第2話:「無能」と呼ばれた十数年、私が守り続けたもの
ガタガタと酷く揺れる馬車の荷台で、私は冷たい雨に打たれていた。
追放という名の死刑宣告。
アステリア公爵家の紋章が刻まれた馬車は、私をゴミのように放り出すためだけに、夜の荒野を突き進んでいる。
(……ああ、これでいいのね)
泥の跳ね返りが、破れたドレスの裾をさらに汚していく。
ふと、自分の白い掌を見つめた。
王立学院の誰もが、私の手には魔力がないと嘲笑った。義妹のイザベラが指先から華やかな光の粒を飛ばすたび、私は「出来損ない」として地下の図書室や、古びた礼拝堂に押し込められた。
けれど、彼らは知らなかった。
この国の中心にある「守護の聖碑」が、なぜ千年も枯れずに輝き続けていたのかを。
私が毎晩、皆が寝静まった後に裸足で聖碑へ向かい、凍えるような石に額を押し当てて、内側から溢れ出す「何か」を注ぎ込み続けていたことを。
魔力測定器には反応しない、形も色もない、けれどあまりにも純粋で巨大な力。
私はそれを「祈り」だと思っていた。
私がこの国に、家族に愛されるための、唯一の奉仕だと信じていた。
『お姉様、そんなところで何をしているの? 無能が聖域を汚さないでくださる?』
イザベラの冷ややかな声が脳裏をよぎる。
彼女は、私が注ぎ込んだ魔力によって活性化した聖域で、さも自分の手柄のように華麗な魔法を披露していた。王子はその姿に陶酔し、私という「背景」を忘れていった。
(もう、祈らなくていいのね)
私が注ぎ込むのを止めた瞬間、あの聖碑はどうなるのか。
この国の結界はどうなるのか。
少しだけ不安が胸をかすめたが、すぐに自嘲の笑みが漏れた。
私を「泥を啜れ」と捨てた人たちのことなど、もう案じる必要はないのだ。
その頃。
王城のパーティー会場では、異変が起き始めていた。
「……? なんだ、急に冷え込んできたな」
ジュリアン王子が、イザベラの肩を抱き寄せながら眉をひそめた。
つい先ほどまで春のような暖かさに包まれていたホールに、凍てつくような隙間風が吹き込み始めていた。
壁に掛けられた魔法の灯火が、チリ、チリと不吉な音を立てて小さくなっていく。
「殿下、見てください! 庭園の花が……!」
令嬢の一人が悲鳴を上げた。
窓の外、常夏を維持していたはずの王宮庭園の薔薇たちが、一瞬にして黒く変色し、崩れ落ちていく。
空を覆っていた守護の薄膜が、目に見えるほどの速さでひび割れ、砕け散っていく音が響いた。
「馬鹿な……結界が解けたというのか!? 聖女がここにいるというのに!」
王子の叫びに、イザベラは顔を青くして震えることしかできない。
彼女には、結界を維持する力など最初からなかったのだ。彼女が誇っていたのは、エルシアが整えた土壌に咲いた、一時の徒花に過ぎなかった。
地鳴りのような音が響き、王国の守護神と謳われた大時計が止まる。
それは、この国が「奇跡」を失った瞬間だった。
一方、国境の森。
馬車が止まり、粗暴な衛兵が私の腕を掴んで、泥濘へと突き飛ばした。
「行け、無能女。二度とそのツラを見せるなよ」
冷たい言葉と共に、馬車は去っていく。
暗闇と雨音だけが支配する、死の森。
体温は奪われ、指先一つ動かす気力も残っていない。
私は、泥の中に倒れ伏したまま、空を見上げた。
重い雲の隙間から、一筋の雷光が走る。
その光に照らされて、森の奥から、恐ろしいほどの圧迫感を放つ「何か」が近づいてくるのが見えた。
それは、この世の者とは思えないほど美しい、死の気配。
(ああ……お迎えが来たのかしら)
私はゆっくりと目を閉じた。
その瞬間に聞いたのは、誰かの悲鳴でも、獣の咆哮でもなく。
凍りつくような冷徹さと、狂おしいほどの情熱が混ざり合った、低い男の声だった。
「――見つけたぞ。私の絶望を終わらせる、銀の月を」




