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おっちゃんの指

 将棋は礼に始まり礼に終わるもの。

 その意織は他のことにも通底していて、将棋を覚えてから何事にも積極的で活発になり、服装もギャルっぽいと評されることの多い李都だが、「お行儀が悪い」と言われることはほとんどなかった。

 そんな李都が、険悪なままに帰って来て銀星に「おやすみ」も言わず、不機嫌に任せて部屋まで駆け上がって、そのまま寝た。

 バチが当たったのだろう。

 翌日、李都は久しぶりに熱を出し、くしゃみと鼻水が止まらなくなった。

 そういえば銀星がくしゃみをしていたっけ。あいつにうつされたんだと、恨みを込めて家の二階の自室で天井を見上げて過ごした。寝込んで二日目が終業式で、銀星が通知表などを届けにきた気配はあったのだが、李都は「頭が痛い」と嘘をついて降りていくことはしなかった。

 おっちゃんは東北宮城行われた「トキノ杯」のあと、ずっと帰ってきていないようだ。

 もともと、ほうぼうを飛び回って家を空けていることが多い人だ。プロ棋士の主な仕事はもちろん将棋を指すことであるが、将棋そのものの普及活動も大切な仕事である。おっちゃんは、……唯一の弟子である李都が、「神童」と評される銀星相手にそれなりに立ち回れることからも明らかな通り、指導力には定評がある。

 将棋のことを考えようとしても上手くいかない。頭の中の盤に並べた駒が、思うように動かなくて、苛立(いらだ)ちを覚えた。もっと強くて鋭い攻めの手を指したいのに、李都の手はどうしても受けの手を指してしまう。

 そうこうしているうちに、文字が駒から剥がれて、自分の周囲をフワフワと飛び始め、「銀」に囲繞される怖い夢になった。

 熱のせいだったかもしれない。けれど、将棋を覚えてから二日続けて指さなかったことなんて一度もなかったもので、……あたしこのまま将棋指せなくなっちゃうんだろうか、李都はなんだかとても、悲しくなってしまった。

 将棋をなくしたら、あたしはまた、元の弱虫いじめられっ子に戻っちゃうんだろうか。

 あたしから将棋を取ったら、何が残るんだろう……。

 銀星は将棋のために全てを犠牲にすると言って(はばか)らない。高校ぐらいは出るのだろうけれど、奨励会、三段リーグという厳しい世界に、彼は(おく)さず挑むつもりだ。三段リーグはプロ棋士を目指す者たちの最終関門。二十六歳という年齢制限までに四段に昇格できなければ強制引退。

 将棋に人生時間の全てを注ぎ込んで来た人々が、その年齢で将棋を奪われ、「何も持たぬ者」として社会に放り出されることになるのだ。

 その恐ろしさは、「あたしも棋士になりたい」と初めて言った日に、将棋クラブのみんなから切々と説かれたから知っている。

 その恐ろしさと常に接して生きたすえに、克服している。だから棋士はすごいのだ。

 将棋が強いからすごいんじゃない、人生規模の恐怖に打ち克ったからすごいんだ、という理解を、李都はしている。だから棋士という人々をことごとく李都は尊敬しているし、銀星が本当にプロ棋士になったら、……多分、「悔しい」という気持ちを最初に抱いてしまうのだろうけれど、やっぱり、尊敬する。

 あと、自慢する。銀星は最初あたしに勝てなかったんだよ、勝てなくって泣いたんだよって。

 ただ唯一の例外が、小笠原茂という人なのだ。

 自分にとって最も身近で、あたたかくて、優しくて、でも、みっともない将棋を指す人。

 そして、将棋を指す以外なにも出来ない人。

 ……右の鼻が完全に詰まっていた。

 そういうときは寝返りを打って、左を下にするといいんですよ。そうするとね、李都さんのお鼻の奥で、鼻水が右から左に移動して、右の鼻が通るようになるんです。

 そんなことを教えてくれたのが、おっちゃんだ。左のほっぺたを、すっかりぬるくなってしまったアイスまくらに押し付けながら、李都は思い出す。

 前回ここまでしんどい風邪をひいて寝込んだのは、小三のときだった。お父さんが出張で、お母さんがパートで、一人でも大丈夫って言ったのに、おっちゃんが家にいて面倒を見てくれたのだけど、お粥もきちんと作れない、()がしてしまって家中が臭くなってしまった。

 おっちゃん、もう何もしなくていいから、じっとしててくれたらそれでいいから。

 おでこにひんやりシートを貼った李都がそう言ったら、おっちゃんは恐縮しまくって、李都の部屋の床に正座して、こう言った。

 や、やあ、ほんとにすみません。その、ワタシは、中学を出てから、もうずっと、将棋を指すことしかしてこなかったもんですから……。

 おっちゃんは、横になった李都に、昔話をしてくれた。それは、「してくれ」と李都が頼んだのではなく、おっちゃんが一人で話し出して、止まらなくなってしまっただけのことなのだけど。

 訛りはほとんどないが、おっちゃんはもともと関西の人だった。

 兵庫県の長田という下町の長屋に生まれ育った幼少期、近所の人たちが公園で将棋をしているのを見たのが将棋との出会い。ルールを覚えて当地の将棋道場に通うようになってからはめきめき実力を発揮し、「神童」と呼ばれるようになった。銀星もそうであるが、各地の将棋クラブや道場で一番強い子供は自然とその称号を得るのだ。

 数多いる「神童」のうちプロになれるのはほんの一握り、砂から()り分けて選り分けて最も輝く一粒だけである。

 茂少年は関西のベテラン棋士・中西(なかにし)(じゅん)八段の弟子となり、研鑽(けんさん)を重ねていく。中学に上がったタイミングで奨励会に入り、順調に昇級を重ね、十四歳で最初の関門である初段昇格を果たす。初段昇格の年齢制限は満二十一歳であるから、その実力は相当なものであったのだろう。

 しかし、ここで小笠原茂少年は災難に見舞われる。

 阪神淡路大震災。甚大な被害の出た長田の街で、茂少年は被災する。

 ……ええ、もう、怖かったですね。とても助からない、これは死んじゃうんだと思いましたね。ええ。家が、ペチャンコになってしまって。ワタシはちょうどあの日、……ええ、覚えてます、一月十七日は火曜日だったんですけどね。まだ六時にもなってない時間で。ドーンと揺れて、ええ、気付いたときには、ワタシは瓦礫(がれき)の中にいたんです。もう、ペチャンコの家の中で、身動きが取れなくて、家族がどこにいるかもわからんのですね。けれど、ワタシは、当時はまだ痩せておりましたですから、少しずつ少しずつ、手を伸ばして、足を動かして。瓦礫の隙間から、ちょびっとだけ指が出たんですね。右手の指がですね、出たんです。それを、近所の人が見つけてくださって。それで、ワタシはなんとか助け出してもらえたんです。

 家族で、ワタシだけでしたね。

 おっちゃんは、悲しそうに笑ってそう言った。熱い頭で横たわりながら聴いていた李都は、半分現実のような、残り半分は嘘のような気持ちで受け止めて、そのときは確たる反応を示すことは出来なかった。

 ただ、それから何日もして、そうか、と気が付いた。

 おっちゃんには、家族がいないんだ。

 震災孤児となった茂少年は、中西八段に引き取られることとなった。元より弟子として中西八段の家にしばしば出入りしていたので、自然な成り行きではあったのだろう。

 中学卒業後はますます将棋に専念するようになったが、反面、茂の棋力は足踏みをするようになる。十四歳で初段に昇格した茂は十九歳まで二段に昇級することが出来なかった。

 当時のワタシは、その、カッコいい言い方をするならば、トラウマを抱えた状態だったですね。ええ。終盤の勝負所になると、怖くなってしまうんですね。ええ。地震で怖い目に遭ったのだから、将棋なんてものは、平和で、人が死んだりすることはないって、頭ではわかっとるんですけどね。でも、怖いって思ってしまって、身動きが取れんようになってしまうんですね。今でいう、カウンセリングというのを受けたり、色々ね、師匠に美味しいものをご馳走(ちそう)になったり、色々してもらったんですが。そういうのがやっと落ち着いたのが、二十歳になった時でしたね。

 二十歳で二段昇格、そして二十二歳で三段昇格。いよいよ、プロ棋士への最終関門である「三段リーグ」に茂は挑むこととなった。

 関東・関西の奨励会三段の棋士たちが、たった二つの枠を争う熾烈な戦い。リーグ戦を終えた段階で勝率が二割五分を切った場合は「降段点」を課せられ、二回連続で降段点を得てしまうと、二段に落ちる。そして先述の通り二十六歳までに四段へ昇級出来なければ、プロへの道は閉ざされることとなる。ごく狭き門に、各地で「神童」「天才」「鳳雛(ほうすう)」と呼ばれた者たちが殺到するのだから、恐ろしく厳しい世界であることは疑いない。

 案の定、茂は苦戦する。

 最初の期、半年のリーグ戦では、十八局を指して三勝十五敗と、いきなり降段点を背負う。次の期は五勝十三敗と降段点を消すことに成功するが、続く期では再び三勝十五敗。

 当時は、ええ、もう、お先真っ暗でしたね。だって、ええ、半年やって、三つ四つ勝つのがやっとで。しかも、後ろからどんどん強い人が入ってくるんです、ワタシなんかよりもっと優れて、若い人たちが。食事もろくに喉を通らなくて、毎晩眠れなくて、眠れないもんだから頭も回らないもんで。将棋を指すことしか能のないワタシが、あともうちょっとしたら、社会に放り出されてしまうんだって、怖くて怖くて……。

 しかし二十五歳を迎えるリーグ戦、茂に転機が訪れた。

 弟子の苦戦が将来への不安から来るものだと見抜いた師が、こんなことを言ったのである。

 広島にある、俺の実家なんやけど、もちろん俺の両親はもうおらんし、山奥だもんで、俺が見るのもしんどい。畑もあるんやけど、荒れ放題でな。

 そこでや、茂。お前がもし、棋士になれなんだら、俺の代わりにその家と畑の面倒を見てもらいたいんや。

 震災で家を失って以来、ずっと中西の家の小部屋に住まわせてもらっていた茂にとって、師の提案がどれほど救いになっただろう。師の優しさに心を打たれて、茂はその年の前期、初めて三段リーグで十勝八敗と勝ち越しを飾る。続く期では九勝九敗であったが、二十六歳となった最初の期では十二勝六敗。その年の上位二名からは離されたものの、次点の成績を(おさ)める。

 苦しい時期に、将棋から逃げるようにギャンブルの沼にハマり、ドロップアウトしていく三段棋士もいる中、愚直に努力を重ねていた茂は、震災による心の傷も()え、二十六歳と八ヶ月、ついに十四勝四敗、リーグ戦二位の成績を納め、四段昇格。悲願のプロ入りを果たす。

 ……ワタシが子供のころはですね、とにかく攻めるのが好きで、師匠からも「そない前のめりになるんやない」とよく(たしな)められていたんですがね、そのころにはすっかり、守りの棋風になっていたですね。あちこちのイベントに呼ばれて、子供さんたちに教えるときでも、あんまり元気のない、ねばっこい手ばっかり指すもんですから、多分あんまり評判はよくないですねワタシは。アハハ……。

 その後、小笠原茂は目立った実績を残すことはないまま現在に至るまでプロ棋士を続けている。

 自称した通り、守りの棋風の振り飛車党。ただ、その粘り強さが合うのか、持ち時間の短い棋戦では勝率が高く、とりわけ全棋士参加棋戦の中では最も短い持ち時間で争われる「トキノ杯電撃戦」ではベスト八、ベスト四、そして今年は優勝と、格上の棋士たちとも互角以上に渡り合ってきた……。

 何度も寝返りを打ちながら、李都はおっちゃんの話を反芻(はんすう)していた。おっちゃんが李都の家で暮らすようになったのは、小学校に上がるに当たって、広島から東京に引っ越してきたとき。なぜそのタイミングでおっちゃんが同居することになったのか、李都は知らない。

 ただ、なんとなく、こういうことかな、というのは想像できるのだ。

 李都が二歳だか三歳だかのときまで暮らしていたという、立派なおうち。記憶からは消え、写真の中だけ残っているあのおうちは、おっちゃんが中西八段から受け継いだものだったのではないだろうか。

 ではなぜ、ものごころ付いたときには、広島の都市近郊の小さなアパートに、父母と三人ぎゅうぎゅうに暮らしていたのか。

 そして、東京に引っ越すに当たっておっちゃんとの同居が始まったのか……。

 考えているうちに眠りに落ちて、おっちゃんの夢を見た。中学生のとき、瓦礫に押し潰されそうなところから、右手の指だけが出て、命が助かったというおっちゃんの話を思い出したせいだろう。

 李都が見ているおっちゃんの指は、太く、深爪である。

 おっちゃんが将棋の駒を挟む指である。

 おっちゃんの人生を繋いできた指である。

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