◆一章 監視システム(6)
四十日溜まっている有休休暇を使用して職業安定所へ向かった。相談所以外にも訓練所まで完備されていて、来客数は多かった。朝から閉まる時間まで滞在するのを日課としている常連もいると友達が言っていた。
同じ時間に相談している派遣社員だった男性の声は鬼気迫るものがあり、誰もが目を奪われていた。
「正社員でなくては困るんですよ」
「そう言われましてもね」
職員のおじさんは、額に汗を浮かべ、蛍光灯に照らされて光っていた。ハンカチで丁寧に拭った。
「条件なら緩和しているのですよ。勤務地も関東であれば問題ないんです」
パイプ椅子から腰を浮かせ、腰前に乗り出した。仕切り机がなければ職員のおじさんを食べてしまいそうに見えた。
「わかっているはずですよ。正社員でさえリストラされる時期ですからね」
「……」
勢いはなくなり、頭を抱えだした。
話の流れから、派遣社員だった男性は現状維持できる給料と安定した職場、かつキャリアを生かせる企業就職を望んでいた。必死で探している理由は、生活のお金を得る為であり、プライドを維持する為でもあった。
僕はやりとりを見ているだけでやる気がそがれた。同時に血の気が引いていった。同類の人を何十人も相手にしている職員のおじさんから、内に秘めたストレスが透けて見えてくる。当たり散らされたらたまったもんじゃない。同じ人に当たらないよう、調べるふりをして受付時間の調整を行った。
野心が希薄な男を噂では草食男子と呼ぶらしい。女っぽさを形容したものでもあり、現実を直視できる強靭な精神は無いが、無職に続く新たな称号だった。
職業安定所での手ごたえはなかった。明確な条件を提示していなければ、やる気をどこかに置き忘れた若者が興味で参加しただけである。もちろん職探しをしなければならないと思ってはいるが、少なくとも相手には伝わっていなかった。当然の結果だった。
土曜日、僕は新宿区に居た。会社では私服通勤が許されているので、タイトスーツにネクタイは体を占めつける感覚が否めない。
【オブサべーションベンチャー】は八階建ビルの四階にあった。一階の受付から神田を呼び出してもらうと、来て頂けると思っていましたよと迎えてきた。
四階は四つの事務所に仕切られていた。天井付近にガラス戸があるだけで、中がどうなっているかは定かではない。フロア全体は学校の体育館程度の広さはある。
神田に案内された部屋は頻繁には使われてないであろう事務所を通った後の会議室だった。二十一インチのモニタとパソコンが設置されていて、それ以外は特に目立った特徴はない。
「もう一人来る予定なので待ってもらえますか?」
と告げ、資料の整理に取り掛かっていた。
気になっている点があった。事務所が整然とし過ぎている点もあるが、入口から角部屋に当たる事務所からキーボードをたたく音が途切れないで聞こえてくる。それも大量だった。カチカチカチカチ。普通であれば、少なくとも僕の会社であれば、人の声がそれらを凌駕して聞こえない。それらについて聞いてみた。
「仕事熱心なのでしょうね。技術者なのですがアルバイトの人が大半を占めていまして」
「どのような技術者なんですか?」
「製品開発ですよ、これ関連の」
モニタを指差した。言ったきりばったり口を閉ざす様子は、詳しく聞いていいものかの判断がつかなかった。馴染んできてから聞いてみようと考えた。
適当に辺りを見回していると、年下らしき女の子が受付の人に案内されて入室してきた。
「どうぞこちらへ」
ゆったりとした古着にコートを羽織っている。僕がモニタ関連の仕事をしていて選ばれた理由が真実だとすれば、酷く場違いである。実際は不特定多数、それも在宅している人に営業をかけているのではないか。疑惑はあったが、営業業務の内情を知らない僕は興味がなかった。
「失礼します」
俯いていて控え目な声だった。顔の強張りを見ていると、面接時を思わせた。メガネを掛けて、化粧気があまりない。至近距離に座っている女の子に、緊張しなくてもいいんだよと声を掛けたい衝動があった。
神田はドアを閉め、キーボードをたたく音が遮断された。
「では早速始めましょう」
配られた資料には契約書も含まれていた。目を通す時間もなく神田は話始めた。