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人造のアーダム  作者: 猫一世
スケープゴート
11/47

スケープゴート 最終節

 蝉たちの求愛行動が続く白昼の広間。

 普段は人で賑わうショッピングセンターであるが、本日は世間では平日ということもあり、少しばかり閑散としていた。

 しきりに携帯端末で時間を確認する。これで何度目の確認だろうか。時間が進むことを期待して、画面を点灯させるが、そこに映し出される時間は先ほどと殆ど変わらないものだった。

「はあ、流石に早く来すぎたかな……」

 約束の時間は十一時、現在の時刻は十時三十分。しかし実際にここに到着したのはさらに三十分前のこと。男は待つのが普通とは聞くが、流石に一時間も待つのは誠実を通り越して気持ち悪くないだろうか。今ならまだ初々しさという言い訳も効くのだろうか。

 再度時間を確認。十時三一分。勿論一分しかたっていない。三十分も立ち尽くしで疲れたとか、することが無くて暇だとか、色々あるが何よりもこの状況の終わりを望む理由は、照り付ける太陽の光にこそあった。空から容赦なく降り注ぐ光の蛇たちは、群れを成して僕の肌を焼かんと牙を剥く。蛇の毒が回り始めたのか、肌は熱を帯びジンジンと痛む。肌から零れ落ちる汗は、その熱を冷ますことも敵わず、それどころか体に纏わりつく不快感を増加させるだけだった。

 再び時間を確認しようと携帯をポケットから取り出す。その時に前方から軽快な足音がこちらに近づいてくる。期待を胸に抱きながら顔を上げる。するとそこにいたのは期待していた人物ではなく、背の高い女性であった。

「僕、ちょっといいかい?」

短く揃えた控えめな金髪、深い青と奥底に翠を含んだ海のような瞳、陶器のような白い肌と、それほど社会知識のない僕でも彼女がいわゆる“外人”であると気づくのに、さほど時間は要しなかった。

「えと、どちら様でしょうか?」

「ああ、すまないね。私はこういうものだ」

 季節外れの黒色のコートから、同じく黒色の物体を取り出し、こちらに掲げる。それはドラマなどでしか見たことない、所謂警察手帳であった。

「警察の人?」

「そ、ちょっと質問があるんだけどいいかな」

 彼女は見た目とは裏腹にこの国の言葉はとても堪能のようで、まるで母国語のように流暢だった。抑揚も発音も何から何まで完璧で、まるでこの国の人間が、外国人の皮を被っているかのように感じた。

「あ、はい。少しだけなら」

 その違和感から生じる不信と、三十分間酷暑の中立ち尽くしていたことから、僕の双眸に宿っていたのは警戒と少しばかりの怒りであった。

「ああ、すぐ済ませるよ。実はこの辺りに凶悪な犯罪者がいてね」

「え!?」

 彼女は再び胸ポケットへと手を入れ、なにやらガサゴソと自身のコート内を物色している。しかしお目当ての物品は中々見つからないようで、コートを翻したり、時にはそれを脱いで確認するなどしていた。この時彼女のコートの下から現れた肢体は、まだ思春期真っ盛りの僕には少々刺激が強かった。

 汗で濡れ透け始めた白いYシャツ。豊満に実った上半身の双丘。黒いストッキングに包まれた流麗で美しい脚線。突如として現れた女神を前に、僕の目は釘付けになっていた。

「ああ、あったあった。これだ」

 と取り出したのは白い折られた紙。その内容を僕に見せるかのように、少しずつ折れた紙を開いていく。

 そこに書かれていた文面は、注意喚起を意図したもので、この辺りに凶悪な犯罪者がいるといったものだった。しかし人相書きなどはなく、一部の情報などが記載されているのみだった。

「これは……?」

「ん、まあなんだ。危ないやつがいるから気を付けろってことだよ」

「は、はぁ」

 こんな大して何もない田舎に、危険な犯罪者なんてものがいるというのは、どうにも想像しがたいものだった。

「ああそうだ、良い物やろう」

 すると再び体中をまさぐり出す女性。どうにもこの光景は目に毒だ。

「はい、これ」

「なんですかこれは」

 手渡されたものは、切手くらいの大きさのチップだった。

「それ、真ん中にボタンがあるだろ?それ押せば危険信号が発信されて、君のいる場所に警察のものが駆けつけるようになっている。ああ、優れものではあるが安価な量産品だから、気にせず受け取るといい」

 確かに言われる通り、チップの中心に米粒大の小さなスイッチがあった。

「まあちょっとした注意喚起さ。君は大丈夫だと思うけど、周りの友達とかにもよろしく伝えておいてくれ。じゃあな」

「え、ちょっと」

 嵐のように来て嵐のように去っていった。彼女の言葉はそれほど頭に入らなかったけど、唯一記憶として残ったのは、彼女の汗に濡れて透けていた胸元だけだった。

「……いかんいかん。僕は今から愛美とデートするんだぞ……」

 邪念を振り払い、気を引き締める。すると再び前方からこちらへと歩み寄る足音が聞こえてくる。先ほどの女性のそれより幾分か軽快で、幾分かテンポが速かった。

「ちーちゃん!ごめんね、待った?」

「い、いや。今来たところだよ」

 お決まりの嘘をつく。彼女もまた汗ばんでいたが、愛美は肩を上下させ息を切らしていた。恐らくここまで走ってきたのだろうか。

「急がなくても良かったのに。まだ約束の時間になってないだろ」

 時間はまだ十一時を回っていない。

「いや、だって。早くちーちゃんに会いたくって」

 よくもまあこんな恥ずかしいセリフを言えるもんだと感心する。というか仮にとはいえ、一度告白断られてるんだよな、僕。

「じゃ、じゃあ。少し早いけど行こうか」

「はい!」

 と元気な掛け声とともに、僕の手を取る愛美。

 いや本当、一度告白断られてるんだよな、僕。




 それからの時間は本当に楽しかった。

 中学生の僕たちには、ここで買い物をできるほどの予算があるわけではないけど、一緒にウィンドウショッピングしたり、服の試着をしたりして盛り上がった。けしてそれらの行事を楽しめるタイプではないが、愛美と一緒だと思うと何でも楽しかった。

 少しばかり時間をつぶしてから、少し遅めの昼食を、モール内のフードコートで済ませる。フードコートにはファーストフード類から、中華料理や洋食、和食など様々な種類の店舗が揃っており、各々自分の好きな料理を選んだ。

 僕は炒飯とラーメン、愛美は海鮮パスタを選んだ。

「ねえ、ちーちゃん。その炒飯美味しそうだね」

「うん?ああ美味しいよ。お米もパラパラしてて。黒木のパスタも美味しそうじゃん」

「じゃあ、とりかえっこ、しよっか」

「えっ」

 その提案は、とても恋人っぽくて魅力的だったが、正直今の僕には照れくさくて仕方なかった。しかしその提案を断るのも、デートに誘っておいて流石に奥手すぎるような気もする。そうして悶々としている僕を余所に、愛美は既に僕の使っていた蓮華を取って、炒飯を一口頬張っていた。

「え、黒木?」

「うーん、美味しい!あ、ごめんね、私だけ御馳走になっちゃ。はい、ちーちゃん」

 えっと間接キス?あれ?今の間接キスだよね?

 と混乱していたが、彼女の暴挙はそれだけにとどまらなかった。

 今愛美は、フォークで丁寧にパスタを巻き取り、そのパスタが絡んだフォークの三叉を、こちらに向けて、あーんと言っている。

「ちょっと、それは恥ずかしいって!」

「うん?今更恥ずかしがるようなことじゃないでしょ。昔も家族で仲良かったころはこうして一緒に食べてたじゃない」

「いやそうだけどさ!」

 一応弁明のために言っておくが、流石にこんなあーんを彼女にしてもらったことはない。というか改めて考えると二人きりで食事ということ自体が、初めてだった。ましてこんなことなんて。

 こんな恋人っぽいことなんて。

「ふふ、照れてる」

「そりゃ愛美がこんなことするからっ!」

 悪戯っぽく笑う愛美だったが、僕の先ほどの一言を受けて一瞬目を丸くし、

「ようやく名前で呼んでくれた」

 と先ほどの何倍も悪戯っぽくこちらに笑みを向ける。

「あ、いやっ」

 それから先は動転が動転を、失態が失態を呼び、頭が混乱をしっぱなしで、食事どころでは無かった。




 食事を終えた僕たちが向かったのは、このショッピングモールで唯一、子どもが子どもらしく遊べる場所である、ゲームセンターだった。

 それほど大きな規模のものではないが、おなじみのゲームなどは一通り取り揃えており、僕たちが昔から遊んでいるものなども数点存在した。

「なあ、本当にゲーセンなんかで良いのか?」

 ゲーセンで遊ぼうと提言したのは僕ではなく、愛美だった。僕としても文句はないのだが、どうにも僕が事前に調べたデートとは少し趣が違ったこともあり、少しだけ困惑していた。

「そんな肩肘張らなくてもいいでしょ。私たち子どもなんだし。無理に大人のフリする必要なんてありませんよーだ」

 愛美はよく皆から大人っぽいとか、しっかり者と言われる。実際その通りで、昔から身近にいた僕もそれをよく痛感していた。身長も高く、顔立ちも可愛いというより綺麗という感想の方がお似合いで、正直チビで子どもっぽい僕とは正反対だ。

 しかし同時に彼女は今見せたように、年相応な振舞いを見せることが多い。ゲームも好きだし、漫画もよく読む。表情は豊かで、話しやすい。そうしたところが、彼女が男女問わず人気の理由なのだと思う。

 高嶺の花でありながら、野に咲く薔薇であり

 世の道理をよく弁えた才媛でありながら、人懐こい小町娘である。

 誰に嫉妬されることもなく、誰かを恨むこともない。

 誰もが羨む完璧超人だった。

「ね、このゲームで遊ぼうよ!」

 彼女に手を引かれ、対戦ゲームの台へと導かれる。

 その時の煌びやかな彼女の笑みを見て、思わず自身の醜悪さを鑑みる。

 まるで彼女の優しさと器量に甘えているような気がして、同時にそれにどこか優越感を覚えてしまって。

 僕はなんと矮小な存在なんだろうか。




 対戦ゲームで数戦、他にも協力型のシューティングゲームや、音楽のリズムに合わせてボタンを操作するリズムゲームなどをその後遊びつくした。

 次は何で遊ぼうかと思案していると、彼女の携帯から着信音が鳴り響く。

 携帯の画面を眺める彼女、ちらりと画面を見たところ、誰かからか電話がかかってきているようだった。彼女はそれを取ろうとはせず、着信音だけが響いていた。

「あれ、取らないの?」

 素直な疑問をぶつける。その時彼女の表情が、いつかの電車で見たような、暗くて闇を抱えたものへと変貌していたことに気付く。

「う……ん。まあ大丈夫かな……」

 電話の着信を拒否し、携帯をカバンにしまう。

「ほら!次はあのゲームで遊ぼうよ!今日はいっぱい楽しもう!」

 表情を元の明るいものへと戻す愛美。いや、元通りというわけではない。どこか無理した表情というか、仮面を被ったように見えた。

 人生がゲームのように単純なものではないとわかってはいるが、その時に限っては目の前にまるで選択肢が思い浮かんだようだった。

 一つは、彼女の抱える闇を明かすこと。彼女が僕に隠した何かを追求すること。

 そしてもう一つは、今のこの関係を続けるべく、ゲームに興じること。

 パッと目の前に浮かんだ刹那の逡巡は、根拠などどこにもないが、これからの僕と愛美の人生を大きく左右させる予感がした。

 もしこれがゲームや漫画なら、間違いなく前者の選択こそが正解なのだと思う。これから僕は彼女と苦難を乗り越え、そしてその先のハッピーエンドへとひた走るのだ。しかしそれは単に二人の関係を壊すだけに終わるだけかもしれない。二度とこんなふうに遊ぶことすら叶わなくなるかもしれない。いやそもそも、彼女が僕に隠し事をしているということ自体根拠に欠けることだ。あの時の友人の発言に左右されただけに過ぎない。

 それに、かの故事に曰く、そもそも禍福とはその場その場で決定されるものではない。創作物であれば王子がプリンセスにキスをして終わるが、現実ではその先がある。

 ハッピーエンドの先に待つのが何であるかなんて想像もつかない。安直な行動が僕だけでなく、愛美を滅ぼすかもしれない。

 しかし、それでも。

「なあ、愛美」

 僕は彼女に向き合おう。

「何か、辛いことあった?」

 作りかけていた仮面が再び綻ぶ。固まる愛美の表情。

「え、っと。どういうことかな?」

 必死に取り繕わんと、笑顔を保ち続けるが

「隠し事、してない?」

 その一言に無理やり吊り上げていた口角が落ちる。

「私が、ちーちゃんに?何を隠してるって言うの?」

「わかんない……けど」

 認めよう、根拠なんてない。しかしそれが当然のことだと思った。嘘偽りをすべきではないと、言葉を飾るべきではないと。誰かの虚飾を払い、真実を突き止めるために自身を偽るのは、それこそ本末転倒だ。

 今は優しい嘘なんて必要が無いのだと、愛美に伝えなければならないのだから。

 ならば僕は、彼女に容赦なく真実の剣を突き立てよう。それが愛美を傷つけることになるのも覚悟の上だ。

「そんな、私、大丈夫だよ?何もないから」

「やっぱり好きな人がいるの?」

「なっ!!そんな!私はちーちゃんのことっ!!ちーちゃんのことだけをっ!!」

 珍しく怒りを露わにする。ああ、今の彼女の言葉からは嘘を感じない。それだけでも僕は救われた気がした。

 が、ダメだ。それで終わっては単なる自己満足だ。

「なら、付き合おう。今すぐに」

「それはっ……ダメだよ……」

「なんでっ……」

「だって、私にそんな資格無い。傷つけるだけだもん……」

 怒りはその後、悲哀へと変わる。

 ああ、嫌だ。もう嫌だ。傷つけたくない。愛美の悲しむ姿なんて見たくない。

 心が折れかかる。もう終わりにしようと心が叫ぶ。

「諦めてほしい。諦めてほしかったのに……。なんでそんな優しいの。なんでそんなに私を苦しめるの……」

 目からは雫が零れ落ちる。それが反対に僕を勇気づけることになった。

 ここまで来たのなら、最後まで突き抜けようと心を決める。

「なぁ、愛美……。あーちゃん」

 呼んだあだ名は、かつて僕が彼女を表すために用いていた愛称。

「あーちゃんが苦しんでいるところは見たくない。けど、あーちゃんが僕に隠し事しているのも耐えられない」

 呼びかける懐かしい響きに呼応するように、愛美は顔を上げる。

「他の奴には良い。けど僕にだけは嘘をつかないで」

「ちー……ちゃん。ダメだよ、絶対受け入れてくれないもん……」

 ああ、勿論覚悟なんてできていない。生半可な気持ちで彼女の心にメスを入れた。その結果、どんな爆弾が破裂するかなんて想像もついていない。けど

「あーちゃん」

 今まで子どもとして甘えてきた自分が、大人になるのは今しかないと思った。

 どんな艱難辛苦も歯を食いしばってみせよう。どんな対価も彼女のために払ってみせよう。

「僕の彼女になってください」

 愛美は涙を溢れさせながら、僕の瞳を見つめる。彼女が頼りたくなるような、強い表情を保とうと心がけた。決して目を逸らさず、思いを曲げずに、ひたすら真っすぐに。

 



 僕はその後語られた愛美の物語を聞いて、幾度となく怒りと悲しみを覚えた。それは衝撃的で、聞いてしまったことを何度も後悔するほどであった。想像を遥かに超えるほど苦しく辛い愛美の闇。正直なところ、これを抱え続けるのは無理だとさえ思った。拳は骨が軋むほど固く握りしめ、奥歯は血が出るほどに噛みしめていた。

 辛い、投げ出したい、逃げ出したい。

 僕の決意のなんと脆弱なことか。

 思い知らされる僕の目測の甘さ。

 しかしそれ以上に、彼女が、愛美がこの苦しみを味わってきたという事実が、僕の心に強い楔を打ち込んだ。

 用意していた決意は脆く砕け散ったが、この間に再び燃え上がった覚悟は、硬い錬鉄へと至っていた。




 その後の記憶は思えばはっきりしない。ただ覚えていることは、ショッピングモールの帰りに、僕は愛美と共に、彼女の家に訪れんと決意したことだった。

 日はすでに落ちた。闇に包まれた背後が、むしろ僕にはすでに退路が断たれたことを実感させた。

「ちーちゃん、本当にいいの?」

「うん、あーちゃん。見てて、絶対に幸せにしてあげるから」

 強く握りしめられた二人の手、それと比例するように、僕の胸に宿った決断も確固たるものへとなっていった。

 二人で黒木宅へ乗り込む。廊下には電灯の一つも灯っておらず、リビングの方から見える青白い光だけが道を照らしていた。どうやらテレビの明かりらしい。

 一歩一歩と歩みを進めるとともに、アルコールの匂いが漂い始める。廊下に転がるゴミ袋は、生ゴミのような悪臭こそ放っていなかったが、良く見ると中身は全て、ビールや発泡酒の空き缶であり、それがこの匂いの発生源であると理解した。

 僕たちの足音に気付いたのか、この屋敷の主が声をあげる。

「おおい!愛美!!お前今日何してたんだ!!」

 枯れた男の叫び声がリビングから飛んでくる。その怒号に一度は心が折れかかるが、繋いでいた手が硬く握りしめられることで、意識を取り戻す。

 リビングへと到着すると、そこに立ち込めるアルコール臭は廊下の比では無かった。

「無視してんじゃねえぞ!今日はお前仕事だろうが!!ああん!?返事しろよこの……」

 寝そべったソファから体を起こす大男。かつて親同士で食事した時の姿は見る影もなく、汚く落ちぶれていた。

「てめぇ、確か向かいのボンじゃねえか。おいおいまさか、愛美ぃ?お前こいつと付き合ってんのか?」

「はい、僕と愛美さんは付き合っています」

 誠実に答えると、酒の匂いを放つ男、黒木栄治は、腹を抱えて大声で笑い始める。

「ぶっ、くくく。ハーッハッハ!こいつはお笑いだなぁ。よお。悪いことは言わねえから止めときなって、天道のボン。そいつはよぉ」

「知ってます」

 愛美の父の言葉を遮る。すると彼は不機嫌そうにソファから立ち上がり、こちらを見つめる。

「ああ、知っててよぉ。よくそんな奴と仲良く手繋げんな?俺だったらごめんだぜ」

 とてもではないが実の父親の言葉とは思えない。例えデザインドと言えど、実の子であろうに。不安そうに僕を見つめる愛美に気付き、今度は僕から手を握り返す。

「今日は折り入ってお父さんに相談にきました」

「ああ?」

 こちらを訝しげに見つめ、タバコをふかす黒木栄治。

「あーちゃんを、愛美さんを僕にください」

 えっ、という驚嘆の声は、目の前の男からだけでなく、隣にいた少女からも上がった。

 すると再び栄治は下品に、そして邪悪に笑う。

「お前、ヒヒ、いや、それはないぜ。こりゃ傑作だわ。クヒッ、てめえ気でも触れてんのか?いや、わかった。お前そいつとなら簡単にヤれるとか思ってんじゃねえの?ギヒヒ、いくら童貞だからって、お前、穴がありゃ誰でもいいのかよ!バーッハッハ!ああそうだな、顔と体はたまんねえもんな、そこのクソ女はよぉ!」

 この男は、何度僕を怒らせれば気が済むのだろう。何度我が子を傷つければ気が済むのだろう。愛美が震えているのが手から伝わる。ああ、そうだな。もうこんなところ、早く抜け出そう。

「それで、許してくれるんですか。僕と愛美さんの結婚」

「許すわけねえだろ!クソガキィ!そいつは俺の財産だ!道具なんだよ!これからも稼いでもらわなきゃならねえんだ!金の卵を産む鶏を手放すわけねえだろうが、バーカ!」

 ああ、もう十分だ。今の言葉が聞ければ。

 僕の行動は正しい。こんな邪知暴虐の父親を騙る何かに、愛美を任せられるものか。

 僕は愛美の手を引き、踵を返す。

「愛美は今日からウチで暮らします。さ、愛美必要な荷物を詰めてきて」

「お、おい」

「えっとちーちゃん?」

「いいから、早く」

「おい!!」

 無視されたことに声を荒げ、こちらへと近づいてくる男。

 彼は僕の胸ぐらを掴み、壁に叩きつける。

「ちーちゃん!ちょっと!パパッ!」

「てめぇは黙ってろ。今男同士で話してんだ。邪魔すんじゃねえ」

「ふざけないで!ちーちゃんから手を放して!!」

 僕を押さえつけている栄治の右腕を、愛美は引っ張る。

「てめぇ、親にたてついてんじゃねえぞ!クソアマが!!」

 口汚く罵ると同時に、栄治は右腕で愛美を突き飛ばす。吹き飛んだ愛美は僕が押しつけられている壁とは反対の方へ、勢いよく衝突する。

「がはっ」

 愛美を突き飛ばすことで一時的に拘束が離れた隙をついて、この男に飛びかかる。

 マウントを取る形になり、僕は栄治の顔を一心不乱に殴りつける。愛美を傷つけられたことが、僕の中のスイッチを押すことになった。

「てめぇ、クソガキがッ!調子に乗ってんじゃねえぞ!!」

 しかし体格差は歴然、僕は栄治に軽々と吹き飛ばされ廊下に伏せる。

 そこに追い打ちをかけてくる。頭は踏みつけられ、口から血を吐き、脇腹は何度も蹴り飛ばされ、肋骨が悲鳴を上げる。

「がは、ぐ、ごふ」

「やめて!パパ!そんなにしたら!」

 愛美は栄治の足にしがみつき、僕への私刑を中断させる。しかしそれも束の間、今度は怒りの矛先が愛美へと向かっただけであった。

 だが、それは大きなチャンスでもあった。失いつつある意識の中、ふと思い出したポケットに入れていたチップを手に取る。まるで神に縋るように、そのチップのボタンを押した。

「クソガキどもが。勝手に盛るのはいいけどよぉ、父親への忠誠を忘れんじゃねえよ。おい、天道の坊主、てめえもウチの娘に二度と手つけんなよ。変な噂が立つと仕事が減っちまうからな。あ~、いや、そういうのが好きな奴もいんのか?まあどうでもいい。変にこのアマに希望を持たれても困るからよぉ。な、そういうことだからよ、諦めてくれ、よっ!」

 こちらに向き直り、僕の背中に足を振り下ろす。栄治はしゃがんで、僕の髪の毛を掴み、無理やり頭を持ち上げる。

「なあ、わかってんだろ?さ返事聞かせてくれや」

 にたりと醜悪な笑みをこちらに向ける栄治。僕は、口内に溜まった血を、その邪悪な表情へと吹きかける。

「おい、こいつは何の真似だ」

「これが返事だよ、クソオヤジ。絶対諦めてやんねえからな。愛美は僕が幸せにするんだ。てめえなんかに奪われてたまるかよぉ!」

「よし、よぉおお~くわかった。まだ痛い目に遭いたいようだなぁ」

 僕の体を強制的に立ち上がらせ、右腕を目いっぱい振りかぶり、僕の頬をめがけて拳を走らせる。

 ああ、これは耐えられないかもな。

 半ば諦観の中で目をつぶる。ごめん、守るとか言ったけど、僕にはそんな力無かった。心の中で愛美への懺悔を告げる。

 しかし不思議なことに、待てども待てども、僕に拳は届かなかった。

「なんだ、てめえ」

 恐る恐る目を開けると、僕の眼前に栄治の拳が静止していた。その手首は、白い肌をした手に、がっちりと捕まえられていた。

「どうも、エイジ・クロキ。私はアラドカルガのリューベックだ。緊急の通報を受けて、無断で家に突撃させてもらったよ」

「ああ?アラドカルガぁ?デザインドの管理するだけのお前らが何の用で……」

「すまないが、これも仕事のうちでね。さ、少年から手を放したまえ」

 その言葉と共に、僕は再び床に横たわる。目を凝らすが、先ほど顔に一発蹴りをもらったせいか、上手く焦点が合わない。

「やれやれ。子どもに手を上げるのは感心しないな。残念ながらこのまま刑務所行だね、君」

「はっ、アラドカルガが警察の真似事かぁ?お前こそ誰の許可があって、俺の家に上がり込んでんだ。てめえも同じく犯罪者じゃねえか」

 静止に入った人物が、うっすらとではあるが黒いコートを身に纏ったていることは認識できた。その人物は栄治に脅しをかけるが、彼は一つも動じていなかった。

「そうか、君、アラドカルガの表しか知らないんだな。なら説明してやらんとな」

「ああ何を言って……!!」

 リューベックと名乗った人物は、栄治の首を掴み、驚くことに片手でその体を持ち上げた。

「がっ、てってめえ、はなっ!!」

「我らはアラドカルガ。神に祝福されし迷える子羊、メレトネテルを導き、守る、鉄血の従者なり」

 苦悶の表情を上げる栄治。しかしそこから更にリューベックは、そのまま栄治をリビングの方へ、文字通り投げ飛ばした。

 ぼやけた視界でもはっきりとわかるほどの、異常な筋力だった。

「メレトネテルだぁ!?わけわかんねえこと言ってんじゃ……」

 よろよろと立ち上がる栄治。しかしリューベックはその口を右手で力づくで塞いだ。

「まあ当然知らんわな。しかし今回の一件に関してメレトネテルは無関係だから、忘れて構わんよ。今回は貴様の犯した罪を問いに来ただけだ」

 今度は少し弱めに突き飛ばされ、栄治は床に尻もちをつく。

「罪だぁ!?なんのこった、俺は」

「お前もデザインドの規約は読んだ筈だから、説明しなくてもわかると思っていたが。その頭じゃ、あれだけ口酸っぱく言われたことすら覚えられんのかね?」

「は、知ってるよ。知ったうえで聞いてんだ。そこのアマはな、自分の意思であの仕事してんだよ。なあ!愛美ィ!!」

 この期に及んで、まだそんな嘘をつくのかこのオヤジは!!

 心は怒りに震えるが、体は動かない。ただただ睨みつけるしか僕にはできなかった。

「そんな、私……」

 愛美も口を開くので精一杯で、上手く言葉が紡げていない。

「ああ!そうだ!愛美はなぁ、そこのガキに唆されてたんだよ。イヒヒ、そうさ。俺はさっきまであんな仕事をしてた愛美とよぉ、他人様の娘に手ェだす悪い虫に折檻してただけだ。やりすぎかもしらんが、教育の一環なんだよぉ!!」

「……」

 図々しすぎる嘘をつき、この場をやり過ごそうとするクソオヤジ、それに対し先ほどからリューベックは口を紡いだまま、一歩も動かない。

 だが不利なのも事実だ。愛美を強制させた証拠はない。

「……よし、ありがとう、エアラルフ」

「ああん?何言ってやがる」

 ぼそりと虚空に向けて独り言を発するリューベック。そんな彼の奇行に、栄治は苛立ちと困惑を露わにする。

「いや、なに。今から私の本職に戻ろうと思ってね」

「だからさっきから何言って……」

 リューベックは、栄治にわき目もふらず、廊下を歩きだす。その目的地は僕ではなく、玄関近くに伏せる愛美だった。

「対象、アイミ・クロキ。これより貴方を、メレトネテル〇一〇八七番、”ゴート”と認定する」

 その発言の意味は、僕にも、愛美にも、そして栄治にも理解できなかった。

「だから答えろ、メレトネテルって……」

「メレトネテル、かつては先天的特異遺伝子保有者と呼称されていた存在のことさ。稀にデザインドから生まれる、特異な力や性質を帯びた、通称、神に祝福されし子らさ」

「はっ、何を馬鹿な。そんな都市伝説みたいな話を信じろと?それに愛美が特殊な力を持つだって?冗談も大概にしろよ。愛美にできるのなんて所詮男に媚びを売る程度……」

「お前の意見は必要ない。重要なのはアラドカルガの決定だ。彼女はメレトネテルである。以降彼女は我々アラドカルガが預かるよ」

 淡々と、状況を説明した後、愛美の体を抱えるリューベック。

「おい!お前何の権利があってそんな……」

栄治は未だみっともなく食い下がる。リューベックはしかし振り返らずにこう告げた。

「ああ、そうそう。お前は今アラドカルガの真の姿を知ってしまった。そしてメレトネテルという秘された存在を知ってしまった」

「それが何だってんだ……」

「我々アラドカルガは、国際政府公認の組織だ。あらゆる国で自由に活動することが許されている。時には超法規的措置をとることも可能なんだよ。そう例えば、私たちやメレトネテルに危害を成そうとした人間や、我々の秘密を公にしようと試みようとする奴らをね」

 その一言の後、リューベックは左手で思いっきり家の壁を殴りつける。するとまるで迫撃砲でも撃たれたかのような爆発音が鳴り響き、そこには巨大な穴がぽっかりと開いていた。

「こうすることも、仕事のうちなんだよ。わかるな?エイジ・クロキ」

 明らかにそれは、脅迫で、それによって黒木栄治の心は完全に折れてしまっていた。見せつけられる圧倒的な性能差、底知れぬ恐ろしさを秘めたアラドカルガという組織、彼が娘のことを諦めるには十分な状況が揃っていた。

「クソッ、好きにしやがれ……どいつもこいつも、そんな女の何が良いんだ……」

 とても娘を奪われる父親の言葉とは思えない捨て台詞だが、そんな彼も、どこか悲愴な面持ちをしているように感じたのは、僕の気のせいだろうか。


 愛美を連れて家の外に出るリューベック。僕も急いでその後をつけた。

 二人は僕を門戸の側で待ってくれていた。

「よう、また会ったな。しっかりあのチップを持ってくれていたんだな、関心関心」

「えっと、あれ……確か貴方、あの時の」

 暗い家の中と、殴られた衝撃もあり、先ほどまではよく見えなかったが、街灯に照らされ、そして目の熱が冷めたために、今回はしっかりとリューベックの姿を見ることができた。そして彼女は、間違いなく昼に会った警察を騙った女性であった。

「貴方、警察なんじゃ……アラドカルガって……いやメレトネテルって何ですか?」

「うーん、まあ君も聞いちゃったもんねぇ?気になるよねぇ?」

 彼女は僕を睥睨する。先ほどの破壊を思い出し、体が硬直する。

 今ようやく自分にも命の危機が迫っていることを自覚した。

「ぷ、くふふ。ごめんごめん、今のはタチが悪かったね。大丈夫だよ、君が誰かに言いふらしたりしない限り、我々は常に善良なるものの味方だから」

 先ほどまでの冷酷さとは打って変わり、今の彼女はどこか親しみやすい温和な表情をしていた。

「けど、もし君が、世界の深淵を知りたいと思うのなら、大人になったらここに連絡を。そこに待つのは今君が経験した以上の地獄だが、きっと君なら立ち向かえると思う。先ほど君が示した勇気は、中々常人には出せないものだ。人間誰しも自分が一番、誰かを守るために命を張れる人間は、滅多にいない。そんな君には打ってつけの仕事だと思うよ」

 愛美を下ろして、こちらへと向かってくるリューベック。彼女は僕に白い封筒を手渡した後、僕の耳元に顔を寄せ、

「もし君が、誰かの悪意に晒されるかもしれない清らかなるものを救いたいと望むなら、目の前に咲き誇る美しい花を守りたいと願うなら、アラドカルガの門は常に君の前に開いている」

 と囁いた。体を僕から離し、一言何か愛美に告げた後、彼女は黒木宅の前に止まっていた一台の大型バイクにまたがり、夜の闇へと溶けていった。

 正直僕はよく理解していなかった。結局アラドカルガもメレトネテルもそれが何なのかよくわからなかったし。ただ一つだけわかったことは、

「あの綺麗な女の人、誰かな?」

 愛美は意外と怖い笑顔をするということだ。


 その後、二人で僕の家に帰った。玄関にはいつかの時のように、鬼の形相をした母親が立っていた。けど母は、僕や愛美が顔に傷を負っているのを見るやいなや、何も言わずにギュッと強く抱きしめてくれた。

「頑張ったね、辛かったね」

 と、まるで全てを理解したかのように、優しく強く。

 

 


 と、まあこれが私の記憶から紡いだ物語だ。

 ん?あれから二人はどうなったか?

 二人仲良く、同じ屋根の下で過ごしましたとさ、めでたしめでたし。

 ……とはいかないのが、現実だ。実際にはハッピーエンドの先があって、必ず幸せになるとは限らない。

 結局二人は別々の道を選んだ。最初の内はそれでもなんとかやっていこうと努めたが、お互いのことを気遣いあうことができないほど、それぞれが選んだ道は険しいモノだった。

 しかし喧嘩別れしたとかではないために、今でも時間を見つけては時折食事に出かけたりはしている。けどそれも最近は頻度が減ってきた。私は世界を飛び回る仕事だし、彼女も中々忙しい職だ。

 

 しかし後悔はしていない。


 終わりよければ全て良しと、よく言うが、むしろ私は過程も重要だと思っている。結末が例え同じでも、その歩んだ道で得たものは無駄にはならないと、私は信じているから。

 

 少なくとも、彼女の笑顔は、私の心に灯り続ける、尊き光であった。

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