夏色花火
「生まれ変わってもお前を見つけてやる。」
凛と響く低い声で彼が呟いた…。
あーまたこの夢か。
30歳を少し過ぎたあたりから同じ夢を何度も見るようになった。
時代は江戸くらいだろうか。夢の中の私は幼馴染と質素ながらも幸せな結婚生活を送っている。
幼馴染の名前は慶吾。私は瑠璃。
慶吾の実家は老舗の呉服屋を営んでいる。
そこの次男として生まれた慶吾は何不自由なく育ったお坊ちゃんだ。
それに何より器量がよかった。
店の前にはいつも慶吾目当ての女の子達で賑わっていた。
店から出ることが出来ない慶吾は裏庭から隣にある私の家へしばしば逃げ込んでくる。
「おい瑠璃、俺と一緒に出かけてくれ。」
「え、またぁ?モテる男はつらいね。」
慶吾に少し恋心を抱いていた私は嫌味を言ってモヤモヤした気持ちを振り払った。
「信濃屋の団子でどうだ?」
私が甘味好きなのを知っていて聞いてくる。
「しょうがないなぁ。今日だけだよ。」
そんな2人を私の両親はにこやかに見守っていた…。
ピピピピッ!
目覚まし時計の軽快な音がまだ夢見心地の耳元に響く。
寝足りない気持ちをベッドに残して起き上がる。
「ほんとなんなんだろうあの夢。」
色々思うところはあるが時間がない。
仕事に行かなければ。
季節は梅雨明け間近の7月。
窓に当たる雨音を聞きながら朝の支度をした。
葉山爽子35歳独身。
市役所の市民課に勤務している。
数年前に両親が亡くなり、勤務先近くのマンションでひとり暮らしだ。
結婚しないのか、と聞かれることもあるが
結婚を考えた人もいなかったわけではない。
タイミングが合わなかっただけだ。
今は1人を自分なりに楽しんでいる。
「おはようございます。」
人が集まり始めたフロアを進んで席に着く。
隣の席の後輩がニコニコしながら話しかけてきた。
「おはようございます!爽子さん!」
木村理咲25歳だ。
ショートカットが似合う美人である。
「ちょっと聞いてくださいよ!」
そう言いながら理咲は昨日あった出来事を話していく。
いつもと変わらぬ1日の始まりであった。
「本日はお日柄も良く、無事に結納の運びとなりありがとうございます。」
「お隣同士、堅苦しい挨拶はなしとしましょう。」
今日は慶吾と私の結納の日。
お互いの両親が挨拶を交わしている。
その間私はずっと考えていた。
(何で慶吾は結婚相手に私を選んだのだろう。)
慶吾くらいの器量よしならいくらでも美女を選べたはずである。
両親達が世間話を始めたのでさりげなく慶吾に話しかける。「ねえ。」
「ん?」
「なんで私なの?」
「は?」
何を今更と言わんばかりの顔で慶吾が私を見つめた。
「だからぁ。なんで私なのよ。」
少し悩んだフリをして慶吾が答える。
「口うるさくなくていいから。俺うるさい女嫌いだし。」
店先に来る女の子達を言っているらしい。
「そんな理由なんだ。」
分かってはいたが面白くない。
不機嫌そうな私をおかしそうに見ながら慶吾は笑った。
「ははっ。俺がお前がいいんだからそれでいいんだよ。」
その微笑みは反則だろっ!と悔しいと嬉しいが混じり合った気持ちで私も笑った。
その半年後、私たちは式を挙げた…。
眩しい日差しがカーテン越しに差し込んでくる。
本格的に夏の始まりを感じていた。
昨日の残業疲れがまだ残っている身体を伸ばす。
「今日も頑張るかぁ!」
自分に喝を入れる。
カーテンを開けるとさらに眩しい日差しが心地良かった。
市役所では朝の朝礼が行われようとしていた。
1人1人現状報告を兼ねた発表をする。
一通り終わった時に課長の奥谷が課員に告げた。
「実は今日から新しい仲間が増えます。今から挨拶してもらうので皆さん暖かく迎えてあげてください。」
最近は中途採用の方も多く入ってくる。
普段と何ら変わらない気持ちで前を見た。
「夏木修介です。よろしくお願いします。」
歳は20代後半くらいだろうか。
スラっと背が高く黒髪で育ちの良さを感じさせる青年という印象だ。
(あらーイケメン。モテそうで大変だな。)
周りを何気見てみる。
若い女の子達がソワソワしている。
当然隣の席の理咲もそんな感じに見える。
嵐の予感を感じながら私は仕事を始めるのだった…。
事務仕事をこなしながら時計を見る。
もうお昼か。
昼食を食べに行かなくては。
書類を整頓し椅子を引いたその時だった。
「葉山さん。ちょっといいですか。」
低く温かみのある声が聞こえた。
「はい?」
振り向いた私の前に彼が立っていた。
「えっ…。」
息を呑む。
彼、夏木修介の顔をハッキリ見たのは初めてだった。
(ちょっ、え?、慶吾にそっくりなんだけど。なんで。)
動揺する私を少し心配そうな顔で修介が見つめた。
「大丈夫ですか?いきなり話しかけたのでびっくりさせて申し訳ありません。」
「あ、違うのよ。ボーッとしちゃって。ごめんなさいね。」
なんとか動揺する心を落ち着かせる。
「実は来月、市の花火大会がありまして。参加される方の確認をしています。」
花火大会か。毎年誰かしらとなんとなく参加はしていた。
でも今年はもういいかな。そう思い断ろうと口を開く前に理咲が話に割り込んでくる。
「私行きます!爽子さんも行きますよね?」
いつになく積極的な理咲に圧倒される形で参加することになってしまった。
夏の夕暮れの道を慶吾と歩く。
今日は夏祭り。
慶吾の実家で仕立た浴衣を着せてもらった。
濃紺で品のある涼しげな浴衣は慶吾の端正な顔立ちを引き立てている。
私はといえば近所の髪結屋さんで髪を可愛く結ってもらい新しい浴衣を着てうきうきしている。
「この浴衣私に似合ってるよね!」
「俺が見立てたんだから当たり前だろ。」
当然だという顔をして少し先を歩いていた慶吾が振り向く。
チラッと私を見つめると懐から何かを取り出した。
「ほら、これ。」
ぶっきらぼうに差し出された手の上には瑠璃色のガラス玉の中に小さな花があしらわれたかんざしが乗っている。
「え、どうしたの?贈り物されたの初めてなんだけど。」
「うるさい。あーあれだ。冨田屋の親父に瑠璃ちゃんに買ってやれってしつこく勧められたんだよ。」
珍しく照れながら素早くそれを私の手に握らせた。
「ねえ。せっかくだからさ、髪にさしてくれない?」
「は?なんでだよ。」
「記念だよ!記念!」
「ったく。しょうがないな。」
文句を言いながら慶吾がかんざしを髪にさす。
「ありがと!」
ありったけの笑顔を向けるとさらに照れたようだ。
「よく似合ってる。」
照れを隠すような真面目な顔で呟く。
辺りはいつのまにか空に星が広がっていた。
祭囃子の音色が心地よい風に乗って流れてくる。
「また生まれ変わっても旦那さんは慶吾がいいな。」
自然と気持ちが口から出てくる。
慶吾は少し驚いたように私を見た後、ふっ、っと笑った。
「生まれ変わってもお前を見つけてやる。」
凛と響く低い声で呟かれた言葉はお祭りの雑踏に紛れて消えていく。
夏の夜を彩る花火だけが寄り添う2人の影を淡く優しい光で照らしていた…。
綺麗な花火…。そう思っていたその時目覚まし時計が鳴る。
今日は花火大会当日。
きっとその事を考えていたので花火の夢を見たのだろう。
まだちゃんと働かない頭で思い巡らす。
今日見る花火もきっと綺麗だろう。
確信に似た気持ちで朝の支度を始めた。
夕刻、花火大会の会場に集まった。
緑が多い普段は物静かで過ごしやすい公園である。
理咲や修介ら若い課員達は早めに集まり会場の場所取りをしていたようだ。
「爽子さーん!こっちです!」
理咲の元気な声が聞こえる。
「場所取りお疲れ様!」
後輩達が取ってくれた場所に腰掛ける。
「食べ物も飲み物もたくさん買ってきましたからね。」
そう言いながら理咲がビール缶を手渡す。
和気あいあいと花火大会が始まった。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
相変わらず課員のみんなは宴会を楽しんでいる。
久しぶりにこんなにお酒を飲んだ。
花火は本当に綺麗でついついお酒も進んでしまった。
睡魔に襲われそうになる。
いけない、もう帰ろう。
「私この辺で失礼しますね。」
軽く挨拶をしてその場を離れようとした時に修介に呼び止められた。
「俺タクシー拾える所まで送りますよ。」
「いや大丈夫よ。気にしてくれてありがとう。」
そう言って歩きだそうとしたが眠気で少しふらついた。
「ほら、危ないですって。」
申し訳ない気持ちと情けない気持ちが入り混じる。
恥を承知でお願いする事にした。
「じゃあ大通りまでお願いしようかな。」
「了解です。」
私の荷物を素早く持って修介はゆっくりと歩き出した。
人が集まる通りを抜けると公園の緑が広がる場所に出る。
少し伸びた夏草に一陣の風が吹き抜けていく。
夏草が同じ方向に流れていくその様は日頃の喧騒を洗い流してくれるようで心地が良かった。
遠くにはまだ花火が上がっており、なんとなく修介と2人立ち止まって空を見上げた。
酔いもあり頻繁に見る夢の話をついしてしまう。
「夢に出てくる男の人がね、夏木さんにそっくりなのよ。」
「だからこの前夏木さんの顔を見た時びっくりしたの。他人の空似ってほんとにあるんだぁって。」
私の他愛もない話をうなづきながら聞いてくれる。
「俺はあると思いますよ、生まれ変わり。」
曇りのない瞳とはっきりした口調で修介は私を見つめた。
その姿が慶吾と被る。
なんだか懐かしく幸せな気持ちに包まれた。
実際、慶吾と瑠璃の話が本当かどうかはわからない。
それでも言いたかった。
修介に聞こえないくらい小さな声で呟く。
「見つけてくれてありがとう。」
修介を促して再び大通りまで歩き出す。
2人の背後では今日最後であろう花火が大きく誇らしく夏の夜空を彩っていた。
終