表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人造のアーダム  作者: 猫一世
カスアリウス
12/47

カスアリウス 第一節

 走る。跳ぶ。翔ける

 暗路を。障壁を。闇夜を。

 なんという万能感。なんという優越感。

 自身が他者より優れた存在であると実感し、自身の超越性に恍惚する。

 最初のきっかけはよく覚えていない。

 何か不服な出来事があって、その苛立ちを払拭するためにこうしてがむしゃらに走り出したんだと思う。しかしこの高揚の中ではもはやそれは些事だ。

 思えばこうして自身の性能を確かめたことはなかった。この能力は誰にも見せてはいけないという黒服連中の進言や、かつてこの力を恐れた両親の表情を想起してしまうからとか、いろんな鎖が私を縛り付けていたからだ。

 だが、もうその呪縛は私の枷たりえない。

 

 かつて伝説の古代王は、神の鳥に恩を作った。

 神の鳥は、古代王に恩返しとして、あらゆる願いを叶えてやろうと申し出た。

 鳥は、神の加護を受けた武具や宝物、食料などを提案するが、その全てを王は退けた。

 彼の願いは、強靭な肉体であった。

 烈火の如く、稲妻の如く、陽光の如く、竜巻の如く。

 王の肉体はまさに無双の力を得、祖国のために戦う英雄となった。

 

 この物語の教訓は何だろうか。

 神への敬虔さ?慎ましい言行?それとも愛国心?

 しかしいずれにせよ、彼の選択は正しいと思う。

 世界を思うままに疾駆できる肉体の素晴らしさは、何にも代えがたい。

 それが例え世界を滅ぼすことのできる兵器でも、至高の財であっても。

 

 だがこの力には義務が伴わねばならぬと直感した。

 力あるものは、力なきもののために、その身を削らねばならぬと。

 であれば、私は私の思う善をなそう。

 

 聞こえる。力弱きものの悲痛な叫喚が。

 聞こえる。邪知暴虐の悪辣な嘲笑が。


 私はこの日を境に、英雄としての道を進むことになった。



 アラドカルガの総数はそれほど多くない。情報を秘匿するのであれば、少数で共有するのが一番だし、何よりアラドカルガの”身体”は、それほど安価でもない。

 ゆえに一人一人が、世界中にいるメレトネテルの問題や、検査をこなすことになる。世界中を飛び回る羽目になる所以である。

 そして今日、私リューベックは、早朝に呼び出しを食らい、任務へと駆り出される。行先は我が祖国より遥か遠方の地。東の果てから西の果てへの大移動だ。

 目をこすりながらアラドカルガの専用機へと乗り込む。その旅路は、三時間もしないうちに終わり、目的地へと到着する。時差の都合、朝の八時に我が家を後にしたが、到着したのはおおよそ午前四時頃だった。空はまだ白み始めたばかりで、空港付近は大都市の近くというのに、まだ人の喧騒も殆ど聞こえてこない。

 空港で空きっ腹を満たすべく、ハンバーガーとコーヒーを買う。ハンバーガーはチーズとベーコン、レタスを挟んだオーソドックスなものであったが、程よく溶けたチーズと、塩気の強いベーコンが寝ぼけた味覚を程よく刺激する。うむ、美味なり。

 コーヒーの苦みが、ハンバーガーの濃厚な味を洗い流す感覚もたまらない。

 空港を後にして、タクシーに乗り込み、現場へ急行する。

 指示を受けた目的地は、川辺の小さな町だった。赤レンガの建物が全体的に多いが、決して圧倒的なわけではなく、白や茶などの一軒家が連なっていた。空を覆う高い建物も近くには無い。閑静な住宅街だが、ある地点にはその景観に似合わぬ、複数のパトカーが群れを成し、物騒な雰囲気を醸し出していた。

 車体の隙間を縫い、立ち入り禁止のロープをくぐると、こちらに気付いた数人の警官が私に近寄る。

「君、ここからは立ち入り禁止だよ。もしこの家の住人なら……」

「あ、いや、アラドカルガのものだ。良ければこの現場を監督する人間を出してほしい」

「や、これは失礼を。話は聞いております。さ、こちらへ」

 壮年の男性に連れられ、シートに覆われた民家の間の袋小路へと案内される。

 彼が青いシートをめくると、たちまち強烈な鉄の匂いが漂ってくる。

「これは……ひどいな」

「ええ。死亡者の名はリリー・ポールマン。ここらの悪い男どもの仲間だったみたいで。リトルポンドと、仲間内では呼ばれていたみたいです。それなりに僕たちのとこにも噂が来てますよ。魔性の女、リトルポンドってね」

 彼の報告でようやく眼前に転がる黒化し始めた紅色に染まった物体が、女性であると理解した。

「魔性の女ねぇ。とすると男がらみのトラブルかね」

「ええ、おそらく。血痕はその殆どが彼女のものですが、壁とかに飛び散った血の中には、何人か男のものが混ざってました。DNA検査の結果、前科持ちの悪いやつらばかりでしたよ」

「すまない。そうした報告は後で聞こう。先に」

 私は警察でもなければ探偵でもない。今回も決して犯人探しやこの地域の少年犯罪を解決しに来たわけではない。

「あ、そうでしたね。こちらが検査の結果と、血液のサンプルです。他のものに比べると圧倒的に出血量は微量でしたから、正しい検査結果とは断言できませんが」

「デザインドのエミー・ブラック」

 調査書に書かれた血液の主の名前や顔写真は確かに、データベースに存在するデザインドと一致する。そして同時に彼女はメレトネテルであった。



 その後地元警察から、一連の事件の報告を受ける。

 死者は先ほどのリトルポンド一人。それ以外の男たちは現在追跡中とのこと。

 またリトルポンドは女性でも取り扱えるような、小さな拳銃を所持しており、弾倉の状態や、弾痕から一発だけ発砲されていたことが確認された。

 そして件のエミー・ブラックの血は、その銃弾によって発生した可能性が高い。だが出血量などからおそらく掠り傷程度であっただろうと推測される。またリトルポンドに次いで出血量の多かった血液は、前科もなく、デザインドのデータベースにも引っかからなかったために、個人の特定には至らず、恐らく女性であることと、血液型ぐらいしか判然としなかった。

 それ以外の血痕は殆どが前科持ちの男たち。リトルポンドとも兼ねてより親交の深かった者たちであると断定された。

 そしてこの事件最大の特異点、唯一の死者にして、この男たちを飼いならしていた女王であるリトルポンドの遺体は、まるでバイクに追突されたが如く、骨や内臓が見事にぐちゃぐちゃになっていた。また彼女の体は吹き飛ばされ、壁に追突したものと思われるが、コンクリート製のその壁は大きくひび割れていた。

 警察はリトルポンドがエミー・ブラックによって殺害されたという線で捜査している。リトルポンドとエミーの間に何かしら諍いがあって、怒ったエミーがリトルポンドをバイクで轢き殺そうとした。リトルポンドは愛用の銃で向かえ撃ち、取り巻きの信奉者の男どもは肉の壁を果たそうとしたが、抵抗むなしく轢殺されたと、判断した。それは当然の推測だろう。

 だがそこには重大な見落としが存在する。

 エミー・ブラックはメレトネテルである。その特異性は、異常に発達した筋力。

 外観は白人のか弱い少女といった風だが、彼女の筋線維は常人のそれではなく、特に脚部に関しては、まさに桁違いであった。

 情報によれば、彼女の脚力をもってすれば、容易に人間の肋骨を粉砕し、内部の心臓を破裂させることができるらしいが、リトルポンドの遺体の状況はまさにその実演といった様であった。

 いや、実演どころではない。脚力に関しては恐らく情報以上だろう。なにせリトルポンドの遺体は、肋骨の骨と心臓だけでなく、その背後の背骨をもへし折られていた。衝撃は胸部だけにとどまらず、全身にも響き渡り、他の部位も同様に骨が砕けていた。

 大型トラックにでも追突されたみたいに体は吹き飛び、そして壁に直撃した際に、砕けていた全身の骨が皮膚から突き出て、今の悲惨な肉塊は形成されたものと思われる。

 これを正直バイクの轢殺と呼ぶのは、いささか無理がある気がするが、そこはアラドカルガの情報修正で、メディアは操作することにしよう。

 エミー・ブラックの所在もまた不明だが、私は警察に彼女の実家の住所を教えてもらい、そちらへ訪ねることにした。

 ブラック家はやや周りの邸宅よりも大きく、持ち主の裕福さを否応なしに実感させられる。

 門の前で呼び鈴を鳴らし、待つこと数十秒。

 古めかしくも、豪奢さを感じさせる扉から顔を出したのは、燕尾服に身を包んだ老年の男性だった。

「すみません。今主人は不在でして、取材などはまた今度に……」

「ああ、いや、私はアラドカルガの者です。エミーさんの件でお話をと」

「アラドカルガ……。少々お待ちください」

 執事らしい男性が家に戻ること数分、再び木造の戸が音を立てながら開く。するとそこにいたのは先ほどの執事だけでなく、背の高い初老の男性が立っていた。

「すまない。娘の件だね。入り給え」

 家の中は、外観同様立派な造りであったが、それでいて気品に溢れ、美しい装飾だった。廊下は歩くたびにその年月を語るかのように、ぎしぎしと音を立てていた。

「こちらにどうぞ。フレディ、彼に紅茶を淹れてくれ」

 かしこまりましたと、客間から退室する執事。

「改めて、私はダッドリー・ブラック。エミーの父です」

「私はアラドカルガのリューベックと申します」

 挨拶を交わしながら、名刺を渡す。ダッドリーは顔から少しばかり覇気が薄れていた。

「エミーの一件ですね。警察からはお話は聞いています。地元の悪い子供たちと喧嘩したとか。いや、喧嘩という言葉で済む話じゃありませんね。彼女は人を殺めた」

「いや、まだエミーさんが殺したと決まったわけでは」

 静かに首を横に振るダッドリー。

「わかってるんです。あれだけのことができるのはエミーの力だけだ」

 確かに警察の方では決めあぐねてるが、事情を知る者であれば、この一件の真相など火を見るよりも明らかだ。

「エミーさんは、あれから力をうまく隠していたと、聞いています。それは本当ですね?」

「はい、エミーは決して無為に力をひけらかすようなことはしなかった。だが今回の一件に関しては……。我々両親の不徳の致すところです」

「最近エミーさんに何か変化はありましたか?なんというか、精神に何かストレスを感じていたとか」

 客間の戸が開き、フレディが紅茶のポッドを持ってきた。彼は紅茶をカップに注ぎ、私とダッドリーの前に置いた。

 フレディは軽く一礼してから、退席しようとするが、それをダッドリーは引き留める。

「フレディ、君もここにいたまえ。色々君からもエミーについて話を聞かせてやってほしい」

「ははあ左様ですか。承知しました」

 フレディもまた席に着き、対話を続ける。

「エミーの精神面の話でしたな。ええ、正直最近のエミーは少しばかり、心を病んでました」

「原因に心当たりは?」

「心当たりというか、恐らく彼女の心労の原因は我々ですよ」

 ダッドリーの表情はひたすらに無表情なまま、淡々と事実を述べていく。

「貴方たちが原因?」

「エミーは心優しい子でした。だから人のことを慮れる性格でしたし、なにより自分のせいで誰かがひどい目に遭うことを見過ごせないタイプでした。だからエミーは、自分が目立たないよう振舞った。やろうと思えばクラスで一番になれるだろうに、運動も人並みに合わせようと努めた」

 何とも残酷なことだ。エミー・ブラックは、その十八年の人生の間、ずっとその力を隠し続けたのか。理性ある大人であれば、それも許容できよう。だが純真無垢な活力溢れる子供に、そんな器用な生き方できるはずもない。

「私たちがあの子に、無理強いした覚えはない、というのは言い訳でしょうな。確かに我々は一度たりとも力を発揮することを責めたことはない。だがエミーが凡人として暮らすことを『良い子にしている』と、何度も褒めた。結果的にあの子に、善なるものを勘違いさせ、平凡の鎖を縛り付けたのは、我々だ」

「御主人様、あまり自身をお責めにならないで……」

 暗く伏せる自分の主人を励ます執事。

 私は紅茶を飲み、緊張で渇いた口を湿らせた。

「ええ、貴方たちに非はありません。それは我々アラドカルガが敷いたレールだ。それを善きものと教え説いたのも我々だ。悪しきは貴方たちの選択ではなく、アラドカルガの古く忌まわしき慣習なのだから」

 徹底した秘密主義は、メレトネテルを守るため、そんなものは建前に過ぎない。その根源にあるものは、未だ解決せぬ問題をひた隠しにするため。メレトネテルは秘中の秘。そんなものが公になれば、たちまちデザインドの精製に反対する集団を活気づかせる。

 自社の利益のために、真っ黒な事実を嘘で塗り固めた。結果、こうしてブラック家のような被害者を生み出したのだ。

「妻のジョアンも自分を責めて病に臥せってしまった。自分勝手とはわかっている。だが必ずエミーを見つけてほしい。あの子を救ってくれ……」

「ええ、必ず。アラドカルガの名にかけて」


 ブラック家を後にして、一人落ち着ける場所を探す。できれば人に見つからず、集中できる場所が良い。結果辿り着いた先は、川に面した赤レンガの教会だった。外観と同じく、礼拝堂も赤レンガに包まれていた。装飾も質素であるが、美しく整っていた。

 礼拝堂には座席が並んでおり、出入り口から見て最奥には演壇と祭壇が構えられていた。そこは出入り口上部の梁の上だけが二階立ての吹き抜け構造で、二階へは礼拝堂両翼にある美しい木製階段で繋がっていた。二階部分にも同じく椅子が数脚あって、礼拝堂に光を差す窓もそこの壁面全体に位置していた。私は礼拝堂の階段を昇り、その椅子に腰かける。


 さあ、思考を始めよう。アラドカルガに与えられたこの鋼鉄の肉体と、人工の脳を動かそう。

 我が目は、この頭蓋に備わる球体に非ず。星を巡り、世界を見つめる人の造り上げた小さな星こそがが、我が瞳である。

 我が耳は、この脳漿に繋がる末端に非ず。万人が手にし、電波に人の声を乗せる小さな人類の叡智こそが、我が鼓膜である。


 目を見開け、耳を澄ませ。

 

 脳に熱が籠もる。当然だ、小さな国の小さな町のその一角とはいえ、それを全て網羅しようものなら、我が頭部は悲鳴をあげよう。

 しかし、折れてはならぬ。挫けてはならぬ。

 我らは鉄血の従者、神に祝福された子らを、命を賭して救う守護者である。

 殉教は必然、妄信は絶対、恭順こそが最善。

 

 おおよそ二十平方キロメートルの範囲を全て確認するが、目当ての人物は見当たらない。ならば別の地を見るだけだ。隣町へと視座を変え、再び世界を監視する。冷却機能が意味を成さず、肉体が限界を訴える。

 我が身はもはや機械に乗っ取られ、その思考は合理性の怪物へと変じた。私は人を超えた肉体と、人を超えた頭脳を得た。しかしそれ以上に、あまりに冷酷で、あまりに冷静な判断を行うようにもなった。

 それは不可能である。

 それは非合理である。

 それは情動的である。

 全身が、我が行いの愚かさと意味の無さを糾弾する。

 だが、例え我が心が諦めようとも、我が肉体が悲鳴を喘ごうとも、我が魂をもってその限界を乗り越えてみせよう。

 カッコつけているがただの根性論だ。こんなことで本当にエミーが見つかるなら苦労しない。だがこれが今私にできる最善だ。ならばこのリューベックは、その善を成さねばならない。今は歯を噛みしめ、目を硬く閉じ、拳を握りしめ、身の裡を焦がす劫火にじっと堪えよう。

 それがアラドカルガ、リューベックの責務であり、

 それが人間、リューベックの生き方であるから。


 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ