第六章 ~超人遊戯~
始まるや、バックステップを取ったあたしは、引き金を引いた。
出し惜しみはしない。というか、出来ない。迷いが無くなり、本当の意味で冷静さを取り戻し、確実に精度が上がり、さらには擬似的であれあたしと同じ事が出来る様になった相手に、そんな余裕をかましている余裕は無い。
直進してくる仁美さんへ向けて、まずは一発。かろうじて追える回避行動にて当然回避される。そこへさらに一発。今度は防御。太刀筋が閃き、遅れて金属が両断される音が耳につく。防御するや、仁美さんは力強く踏み込み、間合いを無に帰さんと一気に距離を詰めて来た。そこへさらに発砲を重ねるが、左右に回避し、避けきれない場合は長刀で捌き、あたしとの距離を詰める。
六発使ったところで、仁美さんの間合いまで詰められた。仁美さんは鋭く息を吸った後、地を滑らせる様に長刀を振り被った。紙一重で回避するが、前髪が少し持ってかれ、鼻先に鋭い風を感じる。そこへ、仁美さんの横薙ぎの追撃が迫り、あたしはバックステップで回避し、地に足が着くや、力を込めてバク宙の衝撃を和らげながら、前を見た。
しかし、前方に仁美さんはおらず、その気配は上空から感じられた。即座に空を見れば、仁美さんは二回転ほどし、その遠心力を備えた一閃を振り下ろそうとしているところだった。事後硬直と捕捉による遅れで、回避行動を取る事は出来ず、あたしは両手に握る銃を盾として使う以外に防ぐ方法は無かった。
あたしの守勢と仁美さんの攻勢がぶつかる。
その瞬間、襲って来たのは上からとてつもなく大きな手で押し潰されているとしか思えない恐ろしいほどの圧迫感。踏ん張るが、足の形に地面を抉り、ついで衝撃を受け止めた地面に亀裂が入る。その圧迫感に全身の筋肉と骨が軋んで悲鳴を上げる。一瞬でも気を抜けば、その時点で昇天させられるだろう。
「こ……の!」
あたしは軋む左手に鞭を打ち、渾身の力で両腕を開く。一瞬火花が散り、あたしは何とも言えない圧迫感から解放され、仁美さんは空の人へ。そんな仁美さんへ、あたしは銃弾と魔法を見舞う。が、魔法攻撃の方は問題無かったものの、銃撃の方はあたしが思っている軌跡を描かない。先ほど仁美さんの振り下ろしを受け止めた事で、銃身がバカになってしまったのだろう。しかし、仕方ない。むしろ、筋をずらしたとは言え、あの衝撃に堪えてくれただけでも御の字だ。
それに何より、銃撃も魔法も牽制以上の役目を果たせない。
並大抵の相手なら、ここで閉幕している。
だけど、今相手にしているのは、同格にして同じ能力を持った相手。
仁美さんは全てに攻撃に一瞥くれる。その瞬間、何も無い場所から人為的に作り出された七つの現象が、あたしの銃撃と魔法攻撃の両方をまとめて捌き切る。あたしがやった防御方法とまるで同じ。対となる属性をぶつけ、その余波で銃弾も持っていかれ、いずれも仁美さんに届く前に消滅する。
もう何度目か分からない爆発。
ついで、静寂が降りた。
あんまりにも静かだから、仁美さんが着地する音が、やたらと大きく響いた。
「――埒が明かないね」
「――埒が明きませんね」
呟いたのは同時だが、行動は違う。あたしは弾倉を交換し、仁美さんは何度と無く切り結んだ長刀の刀身へと視線を向けている。
そこに至るのは、時間の問題だった。あたしは全部防ぎ切る自信があるし、仁美さんもその自信はあるのだろう。現実問題、あたしも仁美さんも互いの攻撃を防いだ事によって生まれた衝撃波でしか傷を負っていない。それが双方の力が均衡状態であり、同格である事の何よりの証明。
「しかしながら、見事な物だね。たった四年でそれだけ使えるなんてさ」
弾倉を交換する傍ら、あたしは良い機会だったので賞賛した。
何よりも驚くべきはそこだ。たった四年で、仁美さんがここまで七曜を扱いこなし、それに飽き足らず剣術を織り交ぜた戦術を習得している事。
「話を聞いただけですから想像するしかありませんが、この完成度合を鑑みると、貴女の母親がやった事はそれ相応の事だったのでしょう」
「だろうね。親は偉大なりって、思い出す度に実感します」
「お互い、親が偉大だと苦労しますね」
「苦労に見合う経験も得られるけどね」
「何事も過剰なのが玉に瑕です」
「でも、物足りないよりマシじゃないですか」
「何事も可もなく不可もなくが一番です」
「それを言ったらダメだよ」
「しかし、言いたくもなりませんか?」
「黙秘権を行使します」
あたしがそう言うと、仁美さんは微笑した。
あたしも釣られて笑みを零す。
「――ところで、一つ提案があります」
一頻り笑った後、仁美さんは不意に言った。
「何?」
「異能ないし魔法は補助系のみとし、攻撃に関しては得物ないし徒手空拳による物だけとしませんか?」
「あたしとしては大歓迎だよ」
願っても無い提案だった。ヒーローが向かったから問題無いとは思うが、任せきりなのは趣味じゃない。出来る事なら一分でも一秒でも早く向こうに加勢しに行きたいと思っていたからね。
「だからまあ、仁美さんが問題無いなら喜んでその提案に乗るよ」
「ならば、決まりですね」
その瞬間、仁美さんから漂って来る気配が変質した。
いや、戻った、というべきか。研ぎ澄まされた気配は、触れれば切れそうだ。
あたしは弾倉を開き、弾数を確認する。右は五発、左は六発。
確認を終えるや、あたしは足元を見渡し、手頃な小石を見つけて拾い上げる。
「それじゃ、この小石が地面に着いたら戦闘再開ってのはどうです?」
「良い提案です。乗りましょう」
「決まり。それじゃ」
ひょい、とあたしは小石を空に向かって軽く投げた。
そして、あたし達は同時に身構え、小石が着地するその瞬間に備える。
――これで終わらせる。
そう自分に言い聞かせ、あたしは小石が落ちてくるのを待った。
「あー! やっぱりきつい!」
「ぼやく暇があったら動きなさい!」
私は悪態をつきつつ、悪態をついたアインの手を引く。そこへ炎をまとった突風が通り過ぎて行く。熱風が吹き付いてきて、髪の焦げる匂いが鼻腔をくすぐる。
「お姉さん、派手なの構えて!」
着地したアインは、私の手を握り返し、そのまま着地した場所で一回転。
「とおりゃぁあああっ!」
掛け声と共に私の手を放つ。投げ飛ばされた私は白き炎を出現させ、敵陣の真っ只中にそれを叩きつける。火柱が立ち込め、ついで爆音が耳をつんざき、炎から逃れるために当主達は上空へと大きく跳躍した。
爆音の中、私はアインの名を呼んだ。
「アイン!」
「アインにお任せ! 七曜よ、踊って!」
応じるや、銃声が鳴り響き、七曜が当主達へと向かっていった。
対し、当主達は真っ向からアインの攻撃を立ち向う。己が異能を以ってして、アインが放った魔法と銃弾を打ち消した。
「お姉さん!」
相殺による爆音に紛れ、私を呼ぶアインの声が耳につく。
私は声でなく、行動で応じる。両手を後ろへ振り被り、その間に白き炎を出現させ、凝縮させたそれを事後硬直している当主達へと放ち、即座に後退する。
七つの呻き声が耳をつく。が、それが聞こえたのも束の間。
「裂けよ!」
一喝爆砕。火柱は中で巻き起こった光の放流によって砕ける。
それも束の間、私達は当主達の一喝を聞いた。
瞬間、霧散していく白き炎を闇は飲み込み、火は養分として勢いを増し、氷は凍てつかせ、木は炎をまとい、金はドロドロとなり、土は吹き飛ばし、と六色の現象がそれぞれの方法で私達に襲いかかってくる。
「お姉さん!」
「分かって――」
アインの声に応じ様としたが、そこでこれまでの無理が祟ったのか、着地の際に私は足を滑らせてしまう。それにより、私に気を取られたアインの行動が一瞬遅れた。その遅れを取り戻すべく、アインは即座に行動するも、即興で組んだからか、アインが放った七曜は対となる様にぶつけているにも関わらず、押し負け、六色の攻撃は尚も進軍してくる。
その時、私達の前に何かが躍り出て、私達を突き飛ばした。
確認するまでもない。私達を突き飛ばしたのは、沙耶と鶴来だ。
その行動は理解出来る。出来るが到底認められるものではない。
「二人とも、下がり――」
「くっ!」「きゃっ!」
私が呼びかけようとした時、二人が私の方へ吹き飛んで来た。
それを行ったのは、私と一緒に突き飛ばされたはずのアイン。
「アイン!」
私は叫んだが、その声が届くより早く、六色の攻撃がアインを飲み込んだ。
爆風が巻き起こり、私達は後ろへと吹き飛ばされる。砂塵が立ち込める中、少しして立っている人影が現れた。ついで、夜風が吹き、アインの姿が露わとなり、糸が切れた操り人形の様に膝から崩れ落ちた。
私は素早く駆け寄り、アインが倒れ込む前にどうにか支える事に成功する。
「アイン! アイン!」
「……その感じだと……無事、みたいだね」
アインが紡ぐ声はとても弱々しかった。
「……あれ? お姉さん……何処?」
アインが手を彷徨わせながら言った。真っ白な双眸は明後日の方を向いている。
「ここよ。貴女の目の前にいるわ」
私は彷徨う手を掴みながら言った。
私に手を掴まれると、アインは安堵の顔を浮かべ、よろよろと立ち上がる。が、足に力が入らず、中腰になったところでよろめいた。
倒れ込む前に私はアインに肩を貸した。
「……お姉さん、ありがと」
「それはこっちの台詞よ。私達を庇ってくれてありがと」
「……そうしないと、お姉様が悲しむからね」
そう言って、アインは弱々しく笑った。
「……貴女達は全くもう……」
一番ダメなところまでアインは一実にそっくりだった。
どんな時でも相手優先。
他人のためなら、自分の命すら問わない献身さ。
「……『達』って誰の事?」
「貴女と一実に決まっているでしょう?」
「――存外に粘るな」
そこで日輪家当主の横槍が入った。
「敵ながら見事。未熟と模倣品の分際で良くぞここまで耐えた」
だが、と日輪家当主はそこで言葉を区切る。
「潮時だ。己が未熟さを悔やんで――」
私は歯噛みしたが、日輪家当主は言葉を止め、怪訝そうな顔をした。
「全員、後退しろ!」
そんな顔をしたかと思えば、ハッと我に返り、当主達に向かって叫びつつ、自分も後退した。弾かれた様に当主達が大きく後退する。
一体何が――そう思った時、空から何が落ちて来た。空より飛来したそれは、地面に突き刺さり、ついで驚異的な衝撃波を発生させ、大地を砕いた。私は一歩前に出て、ボロボロになった双翼で皆を衝撃波から守る。
衝撃波が終わると、周囲には砂煙が立ち込めた。
その中に、私は空より飛来した何かをようやく視認する。
それは、五メートルはあるだろう大剣だった。
唐突過ぎる横槍に、戦場には静寂が訪れた。
それを破ったのは、大剣に遅れて、大剣の横に降り立った人物の着地音。
現れたのは、灰色尽くしの男。中途半端に伸びた髪、着古されたロングコート、ロングコートの裾から見えるズボン、丈夫そうなブーツ――その全てが灰色だ。
「――全く、この世は面倒事が有り触れているな」
そう言って、灰色尽くしの男はグレートソードを引き抜き、かなりの重量があるだろうそれを、まるで重さを感じさせずに持ち上げ、構え直した。
「……何者だ?」
「遅いよ、ヒーロー……」
日輪家当主の疑問と、アインの呟きが重なった。
「安心しろ。遅れた分はしっかりと働いてやる」
男はそう言うや、私達の方を向き、自分の少し前の足元を大剣で切り裂いた。コンクリートの地面は発泡スチロールにカッターを通す様な容易さで切り裂かれ、横に一本の線が刻み込まれる。
恐らく、あの線を越えるな、という事なのだろう。
「加勢は何時でも歓迎だが、動ける様になってからしてくれ」
私の心中を読んだ様に男は言った。
そして、当主達の方を向く。
「――さて、俺が何者か、だったか。だが、自己紹介は不要で良いだろう?」
「本気でヒーローなど抜かすか?」
「とりあえず、お前達の敵である事は確かだな」
「なら、相手が違う。危険なのは向こうだ」
「正義の押し付けは止めてくれ。それと子供二人を大人七人でリンチ――この状況を何の事情も分からない第三者が見て、どちらが悪かと問われれば、答えは言わなくても分かるだろう?」
それに、と男は一度言葉を区切り、大剣を当主達に突き付けた。
「歓談がお望みなら付き合うが、そんな事をしている場合じゃないだろう?」
途端、当主達の気配が臨戦態勢へと戻った。しかし、そこには怒気が混じっている。アインに続き、また邪魔されたからだろう。付け加えて、男の挑発的な台詞。いきなりしゃしゃり出て来た奴にここまで言われて、それで受け流せる奴がいたら、そいつはとても大らかな性格か、聖人君子のどちらかだろう。
「――そこまで言うからには、ここで殺されても異論無いな?」
最後通牒、と誰が聞いても分かる言葉が飛んだ。
「安心してくれ。こちらは了解済みだ」
それを聞いて尚、灰色男は威風堂々と言ってのける。
「不意打ちの詫びとして先手は譲る。そちらのタイミングで始めてくれ」
それに留まらず、平然とそんな事を付け足した。
そう言えるのは、絶対的な自信があるからだろう。
でなければ、この局面、この状況であんな事は言えない。
「そうか」
返答は短かった。
一拍後、当主達が動いた事により、この場は再び戦場と化した。
小石が地面に着地する。
その瞬間、あたし達はまたも全く同時に踏み込んだ。
「銃を持ちながら、接近戦を挑みますか!」
先ほどとの違いは、あたしが後進ではなく、前進している事。
「間合いの外から打っても無駄になるからね!」
あたしが応じた時、仁美さんの間合いに入った。横薙ぎの一閃を、あたしは跳躍で回避し、そのまま仁美さんの背後に回った。
あたしが着地するのと、仁美さんが身を翻して後ろを取ったあたしに追撃を仕掛けたのは全く同時。回避行動は間に合わないが、防御は間に合い、むしろそれが狙いだ。長刀を銃身で受け止め、火花が散るが無視。仁美さんの目が見開かれるが、それも無視してあたしはより間合いを詰める。
「行きます!」
宣言し、あたしは右の肘を仁美さんの腹部へ見舞う。肘から骨を砕く感触が伝わり、仁美さんが小さく呻き、体を『く』の字に丸め、よろめいた。が、それは一瞬であり、仁美さんは我に返るや即座に攻撃を振ってくる。でも、よろめいた分、あたしの方が一瞬早い。肘を戻し、上体だけを仁美さんへと向け、無防備な顎へアッパーカットを見舞う。顎への攻撃は直撃し、仁美さんは体を仰け反らせ、方物線を描いて吹き飛ぶ。その直前、あたしは左半身を仁美さんへと向け、腹部へと照準を合わせ、フルオートで全弾を撃ち尽くす。血が飛沫となり、あたしは返り血を浴びる。一方、仁美さんはアッパーカットの衝撃で後方へと飛んで行き、三メートルほど離れた場所に着地した。
それで閉幕。
しかし、あたしは警戒を緩めず、仁美さんを見据える。
それから十秒ほどして、仁美さんは口から血を吐き出し、同時に力が抜ける。
それを確認し、あたしは警戒を解き、深呼吸を二度三度繰り返して行う。
「……負けて、しまいましたか……」
そう言った仁美さんは、何処か晴れやかだった。
「でも……不思議です。どうしてか、気持ちが良い……」
「満足そうにしてるところに水を差すけど、寝ちゃダメだからね?」
あたしはそう言って、仁美さんの下まで歩き、横に座り込んだ。
「それから、少し休んだらすぐに出発するからね」
矢継ぎ早に言うと、仁美さんはきょとんとした。
「行くって……何処へ?」
「知美のところだよ。向こうはまだ終わっていないだろうからね」
「……ああ、なるほど」
少し考えて、仁美さんは納得した様に言った。
「ならば、一人で行かれては?」
「そうしたいのは山々だけど、戦力は一人でも多い方が良いからね」
「……鬼ですね」
「文句は負けた自分に言って」
強引に会話を打ち切り、あたしは仁美さんの腹部を見た。血に染まっているが、そこからは流血していない。常人なら失血死、もしくはショック死するだろう血の量と傷だが、生憎とあたし達は破邪。この程度じゃ生憎と死ねない。
大丈夫そうだったので、あたしは口を閉じて回復を図りつつ、体を総点検する。何処もかしこも疲労を訴えていたが、少し休めば動けるだろう。どちらかと言うと、問題になってくるのは明日になれば出るだろう筋肉痛だ。かなり体の事を度外視で動き回ったから、明日はかなり悲惨な感じになる事間違いない。
「……暇潰し、というわけではありませんが、聞いても良いですか?」
一人で勝手に憂鬱な気分になっていると、仁美さんが話しかけてきた。顔に視線を向ければ、まだ蒼白ではあるが、赤みを帯びて来ている。
「喋って平気?」
「平気だから喋っています」
少し不安だが、自己申告を信じるとしよう。
「で――よろしいですか?」
「まずは聞いてからだね。で――答えられる質問だったら答えるよ」
「そうですか」
「そうそう。で――何が聞きたいの?」
「貴女はどうしてこの力と向き合え続けられるのですか?」
「どうしてあたしにそれを?」
「私と貴女では見えている世界が違うからです」
仁美さんはそう言って、あたしに有無を言わせない目を向けてくる。
「――その証拠に、貴女は今まで一度として『零番目』を使っていません。そしてそれこそが、向き合い、堪え続けられている事を如実に物語っています」
そして、仁美さんは『それ』を口にした。
それは事実だ。
正確にはそれが根源。七曜は強過ぎる『零番目』を使わないために、全てを無に帰す、という出鱈目にも程がある力を使わなくても良い様に編み出された物。
そしてそれは、破邪達が恐れ、ママを絶対に殺そうとした要因でもある。
「――有して分かりましたが、七曜は恐ろしい力です。世界の構成が見えてしまうだけでなく、そこへ自由自在に干渉出来る。それだけでも辛いというのに、その上『零番目』――『無』を見続けていたのなら、どれだけ心穏やかであろうとしても、耐えられないはずです。それなのに、貴女はどうして向き合い、耐え続けられるのですか?」
あたしは、仁美さんがママの事を『義姉さん』と呼んだ事に驚き、と同時に仁美さんが本当に大丈夫な事が分かって内心で安堵した。
それはそれとして、どうして向き合い続けられるのか、か。
「――恥ずかしいから、かな? ……うん、恥ずかしいからだね」
少し考えて、あたしはそう答えた。
「恥ずかしい?」
「うん。カンニングして満点取っても恥ずかしいでしょ?」
「貴女の場合、完全犯罪でしょう?」
「そうだけど、素直に喜ぶ事は出来ないでしょ?」
「むしろ、後ろめたさで一杯になりますね」
「そうそう。――とまあ、何かを『無かった事』にするって事は、つまりそういう事。使えば客観的には問題無くても、主観的には『使った』という後ろめたさで結局マイナス値。それなら一回目で我慢しちゃった方が楽だからね」
「……なるほど。そういう事でしたか」
仁美さんは納得してくれたみたいだった。
だけど、その後、合点した風な微笑は、呆れ切った苦笑へと変わる。
「それにしても、貴女は何時だって相手優先なのですね」
そして、そんな事を言ってくる。
「――今更叔母を気取るわけではなく、そもそも私にはこんな事を言う資格が無いかもしれませんが、貴女はもう少し自分のために生きるべきだと思います」
さらにはそんな事まで。
あたしは肩を竦めて見せた。
「いやー、これで結構あたしは自分のために生きてるよ?」
「そう見えないからこう言っています」
「そうかな?」
「ええ。天道知美からは口煩く言われているでしょう?」
「それ正解。良く分かったね?」
「見ていれば分かります。天道知美とは親友なのでしょう?」
「うん。一番の親友で、一番大切な人」
「なら、あまり心配をさせない事です」
「それは安心して。これからちょっとずつ直していく所存だから」
「それは良い心がけですね」
楽しそうに言って、仁美さんは上体を起こした。
あたしは、立ち上がりながら尋ねる。
「行けそう?」
「……五分ほどですね」
「それだけやれれば御の字」
「どうするのです?」
言いつつ、仁美さんは周囲を探り始めた。鞘を捜しているのだろう。あたしも一緒になって探し、少し離れている場所に落ちているのを発見し、仁美さんの代わりに拾いに行き、それを仁美さんに渡す。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「で――改めて聞きますが、どうするのです?」
その質問に、あたしは微笑みながらこう答えた。
「あたしがやれる事をやるだけだよ」
圧倒的――その言葉の意味を、私は再認識していた。
もちろん、無傷というわけではない。異能の攻撃による余波と、博覧会でも開けそうな得物による攻撃が体をかすめ、その度に手傷を負っている。
それに当主達は疲弊している。対し、迎える方は一度戦闘行為をこなして来ているとは言え、声にも動きにもそこに疲労の色は伺えない。
でも、当主達はまだ余力を残しているはずだ。少なくとも、私やアインを殺そうとした時、その顔はまだまだ余裕綽々といった感じだった。
だから、戦えるはずなのだ。
それでも、灰色男は圧倒的だった。
次元が違い過ぎる。何だこの一方さ加減は。疲れているとは言え、私達を苦しめた七人の当主が完全に子供扱いだ。そればかりか、稽古でもつけているかのようにあしらい、時には指摘さえする始末。しかも、息一つ乱しておらず、汗すら掻いていない。戦場から戦場へと渡り、当主達よりも運動しているというのに。
さらに性質が悪いのは、灰色男は真正面から受けて立っている事。どんな攻撃にも、どんな策にも真っ向勝負。
「――俺は勇者一向を蹂躙する魔王では無いつもりなのだがな」
その上で、灰色男は本人も言った通り、当主達を蹂躙して見せた。
死屍累々――圧倒された当主達は、少し離れたところで弱っている。誰も彼も満身創痍。強いて言って、日輪家当主がどうにか動ける程度、といったところ。
「――さて、あまり勧めないがまだ続けるか?」
唯一立っている日輪家当主に対し、灰色男は如何でも良さそうに言った。
「愚問。お前にはお前の戦う理由がある様に、私にも私の戦う理由がある」
「勇ましい限りだが、吼えるだけなら畜生にでも出来る」
「真理だが、生憎と虚言ではない」
その瞬間、日輪家当主の気配が膨張した。
その事実に、私は戦慄する。この状況でこの局面、超人七人を相手に圧倒的な勝利を勝ち取れる相手が現れて尚、日輪家当主はまだ余力を残していたのだ。
「良いのか? それは別の誰かに取っておいた物だろう?」
「ダメだが、お前を倒さねば目的を成就出来ないのでな」
「悪いが、これより先は進入禁止だ」
そう言って、灰色男は大剣を構え直した。
「では、押し通るしか無いな」
そう言って、日輪家当主は武術の構えを取った。
瞬間、空気が張り詰める。超人二人の気配によって研ぎ澄まされて行く。
二人が体勢を低くするのは、全くの同時。
後は踏み込むだけ、と言ったところだろう。
呼吸したいところだが、超人二人の気迫がそれを許さない。
踏み込みも――全く同時。
いや、それはもう踏み込みというより爆発だった。
地面は抉られ、石片と砂塵が宙を舞い、爆風が私達に激しく吹き付けてくる。
その時、私は見た。二つの影が空より舞い降りてくるのを。
ついで、金属音が鳴り響き、ぶつかりあった事によって衝撃波が生まれ、それは周囲の物を押し倒さんと容赦無く猛威を振った。
「どうにか間に合いましたね」
「ひゃー、死ぬかと思った」
そんな中、二人の乱入者は事も無げに口を開いた。
「……仁美か」
「ようやくか、カズミ=サキモリ」
それに、切迫しようとしていた灰色男と日輪家当主が応じ、灰色男は一実が受け止められた大剣を引き、日輪家当主は防人仁美が受け止めた右の拳を引く。
そんな二人を交互に見つめ、一実は呆れ切ったため息をつき、灰色男を見た。
「やり過ぎだよ、ヒーローさん。あたしの出番無しじゃん」
「ヒロインの手を煩わせるヒーローなんていないだろう」
対し、灰色男は軽口で応じた。
「――潮時か」
と、不意に日輪家当主がそんな事をポツリと言った。
その声色に、私は心底驚いた。
だってそれは、何と言うか肩の荷が下りた、という感じの物だったから。
それは、この場にいる関係者の誰もが思っている事だろう。私はもちろん、沙耶や鶴来もそうだし、防人仁美に至っては固まっている。
そう思っていないのは、助っ人である灰色男とアイン。
そして――。
「……ったく、お爺ちゃんってばどれだけ他人を巻き込めば気が済むんだか」
関係者でありながら、大凡の見当をつけただろう一実。
そんな一実に、日輪家当主は苦笑を向けた。
「そう言ってやるな。一斉は万一に備えたに過ぎん」
「だからって、見境無さ過ぎ。全く……あたしはそんなに頼りないかな?」
「それは違う。お前が頼まれたのは一番後だった、というだけだ」
「あ、そういう事。それなら納得だよ」
「――あの、話がまるで見えないのですが?」
おずおずと防人仁美が進言した。
私もそれに便乗する事にしよう。
「――一実、どういう事なのか、もちろんきっちりと説明してくれるわよね?」
「――だそうだ。では、一期の娘よ、この場は任せる」
そこへ、日輪家当主は一声投じ、踵を返した。
「――行くぞ、皆の者」
日輪家当主が声をかけると、弱っていた当主達が嘘の様に動き始める。
「もう良いのか?」
「はあー、疲れた」
「全くですね」
「帰って休みましょう」
「それより宴では?」
「憂いが晴れた事を祝わねばな」
口々にそんな事を言って、何事も無かった様に去って行く。
私はもちろん、沙耶も鶴来もそうだし、防人仁美も目まぐるしく変わる状況に思考がおいつかず、それ故に反応する事も出来ない。
「ちょ、ちょっと! そりゃ無いよ! やりっ放しで帰らないで!」
一人、全てを分かっているだろう一実は、去り行く当主達の背中に叫んだ。
「遅れたんだからその分働け」
「若いんだから働きなさい」
「頑張ってください」
「それは貴女の役目です」
「こっちは宴で忙しいからパス」
「大トリはお前が相応しい」
当主達は足を止めたが、また口々に言って、踵を返し、次々と大きく跳躍して天道邸を後にして行った。
「――そういうわけだ。ではな、一期の娘」
トドメとばかりに日輪家当主が言い、六人の背中を追った。
鮮やかな去り際だ。退き時を間違えない、というのはこういう事を言うのだろう。面倒を押し付けた、とも言うのかもしれないが、聞く側としては誰が語り部だろうと真相さえ語ってくれるなら誰でも構わない。
「……どいつもこいつも自分勝手だな」
嵐が去った後、灰色男は誰にともなくぼやき、明後日の方向へ歩いて行く。
「ヒーローさん、助けてください」
「悪いが、その危機は自分でどうにかしてくれ」
聞く耳は持っている様だが、取り合う事はせず、灰色男は携帯を取り出し、操作しながら歩き去っていく。助け舟を失い、一実はうなだれた。
「ふぁーあ……、うるさいなー、もう……」
そこで、眠っていたアインが目を覚ました。
グルリと周囲を見渡し、ある一点を認めて固まる。
「お、おおお、お姉様!」
そして、そう叫ぶや、一実に駆け寄り、体当たりを見舞った。
「うおっと!」
が、一実は体を反らして回避した。
結果、アインは前のめりに地面に激突し、動かなくなった。
「も、もしもし?」
そんなアインに、一実は恐る恐るといった感じで話しかける。
すると、アインは弾かれた様に起き上がり、再び一実に迫った。
「どうして避けるの!?」
「どうしてって痛いから」
「酷い! お姉様のために頑張ったのに!」
「それは感謝してるけど、それとこれとは話が別だよ」
「お姉様も読心術の使い手なの!?」
「違うよ。あーもう、テンション高いなー」
「それはお姉様を拝めて嬉しいからだよ! あー、生お姉様だー……」
「だー! 同じ顔で擦り寄らないで、ベタベタしないで! 後空気読んで!」
「全力で却下だよ! あー、お姉様良い香り……」
「同じ顔で変態行為を公衆面前でしないで!」
「良いじゃん、良いじゃん、アインはアインで、お姉様はお姉様なんだし」
「そういう問題じゃなーい!」
絶叫と共に一実は擦り寄ってくるアインを引き剥がす事に成功した。投げ飛ばされたアインは、明後日の方向へと飛んで行く。しかし、空中で体勢を立て直し、クルクルと回転しながら、一実から十メートルほど離れた場所に着地する。
「10,0! おめでとう、アイン!」
「同じ顔でバカ丸出しの行為しないでよ!」
「というわけで、アインは帰るね」
「マイペース過ぎ! 少しは人の話を聞いて!」
「それは無理! 何故なら怖い人が早く帰れオーラを出してるから!」
そういうわけで、と言い残し、アインは脱兎の如く逃げ出していく。
だが、アインの気持ちも分からないではない。防人仁美は一見微笑んでいるのだが、目がまるで笑っていない。それだけに留まらず、器用にコメカミは動き、額には青筋が浮き出ている。あれは相当ご立腹だ。聞かなくても分かる。
「――一実、そろそろよろしいですか?」
問いかける声は絶対零度の冷たさだった。
「ひ、仁美さん? 落ち着いて、ちゃんと話しますから落ち着いて――だー! ちょ、刀は無しです! 今動いたら傷開きますよ!? というか、尋常じゃないくらい殺気を立て過ぎです! 大体、こうなったのはあたしのせいじゃない!」
「付き合う必要は無かったでしょう?」
「激しく正論ですが、ここにいたって事は知美を守るためにいてくれたというわけで、そんな事をしてくれたのなら、親友としてはそれ相応の返礼をしなければいけないと思いまして……い、いや、別に仁美さんをないがしろにしても良い、なんて微塵も思ってなかったですよ? なかったですが――」
「だったら即刻話しなさい! でなければ、刀の錆としますよ!?」
「わー! だから、刀はタンマ! タンマですってば!」
刀と突き付けられ、一実は万歳して降参のポーズをした。その傍ら、一実が視線だけで私に救援を求めてきた。確かにこのままでは一実が可哀想なのは事実。
私は咳払い一つして、助け舟を出した。
「――仁美さん、立ち話もあれですから、中に入りませんか?」
「私はここでも別に構いません」
「そこを何とか。お茶でも飲みながらじっくり一緒に尋問しませんか?」
「と、知美!?」
「……それは名案ですね」
「そこ応じ――だから、刀はタンマだってば!」
「安心してください。――急所は外してあげますから」
「どの辺に安心しろと!?」
「その程度で死ぬほど柔ではないでしょう?」
「でも痛いです!」
「なら、四の五の言わずに応じなさい。よろしいですね?」
その有無を言わせぬ物言いに、一実は何度も頷いた。
話が決まった様なので、私は二人を屋敷に招き入れた。
「では、お入りください」