第4話:死神皇帝の降臨、世界が息を呑む静寂
雨音を切り裂くように、無粋な怒号が響いた。
「待て! その女を放せ!」
森の奥から現れたのは、アステリア公爵家の私兵と、王国の騎士たちだった。十数人。彼らは抜き身の剣を構え、泥濘を蹴り散らしながら、私を抱きかかえるギルバートへと迫る。
「その女は、ジュリアン第一王子殿下より追放を命じられた罪人だ。どこの馬の骨かは知らんが、大人しく渡せ。抵抗するなら容赦はせんぞ!」
先頭の男が、下卑た笑みを浮かべて剣先を向ける。
私はギルバートの腕の中で、恐怖に身を震わせた。彼らに捕まれば、どんな惨い仕打ちが待っているか想像もつかない。
「……陛下、お逃げください。私にかまわず……」
掠れた声で訴える私の唇を、ギルバートの熱い指先が制した。
彼は私を抱いたまま、視線すら騎士たちに向けない。ただ、冷え切った声で、背後に控える近衛騎士たちに命じた。
「……不愉快だ。私の視界から、この泥を掃除しろ」
「御意」
ギルバートの背後から、影が動いた。
たった一人の、帝国騎士。
彼が腰の剣をわずかに抜いた瞬間――空気が、爆ぜた。
キィィィィィィィンッ!
鼓膜を突き刺すような金属音が響き、次の瞬間、王国の騎士たちが持っていた剣の刃が、根元から粉々に砕け散った。
何が起きたのか理解できず、男たちは呆然と手元の柄を見つめている。
「な、なんだ……!? 何をした!」
「貴様ら」
ギルバートが、初めて顔を上げた。
その瞬間、森の全生命が息を止めた。
彼の深紅の瞳から放たれた殺気は、物理的な質量を持って、王国の騎士たちの肩にのしかかる。
「ヒッ……!? ぐ、あああ……っ!」
騎士たちは、悲鳴を上げる暇もなく、その場に崩れ落ちた。
地面に這いつくばり、喘ぎ、まるで目に見えない巨人に踏みつけられているかのように、泥の中に顔を埋める。
「私の妻……いや、私の『魂』に、その薄汚い剣先を向けた罪。死ですら生ぬるいと思わぬか?」
ギルバートの周囲に、黒い魔力の奔流が渦巻く。
それは、王国の魔導師たちが一生をかけても到達できない、神話の領域の魔力だった。
「ひ、ひぃぃっ! 助け、助けてくれ! 私はただ、命令に従っただけで……!」
先ほどまで威勢の良かった男が、涙と鼻水にまみれて命乞いをする。
ギルバートは無慈悲に指先を動かそうとしたが、私の細い指が、彼の軍服の襟を弱々しく掴んだ。
「……陛下、もう、いいのです。彼らの血で、貴方様の手を汚さないで……」
私の言葉に、ギルバートの殺気が一瞬で霧散した。
彼は私を見つめ、驚くほど柔らかい、独占欲に満ちた笑みを浮かべる。
「優しいのだな、エルシア。だが勘違いするな。私はお前のために彼らを許すのではない。お前の目に、これ以上の醜悪なものを映したくないだけだ」
ギルバートは地に伏せる男たちを、路傍の石ころを見るような目で見下した。
「失せろ。主に伝えろ。貴様らが捨てた宝は、我が帝国が預かった。返して欲しくば、国ごと差し出す覚悟で来るがいい。……まあ、その前に貴様らの国は、自らの愚かさで腐り落ちるだろうがな」
男たちは、腰を抜かしながら這うようにして逃げ去っていった。
静寂が戻った森の中で、ギルバートは私をより強く、抱き締めた。
彼の心臓の音が、一定の、力強いリズムで私の耳に届く。
「……エルシア。お前を二度と、あんな卑俗な連中の前に立たせはしない」
彼は私の額に、誓いのような熱い接吻を落とした。
「私の城へ行こう。そこがお前の、真の楽園だ」
雨はいつの間にか止んでいた。
雲の切れ間から差し込んだ月光が、泥に汚れたはずの私の指先を、プラチナのように白く輝かせていた。




