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第五章 ~真実を知る者と知らされる者~

「――ここ、夜は人気が無くなるから出て来ても平気だよ」

 郊外の空き地で、あたしは姿見せない敵に向かって言った。

 全知さんの表向きには市民のため、本質は知美のために近代化させたとは言え、飛鳥市の扱いは今でも田舎。人口はそれなりに増えたが、劇的に増えたわけでもなく、力を入れたのは駅前や中心部なので、郊外の方は割と昔と変わらない姿だったりする。なので、夜が近づくに連れて郊外の人気は自動的に少なくなるのだ。

 三分ほど待ってみたが、敵は姿を見せない。

 警戒しているのか、様子見か。

 しかしながら、これでは戦う事はもちろん、話も出来ない。

 だから、あたしは炙り出す事にした。

「飲み込みが悪いね。隠れても無駄って言ってるんだよ?」

 釣り針は垂らした

 後は、獲物が餌に食いついてくれるのを待つだけだ。

「――余裕ですね」

 声は正面から。

 ついで、誰もいなかったはずの場所から、声の主が現れた。

 現れたのは、長刀を携え、灰色の着物を着ている大和撫子。

 あたしの叔母である防人仁美。

「四年振り。元気にしてた?」

「私と貴女は歓談する様な仲では無いでしょう?」

「そっちが歩み寄ってくれないだけじゃん」

「私は兄さんとは違います」

「魔女の子とは馴れ合え無いって?」

「そう言ったつもりですが?」

「そんなの心の持ち様でどうとでもなる問題だよ」

 あたしがそう言った時、仁美さんから漂ってくる雰囲気に変化が起きた。無機質な感じから一変、常人なら戦慄するだろう殺気を内包した雰囲気へと。

「――そう言えるのは、兄さんも貴女も持っている側に立っているからです」

 紡がれた声は、果てしなく冷たかった。

「兄さんもそうでしたが、貴女もほとほと傲慢ですね。あの魔女や貴女に恐れを抱くなと? ……無理に決まっているでしょう? あの様な暴虐を人為的に引き起こせる存在を許容出来るとお思いですか?」

 出来なかった事は、お爺ちゃんから聞かせてもらった。

 持たされなかった者の持たされた者への嫉妬と危惧、それによって全てが悪い方向へと向かい、故に起きてしまった大惨事になっていたかもしれない災害。

 窮地に立たされた時、ママはパパを守るために戦った。

 それは、さながら天災。それも、人類に劇的損失を与える程度の。

 それにより、多くの破邪が命を落とし、より多くの破邪が重傷を負った。

 お爺ちゃんは言っていた。天道が介入しなかったら全滅していた、と。

 天道という新しい抑止力のおかげで、事態は最悪を免れた。

 だけれども、一度植え付いた恐怖心は拭えない。

 だからこそ、こうして二度目の本格的な襲撃が執行されたのだ。

 でも、少なくとも、この人だけはそれだけが目的ではない。

「――それほどまでに全てが憎い?」

 そう言った瞬間、仁美さんの殺意の密度が増した。

「――図星だったみたいだね」

 もっとも、それは当然だ。

 何故なら、仁美さんの人生は、お爺ちゃんによって滅茶苦茶にされている。

 仁美さんの言葉を借りるなら、仁美さんは『持たなかった者』だ。

 故に、家から捨てられる形で遠縁に預けられた。

 しかし、パパの死後、後継を作るために連れ戻され、俗世と関わっていた埋めようの無い遅れを生めるために肉体を弄繰り回され、破邪にさせられた。

 そこまでされたというのに、あたしという存在の発覚により、用済みとされた。

 だからこそ、憎まずにはいられない。

 そうしなければ、自分を保てないかったから。

「……分かっているのに聞くとはどういう了見ですか?」

 紡がれた言葉には、純然たる殺意しかなかった。

「こっちにはこっちの都合があるだけだよ」

 答えつつ、あたしは周囲を探る。

 どうにも妙だ。別に自慢するわけじゃないが、仁美さんにはあたしの相手は務まらない。良くて相打ち。それにも関わらず、七人の当主は、気配はあるのだが、姿を見せる感じは無い。これは一体全体どういう事なのだろう。仁美さんだって、七人の当主だって、一対一であたしを殺せない事は分かっているだろうに。

「――他に気を回すとは余裕ですね」

 仁美さんが嘲笑交じりに言った。

「それと何時まで強者面しているつもりですか?」

 嘲笑交じりの挑発は続く。

 一転にして余裕。

 その態度を見て、あたしは自分の認識の甘さに気付いた。

 二度目の本格的な襲撃――その意味をもっと良く考えるべきだった。

 あの恐怖を知りながら、実行に移そうとしたその意味を考えるべきだった。

「まさか――」

 狼狽が思わず表に出てしまい、そうした自分の愚かさを即座に呪った。

 それで勝機を見い出したからか、仁美さんは不敵に微笑んでこう続けた。

「――巡りが早いですね。そのまさかですよ」

 そう言って、仁美さんは目を伏せた。

 瞬間、空気が変わる。

 それは、変化の予兆。

 全てを言われずとも、あたしには仁美さんがやろうとしている事が分かる。

 よくよく考えれば、分かった事だ。相手は破邪。邪な存在から人と人の世を守るためなら、身内を身内として思わない連中だ。

 そんな連中なら、そういう事を考えても何ら不思議じゃない。

 一息吸い、仁美さんはあたしが良く知る言葉を紡いだ。

「――七曜拘束解除、同時に干渉緩和結界展開」

 それに伴い、世界は一変する。

 目に見える変化は無いが、確実に変化した。

 それは、そういう物だ。

 唯一の使い手だったあたしには、それが手に取る様に分かる。

 だからこそ、それが意味するところも。

「――なるほど。それで他の七人は何時まで待っても姿を現さなかったのか」

「ご明察。当主達には天道の娘の足止めに行ってもらいました」

「ご丁寧にどうも」

 だとすると、こんなところでもたついていられない。

「――というわけで、悪いけど、速攻でケリを付けさせてもらうよ」

「出来ますか? 相性の上ではそちらが不利だと言うのに」

 確かにそうだ。向こうは復讐に染まっていようが破邪は破邪。対し、あたしは何処まで研鑽しても破邪と魔女の混血児。邪に対して絶対的優位性を先天的に有している破邪にとって、体質的に邪と呼べる物が混ざっている敵と戦う場合は、その混ざっている分だけ優位に立てる。よって、あたしは実質的に五割のハンデを最初から背負った上でこの戦いに望まなくてはいけないのだ。

 それが、仁美さんが余裕綽々としている理由。

 でも、そんなのは些細な問題だ。

「出来るよ。割と簡単に」

 何故ならば、あたしにはとっておきがあるからね。

 しかし、それを出し終えるには時間がかかるので、先手は打っておこう。

 あたしは、つい先ほど紡がれた言葉と同じ事を紡ぐ。

「七曜拘束解除、同時に干渉緩和結界展開」

 瞬間、あたしは浮遊感にも似た無重力状態を感じ取った。もっとも、本当に浮いているわけじゃなく、解放された、という感じだ。

「経験の差で五割の差を埋めると?」

 言うや、仁美さんは七曜――光、闇、火、水、木、金、土とこの世を構成している七つの元素を同時に行使した。

 相手にして初めて分かる。これを相手にするのは結構な重労働だ。ましてや七つ同時。あたしでも面倒と思うのだから、普通の手合いならしんどいだろう。

「踊れ、七曜!」

 目には目を。あたしは自分に向かってくる異能と対となる属性をそれぞれにぶつける。光で闇を照らし、闇で光を食らい、火で金を溶かし、水で火を消し、木で土を痩せさせ、金で木を傷つけ、土で水を濁して塞き止める。

 その直後、真横に殺気と空気の乱れを感じた。視線を向けるよりも早く体は動き、回避行動を取った。回避した瞬間、視界が下からの切り上げを捉える。どうにかして回避したのも束の間、刃が返され、今度は切り下げが襲ってくる。

「――っ」

 事後硬直で回避行動は間に合わなかったので、あたしはホルスターから銃を抜き、振り下ろされてくる刀身をベレッタM92FSの銃身で受け止める。

「どうしました? 動きが鈍いですよ?」

 そんなの言われなくても承知している。戦闘に集中しないといけないのだが、どうにも知美達の方が気になってしまう。

「分かって――ますよ!」

 叫びながら、あたしは長刀を押し退け、無防備となった顎めがけて右足で前蹴りを放つが、身を反らせて回避された。でも、それは囮で、本命は左足による腹部への飛び蹴りだ。蹴り上げた右足の反動をそのままに跳躍し、左足が腹部へ到達したところで、前へ押し出す。

「風よ、巻き起これ」

 が、直後、あたしと仁美さんの間に風が発生し、双方を吹き飛ばした。

 あたしも仁美さんも空中で体勢を立て直し、着地体勢に入る。

 その間、あたしは一度だけ引き金を引く。狙いは四肢のいずれか。手なら攻撃力、足なら機動力を削ぐ事が出来るから、どちらに当たってくれても美味しい。

 ところが、そんな簡単に事は運ばなかった。

 あたしが体勢を崩しながらなのに対し、仁美さんはただ吹き飛んだだけ。着地するタイミングは同じだが、仁美さんは銃弾を迎え撃つ形で、剣術でも異能でも対応が可能。そして、仁美さんが選んだのは剣術だった。鋭く呼吸した後、虚空に孤が描かれ、金属が切れる音が響き渡り、両断された銃弾が地面に落ちた。異能を使わず、剣術で対処したのは、間違い無くあたしに対する挑戦だろう。

 あたしは堪らず舌打ちした。こんな事なら見栄なんて張らず、虎徹を借りてくるべきだった。これでは、遠距離からの銃撃は弾の無駄遣いでしかないだろう。

「口だけは一丁前ですね」

「……済みませんね。こっちは予定が立て込んでいるんで」

「その心配は杞憂です。今宵で何もかも終わるのですから」

「こっちはまだまだ終わるつもりは無いよ」

「おまけに減らない口ですね」

 そう言ってため息。

 それから、仁美さんは呆れた口調のまま続けた。

「――では、もう少し本気で行くとしましょう」

 その台詞に、あたしは久しぶりに戦慄した。

 次の瞬間、七曜が大挙して迫って来た。密度は増し、精度も増し、速度も増している。垂れる冷や汗を無視し、あたしは即座に術式を構成する。

 その時、仁美さんが呟いた。

「――天道さん、無事だと良いですね」

 その一言に、あたしは不覚にも気取られてしまった。

 達人はもちろん、超人同士の戦いに置いて、一瞬の隙は死に直結する。

 気取られた自分を呪い、呪った自分を叱り、こんな時にそんな事をしている場合では無いと言うのに、あたしはそれをしてしまった。

 後悔先に立たず。術式を高速で編むが、物理的に一瞬足りない。

「――王手です」

 そんなあたしの耳に、仁美さんの勝利を確信した台詞が聞こえた。

 

「――お嬢様、後先考えて行動してください」

「……正直済まないと思っているわ」

 一実が出て行った後、私達は私が散らかした衣服を片付けている。今回は私も手伝っている。沙耶と鶴来には拒否されたが、状況が状況、という建前をかざすと二人は渋々ではあったが、それ以上は何も言ってこなかった。

「でも、別に今しなくても良い事ですよね?」

 鶴来が言った。不満こそ無い物のその進言は正しいだろう。

 雰囲気的には正しいだろうが、私達的にはダメだ。

「あ、そう。なら、もしも台無しになった場合、鶴来に渡している給与から強制的に差っ引かしてもらうけど、それでも良いって事よね?」

「済みません。調子に乗りました。だからそれだけはご勘弁を」

 そう言って、片付けを行う速度をアップした。

 その動きは、五着くらい片付けたところで急にダウンした。

「――って、よくよく考えたら、私達の給与って全部一実さんの衣装に消えるのだから別に減らされても、お姉ちゃんの方に負担が行くだけじゃないですか!」

 叫んだ鶴来に、沙耶が片付けを事務的にこなしながら諭す。

「冷静に考えなさい。お釈迦になった衣装を買い揃えるのですよ? その中には入手困難な衣装もありますし、高額な物もあります。大半が衣装を揃えるのに消えるとはいえ、個人的な趣味に回す方まで消えるのですよ?」

「別に困らないよー。お嬢様と一実さん見ていれば十分補えるし」

「私が困ります。一実様の困り顔が見られなくなるじゃないですか」

 鶴来が百合趣味だった事にも驚きだが、沙耶も沙耶で中々にサドだ。

「……私の周りにまともな人って一人もいないわね」

 そんな二人を見て、私はしみじみそう思った。

 まず親からして異常だ。方や神なんて言われているが、その実子煩悩で慈善なんて辞書に無いくらい他人を利用しまくるし、そもそも人ですらない。方や『救う者』なんて言われているが、善人から悪人まで救うから結果的に天才だが奇人と言われてしまっている。一実もどっちかでも十分なのに破邪にして魔法少女。沙耶と鶴来に至っては、子供の頃から色々世話してもらっているが、実のところその素性を私は知らなかったりするし。

 そんな事を考えていると、ふと視線を感じた。

 見返せば、鶴来はともかく、沙耶までもが私に非難の目を向けている。

「二人してどうかしたの?」

「いえ、お嬢様がそれを言うのだな、と」

「自分だってその一人なのに、って感じです」

 私は肩を竦めて見せた。

「心外ね。私は自分がまともだと言った覚えは無いわよ?」

「まあ堕天使と人間の混血児ですからね」

「一実さんには負けますしね」

「そこは勝負するところじゃないでしょうよ」

 指摘を受け、鶴来は天井を仰いで唸り始めた。

 少しして合点する。

「まあそれもそうですね」

「でしょう? というわけで――」

「お嬢様」

 と、不意に沙耶が鋭い口調で割って入ってきた。

 そうした理由は、皆まで聞かずとも分かる。

 敵がいよいよの距離にまで迫って来た。

「――一実さんの気配が消えましたね」

 と同時に、鶴来の言う通り、一実の気配を感じ取れなくなった。

 一実が戦う時はいつもこうだ。一実の力は強過ぎるから、結界を張らないと世界と秩序と常識に何らかの影響を与えてしまう。それは天災だったり、生態系の乱れだったりと様々だ。

 だから、こうなったという事は、一実は戦闘行為に入ったという事になる。

 こうなってしまっては、私達に出来る事は一実の勝利を願う事だけだ。

「絶対屋敷には攻撃させない様にしないとね」

 私は片付けようとしていた修道服をその場に戻し、部屋を出る。それを先回りして、沙耶が扉を開けてくれ、鶴来が先に外へと出た。二人の切り替えの早さには、いつもの事ながら驚かされる。

「――一実さんの目算は外れた様ですね」

 先行していた鶴来が、何と無しに言った。

 索敵を行ってみれば、確かにその通りだった。こちらに向かってくる一団――九十九人中七人が飛び抜けて大きな気配を持っている。直接対峙しなくとも、それらが当主達というのは見当がつく。

「となると、一実様は仁美様と一対一で戦っているわけですね」

「そういう事になりますけど、あの人ってそこまで強かったっけ?」

「強くなったのでしょう。こちらに見えられた時、仁美様は妙に自信を持っていました。お嬢様の本当の姿を知らなかったとしても、お嬢様がある程度の実力者なのは知り得ているはずです。それにも関わらず、あの挑発的な態度。何なのかは見当が付きませんが、それが自信に繋がっているのは確かでしょう」

「四年もあって成長しなかったらそれはそれで問題だと思うけど?」

「でも、お嬢様、たった四年で一実さんに双肩出来るでしょうか?」

 個人的にはそう思わない。思わないが、現実は残念ながらそうじゃない。

「相手は自分達が『邪』と見なした対象を、如何なる手段を以ってしても破りにかかる集団よ? 現実問題、真実さんはそういう一方的な理由で破られ様として、それに味方する一期さんも同様の扱いを受けた。なら、何をしたのかは分からないけど、一実と双肩出来る様になった、と考えるべきね」

 言い切ったところで、私達は玄関に到着した。沙耶が扉を開き、鶴来が先行しようとする。

「鶴来、下がりなさい」

 私はそれを止めた。

 鶴来は足を止め、私を見る。

「でも――」

「聞こえなかった? 私は下がれと言ったのよ?」

 私はその進言を黙殺し、二人に微笑んだ。

「――二人は屋敷への対応をお願いしたいの。そっちにまで気を回せないから」

 私がそう言うと、二人はハッとして、それから合点した様に頷き、鶴来は一歩退き、私に道を明け渡した。

「ありがと。――それじゃ、頼むわ」

「「分かりました」」

 肯定した二人は、私の異能を解き放つための言葉を紡ぐ。

「鞘――それは刃で自他を傷つけないためにある物」

「剣――それは刃で自他を傷つけるが何かを守る物」

 二人が紡いだ途端、私の足元には二重円の中に星が描かれた魔方陣が展開する。

「「――その矛盾を背負い、汝が信じる道を歩け!」」

 二人が開錠の言葉を終えると共に、私の中にある私の異常性が表層化した。

 背中には漆黒の双翼が出現し、衣服は黒を基調とし、赤を要所にあしらった法衣へ変わり、手や足には肌を防護する衣服と同色にして同じ彩りの金属質の篭手とブーツへと一瞬で様変わりする。

 それが、私の異常性――堕天使の一面が表層化した姿。

 これが、お父様の血を正しく受け継いでいる何よりの証明。

 そして、一実には見せた事が無い、私の数少ない一面の一つ。

 私が屋敷を出ると、一歩後ろから二人もついてくる。

 そんな二人の足は、屋敷の玄関前の階段で止まった。

「お嬢様、ご健闘を」

「背中はお任せください!」

 そして、そんな激励を飛ばしてくれた。

 それに対し、私は止まらず、されどその激励には答える。

「私の背中、二人に預けるわ」

 七歩ほど進んで、私は足を止める。

 眼前には敵、敵、敵――。

 闇に扮しているが、存在している事は分かっている。

 私は、右手を掲げ、そこに力を集中させる。

 突如巻き起こったのは、白い炎。

 それが意味するところは、極高温。

 それは次第に大きさを増して行き、全長十メートルを越えただろうところで、私はその勢いを一旦停めた。

 そして、宣言する。

「――初撃はサービスよ。死にたく無かったらしっかり逃げなさい」

 しっかりと言ってから、私は右手を勢い良く振り下ろした。

 白き炎は、私の前方へ降り落ち、程無くして地面と接触する。

 瞬間、白き炎は、夕闇を昼へと変えた。

 直後、屋敷の前は焼け野原と化した。

 極高温なる炎の前で、万物は等しく灰と化す。そこに例外も相性も無い。相対せるのは、対である炎さえも凍てつかせる極低温か、焼き尽くされる前に消火させる圧倒的な水量のみであり、生き残れるのは同じ属性を扱える者くらいだ。

 それでも、範囲は極めて絞った。

 これは、あくまでも牽制だ。

 ここまで圧倒的な力量を見せ付ければ、退く者はいるだろう。そうすれば、重軽傷を負う者を減らす事が出来る。向こうは覚悟を持って挑んで来ているだろうが、だとしても命は粗末にする物じゃないだろう。

「――強者の余裕、という奴かしら?」

 不意に声が降り落ちて来た。

 ついで、焼け野原は一転して凍てついた。

「――だけど、その余裕、何時まで続けられるかしらね?」

 声に遅れて、声の主が炎さえ凍てついた地上に降り立った。それに続き、六つの人影が順々に降り立った。妙齢の男女七人。防人家の分家の当主達だ。

 しかし、降り立ったのはそれだけだった。

「……半分でもこれほどか。流石は天道の娘。蛙の子は蛙だったか」

 その中でも最も高齢な男――日輪家当主が、感心した様に言った。私の攻撃を食い止めた女――水連家当主以外で私に対抗出来るだろう人物。

「再認識したのなら退いてくれないかしら? そうしてくれるなら、その御礼として私達は向こうに合流しないわ」

「若造が偉そうに」

「悪い条件じゃないでしょう? それと判断材料としてもう一つ。まさかとは思うけど、あの程度が私の全力だとは思っていないわよね? 言ったでしょう? 初撃はサービスだ、とね」

「出血大サービス、というのがあるじゃない」

「それなら今頃あなた達は灰になっているわ」

 現実問題、私が本気を出せばそのくらいの芸当は出来る。もっとも、こんなのは可愛いレベルだ。ここまでやっても、私の行動は世界と秩序と常識に何の影響も及ぼさない。出鱈目ではあるが、こんなのは『燃やした』という現象の極地に過ぎない。本当に出鱈目は、お父様や一実がやる事を言うのだ。

「……やはり天を破るのは困難を極めるか」

 意味深な物言いに、私は眉をしかめた。

 天を破る――どういう事だろうか。一実を指し示す隠語では無いだろう。そうだったなら、この場では言わないはずだ。それに常人はもちろん、私からも一実は相当出鱈目だが、お父様という存在がいるから、上の中辺りだろう。

「――さながら台風の目だな」

 そう言った、日輪家当主の声には、同情の念があった。

「……見くびらないでくれるかしら? 『天』というのが、お父様の事を言っている事は、それだけでも分かるわ」

「外れだ、天道の娘」

 そう言って、日輪家当主は私を指差した。

「私達が言う『天』とは、天道全知ではなく、お前の事だ」

 一瞬理解が遅れた。

 お父様ではなく、私が『天』とは一体どういう事だろうか。

 私の戸惑いを余所に、日輪家当主は愉快そうに笑った。他の当主達も同様だ。

「くくく、誠に愉快だ。まさかとは思っていたが、篭の中に入れられた鳥である事に気付いていないとは。敵ながら天道全知と一期の娘は流石だな。この時を迎えるまで、お前に片鱗さえも気取らせなかったのだから」

 私は黙って聞いていた。

「それにしても、違和感にすら気付いていないとは。或いは、身近過ぎたのか。はたまた、嘘を隠すために嘘をついているとは思わなかったのか。何にせよ、お前がその様でこちらは助かる。そのおかげで、私達の目的は完遂出来るからな」

「……何の話をしているの?」

「そもそもおかしいとは思わなかったのか? 実の父ならいざ知らず、見ず知らずの他人が、天道家の一人であるお前をそこまで慕ってくれている事を」

「……無いわよ」

「だろうな。お前を見ていれば分かる」

「……で――一体何の話をしているのよ?」

「そう急くな。急いては事を――」

 言い終える前に、私は白き炎を放った。が、着弾するより早く、水連家当主の異能によって凍てつき、重力に従って地に落ちる。

「精神脆過ぎ」

 嘲笑交じりの呟きが耳に障る。

「仕方なかろう。本人にとっては寝耳に水な話だろうからな」

 嘲笑する水連家当主にそう言って、日輪家当主は再び私を見た。

「――結論を言おう。天道の娘よ、一期の娘がお前を慕うのは純粋な友情ではなく、天道全知と交わした『俺の娘を守れ』という契約から来る物だ」

 その時、私は後頭部を鈍器で殴られた様な気がした。

 あれが、虚構だと言うのか。

 あれが、約束事に基づく演技だと言うのか。

 そんなの――認めたくない。

 でも、その可能性は十分に有り得る。

「その証拠に、お前は天道全知の娘という立場に在りながら、私達の様な相手ではなく、世間一般で言うところの悪党から、一度として身の危険に瀕する様な事、或いは身の危険を感じる様な事をされた事が無いだろう?」

 日輪家当主が言った事は、確かに正しい。

 自分から首を突っ込んだ事はあるが、私には確かにそういう、所謂お嬢様が、何かが狂えば起こってしまう様な窮地を体験した事が無い。

 よくよく考えなくても、狙われる理由がある立場にいるというのに。

「まさかとは思うが、それを単に自分が幸運だったから、と思っていないだろうな? 有り得ん。それは有り得んよ。裏の裏はともかく裏では、お前は未来永劫『天道の娘』であり、故に利用しよう、悪用しよう、そう思う輩はいる。それにも関わらず――」

「もう良いわ」

 私は言葉を遮った。もう聞く必要は無い。

 だけれども、日輪家当主は黙らない。

「人の話は最後まで聞け、と親に教わらなかったか?」

「教わったわ。その上で把握出来たなら止めても構わない、とも」

「ほう?」

「……白々しいわね。分かる様に話したのはそっちじゃない。要するに、異常者同士で潰し合いをしていろ、という話でしょう?」

 日輪家当主が勝ち誇った笑みを浮かべた。

「如何にも。だから、私達はお前に堕ちてもらう事にしたのだ」

「……酷いわね」

「心配するな。自覚している」

 向こうは、何処吹く風で私の言葉を受け止め、その上で受け流す。

「しかし、お前の良心は、一期の娘への思いはこの状況を許せるか?」

 そして、最も触れられて欲しくない場所に、容赦無く触れてくる。

 日輪家当主の言葉は、恐らく全て事実だ。

 お父様ならそのくらいの事平気でやるし、一実には両親を助けられ、その事だけでも十分なのに、それ以外でも様々な恩義がある。それをお父様は利用し、一実を番犬として一生飼い続ける所存だ。そう考えるなら、お父様が一期さんと真実さんを助けたのにも合点がいく。全ては体良い番犬を買うため。

 他人のために全てを費やす人生なんて無価値だ。

 我が父ながら、どういう神経をしているのか。自分の娘を守るために、親友を助け、親友の子をその実番犬として育て上げる。

 何ておぞましい。まともな考えじゃない。白鳥の足元よりも壮絶だ。

 だからこそ、当主達は私を危惧し、故に私を堕落させ、逸脱している物を、人と人の世を脅かすだろう存在をまとめて排除する様に立ち回る。

 そこには、一理がある。

 今までずっと感じていたが、今日はっきりした。我が父ながら、天道全知という存在は平気でこういう事をし、これからもしていく。我が親友ながら、防人一実という存在は平気であらゆる事に堪え、どんな時でも笑っているだろう。

 それを終わらせられるのは、現状私しかいない。徒党を組めば、破邪達でも出来るだろうが、私にやらせた方が迅速で確実。

 そう考えれば、当主達がここにいるのも分かる。

 向こうにとっては、こっちが本命なのだから。

「――フフ」

 色々分かったから、可笑しくて仕方が無かった。

「フフフ、ハハハ、アハハハ、アハハハハハハハハハ!」

 本当に可笑しい。

 ――この程度の事で堕ちると思っている向こうの浅慮さ加減が。

「……気が触れたか?」

 当主達の誰かが呟く。

「――ええ、確かに気が触れそうよ」

 だって、と私は一度区切り、こう続けた。

「そういう事なら、一実はどんな事があっても私と一緒にいてくれるもの!」

 その瞬間、当主達は一様にぎょっとした。

 一方、私の背後からため息が聞こえた。

「お嬢様、語らない事も花ですよ?」

「公衆面前で一生束縛発言は流石にまずいかと」

 ついで、いずれも呆れ切った指摘が私の耳をつく。

 私は、それを努めて無視し、身構えた。

「――こうなったか。省ける手間は省きたかったが致し方あるまい」

 日輪家当主が呟き、それから身構える。それに呼応して、六人の当主達が各々身構えた。その瞬間、向こうから吹き付けてくる敵意が、殺意へと変化した。何も言わずとも、本気になったのだ、と私は悟る。

 そんな七人に対し、私は最後通牒を言い渡した。

「私は一実ほど甘くは無いからそのつもりで」

「驕るなよ、若造」

 殺意は剥き出し、されど静かに日輪家当主がそう切り返してくる。

「現段階のお前が、私達七人を相手に勝利出来ると?」

「――出来る、と言いたいところだけど難しいわね」

 悔しいが、それは事実だ。

 自分の事は自分が良く分かっている。

 力は有限であり、私は止む無くとは言え、派手に使ってしまった。

 結果、私はそこそこ疲労している。並大抵の相手なら、この状態でも問題無いが、相手は超一流七人。その内、日輪家と水連家は相性的に厳しく、それを破るためには相応の火力を求められる。だからと言って、他の当主達への対処をないがしろに出来ず、つまるところ、私は初めて窮地に立たされている。沙耶と鶴来は頼れない。二人がいなくては、屋敷は全壊してしまうだろうから。

「でも――」

 私はやる――そう言おうとした時だった。

「呼ばれて無いけど、華麗に登場!」

 声を聞いて、私はその存在に気付いた。遅れて、何かが私の前に舞い降りた。

 空より舞い降りたのは、真っ白な少女。ある人物を同じ長さの髪、特注品だと思われる法衣、ホルスターに納まっている二挺のベレッタM92FS、右手に携えている日本刀、それらは一切合切白で統一されている。

「貴女は――」

「堕天使お姉さんが、お姉様の親友?」

 私の質問を遮り、真っ白少女はこちらを振り返らずに言った。

 この状況を理解しているのだろう。質疑の声は事務的だった。

 ならば、一先ずは信じる事にしよう。

「――加勢と思って良いのかしら?」

 私は真っ白少女の隣に行き、視線だけを向けて聞いた。そうしながら、真っ白少女を観察する。実物を見るのは初めてだが、本当に瓜二つ。髪を黒く染め、一実が着ている服を着れば、口を開かない限り、誰も彼女が一実のクローンだとは微塵も疑わないだろう。それほどまでに真っ白少女は一実に良く似ている。

「アインはそのつもりでここに来たよ」

「そう。じゃあ、期待させてもらうわ」

 すると、アインと自らを呼ぶ真っ白少女は、意外そうな顔で私を見てくる。

「何?」

「いや、お姉様の事が心配じゃないのかな、と思って。アインはパパからそう言われてるからしないけど、堕天使お姉さんはお姉様の下へ行けるじゃん?」

 どうやら他人優先なのは、本物もクローンも変わらない様だ。

「心配よ。だから、貴女に期待するの」

「アイン期待されてる? 期待思いっきりされてる?」

「しているわ。だから、そののん気さ加減をどうにかしてくれない?」

「そうは言っても過剰戦力だし、故に危機感が無いのも仕方の無い事なのです」

「さり気無く自分は強いって言っている?」

「まさか」

 そう言って、アインは虚空を見た。私も釣られて見てみたが、その方向には何も無い。ひょっとしたら、一実がいるのかもしれないが、私には分からない。

 しばし虚空を見て、アインはポツリと言った。

「アインが言っているのは、お姉様を助けに行ったヒーローの事だよ」

「ヒーロー?」

「その内分かるよ」

 アインは私の質問に取り合わず、眼前の当主達へと改めて視線を向ける。

「……上物揃いだね。結構厳しいかも」

 口調は軽いが、油断している素振りも慢心している素振りも無い。

 現実問題、加勢はありがたいが、いかんせん私が足手まといだ。自分の面倒くらいは見られるが、アインは私の事を気にかけながら戦う事を余儀無くされる。しかし、そんな片手間で相手に出来るほど向こうは軽い相手ではない。

「というわけで、時間稼ぎだよ」

 囁く様にアインは言った。

 そう判断させてしまったのは、確実に相方が私だからだろう。

「不甲斐無くて悪いわね」

「あのレベルなら仕方ないよ。この状況を一人で突破出来る奴なんて、アインの知る限り、お姉様とあのヒーロー、それから天道全知くらいだろうし」

「名立たる面子ね。なら、そのヒーローさんに期待しましょうか」

「いや、お姉様まで、かな」

「何故? ヒーローが到着するまでで十分でしょうが」

「バテバテなのに偉そうだね?」

「いきなり出て来て偉そうな貴女に言われたく無いわ」

「助っ人ってこういう物じゃん? それに理由はちゃんとあるんだよ?」

「……一実に会いたいって理由だったら、消し炭にするわよ?」

 もしやと思って言ってみれば、アインはそれきり黙り込んだ。

「そこで何故黙る」

「お姉さん凄いね。ひょっとして読心術使えたりする?」

「違うわ。顔に書いてあるのよ」

「出てる、の間違いでしょ?」

 アインに悪びれた様子は無く、私は頭を抱えたくなった。

 全くこういうところまで一実と一緒なのか。一実も一実で危機的状況になればなるほどどうでも良い事を口にする。付き合うこっちの身にもなって欲しい。

「――まあ良いわ。一実の手を煩わせたくは無いけど、その方が確実だものね」

「決まりだね」

 花が咲いた様な笑みを浮かべ、アインは左手で真っ白な刀を抜き、鞘をホルスターへ。空拳となった右手で白く塗装されたベレッタM92FSを引き抜く。

「――それじゃ、先に行くね」

 そう言って、アインは敵陣へ突っ込んだ。

「……だから、似なくて良い場所まで似なくて良いのに」

 事戦闘になると一実は猪突猛進なところがあるのだ。そのため、連携するとなると、こちらの事を気にかけてくれはするが、連携する気は絶無。よって、一緒に戦うとなれば、こちらが合わせるしかないのだ。

 ため息一つつき、私は敵陣に突っ込んだアインの背中を追った。


 七曜の複合攻撃がもたらしたのは、純然たる消滅。

 一つだけでも必殺なのに、それが七つ。超人を七回殺せる攻撃がたった一人に向けられるという事は、恐らくこういう事なのだろう。

「――え?」

 だからこそ、あたしはその事実に、あたしが思考出来ている事に驚いた。

 自分で使っているから分かる。猿真似だろうが、擬似的だろうが、仁美さんがやっているのは、あたしのそれと全く同じ事。だから、その威力も、それがもたらすだろう理不尽でしかない結果も良く分かっている。

 だからこそ、不思議だった。

 だからこそ、疑問だった。

 だからこそ、驚きだった。

 驚きは止まらない。

 消滅をもたらす暴虐の一撃で、失ったはずの五感が少しずつ回復し始めた。

 驚きは、回復している、という事。

 失ったのではなく、回復し始めている、という驚愕の結果。

 そんな事は、どうしたって起こるはずが無い。

 だって、あたしは何もしていない。

 しようとしただけで、あたしは何も出来なかった。

 だから、こんな結果になるはずがない。

 それなのに、あたしは死なずに済んでいた。

 感覚が戻り始めると、あたしの聴覚が金属音と切断音を捉えた。ついで、鋭い息遣いや掛け声。それを捉えた事で、失ったわけではなく、機能不全に陥っていたあたしの五感は、一気に正常な状態へと戻る。

 そして、機能した視覚が、眼前の光景を捉えた。

 その光景に、あたしは息を飲んだ。

「――凄い」

 それから、無意識に感動が零れた。

 それは、戦闘風景。

 仁美さんは誰かと戦っていた。

 あたしに代わって戦っているのは、灰色尽くしの男の人。

 その光景に、あたしは不謹慎ながらも見惚れていた。

 圧倒的、というのはきっと彼ほどの実力を言うのだろう。

 一分の隙も見い出せない動きは、芸術と言って良いだろう。何せ、超人の域に達しているはずの仁美さんの攻撃は一つとして届く事なく、そればかりか稽古でもつけられている様にどの攻撃もあしらわれている。ならば遠距離からの攻撃をすれば良い、と思うところだが、それすらも彼はあしらう。本来ならば両手で扱う大剣を片手で軽々しく扱い、或いは空拳となっている左手に握られている大口径自動拳銃のデザートイーグルから放たれる銃弾により、仁美さんが放つ異能は悉く直撃せずに切り裂かれ、打ち抜かれていった。

「起きたか」

 不意に彼はそう言い、地面に向かって大剣を振り下ろした。振り下ろされた大剣は衝撃波を生み、仁美さんを容赦無く吹き飛ばした。

 それから、彼はあたしの方を向いた。

「で――行けそうか? カズミ=サキモリ」

「え?」

「……まだ寝ぼけ眼か」

 そう言って、彼は再び仁美さんの方を向いた。

「いや起きてます。流石のあたしでもこんな時に呆けません」

「何の話だ?」

「あたしが寝ぼすけだ、という話です」

「なるほど。そういう事か」

 合点した様に言って、彼は半身を翻し、明後日の方向へと歩き始める。

 堪らず、あたしはその背中を呼び止めた。

「ちょ、ちょっと! 何でそうなるんですか!」

「何でと問われれば、ヒーローだから、と答えておこう」

 彼は足を止めずにそう言った。

 その一言で、あたしは彼が何のためにここへ来たのかを悟った。

「――ヒーローさん、次はどちらへ?」

「ヒーローが向かうところなんて、一つしかないだろう?」

 そう言って、男の人改めヒーローは何事も無かった様に立ち去った。

 あの人がいれば、知美達の方は気にかけなくても大丈夫だろう。

 多少過剰過ぎるきらいはあるが、不足しているよりはずっとマシだ。

「……抜け目無いですね」

 ヒーローが去った方向を見たまま、仁美さんはポツリと言った。

 あたしは肩を竦める。

「まさか。あたしは失うのが怖いだけだよ」

 あたしがやっている事なんてそれを回避するためだ。

 失ってからでは何もかも遅い。

 それをあたしは両親を失った事で知った。

 あんな思い、一度すればもう十分。

「……失う事が怖い、ですか」

 仁美さんは口の中で転がす様に呟き、そして嘲笑を浮かべた。

「――そんな貴女に良い事を教えてあげます」

 意外な展開だ。まさか向こうから対話の場を作ってくれるとは。

「奇遇だね。あたしも仁美さんに教えたい事があるんだ」

「私が分家に利用されている、という事ですか?」

 あたしは、少なからず驚いた。分家の当主達が気取らせるはずない。そうなってしまえば、謀反を企てられる。そうなってしまえば、分家の当主達の目的は果たせなくなる。愚直なまでに破邪な彼彼女達が、そんな下手を打つはずが無い。

 だとすれば、仁美さんは自分で気付き、推論を組み立てたのだろう。

 流石だ。伊達や酔狂であたしを犯人に仕立て上げる様に動いていない。

 だからというわけじゃないが、あたしも情報開示を行う事にした。

「お互い利用されまくっていると慣れてくるね」

「分かっていながら、良く大人しく従っていますね?」

「その台詞、そっくりそのまま返すよ」

 あたしは知美を守るために全知さんに利用されているし、仁美さんはお爺ちゃんには破邪として、当主達にはあたしを食い止める道具として利用されている。あたしの場合は恩義、仁美さんの場合は憎悪、お互い理由は違うが、利用され続けて使い潰される、という意味では同じだ。もっとも、それを言えば初代の防人――破邪の原点となっている人だって、見方を変えれば、人と人の世に利用されている様な物だから、利用されるのは破邪の、防人の宿命なのかもしれない。

「――その振る舞い、天道知美に知られたとしても続けられますか?」

 ここだ、とあたしは思った。

 しかし、まずは答えてからだろう。その方が衝撃は増すだろうから。

「続けるよ。止める理由が無いからね」

「……無価値な人生ですね」

 嘲る様に仁美さんは言った。

 仁美さんは、あたしを甚振っているつもりだろう。

 でも、その程度の甚振り、あたしは何とも思わない。

 だが、言われっ放しも癪なので少しは反論しておく事にしよう。

「――それは持っているからこそ言える台詞だね」

「……貴女がそれを口にしますか?」

 無能の烙印を押されたからか、そこには隠す気が無い怒気が込められていた。

 だけど、あたしはそれを口にする。

「するよ。だってあたし、生きている事自体がある種の奇跡だもん」

 よほど特殊な事情じゃない限り、生まれてきた事を感謝する人はいないだろう。

 残念ながら、あたしは特殊な事情があった。

 だから、あたしがこうするのは当然なのだ。

「……貴女の他人優先は死なないと治りそうにないですね」

 仁美さんはため息交じりに言った。

 分かり易い反応に、あたしは肩を竦める。

「呆れないで欲しいな。あたしはこれでも日々を存分に謳歌してるんだから」

「そう思うしか無かった、の間違いでしょう?」

「でも、そう思う事も生まれなきゃ出来ないよ?」

「……見上げた献身さですね」

 吐き出す様に言い、仁美さんは長刀を構えた。

「無駄話はこのくらいにするとしましょう」

 それは困る。こっちは何が何でも聞かせなきゃいけない事があるのだから。

「巡りが悪いね。休ませてあげるって言ってるんだよ?」

 仁美さんは、不機嫌そうに目を細めた。

「余裕ですね」

「外れ。負けた時に『邪魔が入ったから』って言い訳して欲しくないからだよ」

 あたしがそう言うと、それきり仁美さんは押し黙った。

 さて、どうだろうか。あのヒーローとの戦闘行為で余計な体力使っているし、仁美さんはあたしよりも異能を行使しているから、休めるのならそちらを取るはずだ。もっとも、それはあたしも同じだったりするけど。

 少しして、仁美さんは長刀を鞘へと納めた。

 話を聞く気になってくれた様なので、あたしは早速話し始める事にした。短気は損気だが、気が変わる前に始めないと面倒そうだから。

「――そもそも、おかしいと思った事は無かったの?」

「……何が?」

「貴女の身に起きた色々な事だよ」

 そこに疑問を持っていたなら、こんな事は多分起こらなかった。

 でも、無理な話だ。娘がそう思う様にお爺ちゃんは振る舞ったから。

 でなければ、仁美さんが復讐鬼になるはずがない。

「何もおかしい事は無いでしょう? 私には才能が無く、だからこそ捨てられ、だからこそ体を弄繰り回され、だからこそ貴女という存在が現れた事により私はまた不用品へと戻った。――これの何処におかしいなところがあるのです?」

「視点だよ」

「視点……?」

「そう、視点。貴女はどういう家に生まれたの? 破邪を生業としているという非常識な家だよ? そんな場所に貴女は何も持たずに生まれた。でも、それは常人であるという事。そう考えれば、見えてくる物は無い?」

「……何が見えてくるというのです?」

「分からない? あれはその実愛情に基づく行為だったんだよ」

 その瞬間、仁美さんの吐息が停止した。目は大きく見開かれ、口は半開き。信じられない物を目の当たりにしたら、きっと誰でもこんな顔をするだろう。

 あたしは、仁美さんが反応するまで待った。

 受け入れるには、どうしたって時間がかかる。

 寝耳に水な話というのは、得てしてそういう物だ。

 あたしも経験がある。お爺ちゃんから色々話を聞いた時がそうだ。

 しばらくして、仁美さんが小刻みに震え始めた。

「……あれが愛情の裏返しですって?」

 紡がれた声は、嵐の前の静けさ、という形容が適当な何処までも静かな声。

 嵐が起きたのは、それから間も無くの事だった。

「くくく……、ハハハ、アハハハハハハハハハハハ!」

 仁美さんは、狂った様に笑い始める。

 耳障りで不安定になる笑い。

「何を言い出すかと思えば、言うに事欠いてこの局面で愛などと口にしますか! 私も大概狂人ですが、貴女はその上を行きますね! 異常者な事は知っていましたが、そこまで行くと凄過ぎて何も言えませんよ!」

 あたしを嘲る仁美さんは、見ていてとても痛々しかった。

 その姿に、あたしは自分の『IF』を重ね合わせる。

 何かが欠けていたら、あたしも歪み、捻じ曲がっていただろう。

 その時、あたしはふと如何でも良い事を思い至った。

 あの時――お爺ちゃんの頼みを断らなかったのは、仁美さんに実現しなかった自分を重ね、それに恐怖し、だからこそ良くない、と思ったからだろう、と。

 と同時に、もう一つ不謹慎だが思う事があった。

「……酷いね」

「あら? 貴女でも人を思う感情があるんですね?」

「……全くもう」

 堪らず悪態が漏れた。

 こんな事なら律儀に頼みなんか聞かずに真実を教えるべきだった。おかげでこの様だ。胸糞悪い事この上ない。

「――自分だけが悲劇のヒロインなんて思ったら大間違いだよ」

「何ですって?」

 一転、仁美さんは怒りを露わにして言った。

 あたしも我慢の限界だったので、半ばやけっぱちで言う。

「全く、捨てられたからどうしたの? 体を弄繰り回されたからどうしたの? また捨てられたからどうしたの? 悲劇の使い道なんて人それぞれだけどさ、行動さえ起こせばどうにかなった悲劇に対し、何の行動もしないで、そればかりかただただ受け入れて、つまるところ自業自得以外の何物でもない、悲劇と呼ぶにはあまりにも浅過ぎる悲劇で悲劇のヒロインを気取らないでくれるかな?」

「どうにか、なった……?」

「そ。仁美さんの悲劇は『嫌だ』という事をもっとちゃんと訴えていれば、どうにかなった浅い悲劇。少なくとも、理不尽だ、不条理だ、と喚き立てる次元じゃない。もっとちゃんと色々考えて、そうした上で然るべき言動をしていたら、回避出来た事。お爺ちゃんは抜かり無かったから、そういう事を考える事が出来なかっただろうし、している余裕が無かったのは大体見当がつくけど、それを差し引いても、仁美さんの悲劇は悲劇の中じゃ浅い部類に入るよ」

「……お爺ちゃん?」

 仁美さんが食いついたのはそこだった。知美でも驚いていたから、お爺ちゃんの人と形を良く知る仁美さんなら尚驚くだろう。

「孫がお爺ちゃんをお爺ちゃんと呼ぶのは、何もおかしい事じゃないでしょ?」

「それは貴女には当てはまらないはずです」

「何時の話をしてるの? あたし、お爺ちゃんとはずっと前に和解してるよ?」

「なっ――」

「驚いてもらったところで話を続けるよ。私達が生まれたのは、安寧無き修羅の道を行く破邪の家系――そんな家に何の力も持っていない子が生まれたら、親なら遠ざけ様とするのは当然の発想。その上で既に生まれている兄を誇大広告によって名を広めれば、何の力も持たない妹の存在は日陰に隠れ、日を浴びる事は無いけど、真っ当な暮らしが約束される。だけど、残念ながらそうそう世の中上手く話は進まず、隠れ蓑として機能していた兄を失い、そうなってしまえば日陰を歩いていた妹に日が当たる。そうなってしまえば、何の力も持たないその子は格好の標的となってしまう。しかし、鍛錬を施しても一朝一夕で技能が身に付くわけじゃなく、それを相手は待ってくれない。そうなったら、残された手は倫理的問題を無視した非人道的な方法で強引に見られる様にするしかない。ところがどっこい、そうした矢先にあたしという新たな隠れ蓑として機能出来得る奴が生まれた。なら、これを利用し、それに伴い『不用品』という冷たい突き放し方で、今一度日陰を、真っ当な暮らしをさせよう、と考えても不思議じゃないよね?」

 まとめるために、あたしは一息入れた。

「だから、仁美さんに対するお爺ちゃんの言動は――」

「嘘です!」

 あたしの声を遮って、仁美さんは叫んだ。

 それは当然の叫び。

 そうしなければ、仁美さんは自分の中にある整合性を保てない。

 同時に、否定しなければ、罪悪感で押し潰される。

 それを避けようとするのは、当然の防衛本能だろう。

「嘘、嘘嘘嘘嘘嘘! そんなの嘘です! あの人は兄さんの事しか見ておらず、私の訴えなんかどれだけ言葉を重ねても、どれだけ叫んでも聞いてくれませんでした! あれが痩せ我慢だったと言うのですか!? 優遇されていたのは、その実私であると貴女は言うのですか!? 大体、それならば兄さんはどうして大人しく従っていたのですか!? それに、どうして貴女はあの人を『お爺ちゃん』などと慕う事が出来るのですか!?」

「まあそうなるね。ちなみにお爺ちゃんが言うには、パパはその提案を快く引き受けたみたいだよ。兄が妹を守るのは当然だ、とか何とか言ってね。あたしに至っては、色々聞いたら色々バカらしくなって、あたしも相手のためなら色々出来るから、お爺ちゃんがそこまで徹底したのも理解出来ちゃったからだよ」

「……そん……な……」

 動揺の声と共に仁美さんは膝を折り、四つん這いになった。長刀が音を立てて地面に落ちる。人気が無いからか、その音は不気味なほどに響き渡った。

「……そんな……事って……」

「――そうだね。本当に心の底からそう思うよ」

 でも、とあたしは区切り、結論をもう一度口にした。

「そうすれば、貴女を守る事が出来る。何がどうなろうともね」

 それが、お爺ちゃんの最優先事項。

 それが、一人の親が愛する我が子を守るために行った最善。

 その行為は、傍目からすればバカで無様な最悪の選択だろう。自分だけでどうにかしようとして、だけれども現実にはならず、それを悟った頃には自分の手では後戻り出来ない状況に陥ってしまっていた。

 だけれども、そこには確かに子を思う心があった。

 むしろ、そんな心があったからこそ、ここまで過激だったのだろう。

 何せ、愛は盲目、なんて言葉があるくらいだからね。

「……父上……」

 不意に嗚咽交じりの呟きが、あたしの耳をついた。

 見れば、仁美さんは泣いていた。

「……父上ぇ、父上ぇ……」

 その様子を見て、あたしは安堵の息をつく。

 良かった。どうにかなった。どうにかなってくれた。

 お爺ちゃんを思い、自分の罪を悔いて泣けるのなら、もう大丈夫だろう。

 でも、これではまだ不十分。

 お爺ちゃんからは、仁美さんを任されている。

 それは多分、ここで終わっちゃいけないだろう。

「で――これからどうするの?」

 仁美さんは涙を拭い、落とした長刀を握り、ゆっくりと立ち上がる。

 立ち上がった仁美さんは、あたしを眼光鋭く見据えてくる。

 そこに憎悪の色は無い。でも、あたしに対する静かな怒りはあった。

「――過ちを気付かせてくれた事には感謝します」

 紡がれた言葉に込められた感情も同様。

 それに伴い、仁美さんの気配は研磨されていく。殺意は敵意へ、敵意は戦う意思へと変質し、純化されたそれの密度は、これまでの比ではない。

「ですが、私は貴女の事を許せそうにありません。何もかも今更である事が父上の意固地で我が侭な願いから来る事だとしても、貴女が父上の思惑に乗っかってくれていたなら、父上は死なずに済んだのですから」

「安心して。自覚はあるから」

 それは未来永劫覆らない事実だ。

「……流石ですね」

 苦笑とも微笑とも見える笑いを湛えながら言い、長刀を引き抜き、剣先を突き付けてきた。あたしを見据えてくる双眸には、確固たる決意が宿っている。

「それ故に、私は貴女に決闘を申し込みます」

「――決闘って罪に問われるんだよね」

 あたしは弾倉を交換しながら言った。

 そんなあたしを、仁美さんはジト目で睨んでくる。

「……無粋ですね。そこは素直に応じるところですよ?」

「言ってみただけだし、申請しなけりゃバレないよ」

 言い終えた時、弾倉の交換が完了する。

 その銃口を、あたしは仁美さんへと向ける。

「――あたしが勝ったら、生き恥晒してもらうからそのつもりで」

「では、私が勝ったら、大人しく殺されてください」

 仁美さんが微笑み、あたしも微笑みを返す。

 と、場も空気を読んだのか、一陣の風が吹いた。

 あたしは全神経を集中させる。風が止んだのと同時に攻勢に移れる様に。

 それは恐らく、仁美さんも同じ。吹き付けてくる気配がそう言っている。

 やがて、風が止み、あたし達は全く同時に地を蹴った。

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