終章 ~それぞれの確認~
騒ぐ一団から十分な距離を取った時、相手は電話に出た。
『済まん。会議で出られなかった』
「そんな事だろうと思っていたから気にするな」
『そうかい。ところで、お前今何処だ? もう到着したのか?』
「到着して、お前の娘の顔も見た。後、『偶然』にもピンチに陥っていたから、ついでに助けておいた。ありがたく思ってくれ」
『そうかい。じゃあ、礼というわけじゃないが、一つ教えてやる』
「お前がダアトにカズミ=サキモリの護衛を依頼した事は隠れ蓑で、その実お前の狙いは、俺にお前の娘を守る事だった、という事か?」
『……教え甲斐の無い奴だな』
「子煩悩なお前のやる事くらいお見通しだ」
『……ったく、あー、ついでってわけじゃないが、一つ聞いても良いか?』
「俺に答えられる事なら答えよう」
『安心しろ。どうにかなったかどうかが聞きたいだけだ』
俺は足を止め、騒ぐ一団を振り返った。
各々浮かべている表情に違いはあるが、そこには穏やかな雰囲気が降りていた。赤の他人の俺が見てそう見えるのだから、渦中では相当愉快な事が繰り広げられているだろう。とてもじゃないが、殺し合いをしていたとは夢にも思えない。
「俺の目に狂いが無ければ、どうにかなった様に見えるぞ」
『そうか。そいつは良かった。教えてくれてありがとよ』
「どういたしまして」
俺は踵を返し、最寄りの木に近づき、背中を預けた。
「――それにしても、お前の子煩悩は過剰だな」
『そう言うなって。無鉄砲な子供を持つと親は苦労が絶えないんだよ』
「それ故の『防人』か。機会に恵まれたな」
『当然だ。俺は善意に満ち溢れているからな』
「善意の押し付けは悪意と大差無いぞ?」
『心配するな。自覚している』
「……呆れて物も言えん」
『言ってるじゃねぇか』
「……そういう下らん事を言うなら俺は降りるぞ?」
『降りても構わないが、そうするとただ働きになるぞ?』
「ふざけろ。カズミ=サキモリもお前の娘も助けただろうが」
『そうだが、『一回で良い』と言った覚えは無いぜ?』
「この悪魔が……」
『俺は守りたい物を守るためならこれくらい平気でやる奴だぜ?』
「……ったく」
『そういうわけだ。よろしく頼むぜ、ヒーロー』
それきり相手の声は聞こえなくなり、通話終了の電子音だけが耳につく。
「……全く、面倒な事に巻き込まれたものだ」
自然とため息が漏れた。
「結論から言うと、お爺ちゃんはどうしようもなく頑固者だったんだよ」
証言台に立たされたあたしは、説明を始めた。
裁判所となっているのは、玄関前の端っこ。その裏では、祝勝会の準備を沙耶さんと鶴来さんがせっせと行っている。その耳にはイヤホン。逐一で聞きたいのか、すぐに用意された代物だ。ちなみに用意したのは知美。その使用用途は、何と無く触れちゃいけない様な気がしたので、敢えて触れなかった。
「この事はさ、そもそもお爺ちゃんが意固地にならなかったら起こらなかった。でも、仁美さんの罪悪感、親としての責任感、そして破邪――それらを両立しようとして、二兎追う者は二兎とも得ず、と言える結果に終わってしまった」
「終わらせられた、の間違いです」
仁美さんが間髪入れずにツッコミを入れてきた。
「というか、アインは何で防人一斉を殺害したの?」
そこへ、知美が疑問を投じる。
「単なる怨恨です。どういう経緯で知ったのかは分かりませんが、あの子は父上が一実にした事を知っており、故に殺しに来た、と言っていました」
仁美さんの説明に、知美は顔を俯かせ、しばらく考え込んだ。
「……あの子ならそれくらい平気でやりそうね」
そして、呆れ半分、恐れ半分の調子で呟いた。
それを聞いて、仁美さんは知美を蔑みの視線を向けた。
「実の娘がここにいるというのに、何ですかその態度は?」
「自分の事ばかりの我が侭な人に言われたくないわ」
「何ですって?」
「事実でしょう?」
急に不穏な空気。
あたしは強引に話を戻した。
「聞こえてるだろうから勝手に続けるよ。――そんなお爺ちゃんでも、万一の事は想定していた。それが日輪さんの言っていた事。仁美さんは知らなくて当然だけど、お爺ちゃん、あたしだけじゃなくて、天道家や分家の人達にも仁美さんの事を頼んでいたんだよ。だから、あたしと仁美さんが戻って来て、あっさり退いたんだよ。お爺ちゃんの目的は成就されたって感じで」
「……あれだけ本気で殺しに来ておいて?」
知美が不満そうに言った。
怒るのも当然だが、知美なら納得するだろう反論は用意してある。
「嘘をつく時ってさ、そこに真実を含ませるよね? 少なくとも、聞かせる相手には『真実』と思える事を。現実問題、お爺ちゃんも分家も知美の事は危惧していて、だからこそ『無』を擬似的に再現しようとしていたんだと思う。でも、失敗に次ぐ、失敗。そうしている内に刻限――仁美さんがあたしにぶつかる決意を固める日が来て、行動を起こしてみれば、あたしのクローンに邪魔され、ヒーローも登場し、そうこうしている内にあたしが見事勝利を掴んだ。ここまでなったなら、破邪である分家の人達は『運命が奴らを生かすのだろう』と解釈し、ならばとお爺ちゃんの頼みを優先したんだよ」
「破邪の世界は弱肉強食ですからね」
「勝者の意向には従わないとね」
「つまりはそういう事。――というわけで」
あたしは手錠をかけられている右手を掲げて見せた。オーダーメイドでうんと鎖が長くされている手錠のもう一方は、知美の右手首に繋がっている。
「知美、いい加減これ外してくれない?」
「ダメ。これはこれで有りだから」
「いや、無いから」
「別に困らないでしょう?」
「トイレとかどうするのさ?」
「全部一緒に行ってあげるから何の問題もいらないわ」
「……流石に学校は勘弁してね?」
「そのくらいの分別はあるわ」
「あー、さいですか」
ここまで開き直られると反論する気も失せてくる。
「時に、一実は何処に住んでいるのでしょう?」
会話の途切れを見計らってか、仁美さんがそんな事を唐突に言った。
「パパとママと住んでた家だけどどうして?」
「一緒に住もうと思っているからですけど?」
「あー、なるほど」
「なるほどじゃない!」
叫んだのは、言うまでもないだろうけど知美だ。
叫んだ知美は、仁美さんに鬼気迫る視線を向ける。
「何なの突然! どういう了見よ!?」
「私は迷惑をかけたお詫びをしようと思っているだけです。というか、私は貴女にではなく、一実に聞いていますし、貴女がどうこう言う事ではないはずです」
「どうこう言うわよ! 大体、一実は了解しないわよ!」
「いやー、あたしは別に構わないけど?」
「んなっ!?」
「決まりですね」
驚愕する知美と勝ち誇った笑みを浮かべる仁美さん。
「一実さん、お電話です」
と、そんな時、鶴来さんがあたしの携帯を持って近づいて来た。
あたしは首肯し、知美に改めて右手を掲げて見せる。
「知美、そういうわけだからこれ外して」
「ここで受ければ良いじゃない」
「五月蝿いからヤダ」
「静かにしているわ」
と、何かが閃き、あたしと知美を繋いでいる手錠の鎖を両断された。
視線を移せば、仁美さんが長刀を抜いていた。
「あー! 何て事するのよ!」
「一実、早く行きなさい」
叫ぶ知美を、仁美さんは完全に無視してあたしにそう言った。
「一実さん、なるべくお早めに」
「了解です。じゃ、ちょっと電話して来ますね」
激論を交わす知美と仁美さんを尻目に、あたしは鶴来さんと軽いやり取りを交わし、人気の無い場所を目指した。
何処かのビルの屋上で、アインと呼ばれる少女は報告していた。
『早速で悪いが、聞かせてくれるか?』
「了解。えーっとね、どうにかなったみたいだよ」
『そうか。お疲れ様』
「お気になさらずー。――それにしても、お姉様って凄いね。一時はどうなるかと思ったし、結構ピンチだったけど、誰も殺さずに事態を収拾しちゃった」
『当然だ。アインの姉だぞ?』
「という事はさ、実は全部計算づくだったりする?」
『するとも。アインの姉はそういう奴だろう?』
「うわーお。――あ、じゃあさ、アインの誰かが防人一斉を殺したのも、その実お姉様の計算の内で、そのアインは良い様に使われたって事なの?」
『良く調べたな?』
「『無かった事』にされてたけど、それを『無かった事』にしたからね」
『なるほど。だが外れだ』
「ありゃりゃ、じゃあ真相は?」
『まず犯人が違う。防人一斉を殺したのは、アインの姉だからな』
「うえー!?」
少女は大きく目を見開き、驚愕の声を上げた。
「ど、どどど、どういう事それ?」
『経緯はこうだ。アインの姉は防人一斉が自分の父親と同じ物を宿している事を知った。それを確かめるべく、単身で防人一斉に会いに行く。そこで聞かされたのは、父がないがしろにされていた事。流石のアインの姉でも、母を侮辱され、父がその実ないがしろにされていた事には耐えられず、突発的に防人一斉を殺してしまった。だがしかし、アインの姉は天道の番犬として鶴の恩返しの身であったがために、それを明るみにするわけにはいかない。それを回避するために、アインの姉は色々と偽装工作を行ったのだ』
「はへー……。そんな状況でよくもまあ……。流石お姉様」
『感心するところじゃないぞ?』
「いやいや、感心するよ。だって、そんな時でも他人優先なんだし」
『あー、そっちに感心していたのか』
「どっちだと思ったの?」
『冷静に偽装工作した方だ』
「そっちは別に」
『そうか』
「そうだよ」
沈黙が一瞬だけ訪れる。
『――アイン、疲れているだろうが、仕事を一つ頼みたい』
「良いよ。でも、アインに出来る事だけだよ?」
相手の言葉に、少女はすぐに応じた。
『簡単な仕事だ。人を売り買いしている奴らを潰して来てくれ』
「了解。了解。場所は?」
『フランスだ。詳しい場所は追って通達する』
「了解。じゃ、また後でね」
少女がそう言った時、風が吹いた。
少女の真っ白な髪と衣装がなびく。
その後、まるでその風にさらわれた様に忽然といなくなった。
自分に宛がわれている部屋で、夜空を仰ぎ見ながら、少女が電話している。
「何とかなったよ」
『それは結構。間に合った様で何よりだ』
「その事だけど、あの助っ人は過剰だよ」
『過剰に過剰を重ねた奴が偉そうに』
「あ、酷い。万全を期したって言ってよ」
『臆病者め』
「臆病上等だよ。――じゃあね、ダアトさん」
少女は通話を終了し、携帯を耳から離す。
それから間も無く、少女の手の中で携帯が振動した。
少女は画面を確認する事なく電話を開き、耳に当てる。
「はいはーい、あたしだよー」
『電話に出られなくて済まんな。アインからの報告を聞いていた』
「あー、やっぱり? そんな事だろうと思ったよ」
『理解が早くて助かる。――と、そうだ。あの事、聞かれたから話したぞ』
「アインなら良いよ。それより、都合つけてくれてありがとね」
『礼には及ばん。お前にばかり負担させるわけにも行かないからな』
「そっちの方が大変なのに?」
『嘘に嘘を積み重ねなければならないお前よりマシだ』
「……そっか」
『そうだとも』
それを最後に、声は通話終了を告げる電子音へと変わった。
少女は携帯を耳から離し、一息ついた。
そうしたのも束の間、また少女の携帯は振動する。
少女は今度も画面を確認せず、携帯を耳に当てた。
「はいはーい、あたしだよー」
『――このガキ、色々やるなら一声かけやがれ』
「別口で連絡入ったでしょ?」
『話を合わせるこっちの身にもなりやがれ。……ったく、ダアトから連絡が入るわ、アンジュに勘繰られるわ、今日はいつも以上に疲れたぞ』
「ごめんなさい。で――アンジュって?」
『お前が手配した保険だよ。知らんとは言わせんぞ?』
「へー、あの人、そういう名前なんだ。……まんまだね」
『言ってやるなよ? 本人は割と気に入っているみたいだからな』
「了解。――ところで、話は変わりますけど、知美に色々バレちゃった」
『平気か?』
「あたしの見る限り、大丈夫そうだよ?」
『違う。俺が言っているのはお前の方だ』
そう言われた瞬間、少女の顔から感情という感情が消えた。
変化はそれに留まらない。消えたのは、感情だけではない。
少女の体から、色という色が抜け落ち、真っ白になる。中途半端な髪も、夜空を仰ぐ瞳も、生気を帯びていた肌も、身にまとうセーラー服も、握る携帯も。
それは決して、目の錯覚などではない。
『――お前には止める権利がある』
相手は、それだけ言って黙った。
対し、真っ白になった少女は、微笑を浮かべた。
感情の表れと共に、少女は自分の色を取り戻していく。
完全に元通りになったところで、少女は答えた。
「――そうした方が楽でしょうけど、そんな恩を仇で返す様な事したら、あたしに勇気を分けてくれた色んな人達に顔向け出来ないので、止めませんよ」
それに、と少女は一度区切り、左手でそっと自分の胸元に触れた。
「それじゃ、神様がくれた『勇気の心臓』が勿体無いですから」
『――全く。何処まで相手優先なら気が済むんだ?』
「何処までって、そんなの決まってるじゃないですか」
問われた少女は、色を取り戻した少女は、不敵な笑みを浮かべる。
「――もちろん、死ぬまでですよ」