第5話:『私を、拾うのですか?』……血の匂いと暖かい外套
導かれるままに足を踏み入れたのは、馬車という概念を書き換えるような空間だった。
外側は重厚な黒鉄に金細工が施され、内装は深く沈み込むような真紅の天鵞絨。壁には魔石の灯火が柔らかな琥珀色の光を放ち、雨の冷たさを一瞬で忘れさせるほどの暖かさに満ちている。
ギルバート様は、私を座席に降ろすことさえためらうように、そのまま自分の膝の上へと抱き上げた。
「……あ、あの、陛下。私は泥で汚れておりますし、このような高価なお召し物を汚してしまいます……」
私は慌てて身をよじろうとしたが、腰に回された強い腕が、それを許さない。
彼は私の耳元で、低く、熱を帯びた吐息を漏らした。
「黙っていろ。お前をこのまま放しておけば、今にも消えてしまいそうだ」
彼はテーブルの上に用意されていた銀の器から、温かな布を取り出し、私の頬についた泥を丁寧に拭い始めた。
大陸を震撼させる皇帝陛下が、たった一人の女の汚れを落とすために、その指先を動かしている。
その光景があまりに現実離れしていて、私はただ、されるがままに見つめることしかできなかった。
「……どうして、私なのですか?」
震える声で、ずっと胸に溜まっていた問いを口にする。
「私は無能だと、公爵家からも、この国からも捨てられた女です。何の利益も、価値もございませんわ。……貴方様のようなお方が、拾う理由など、どこにも……」
拭っていた手が、止まった。
ギルバート様は、私の顎を指先でくいと持ち上げ、その深紅の瞳で私の灰色の瞳を射抜いた。
「無能、か。お前を捨てた連中の目は、節穴どころか腐り落ちているようだな」
彼の瞳に、昏い悦びが滲む。
「エルシア。お前のその瞳が、どれほどの価値を持つか、本気で気づいていないのか? この世界の魔力という名の『不純物』をすべて無に帰し、純白の奇跡へと再構築する。……それは、神のみに許された力だ」
「……え……?」
「お前がいなくなったあの国は、今頃、砂上の楼閣のように崩れ始めているだろう。だが、それはもうどうでもいいことだ」
彼は私の首筋に顔を埋め、深く、深く、私の香りを吸い込んだ。
雨と泥にまみれているはずなのに、彼はまるで極上の香香を嗅いでいるかのように、恍惚とした表情を浮かべる。
「お前は、私が手に入れた。誰にも渡さないし、誰にも見せない。……このまま城の最深部に閉じ込めて、私だけのものにしてしまいたいほどにな」
独占欲。
それは、今まで受けてきた虐げとは正反対の、暴力的なまでの愛だった。
あまりの熱量に、私の頬は火照り、心臓が壊れたような音を立てる。
「私を……拾ってくださるのですか? 捨てられた私を……」
「拾う? 違うな、エルシア」
ギルバート様は、私の指先を掬い上げ、その指先に跪くような接吻を落とした。
「私は、お前を『強奪』しに来たのだ。……運命という名の鎖から、私自身の手でな」
馬車が緩やかに動き出す。
窓の外、遠ざかっていく故国は、もう私を縛る闇ではない。
隣で私を抱きしめる「死神」の体温だけが、今の私の、たった一つの真実だった。




