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ミステリアスボード  作者: 京理義高
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◆三章 基板解析の旅(13)

 悪い予感は予期せぬ時に襲ってくる。特に疲労し、やるべきことをやっていない状況下において襲われる確率が高くなる。突然、母親からの連絡があった。僕の体を心配しているようにも見えたが、結局は松本からの連絡についてがメインだった。実際家まで来てはいないようだったので、母の元気な声と共に僕は安堵していた。


「三月で退職するからお金がないとか聞いたけど、本当なの?」

 

 親にだけは聞かれたくない事実だった。


「本当だけど心配はしないで」


「そう。でも困っているのであれば相談しなさいよ」


「うん。家に知らない人が来たとしても相手にするなよ」


 母親は僕の曖昧な説明に煮え切らないようだった。すべてを打ち明けるわけにはいかない。もう少し、事態が安定するまで待っててくれと心で思っていた。


 小さな音にも過敏に反応するようになっていた。時には無音なのに幻聴が聞こえたりする。真奈美が指摘してくれなければ判別できないかもしれない。


 加奈が買ってきてくれた市販の睡眠導入剤ではまったく効き目がなかった。僕は栄養ドリンクとコーヒーを飲み続けた。逆転の発想は悪い方向には行かなかった。少なくとも、周期的に襲ってくる眠気には対応できた。


 不休のおかげで設計は終版に差し掛かっていた。ICを製品として取り扱う場合、設計期間工数を五とすると、シミュレーションや検証期間工数が五である。三月末を迎え、まだそれだけの工程にしか辿り付けていないのだ。もちろん、ツール上で検証せずともいきなり実機動作を見るやり方もある。しかし、それで問題なく動く確率は少ない。

 

 外から鈍い音が聞こえてきた。僕は急いで倉庫を出てみると、車が溝に落ちかけていた。

乗っていた真奈美はびっくりするぐらい落ち着いた面持ちで車をおり、そのままの状態である。


「家族が、崩壊しちゃう」


 真奈美は号泣しながら言ってきた。


「どうしたんだよ?」


 足元がふらついていた。倒れそうになった瞬間、僕の支えは間に合った。肩の震えを感じ取り、真奈美を包みこむ形で抱きしめた。作業着を涙で濡らしている。


「大丈夫だよ」

 

 僕が耳元でそうつぶやくと、真奈美の涙は一層勢いを増した。


 話せるようになるまで待った。神田と松本が真奈美の実家まで押し掛けてきた映像だけが浮かんできてしまう。彼らなら遣りかねない。真奈美の悲しみを少しでも吸収し、分け合いたいと思っていた。


「これしかないんだけどさ」


 埃取り用のタオルを渡した。真奈美は顔を埋めた。


「皆いなくなっちゃった」


 加奈は父親と共に自首していた。行政機関の人が個人情報を流出すれば罪になることぐらいは知っている。学校に戻ろうとしていた彼女の姿が浮かんできた。加奈は父親とどんな話をしたのだろうか。


「母さんもショックで倒れちゃって……」


 病院で点滴を打ってもらっていると言う。命に別状はないという診断であり、心配で駆け寄ってきた直人を含め安心させた。


「加奈に渡されたんだ」


 直人はスタンガンを取り出した。確かに加奈へ渡したものだった。


「なにも言わなかったんだけどさ、最初っからそうすると決めていたんだろうな」


 そういうと、口を閉ざした。握っている拳に力が入り、血の色を失っていた。


「しばらく看病しないといけないから」


「気にしないで」


「家をつかってもいいよ」


「ありがとう。でもまだ終わっていないから、その後見せてよ」


 飛びついて真奈美の足跡を見てみたい。部屋を見てみたい。欲望に任せて動きたかった。しかし時間が迫っていた。



 再設計は完了した。僕のアイデア含め、問題なく動作する検証は出来ていない。直人は加奈との面会に行っていた。真奈美とのドライブに嫉妬はなく、一人残った僕は外に出て景色を見渡していた。腰をおろし、過ぎていく時間に関与せず、山のようにどっしりとした精神で日々を送ることに憧れを持つ。時間も経たずに真奈美の体が参らないか心配をする。共に加奈と直人が話をし、どのような方向に進んでいくのかが気になっていく。そして【オブサべーションベンチャー】のモニタ室に現れ、どのような顔をして基板をセッティングしに行くべきかを考える。


 いくつかの方法は考えていた。神田と松本を呼び出し、その間にこっそり忍び込むだとか、素直に謝罪したふりをするだとか、今さら陳腐に思えるものばかりだった。どれを取っても彼らが人の話を聞いてくれる優しい人であれば成り立つプロセスである。何とかなると強がっていても、こうして一人になって恐怖があった。健在な状態で事を済ませられる気がしない。


 遠くの道から直人が見えてきた。走ってきているようだ。市内からであれば相当の距離である。 


「慌ててどうしたんだ?」


 僕は百メートル位離れている直人に大声で問いかけた。間近になって溝に落ちるといった冗談もない。


「一人か?」


 直人は膝に手を置いて頭を垂れた。青白い顔からは大量の汗がにじみ出ている。


「そうだけど」


 息が上がっていてしゃべれない直人は地面に膝を着いた。


「大丈夫かよ?」


「水、くれ」


 喉が渇いている割にはコップに入った水を殆ど飲まず、体にぶっ掛けた。


「そんな急がなくても」


「電話があったんだ」


「どんな?」


 直人は携帯電話を差し出した。コール音と共に留守番電話メッセージに繋がる。


「神田です。お久しぶりですね。今私たちは福島県に入りました。もう少し時間を頂ければあなた達の居る場所に付けるでしょう。時間がかかってしまい申し訳ありません。私達もあまり仕事を厳かに出来ないので直接会ってお話しましょう。では後ほど、失礼します。プープープー」


 僕達は倉庫の中で基板を囲んだ。


「逃げるのは今だぞ? 昌哉の部屋に来ている連中なんだから、ここにも絶対に来る」


「僕はまだ居るよ」


 突発的に出た言葉だった。直人は否定してこない。


「仮に俺らが逃げたとしても、僕達の実家に来る可能性はある。真奈美の実家あるいは病院に行くだけの覚悟はしているだろうしね」


「まあ、そうだけどな」


 直人はロングピースを取り出し、火を付けた。僕も一本貰って吸ってみる。


「クラクラするぅ」


 脳内血管の伸縮を体感した。どうでもいいことの一つや二つは忘れそうである。


「久しぶりに吸うと旨いだろ」


「確かに」


 煙が食道の水分を蒸発させていく。僕は耐えられなくなり、水道水を蛇口から飲んだ。吸い切るまでには血管の伸縮を楽しめるようになっていた。


「俺も着いていくよ、東京に」


「心強い」


「昌哉だけじゃどうにもならないだろ?」


「うーん、否定できない」


 フィルター手前で消えた煙草を足元に置いた直人は基板を眺めていた。


「加奈とは話出来たのか?」


「しっかりしていた。案外、普通の女の子に戻ったりしてな」


「直人は満足なのか?」


「否、毒舌じゃない加奈なんか見たくない」


「だな」


 意味もなく僕達は笑い転げていた。不安を乗り越えるために途切れない思い出話をし、時間を忘れるようにしていた。


「俺、体張った笑いを撮りたくなってきた」


「勘弁してくれよ。怪我して行けなくなったなんて言われたら嫌だから」


「おお、俺が居ないと寂しいんだな」


「全然違う」


「照れるなって。ロケーションとしてはどこがいいかな?」


 エンジン音が聞こえてきた。真奈美だなと思い、真剣に作業している姿を装った。直人も同じだった。違ったのはエンジンを掛けっ放しで、ベース音がやたらに響いてきたことだった。


「誰だろうな?」


 直人が僕に聞いてきた時、入口があき、大きな影から男の姿に変わる。松本は倉庫に現れた。僕らの反応は遅かった。持っていた部品や測定器を投げだして逃げるべきだった。声を発せずに歩み寄り、臆面なく右足を一歩後へ、作業していた直人の顔面をけり飛ばした。僕には黒い皮靴が彼の頭にめり込んだように見えた。


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