◆一章 監視システム(5)
僕は電車を待つ間バックの中身を確認し、西日本債権回収サービスからの招待状を見て考えた。宛先の氏名が書かれていない。お客様番号が僕の氏名である。自宅回収に来るのかと思えば、今度は招待状である。二日間で五回の電話を無視した代償だった。サイトのつくりと同質で何も考えていない。意図がまったく見えてこなかった。
今朝郵便受けに入っていたハガキに記された日程は一週間だった。ご丁寧に場所まで指定する架空請求業者など聞いたことがなかった。
他人の視線を感じとり、ハガキを戻した。
「新入社員は三年で辞める」
と聞いたのは、専門学校時代の就職活動中だった。二十歳で入社し三年目で辞めさせられる予定の僕は、滞在期間残り一か月を切った会社へ向かった。そもそも、昨日に新製品の開発に呼ばれたのは不自然としか言いようがなかった。去っていく人間に新しいプロジェクトの話である。
定時間に帰宅促進の放送が流れた。放送が終わる前に持ち場を離れ、帰路をたどる社員もいる。フロアは広い、そんな人間がいても可笑しくはない。昼食を抜いていても食欲は湧かなかった。缶コーヒーで満たされた胃袋は弛緩しきっていた。
残っているのは残業手当が付かない上司と継続勤務が約束された社員だけだった。引き継ぎ業務の説明で大半を占めた時間も給料泥棒とは言わせたくない。
多数の社員がエレベータに向かう流れに乗って職場を後にした。生きた心地がしないという言葉は、今でも使っていいと勝手に決めつけていた。
最寄り駅から歩いていると、携帯電話が鳴った。付き合って二年になる彼女の明日香からだ。もしもし、
「疲れているの?」
普通に装ったつもりでも見抜かれていた。女の勘と現実的な考え方が希薄であれば、僕達はもっと旨くやれるはずだった。から元気の演出を止めた。
「まあね」
「そうなんだ……」
説明するのが億劫であった。今の状況を話してはいない。一ヵ月後には無職になる状況を説明したがる人なんて存在するのだろうか。
「お疲れ様」
「お互い様」
熱が籠っていなくても気にならなかった。
「どうしたの? 珍しくない?」
仕事は残業続きだと言って以来、明日香の知っている情報は途切れている。場合によってはケーキ屋で働いている明日香の方が勤務時間は多い。
「うん、何もないよ」
心の風邪という冗談を言える雰囲気ではなかった。
「ならいいんだけど」
「明日香は仕事終わり?」
「うん、これから帰るところだったの」
「じゃあ、同じだね」
現実を見据える彼女と、現状を言葉に出来ていない僕。心配の種は不況の嵐だった。十八時に落付いて携帯に出れる彼氏を持つと、不安になるらしい。会話が続かなかった。普段会っている時は沈黙が心地よいと思えるのに、真逆の空気が漂った。
「ごめん、掛け直すよ」
特に用はなかったからと付け加え、再度謝ってきた。
「わかった」
謝るべきなのは僕だった。浮気をしない安全な男が長所だとすれば、女性を引き付ける魅力が皆無なのが短所である。付き合い続けてくれるのが不思議でたまらなかった。
僕たちの関係は危ない橋を渡っている感覚はあった。クビが決定した次の日、二人で飲んでいる最中に、ふと話をしたことがあった。
「僕が失業しても付き合い続けてくれる?」
まともに彼女を見れないでいた僕は、俯き加減で答えを待っていた。
「次の職場が見つかっているのであれば」
「じゃあ、見つかっていなければ?」
彼女の反応は無言だった。カクテルを必要以上に飲み干す仕草は、僕の言い訳を中断させた。別のテーブルでは大学生がわけのわからない話で盛り上がっていた。
「そうなったら考えようよ」
そう答えた。彼女が出来る精一杯の気遣いであることはわかっていた。いつでも僕の顔色を感じ取ってくれる。それ以前までは嫌悪感を抱いたことはなかった。
「だよね」
「話かえない?」
「今週、月九のドラマ見た?」
危険な香のする男に惹かれると聞いたことはあった。可能性を感じる男であれば、あるいは魅力があれば、失業だろうが借金まみれだろうが関係ない。実際の僕はかけ離れているという自覚はあった。要は素質がなかった。
電話口の通話時間二分二十秒をいつまでも見つめていた。通話時間は付き合いたての時期から上昇し、深密な関係となった時期をピークに下降していく法則があっても可笑しくないと思い込んだ。
今明日香を失うわけにはいかない。心から好きになっている時期はお互い過ぎていた。決して綺麗と形容される女性ではないが、心に潤いを与えてくれる人。週末まで仕事をこなせるのは彼女のお陰だからだ。