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後編

これでわたくしはシリウス様に離縁されずに済むかもしれない。


シリウス様のお子を身籠ったと確信したわたくしはそんな事を考えてしまいました。

わたくしはなんと恥知らずな人間なのでしょう。

これではまだお腹の中で芽生えたばかりの小さな命をまるで人質としたようなもなのでございます。

この子がいるから別れられないでしょう?とお腹の子供を盾にしてわたくしはシリウス様に詰め寄るつもりなのでしょうか。

それで離縁を回避できたとしてそこに何が残るというのでしょうか、愛される事のない妻と他に愛する人がいるのに嫌々結婚生活を続けるしかない夫、そしてそんな冷えきった両親を見て育つ子供のみでございます。


そもそもシリウス様は貴族の血を繋ぐ後継ぎを欲していたのです、ですからわたくしの妊娠がわかればシリウス様はきっと喜んでくださるでしょう。そしてご自分の気持ちに蓋をしてわたくしを愛することはなくても大切な後継ぎの実母として表面上は尊重して下さる事でしょう。


ですがその仮面の下で他の女性(リリア)を求めている夫の横でわたくしは笑いながら過ごせるでしょうか。いえ、そんな生活耐えられるはずもありません。いくら傍に居るだけで幸せだと思っていても、いずれわたくしは壊れてしまうでしょう。


やはりここはわたくしから身を引くしかないのでしょうね。


お腹の子をわたくし一人で育てる事に不安はありますが、だからと言ってこの子を置いてわたくしだけ出て行くなどという選択肢はございません。


幸いなことにわたくしの妊娠は誰にも知られておりません。マチルダもしっかりしておりますがやはり未婚の娘ですのでわたくしの嘔吐した場面を見てもそれが妊娠だとは結び付かなかったようです。


今わたくしが消えれば全てが丸くおさまるのでございます。

そうと決まればお腹が大きくなる前にここを出なければなりません。

しかも今夜シリウス様からわたくしは別れを切り出されるのです。

その時にわたくしは正気を保っていられる自信がありません。いざその時になって思わずお腹の子の事を自ら話してしまうかもしれないのです。


やはりシリウス様がお帰りになるまでにここを出るしかありません。

もう少し準備期間が欲しいところですが仕方がありません。


―――シリウス様、わたくしは貴方様を初めて会った時からお慕いしておりました。結婚した後もその気持ちは大きくなるばかりでございます。貴方様のお傍で一生を共にしたかったです。男女の愛はなくとも家族の絆を築いていきたかったです。

シリウス様、貴方様の子供は父親の分まで愛情を込めて育てます。



『短い間でしたけどもわたくしと結婚して下さり本当にありがとうございました。とても幸せな日々でしたわ。

どこにいても貴方様の幸せを願っております。


シリウス様、さようなら。

愛しています。』


何度も置き手紙を書き直した結果、最終的に最後の五行だけを採用致しました。


マチルダには今日は昼の間は休むので部屋にはいらないよう申し付けております。荷物も多くなり過ぎないように準備致しました。申し訳ないとは思いましたが換金できそうな装飾品も数点頂いていきます。これはお腹の子の養育費として使わせて頂きますね。


そうしてわたくしは使用人達に見つからないように屋敷を出る事に成功したのです。




……やはり少し無謀だったかしら。


わたくしは今王都カミリエルの中でも最も活気のある一般庶民が多く利用するバース市場の片隅から皆の様子を窺っております。

とにかく屋敷から出なくてはとこっそり出てきたのは良いのですが、その後の事を考えてはおりませんでした。というより考える間もなかったというべきですが。


結婚前は伯爵家令嬢と言っても没落寸前で使用人もほとんど暇を出していた為、わたくし自らこのバース市場に買い出しに来る事もしばしばありました。ここなら顔見知りもいますし常に多くの人が行き来しているので紛れこめば平凡顔のわたくしが見つかる事はないと思い、とりあえず来てみましたが活気があり過ぎてなかなか人に話しかける事ができないのです。


今わたくしに必要なのは寝る場所と食事です。そのためには働かなくてはなりません。実家を頼る訳には参りませんし、いつもお茶会に招くお友達やシリウス様の仕事相手の奥様方を訪ねたらすぐにシリウス様に知られてしまいます。

後は迷惑だとは思いましたがこのバース市場でよく話しかけてくれていたお店の方々に相談するしかなかったのです。

以前ここに買い出しに訪れる際、初めはお貴族様が何しに来たんだっていう態度でしたが何度も訪れる度に衣装がみすぼらしくなっていくわたくしを見て心配になったのか「何かあったらウチを頼りなよ、働き口ぐらい相談に乗るよ」と仰ってくれる方もいたのです。


ですが今わたくしの格好は見るからにお金持ちの若奥様で、こんな格好で助けて下さいと言っても説得力がありません。

屋敷から持ち出した装飾品はなるべく頼りたくありません、お腹が大きくなる前に働く場所と寝る場所を確保してこの先親子二人で生きていく為にも地に足をつけて生きる暮らしをする必要があるのです。


「あの~、すみません…、少々お話し…「どいたどいた!」」

「きゃっ!」

「こんなとこで突っ立ってちゃ邪魔だよ!!」

「は、はい!」


……駄目だわ。市場の方々が店じまいするまで待つしかないようですね。



困ったわ……。


夕方も過ぎて日が落ちてきた頃、大分人も少なくなってきたのでそろそろいいかしらと再び一歩足を踏み出すと、その途端に待ってましたと言わんばかりに突然の大雨が降り出しました。

急いで屋根のあるお店の軒先に逃げ込みましたが一向に雨が止む気配はありません。先程まであれだけ沢山いた人々もそれぞれの家へ帰ったようで1人の姿も見る事はありません。


辛うじて直接雨に打たれる事は免れておりますが、それでも次第に体が冷えていくのがわかります。

わたくしだけなら構いませんが今はお腹に小さな命が宿っているのです。シリウス様との大切な子供です、失う訳には参りません。


「すみません!雨に降られて困っております!中で雨宿りさせて下さいませ!」


わたくしは意を決して雨宿りしているお店の戸を強く叩きました。

しかし雨音で聞こえないのかあえて無視しているのわかりませんが何度呼び掛けても戸が開くことはありませんでした。


雨は止むどころかその勢いは更に増しています。


少しでも冷えから守るように持っている荷物の中からあるだけの衣類を下半身に巻き付けましたが、それでも全身を震えが襲ってきます。


次第に遠退いていく意識の中、わたくしはシリウス様は今頃わたくしが屋敷にいない事に気づいたかしら、などと思いながらゆっくりと瞼を閉ざしていきました。


「ジュリア!!」


シリウス様の事ばかり考えていたからでしょうか、わたくしの名を呼ぶ愛しい方の幻聴が聞こえてきました。


「ジュリア!!どこだ!どこに居るんだ!!」


どうしよう、怒っていらっしゃるわ…、勝手に屋敷の品を持ち出した事を怒ってるのかしら……、申し訳ございません……、謝りたいのですが……、もう、目を開く、力も……、ございませんの……………………………………………………………………………………………………………………………………………………?

あたたかい……?


「ジュリア!?目が覚めたのか!!」


?? シリウス様?


「嗚呼、良かった!ジュリア…、本当に良かった……」


シリウス様?なぜそんな泣きそうな顔をされていらっしゃるの?


「もう目を覚まさないかと……!うっ、うっ、」


えっ!?本当に泣いてっ!?


「シリウス、様…、泣か、ない、で……?」

「無理言わないでくれ。雨に打たれて倒れてる君の姿を見た時私は心臓が止まるかと思ったんだ、医師に診せても覚悟するように言われるし……、この三日間生きた心地がしなかったよ」


三日!?わたくしそんなに寝ていたの?


「申し訳ございません…、ご迷惑を「ああ!全くだ!!」」

「っ!!」

「あああっ!!すまないっ!大きな声を出したりして驚かせてしまったね」


突然の大声に驚いて思わず手を引いたのですが、その時わたくしの手をシリウス様が握っている事に気づきました。


「でも帰宅したらジュリアがいなくなっていて本当に心配したんだよ、こんな手紙だけ置いてどうして出て行ったりしたんだい?」

「そ、それは……、」


子供の事はシリウス様を縛り付けてしまう事になるので言えません、リリアの事もわたくしの口から話すのは辛すぎます。どうしようかと逡巡していますと、


「…わかったよ、話は落ち着いてから聞くから、とりあえず医師に診てもらおう」

「はい、……!(そうだ!お腹の子供は!?)」


医師を呼ぶ為一旦退室するシリウス様の背中を見ながら、わたくしはお腹の子の事を思い出しました。


何という事なの!わたくしというものは母親失格だわ、あんな雨にさらされていたと言うのに子供の命を忘れていたなんて!!


まだへこんだままのお腹を擦りながら、小さな命の灯が消えてない事を祈りながらシリウス様の帰りを待っておりますと、間もなくシリウス様の後からいつも診て頂いている白髭のお医者様が入室されました。


「奥様、目が覚めて良かったです、どれ少し診させてもらいますよ」

「はい…、あの、」

「わかっております。そちらも診ますから心穏やかにして下さい。…という事で旦那様は外でお待ちするように」

「何故だ!私はジュリアの夫だぞっ!」

「はいはい、夫だろうが父親だろうが関係ありせんな、さあ出た出た!」


かなりお年を召された方のはずですが軽々とシリウス様を部屋の外へと追い出してしまいました。

先生がわたくしの体を診て頂いた後「お腹の子も無事ですぞ」と仰って頂いた時は涙が出る程安堵致しました。


「あの先生、この子の事は……」

「儂からは何も言っとらんよ、だが何故旦那様に秘密にする必要があるんです?」

「それは、あの、わたくしがあの方には必要のない人間ですから……子供であの方を縛りたくないんです……」

「ほお?儂にはとてもそうは見えんが、どうですかねシリウス様?」

「えっ?」


顔を上げたわたくしの視線の先には大きく開いた扉の前で目を見開いて言葉もなく立ち尽くすシリウス様がいらっしゃいました。


「……ジュリア?君はそんな事を考えていたのか?それに子供とは何の事だ!?」


ああ、とうとうシリウス様に知られてしまった。


「シリウス様、このお腹の子は間違いなくシリウス様のお子でございます。ですがどうかこの子だけは取り上げないで下さいませ!わたくしならすぐにでもお暇しますから、お願いします!この子だけは……!」

「ちょっ、ちょっと待て!意味がわからん!なんでジュリアと私の子を取り上げるんだ!?それにお暇するって何だ!?そんな事は絶対にさせんぞ!!」

「ですが!わたくしはシリウス様に幸せになって頂きたいのです!」

「だからなんでそうなるんだ!あの置き手紙にもあったが私の幸せを望みながら何故君が居なくなるんだ!?ジュリアが傍にいない生活で私が幸せになれるはずがないだろう!」

「……え?」

「だから…!「そこまでです」…っておい邪魔するな!」


私の耳がおかしくなったのでしょうか、まるでシリウス様にとってわたくしが必要だと言ってるように聞こえました。

しかし、呆けているわたくしに更に言葉を続けようとするシリウス様の前に手をかざしながら先生が制止の声をあげられました。


「シリウス様、奥様は身重の体の上先程まで死にかけておったのですぞ。そのように感情のままに詰め寄っては腹の子に悪い。お二人とも話し合いはまた後にしなされ、さあ奥様は少しお休みなさい。これは医師からの命令ですぞ」

「は、はい…」

「ぐっ、うぬぬ。…仕方ない、確かにジュリアと腹の子の命は何物にも変えられないからな。だがな!ジュリア、これだけは言っておくぞ」

「はい!」


何を言われるのかドキドキしながらシリウス様の言葉を待っていると、


「私はジュリアを愛している。君がいない世界など死んだ方がましだ、だから一生私の傍にいてくれ。頼むからもう私の前からいなくならないでくれ……」

「! シリウス様……!」


わたくしの目を真っ直ぐ見つめながら愛の告白をしてくれるシリウス様の顔から嘘や冗談の色は見られません。

これまでのシリウス様の不可解な態度や言動の意味は今でもわかりませんが、今のシリウス様の言葉は間違いなく本当の彼の気持ちだとすんなりと信じる事ができました。


「わた、わたくしもっ、シリウス様を愛しております!」


思い返せばわたくしも初めてこの言葉を言う事ができました。

何度も心の中で呟いた「愛している」の言葉。

シリウス様に抱かれながら何度も口に出してしまいそうで必死で我慢した言葉です。

止まらない涙をシリウス様は微笑みなから優しく拭ってくれました。


「シリウス様」

「わかっている、もう出ていくから最後にこれぐらい良いだろう」


先生の咎めるような声音にシリウス様は応えると、


ちゅっ


わたくしの頬に手を添えて、そっと触れるだけのキスをしてくれました。

すでに体は繋げており子供まで授かっておきながら、何故かこのキスがわたくし達の初めてキスに思えました。



◇◇◇◇◇◇◇



「ジュリア、綺麗だよ」

「そんな、わたくしなんて……あっいえ!ありがとうございます。あの、シリウス様も素敵ですわ」

「ああ、ありがとう」


相変わらず自分の事を卑下してしまいそうでしたが、慌てて言い直すとシリウス様はにっこりと微笑んでくれました。


「君のように素晴らしい女性と結婚できて本当に私は幸せ者だよ」

「わ、わたくしだってシリウス様のお傍に居られて幸せですわ」

「結局一年越しになってしまったけど、この首飾りをジュリアの首に飾れて本当に嬉しいよ」


そう言ってシリウス様はわたくしの首元に飾られたサファイアの首飾りに目を向けた。


「ええ、ありがとうございます。とっても素敵、とてもこれがシリウス様の手作りとは思えませんわ」

「酷いな、これでも手先は器用な方なんだよ」

「あっいえ、そういうつもりでは……!」

「ははっ、わかってるよ。だか本当に綺麗だ、この君だけの為にあつらえたウェディングドレスに合うように造った自信作だからな」

「あら、綺麗と言ったのは首飾りだけですの?」

「いや?私はジュリアより美しい物など見たことないね。……愛してるよ、ジュリア」

「わたくしも愛してますわ」


「ウンギャー!!」


唇が触れあう寸前に聞こえてきたのは、もう一人の愛しい人の泣き声でした。


「勘弁してくれ、アレク」

「ふふっ、一人でさみしかったのかしら」

「たまには私だってジュリアを独り占めしたいんだがね」


三ヶ月前に産まれたアレックスを抱きながらシリウス様は言葉とは裏腹に優しい眼差しを愛する息子に向けていました。


「まだこんなに小さいのですもの仕方ありませんわ」

「だが私もジュリアがまた消えてしまったら泣いてしまうからね」

「はい、わたくしはいつまでもシリウス様のお傍におりますわ」

「約束だよ」

「はい、約束します」


わたくし達は神様に誓うより先に、もう二度と離れないと約束のキスを交わしたのでした。


次話はシリウス視点となります。

彼が何をして何を思っていたのか明らかにするつもりです。

次で完結となります。

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