天才と凡才
熱を出して三日目の昼過ぎ、トイレに行きたくて起き上がったら、錆びついているみたいだった肘や膝を動かすことに苦労が要らなくなっていることに気付いた。どうやら、ようやく身体から風邪が抜けてくれたらしい。
二階の自室から降りていくと、「お店で急にお休みの人が出たので行ってきます。レトルトのおかゆがあるのでお腹すいたらそれを。冷蔵庫のスポドリもどうぞ。茂さんは明日の夜遅くに帰ってきます」と母の字の置き手紙。
ぐー、とお腹が鳴った。
出来ればもうちょっとがっつりしたもんが食べたいんだけどな、なんてことを思えるぐらいには回復しているようだ。
と。
呼び鈴が鳴った。宅配便だろうか? こちらは女子中学生で、パジャマである。さすがにこのカッコで出ていく気にはなれないし、大急ぎで二階に上がって着替えてってしている間に、きっと帰ってしまうだろう。だから居留守を使うことに決めた。
……のだが、三十秒ほどしてからまた、ピンポーン……、と鳴った。さっき鳴らした人とは別の人だろうかと思うぐらいのインターバルである。
それからまた、三十秒経って、ピンポーン。
もしかしたら、銀星かもしれない。けれど、あいつならまずメールを送ってくるはずだ。となると? 以降の選択肢は一個も上がらず、また三十秒経って、ピンポーン。
次第に不気味になってくる。ごくり、と唾を飲んで、恐るおそるインターフォンのモニターのスイッチを入れた。右手にお掃除用モップの柄を握っているのは、怪しいやつだったらとっちめてやるんだという勇ましさと、臆病さの顕れである。
知った顔が、真っ直ぐにモニターのレンズを見詰めているのを見て、
「ピャッ……」
という声を李都は上げて、腰を抜かしそうになった。
「突然お邪魔して申し訳ありません」
パジャマこそ着替えはしたものの、代わりに着たのは中学校のジャージ上下、髪にはまだ寝癖が残っているし、顔も洗っていない。
とても人前に出られるような格好ではない。
李都だって女子中学生であり、将棋大会に出るときにはその時点で一番お気に入りの格好をする。もっとも、ギャルっぽい、と銀星に苦言を呈されたこともあるのだが。
もっとも、上下ビジネススーツに固めた客人は、向き合う李都の服装など一切気にした様子もなかった。
「初めまして、小笠原茂先生にお世話になっております。特に先日のトキノ杯におきましては、大変お世話になりました。私、棋士をやっております羽村怜士と申します」
「ひゃ、は、ひゃいあのゾンビ揚げ、存じ上げておりますですあの、はい、あの」
一応は常識を備えているつもりの李都である。
人んちにお邪魔するときは事前に連絡をするべきであり、また女子中学生の身である以上、いきなり来た人を家に上げるなんてことは決してするべきではないという認識でいる。
きっと、この人以外の誰かが「お邪魔してよろしいですか」と言ってきたら「すいません無理です」と応じただろう。銀星だったら「うるさいとっとと帰れ」と追い返したかもしれない……。
羽村怜士と同じ空気をいま吸っている。なのに、李都は上下だっさいジャージなのである。どうして、あたしがもっとちゃんとしていられるときに来てくれなかったんですか!
「李都さんは、小笠原先生のお弟子さんでいらっしゃいますね」
「は、あ、あの、はい、おっちゃ、……お、おが、おがしゃーらせんせはいま、出掛けてて、いませんがっ」
普段「小笠原先生」なんて口に出さないものだから、舌が回らない。
「存じております。小笠原先生は私との対局の後、福島に寄って将棋教室を周っておられるとか」
「んそ、そう、なんです……?」
じゃー、なんで?
訊くより先に、
「私は、あなたと将棋を指しに参りました」
迷いのない目である。
「小笠原先生に煮湯を飲まされましたので。せめてお弟子さんであるあなたに勝って、すっきりした気持ちで年を越したいと思いましてね」
「は?」
「銀星によれば、お風邪を召されておられたとのことですが、なに、将棋は運動ではありませんから、指先さえ動かしていただければよろしいのです。座っているのがお辛いようでしたら、横になっていただいても結構。大いに負けていただけたらと思います」
そこまで生真面目な顔で言い終えて、にっこり、と将棋ファン誰もが憧れる美しいスマイルを見せた。李都が呆然としていると、
「喉が渇いたので、お茶をいただけますか。濃いめに出していただいたところに、少量の水を注ぎ足して薄めて頂いて」
などと言い出す。
「それから、お渡しするのを忘れていました。これ、つまらないものですが」
カバンから差し出されたのは、和菓子である。千望荘銘菓、という文字が見えるから、決戦の後に旅館で買った土産ものであろう。
「私がまっすぐ帰ろうとしておりましたところ、小笠原先生に呼び止められまして。私は土産物など買わなくてもいいと思っていたのですが、小笠原先生が私の分まで買ってくださいましてね。私はあまり甘いものは食べませんので、どうぞ」
これは確度の高い想像であるが、小笠原茂も同じ菓子を買って、数日中にこの家に帰って来るときには携えているのではあるまいか。買ってもらったのに「つまらないもの」って言ってたな……。
棋士、というものは、将棋を指すということにかけては天下一品、全国から選び抜かれた鬼神のごとき強さを誇る天才たちの中を潜り抜けてきた綺羅星たち。
しかし、おっちゃんを見ていてもわかるように、一部、やばいレベルに生活力がないタイプの人もいるようである。人生時間のほぼ全てを将棋に注ぎ込んできた結果として、「棋士でなければ生きていけない」ような人たち……。
そういえば銀星が「立派な人じゃない」と言っていたっけ。あれは、小笠原茂を上げるために羽村怜士を下げたのではなく、ただシンプルにこういう実態を知っている立場であったからこその発言だったのかもしれない……。
「ありがとうございます。もう一局お願いします」
八冠棋士との平手、すなわちハンデなしでの対局なんて、全将棋ファン垂涎の時間……。
しかし李都にとっては、はっきり言って、しんどい時間であった。
羽村は文字通り赤子の手を捻るように李都を負かした。現役棋士、いや、歴代で見たとしても最強格、地球代表として盤の前に座るはずの男が、多少心得があるといっても中学生相手に、平手で、しかも自身の快楽のために本気で指してくるのである。
グロテスクな言い方になるが、赤子の手を捻って、丸めて、潰して、粉々にして、……ぐらいのおぞましいサディズムに、こてんぱんのけちょんけちょん。歯応えなんてないに等しかろうが、羽村は大いに嬉しそうに笑うのだ。
「どうもありがとうございます。幾らか心が晴れました。無事に年を越すことが出来そうです」
まるで子供のように。
李都は病み上がりの心身をべこべこに凹まされて、なんかもう、軽率にプロの棋士になりたいなんて言うんじゃなかった、すいません、身の丈に合わない夢を見るのはやめます……、なんて気持ちになったのである。
「あなたは銀星と互角の戦いが出来ると聞きましたが」
「……うぇ……? あー……、あの、まあ、日によっては……、ですけど……」
「左様ですか。では、もっともっと強くなってくださいね。いつの日か公式戦の場で、こうして盤を挟んで向き合いましょう」
「はぁ……。はっ……?」
「そのときも、今日のように丁寧に折り畳んでさしあげます」
にこにこしながら、お茶を飲み干して、
「おかわりをください」
と言う。
全く持って、計り知れないのが天才の感覚なのだった。
「李都さんは、私好みのお茶を淹れるのがお上手ですね」
二杯目のお茶を啜って、そんなお世辞をくれてから、彼は盤の上に局面を並べ出す。いえあのもうしんどいんです、と止めかけたが、それが初期位置ではない、ある局面の再現であることに気が付いて、思わず「うっ」と声を漏らしそうになってしまった。
例の、「トキノ杯」の局面である。
「私は、小笠原先生を尊敬しています」
羽村は、あの日あのときとは違う手を指した。
その手ならば、磐石の勝利は揺るがなかった。
「……おっちゃんを……?」
「大変偉大な方だと思っていますよ。……無論、棋士としての腕は私のほうがずっと上ですが」
悪びれもせずにそう言えるぐらいの図太さが備わっていないと「鬼の住処」なんて言われる奨励会の激戦をくぐり抜けることは出来ないのかもしれない。
「トキノ杯の後は、先ほど申し上げたように福島へ出られて、その後まっすぐ帰京されるものだとばかり思っていたのですが、今日の午後からは能登へ行かれたそうです。あすは現地のイベントで、やはり子供さんたち相手に指導対局をされるとか」
おっちゃんが、あっちこっち飛び回って将棋の普及活動をしていることは、李都も知っている。
それにしても、千望荘のある宮城から福島はそれほど遠くはないけれど、そこから東京を通り越して能登まで足を伸ばすとは思っていなかった。
忙しいことだ。でも行く先々でお土産をちゃんと買って来てくれることについては、率直に嬉しいと思っている。現金な弟子もあったものである。
「やはり、ご自身が被災された体験があるからなのでしょうね」
笑顔を少し萎めて、羽村が言った。
え、と李都は彼が「つまらないもの」と言って持ってきたバターまんじゅうを咥えて、目を丸くした。
「んむ、ん、それ、なんか関係あるんですか」
「ご存知だとばかり思っていましたが」
「……え、いや、おっちゃんが……、阪神、大震災、でしたっけ、で被災したっていうのは知ってますけど……、えっ、そうなんですか……?」
単純に、おっちゃんはそういうことが好きなのだろうと思っていた。
性格が合っている、というのは、自身が弟子として彼から将棋のイロハを教わってきた立場なのでよくわかっている。
おっちゃんは教えるのが上手い。教えるだけでなく、こちらを上手に高いところへと導いてくれる。
ただ得意だから、求められるままにそうしているのだとばかり思い込んでいた。
「能登半島で地震があったことは、李都さんもご存知でしょう」
もちろん覚えている。去年のお正月のことだ。
「将棋を指す人の数が世界一多いこの国は、同時に地震のとても多い国でもあります。李都さんが生まれる二年前になりますか、東日本大震災がありました。福島は津波の被害や原発の事故で、たくさんの人が故郷を失いました。熊本でも二〇一六年の四月に震災がありました。……私の家族も被災しました」
羽村の相貌からは、笑みが消えていた。
「当時、私は十六歳でした。野々垣先生のお宅でお世話になりながら、入ったばかりの三段リーグで当然のように緒戦を勝って、あとは流れに身を委ねていけば自然と四段に上がるものとばかり思っていたのですが……」
故郷の熊本が地震に襲われた。
最初の地震は、四月十四日午前一時四十五分。マグニチュード六・五、最大震度は七。
その地震から二十八時間後となる、十六日三時過ぎ。熊本は再び激しい揺れに見舞われる。マグニチュードは二日前のそれを上回る七・三。大規模な地震が同じ都市を短期間で二度も襲うという、例を見ない震災であった。
李都は熊本地震のことをまるで知らない。
二〇一六年の四月といえば、李都はまだ三つ、物心つくかどうかという時期のことだ。まだあの大きなおうちにいたか、それとも平屋のアパートに引っ越した後だろうか?
「市内の実家が被害を受けました。母の実家が益城町というところにありまして、震度七の揺れに二回襲われたんですが、しばらくは行方不明で。……私の身体の中にも人の色をした血が流れていたのだと再確認できました」
羽村は独特な言い回しで振り返ったが、彼が初めて参加した三段リーグの成績は、十八戦で六勝十二敗。
のちの八冠と考えると、意外なほど物足りない数字だ。
羽村三段の祖母は怪我こそしたものの、無事であったそうだ。しかし、棋士を目指す十六歳の若者は故郷に帰り、被災した実家の片付け、それが済んだあとはボランティア活動に心血を注いだ。
「そうしないではいられなかったんです。震災は、自分の身内が、見知った人が被害に遭っただけではない。自分の大切な人が、大切に思う人も、またその人がいとおしく思う人も……、命と心が繋がって被害に遭うのだということに気付いてしまって」
熊本地震での死者は二百七十六人。
羽村はボランティア活動を通して、それが数字ではなく、血の通った二百六十七の人生であったことを知った。
「それからというもの、……私は熊本を離れがたくなってしまったのです。遠く離れた平和な街で、安穏と将棋など指している場合ではない、と」
それが、この期、羽村怜士三段の不調に繋がっている。
負け数十二のうち、実に八が不戦敗であった。
「私一人であったなら、ひょっとしたらずっと東京に戻ることは出来なかったかもしれません。……幸いにして私には、小笠原先生がいました」
水を足したわけでもないのに、手の中ですっかり冷めてしまった李都の湯呑みの中で、緑茶が跳ねた。
「小笠原先生が、『君は東京に戻りなさい』と、強く言ってくださったんです。羽村怜士には羽村怜士の行くべき道がある。必ずやその道を進まなければならない、と」
プロ棋士となって、故郷に錦を飾る。
それもまた、被災地復興への力となりうる。
当時、地元の将棋教室と連携し、被災した子供たちのためにボランティアで将棋教室を開くという形の支援に尽力していた小笠原はそう訴え、羽村を東京へ返した。
その期こそ四段昇格には至らなかったものの、続く期には鬼気迫る将棋で十八局全てを勝ち切り、四段昇格、プロ棋士としてのデビューを果たし、いまや最強の棋士の名をほしいままにしている。
「ですが、私など、小笠原先生の足元にも及びません。いえ、もちろん実力は私のほうが遥か上ですが」
李都は声も出せなかった。あの羽村怜士が、人間として丸裸の敬意をおっちゃんに向けているという、事実の受け止め方がわからない。下手に手を出したら突き指をしてしまいそうだ。
羽村によれば、小笠原茂は天災の被害に見舞われた土地で、ボランティアを行うことを自らに課しているのだという。
棋士として彼がデビューしたのが二〇〇三年。翌年の中越地震から、現地の将棋クラブなどと連携し、避難所で即席の将棋教室などを開き、被災した人々の心を癒す活動をしてきた。東日本大震災の際には東北を巡り、熊本地震でも。
そして直近では能登地震においても。
去年の正月、おっちゃんも一緒に家族団欒、おせちを食べて、近所の神社に初詣に行って、将棋ではなく麻雀をやって、テレビを見ていたら、臨時ニュースが入った。北陸でマグニチュード七・五の大地震。
あのとき、おっちゃんがどんな顔をしていたか、覚えていない。ただ、李都のお父さんもお母さんも言葉を失ってニュースの画面に見入っていたし、李都も、おっちゃんが昔の地震で家族を失ったという話は覚えていたから、黙り込んで大人しくしていた。
被害の深刻さゆえにだろう、今回の地震ではボランティアの受け入れまでには時間がかかった。個人で活動するボランティアが現地に入ることの是非を問う声もあったし、おっちゃんは何といっても具体的な救援活動や肉体労働が得意なタイプではない。そうしたこともあって、小笠原茂が能登に向かったのは三月になってからのことだ。李都はおっちゃんがどこかに行って、帰ってきたときに「お土産です」と金沢棒茶のクッキーをもらったことは覚えている。
「……あっ」
トキノ杯の決勝で、おっちゃんが頭に乗せていたタオルを思い出した。
輪島……、輪島こども将棋教室。
と書かれていたのではなかったか。輪島が能登半島の街であり、震災の被害が甚大だったことぐらいは、李都だって認識している。あのタオルが家のベランダに干されていたところを見たことは何度もあったのに、「どうして?」と関心を寄せたことは一度もなかった……。
自分にとっては被災地の人々が「数字」でしかなかったことに気付かされて、李都は強烈な羞恥心を催した。
李都の向かいで、羽村はいとおしむような目を、自分の手の中の湯呑みに注いでいる。お客さん用のいいやつがどこにしまわれているかわからなくて、おっちゃんの湯呑みを使ってもらっている。
「小代焼は、私の故郷のものです。小笠原先生が避難所で将棋教室を開かれると知ったときに、せめてものお礼にと、幾つかお持ちいただいたんです」
小笠原茂という棋士を応援する人々がいる、という意味のことを、お母さんが言っていた。家族だから、お母さんは確かに応援していたのかもしれない。けれど、……能登に、熊本に、あるいは他の場所にも、「がんばれ」という思いを篭めて不器用な男が尽くしてきた思いと同じほどの強さで、「がんばれ」とエールを送っていた人たちがいたのかもしれない。
羽村の視線は、再び勝負の局面に戻る。
「私もたいがい気の強い人間を自認していたのですが、この瞬間」
声は柔和だが、表情は顰めっ面に変わっていた。やっぱり悔しい、悔しくって仕方がないと、その顔に書いてある。
「……この瞬間だけは、小笠原先生は私を凌いでおられた。復興支援にかける思いを双肩に乗せ、その指に籠め、立ち向かってこられたのです。私を上回る胆力で、私を罠に掛けて……。ああ悔しい、私もまだまだ甘い」
天井を仰いで、羽村は嘆いた。それは「トキノ杯」で投了した後には押し殺していた、人間の姿だった。
数秒、まさか涙を堪えているのかと思うぐらいに、小代焼の湯呑みを震わせていた八冠は、湯呑みの中身の緑茶を飲み干して、顔を下げた。
「このとき、私は小笠原先生の背負われていらっしゃるものに負けたのです。東北、熊本、能登、そして西日本の水害の被災地……、そうした場所で、復興のために懸命に闘って来られた方の、今も歯を食いしばって闘っておられる方の、思いを乗せた執念の一局であったと思います。謙虚な方ですから、ご本人はお認めにはならないでしょうけどね」
表情に静けさを取り戻して、そこまで言うなり、
「では、失礼します」
羽村は立ち上がった。
「え、あの」
「あなたの将棋の粘り強さ、悪くないですよ。小笠原先生からちゃんと良いところを受け継いでいらっしゃる。これからも精進してください」
おっちゃん譲りの粘り……。
「……あの、あたしは、ほんとは、羽村先生みたいな、鋭い攻め将棋を指したいんです」
おずおず、言ってみたけれど。
「やがて、指せるようになるかもしれませんよ。私もいつの日か、小笠原先生のような粘り強くテクニカルな受けの手を指せるようになりたいと思っています」
美しく微笑んでそう言い残し、羽村は帰って行った。




