあ、お前リトルポンドって知っているか?」

 不良の男はゆったりと立ち上がり、のんきにタバコを吸い始める。

「リトルポンド?何、地名?」

「残念だが、人の名前だ。いや、あだ名か。女なんだがよ、この辺り一帯の薬をばらまいてる男どもの頭取だ」

「女の人?そいつが悪いやつらのトップなの?」

 私の質問になぜか、愉快そうににやりと笑う男。

「お人よしだねぇ。リトルポンドはその辺の男より恐ろしい女だ。アイツはな、顔とか体とか、まあどれも一級品だが、何よりもその話術が恐ろしいんだ。まあこの世にアイツと話して、骨抜きにならない男はいないだろうさ」

「ちょっと待った。話が見えてこない。その話が悪い薬と関係あるの?」

「ああ、大アリさ。わかんねぇか?男どもはな、あの女のためならなんでもしちまうんだ。人殺しだろうと、盗みだろうとな」

「つまり、男を操る女王を始末しろってこと?」

 その通りと頷く男。余裕そうにも見えるが、彼は私に蹴り飛ばされた腹を右手で擦っていた。少し強く蹴りすぎたか、なんて余計な心配をしてしまう。

「男どもを巧みに操るが、リトルポンドは男が支配されることを望まない生き物だとよく知ってる。働き蟻の男は、彼女に支配されていることに気づかないのさ、誰一人としてな。リトルポンドはあるマフィアの幹部と懇ろらしいが、あの若さでそんな大物と付き合えるのも、ひとえにあの妖艶さがなせる業さ。全く末恐ろしい女だよ」

「ふーん、魔性の女ね。じゃあ麻薬を流してるのも?」

「ああ、女と関わりのある組織からの流しものだよ。リトルポンドは組織にとって重要な資金源となりつつある。いつの間にか皆彼女に依存するようになるんだ。一度虜になってしまえば、男はもはや彼女のために働き、彼女のために死ぬだけの生物さ。彼女は決して自分で男を縛らない。男どもは至上の快楽を求め、蜜の鎖で自分の首を縛るのさ。故に奴は"愛しの鉄檻(リトルポンド)"なんだよ」

 本当にそんな女が実在するのかと、自分の能力も忘れて呆気にとられる。恐らく誇張ではない、それだけ彼の話には圧倒的なリアリティと恐怖があった。

「じゃ、じゃあ、アンタもその虜の一人ってわけ?」

 男は短くなったタバコを地面に捨て、ブーツで火を消す。

「いや、残念ながら。俺はあの女の属する組織とは、対立する組織の一員だよ」

「ん?ちょっと待った。アンタ、私に敵組織のめんどくさいメンバーを処理させようってわけ?」

「ああ、気づいちまったか」

「そんな馬鹿じゃないわよ!!そんな都合のいい話……」

 思いがけず叫んでしまう。しまった、ボイスチェンジャーの都合、あまり大声を出すと地声が聞こえてしまうというのに。

「ああ、わかってるよ。もしお嬢ちゃんがあの女始末してくれたら、俺たちの組織はこの街から手を引くぜ」

 ダメだ、やっぱり女ってバレた。

「ふざけないで。貴方たちもこの街に薬をばらまいた悪党よ。そんな約束守る人とも思えない」

「ちょっと待て。話は最後まで聞けってんだ。俺たちはこの街では薬を蒔いちゃいねえよ。俺たちは幅を利かせ始めたリトルポンド一味を調査して、始末しようとこの街に潜んでたんだ。ここではシノギは一切してねえ!」

「え、そうなの」

 ということはつまり、夜の街でこそこそしていたが、薬は持っていなかった男たちは

「そう、俺らの組織のモンだ。よくも若い衆を使い物にならなくしてくれたな、こんちくしょう」

「う、でも……アンタらも悪党なんでしょ……」

「おいおい、世の中には必要悪ってもんがあるんだぜ」

 マズイ、完全に男のペースだ。主導権を握り返さないと。

「悪いことは悪いでしょうよ。この街でしてなくても、他の街の人たちには薬を売りさばいてるんでしょ。結果として苦しんでる人がいる。アンタらの資金の為に罪なき人が犠牲になるのは可笑しい!」

「青いね嬢ちゃん。悪とはな、正義を生み出すものだ。混沌が無ければ秩序は生まれないんだよ」

 この議論における主導権争いの火ぶたが切って落とされた。

「仮に、麻薬を我々が売らなきゃどうなるか?簡単さ、個人が勝手に求めるようになる」

「何よそれ。人間には薬でハイになることへの欲求が存在するとでも言うつもり?」

 飲み込まれてはいけない。奴の言葉は詐欺師のそれだ。

「存在するんだよ。人間は本質的に刺激を求める生き物だ。珈琲だってチョコレートだって、酒だってタバコだって、何もかも人間が追い求めた刺激物なんだよ。人の欲望には際限なんてなく、心の裡より湧きあがる衝動は、時に社会を変え、法を書き直し、秩序を捻じ曲げてきた」

 流されるな。こいつは小悪党だ。手練手管を備えた生来の嘘つきだ。

「麻薬のイメージに社会の悪があるのは、俺たちの存在ゆえだ。マフィアの売るものだ、マフィアの資金源だ。そうした忌避意識を潜在的に生み出させ、薬という快楽から紙一重で目を逸らさしているのは、背景にある悪の組織の存在なんだよ」

 言葉を投げ返せ。奴の主張には穴ばかりだ。一見正しく感じるだけのペテンだ。

「フランケンシュタインの怪物は、あらゆる物事の袖幕に潜んでいるんだ。それは時には暴走する自由を制御し、行き過ぎた科学主義を否定する。秩序やら道徳っていうのは、プロメテウスを悪という名の十字架に磔にすることで漸く生まれるんだよ」

 比喩や修辞は、議論の穴を埋めるためだ。それを相手が多用した時は好機だ。

「自由といえば聞こえはいいが、それが意図するものは実に欲深な人の本性だ。性欲を解消するため秩序を語り、食欲を満たすために道徳を語る。これが正義の正体だ。悪とは正義を無秩序へと導かぬための楔なのさ。ヴィランのいないヒーローなんていないだろ?善性を理解するには、何より悪性を知らねばならない。俺たちは人々に正義を理解させるための、必要悪なんだよ」

「ぐ、ぬぅ」

 とまあ、心の中では威勢を保ち続けはしたが、実際のところ何一つ言い返せないエミー・ブラック十八歳なのであった。


 で、結局その後男に言いくるめられはしたが、本題のリトルポンドの居所と、男の属するマフィアがこの街から撤退することの約束は取り付けた。

 リトルポンドは常に一所には留まらないらしく、その転居先もあまり判然としないらしい。ただし大きな仕事になると顔を出すらしく、その仕事は間もなく始まる、というのが男の話だった。

 取引内容は人身売買。そんな恐ろしい取引が私の故郷で行われていたと思うと、怒りでどうにかなりそうだが、今は冷静になるよう努めよう。

 場所はある街の一角、どうやら家の隙間の小さな路地で行われるらしい。警察に嗅ぎつけられないよう、あまり人も動かさないらしく、警備は手薄らしい。

 私はその家の屋根の上に潜み、取引時間まで待機する。

 するとライトもつけず、一台の車がバックの状態で袋小路へ侵入してきた。

 車からは運転席と後部座席に座っていた、合計三人の男が降り、助手席にいる人は車にとどまり続ける。運転席の男は銃を片手に周りを見渡し、後部座席の男二人は、車のボンネットを開け、大きな布袋を二人で担ぎ上げる。

 数分後、さらに一台の車が近づき、袋小路の入り口付近に停車する。。そちらは先のものに比べ、幾分か高級そうだった。

 後からきた車からは厳つい黒服の男が四人降り、袋小路へと入る。それと同時に最初の一台に留まっていた助手席の人間も降車する。

 金髪の女、それも凄く綺麗な。あれが噂の、

「やあ、君がリトルポンドだね。噂はかねがね。早速だが例のモノ見させてもらおうかね」

 二台目の男たちのリーダーと思われる年配の男性が口を開く。

「ええ、よろしくてよ。ねぇトム、ロン、彼女の姿を見せてあげて」

 トムとロンと呼ばれた、布袋を担ぐ二人の男は、それを地面に立たせ、縛っていた縄をほどき、中身を外に出す。

「ほほーう。これはこれは、なかなかどうして、いやはや田舎街の娘と高を括っていたが、こんな掘り出し物があったとはね」

 その中にいたのは、裸体をむき出しにした女性だった。生々しく残っている裂傷からは鮮血が滴っており、彼女の受けてきた仕打ちがいかなるものかは、容易に想像できた。

「どうかしら。そこそこ丁寧に調教したから、きっとおじ様も気に入ると思いますわ」

「ほっほ。やはり君の仕事は素晴らしい。だが忘れていないかね?私の条件は」

 すると年配の男に妖艶に忍び寄り、耳元で何かを囁くリトルポンド。

「うむ、重畳重畳。しかしとすると調教した男たちは少し不満だったんじゃないか?」

 リトルポンドはいつの間にか、男の腰に手を回し、男も彼女の肩にイヤらしく腕を回していた。

「それは問題ないです。私が解消してあげてたもの。頑張ってくれた男の子にはきちんとご褒美を与えるのは、女の仕事ですから」

 リトルポンドの腕は、男の体を誘惑するように這い回る婀娜の蛇と化していた。

「ふむ、君ほど魅力的な女性なら、男は不満も述べまい。だが私からも礼がしたい。今度担当の男たちを寄越したまえ。褒美に、君には劣るが、世界中の美女を数人見繕って、彼らに奉仕させよう。絶世の快楽に腰砕けにしてやると伝えてやってくれ」

「まぁ、それは彼らも喜びますわ!けど手加減してくださいませ?何分彼らはまだ子供ですから」

 なんとも下品なやりとりが続き、路地からは醜悪な悦楽の声が聞こえてくる。

 もう私は限界だった。

 思いっきり屋根から飛翔する。恐らく八メートルほど垂直に跳ね、家の高さを含めたおおよそ十五メートルの高さから二台目の車の屋根へと舞い降りる。

 車は轟音と共にひしゃげ、高級車は形無しだった。

「な、なんだ、おま、ごぶぅ!?」

 言い切るよりも早く、年配の男の横顔を蹴り飛ばす。男はそのまま路地の壁に追突し、意識を手放した。

 先ほどまで男に抱きつかれていたはずのリトルポンドは、いつの間にか自分の男たちの陰に隠れていた。

 年配の男の仲間たちは、突然の出来事に抵抗すらできず、全員私の蹴りで戦闘不能に陥った。リトルポンドの男たちは、私に銃を構えようとするが、

「遅い!」

 銃口がこちらに向くよりも早く、トムとロンの側に飛び、片方にはこめかみに強烈なハイキックを浴びせ、その蹴りの勢いを保ったまま一回転し、今度は体を深く沈めてもう一人の足を思いっきり払う。リトルポンドから一番近くにいた男は、私に向かって数発発砲するが、私はそれを垂直跳びで避け、重力に任せ男の顔面に膝を浴びせる。

 最後に残ったリトルポンドだが、彼女は小さな銃を取り出し、裸体の女性の耳に押し当てていた。

「動かないでね。この子が死ぬわよ。貴方、噂のキックヒーローよね?会いたかったわぁ。本当に足が速いのねぇ」

 彼女の表情に焦燥は見られない。今の圧倒的な蹂躙を見ても彼女は恐怖の冷や汗一つかいていなかった。

「その女性を離しな、リトルポンド。私もアンタの命は取らない。もし降伏するなら」

「降伏ぅ?ふふ、可笑しなことを言うのね。別に私は劣勢でもなんでもないでしょう?」

 にこりと、こちらに女神の如き、それでいて傾国の美女が如き笑みを向けるリトルポンド。こうして近くで見ると本当に魅力的な姿だ。ぱちっとした青の瞳、長い睫毛、少しウェーブがかった長い金髪、小さくも鮮やかな唇。体に纏う薄い灰色のシフォンのワンピースは、噂の妖艶さとは正反対の、清純さを強調していた。しかし冬用で厚手のはずの服の上からも主張する大きな胸と、スカートから伸びるスラっとした長い脚が、彼女の男を惹き付ける魅力を物語っていた。

「舐めないで。私はアンタがトリガーを引くよりも早く、その腕を吹き飛ばせるわよ。命が惜しければ言う通りにしなさい」

 誇張ではない。この距離ならその程度余裕だ。しかしその脅しも彼女には通用しない。

「ふふ、カッコイイのね。ところで貴方はメレトネテルで合っているのかしら?」

「!?」

 なぜこいつがメレトネテルを知っている!?それはアラドカルガの秘中の秘。徹底した秘密主義の彼らが隠す情報は、世界のどんな裏話よりも見つけるのが困難だと言われている。メレトネテルもその一つだ。ではそんな重大な秘密を何故こいつが……

「まさか……アンタ」

「ざーんねん、私はメレトネテルではありません。けど情報なんて簡単に手に入れられるわ。人の口に戸は建てられない。私がすこーし誘惑してあげれば、どんな堅物だろうと自分から大喜びで話してくれるもの、ふふっ!」

 ああ、先日会った男の恐怖が理解できた。この女は底が無い。恐らく誰もこの女の深淵を理解できないだろう。一体どんな生き方をすればこんな怪物に育つのか。

「ひっどーい!私をそんな怖がるなんて。私だって女の子よ?そんな怯えられると傷ついちゃうわぁ」

 しくしくと白々しい演技をこの期に及んで始める。だが怒りが湧くよりも先に、サングラスとマフラーで顔の殆どを隠しているはずの私の感情を読みとったことに、畏怖せずにはいられなかった。

「そうねぇ、次は何を当ててあげましょうか?うーん女の子?それだけじゃつまらないか。多分年齢は二十歳、いや十代後半かな。あ、あと貴方恋愛経験無いでしょう?ご両親は良い人なのね。貴方は大事に育てられた雰囲気があるわ。それとそこそこお金持ちの家庭かな?」

 女帝の看破が次々と繰り出される。自分にこれは所詮まぐれだと言い聞かせる。彼女の作戦は私を恐怖に陥れることだ。であれば彼女の思惑通り錯乱してはいけない。

 しかし

「どう?当たった?当たったでしょ?私の見識眼も中々でしょ」

 少女の話し方は、まるで花を咲かせるようであり、毒を蒔き散らすようであった。見る者全てを誘惑してやまないその美しい少女は、同時に見る者全てを死に陥れる毒婦である。

 見てはいけない。(見たくてたまらない)

 話してはいけない。(話したくてたまらない)

 触れてはいけない。(触れたくてたまらない)

 純粋にして邪悪。無垢にして奸譎。可憐にして嬌態。

「貴方、怯えているでしょう?もしかしたらこのまま素性が全部明かされてしまうんじゃないかって。折角顔を隠しているのに、名前が暴かれ、家族が暴かれ」

 暗闇に浮かぶ白の三日月。それが彼女の艶笑だと気づくには、今の混乱した私が理解するには時間を要した。

「私の可愛い男の子たちに、家族が殺されちゃうかもしれないって、ね」

 これがスイッチとなった。恐怖のまま叫び声を上げ、リトルポンドに飛びかかる。私の脚力をもってすれば、この程度の距離は無いに等しい。彼女が引き金を引くよりも早く蹴りを浴びせ、人質の少女を救い出すことができるだろう。

 だが、リトルポンドは先を読みきっていた。常人の肉眼では決して捉えることはできないと自負していたが、彼女の持つ小銃の砲口は、あまりに正確に私の脳天を捉えていた。

 しかし彼女の唯一の誤算がここにあった。彼女は私の速度の上限を完全に見誤っていた。仮に今銃口から鉛が飛び出そうとも、私はそこから体を捻って回避くらいは容易にできる。だがそれは、私がいつもの冷静な精神状態であればの話だ。私のウォークライをかき消すかの如き轟音が鳴り響く。銃弾を避けようとするが判断が遅れ、首を逸らす程度の回避行動しか取れず、鉛は私の頬を掠めた。

 掠めただけだ。そんな大げさな怪我ではない。

 しかし齢十八の少女には、頬を抉られる程度の外傷でも、命の危機を想起させるには充分であった。

 思わぬ恐怖は、私の体に“予想以上の力”を籠めさせた。いつの間にか人質を救い出すために繰り出されたはずの右足は、目の前の敵を排除するための迫撃砲と化して。


 闇夜の中で光り輝き咲き誇る白百合の花を、一瞬にして醜悪な赤い肉塊へと変貌させた。


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