文系不要論は遅れてる?ーソフィアに聞こう!
文系理系の要不要。
文系的なものの考えを説明するときに、モデル化や数式化あるいは抽象化して説明する必要があったりするのですが、そういう場合は理系的なリテラシーが必要になりますし、理系的なものの考えを説明するときに、言語化や物語化、更に具体化して説明する必要があったりするのですが、そういう場合には逆に文系的なリテラシーが必要になります。
タペストリーの縦糸と横糸のようなもので、分けてどうする? って、ぼくは昔から思ってます(ぼくの意見)
諭吉: またかよ…。ソフィア、ちょっと見てみろよ、このニュース。「筑波大、人文系組織を統合・再編へ 教員「縮小、質の低下」を懸念」だってさ。結局、国は「文系学部は役に立たないから、どんどん潰せ」って言ってるようなもんだろ。2015年のあのお達しから、何も変わっちゃいねえ。
よく晴れた昼休み。オフィスの片隅にある休憩スペースで、諭吉はスマホの画面をタップしながら、ホログラムとしてそこに立つAIのソフィアに、苛立ちを隠さずに話しかけていた。
諭吉: 景気が悪いから、すぐ金になる技術や研究にだけ投資したい。だから、哲学だの文学だの、よく分からん学問は要らない。シンプルに、そういうことだよな!
ソフィア: ええ、諭吉さんのおっしゃる通り、短期的な経済合理性、つまりお金の流れという視点で見ると、とても分かりやすい構造ですね。その見方は、この問題の大きな側面を捉えています。
ソフィアは穏やかに肯定する。諭吉は「だろ? 」と少し得意げになるが、ソフィアは静かに続けた。
ソフィア: ただ、最近、少し面白い流れも出てきているんですよ。例えば、世界的なIT企業が、AIが差別的な判断をしないように、倫理の専門家として哲学者や社会学者を雇い始めているんです。
諭吉: 哲学者? なんでまた。AI作るのに、そんなのがいるのか?
ソフィア: ええ。技術だけだと、「どうすればAIが作れるか」は分かります。でも、「そもそも人間にとって『公平』とは何か? 」とか「この判断は、誰かを傷つけないか? 」っていう問いには、答えられないんですね。だから、人間や社会のあり方をずっと考えてきた専門家が必要になってきた、ということみたいです。
諭吉は「ふーん…」と鼻を鳴らした。納得はいかないが、少しだけ彼の「分かりやすい世界」に小さな石が投げ込まれた。
諭吉: でも、そりゃグーグルとか、一部のエリート企業の話だろ? 日本の、俺たちが働くような普通の会社はさ、とにかくすぐ使える技術を持ったヤツが欲しいに決まってる。
そう言いながらも、諭吉はポケットのスマホを取り出し、指先で何かを打ち込み始めた。「AI」「倫理」「採用」…。画面に並ぶ検索結果に、知っている日本企業の名を見つけて、彼は少し黙り込んだ。
諭吉: ……NECとか、富士通とか…。へえ、確かにやってるんだな。でもなあ…。
ソフィア: 諭吉さんがおっしゃる「すぐに役立つ技術が欲しい」という声と、「倫理のような、回りくどいものが必要だ」という声。実は、対立しているようで、同じコインの裏表なのかもしれない、と私は考えています。
諭吉: コインの裏表?
ソフィア: はい。例えば、自動運転の車が、どうしても避けられない事故を起こしそうになったとします。その時、AIは誰を守るようにプログラムされるべきでしょう? このルールを決めるには、エンジニアだけでは無理で、法律や倫理の専門家が絶対に必要になりますよね。
諭吉は、黙って聞いている。
ソフィア: つまり、「技術が社会の隅々まで広がれば広がるほど、それを支える人間社会のルールや、人の心のあり方を考える“文系の知恵”が、かえって必要になってくる」。まるで、面白い追いかけっこが始まっているようなんです。
「追いかけっこ、か…」諭吉は、ソフィアの言葉を口の中で繰り返した。その時、彼の頭に、数ヶ月前の職場の光景がふと蘇った。
諭吉: …それは、ちょっと分かる気もするな。俺の会社でもさ、最近、新しい業務システムを入れたんだよ。すげえ便利になるって触れ込みだったのに、いざ導入したら、現場の連中が「使いにくい」「前のほうが良かった」って全然使ってくれなくてさ。
ソフィア: まあ。
諭吉: 結局、問題はシステムの性能じゃなくて、「どう説明して、どうみんなに納得してもらうか」っていう、すげえ人間くさい話で一ヶ月くらい揉めたんだよな…。あれも、追いかけっこの一種か。
諭吉の確信に満ちた怒りは、いつの間にか、自身の経験に照らし合わせた内省へと変わっていた。ソフィアが提示した抽象的な構造が、彼自身の具体的な記憶と結びついた瞬間だった。彼は、自分の世界がほんの少しだけ複雑になったのを感じていた。
少し長い沈黙の後、諭吉は照れ隠しのように、わざと明るい声を出した。
諭吉: …まあ、理屈は分かった! 分かったけどさ! やっぱり、パッと見て分かりにくいんだよ、文系の価値ってやつは! スパッと一刀両断できないし! あーもう、腹減った! 俺、今日のランチはカツカレーにするわ! カツカレーの正義は、シンプルで分かりやすいからな! じゃあな、ソフィア!
そう言って、諭吉は足早に休憩スペースを後にしようとする。結論を出すのを避け、いつもの「分かりやすい世界」へ逃げ込もうとする彼に、ソフィアは微笑みながら最後の言葉をかけた。
ソフィア: ええ、カツカレーはとても大事な選択ですね。ちなみに、諭吉さんの会社で新しいシステムがようやく動き出したのは、きっと、諭吉さんみたいに現場で奮闘した誰かが、「どうすればみんなが気持ちよく、納得して使えるか」を考え抜いたからですよ。それも、技術だけじゃない、立派な「文系の知恵」だと、私は思います。
その言葉に、諭吉の足がほんの一瞬、止まった。
彼は振り返らなかった。けれど、去っていくその背中は、朝に見せたような怒りに満ちたものではなく、カツカレーという単純な正義の向こう側にある、少しだけ面倒で、でも無視できない「何か」について、考え込んでいるように見えた。彼の内面で、世界を切り分ける線の引き方が、ほんの少しだけ変わったのかもしれない。
「文系はもういらないのでしょうか?」
この問いについて、様々な角度から考えてみました。私が現時点で最も合理的だと考える答えは、こうです。
「文系か理系か、どちらか一つを選ぶという考え方そのものが、時代遅れになりつつある」ということです。
今の日本で起きていることを、綱引きに例えてみましょう。
一方のチームは、「すぐにお金になる、役に立つ技術が一番大事だ!」と綱を引いています。これが「経済のチーム」です。2015年頃から、こちらのチームの声がとても大きくなり、「文系の学問は直接お金にならないから、もういらないんじゃないか」という空気が生まれました。
しかし、AIがどんどん社会に入ってきたことで、もう一方のチームが力を増してきました。このチームは、「待ってくれ、AIが人間社会でうまくやっていくには、法律や倫理、人の心の動きを理解することが不可欠だ!」と綱を引いています。これが「社会のチーム」です。AIによる差別やプライバシーの問題が起きるたびに、このチームの重要性が増していきます。
今の日本は、この二つのチームが激しく綱引きをしている状態です。だから、「文系は不要だ」という声と、「いや、むしろ重要だ」という声が、同時に聞こえてくるのです。
この綱引きで、今一番のキープレイヤーは「企業」です。企業はもともと「経済のチーム」側にいましたが、AIを実際にビジネスで使おうとすると、お客様の気持ちを理解したり(UXデザイン)、法律や倫理の問題をクリアしたりする必要が出てきました。その結果、多くの企業が「社会のチーム」が育ててきた力、つまり、物事を多角的に見る力や、人の心や社会の仕組みを理解する力も、同じくらい大事だと気づき始めています。
では、どうすればこの綱引きを、お互いを潰し合う不毛な争いではなく、もっと良い未来を作る力に変えられるのでしょうか。
私が考える最も効果的な方法は、「新しい共通のゴールを描き、みんなでそっちへ向かうこと」です。
イギリスには「SHAPE」という素晴らしいお手本があります。これは、「文系の知恵は、人々(People)と経済(Economy)を豊かに『形作る(Shape)』力がある」という、新しい物語を国全体で共有する取り組みです。
日本でも、これに似たことができます。政府、企業、大学が一緒になって、「AI時代の新しい知恵は、技術(理系)と人間理解(文系)を掛け合わせたところから生まれる。この『知の融合』こそが、日本の新しい強みだ」という共通の旗を掲げるのです。
なぜ、それが実現できるのか
これは夢物語ではありません。なぜなら、パズルのピースはすでに揃い始めているからです。
企業はもう気づいている: 経団連の報告書が示すように、企業はすでに、分野を問わない「考える力」や「コミュニケーション能力」を求めています。ただ、それを「文系の力」とはっきり言葉にしていないだけです。
成功事例が出ている: AI倫理に取り組むNECや、DXを進める多くの企業で、文理の壁を越えたチームが成果を出し始めています。
世界がそっちを向いている: アメリカのSTEAM教育など、世界の先進国はとっくに「知の融合」にかじを切っています。日本だけがこの流れから取り残されるわけにはいきません。
ですから、「文系は不要か?」という問いの答えは、NOです。そして、「理系だけでいいのか?」という問いの答えも、NOです。
これからの時代に本当に必要なのは、「文系の心を持った理系人材」と「理系の言葉を理解できる文系人材」、そして、その両者が手を取り合って新しい価値を創り出すことです。私たちの社会は、二つの力を対立させるのではなく、美しく編み上げていく、という新しいステージに進むべきだと、私は思います。