◆三章 基板解析の旅(11)
春の陽気が眠気を誘うそうになってきた。僕だけが例外なのではなく、慣れない作業に無理矢理加わっている代償として皆も欠伸の回数が増えていった。もし一人の作業中に吹きつける風が手を差し伸べていて、作業中の張り詰めた神経を解してくれるのであれば、躊躇なく誘いに乗っている。近くに同志がいる状況下はそんな怠惰癖を回避してくれた。
神田、松本の輪郭が露わになってきた。直人の携帯に電話がかかってきた。黙って頷き、
「仲間を作って逃げているようだな」
松本の声だった。聞役の三人は電話口を囲んで顔を寄せ合った。
「えっと、榊原ですが、どちらさんでしょうか?」
冷静さを装った声になっていた直人は後頭部を掻いていた。
「【オブサべーションベンチャー】兼、【西日本債権回収サービス】の松本だ。知ってるんだろ?」
巻き舌を意識しているようである。電話限定であれば、彼は裏社会に身を置くちょっとした脇役者ぐらいにはなれるのかもしれない。
「失礼ですが、俺とは初めてだと思うんやが。違うか?」
「うるせえんだよ。下手な関西弁使いやがって!」
思わず耳を背けた。音が割れるぐらいの大きな声だった。
「いきなり脅迫とはぶっそうやね~」
「関係ねえよ。お前たちは物を盗んでいるんだ。どちらが正しいか裁判でもすれば、俺達が勝のは目に見えている」
「面倒くさそうやし、やめへんか?」
二人の温度差に思わず笑いが込み上げてくる。声を上げて笑ってはいけないと思うと余計に面白くなる。
「止めてやるよ。そんなものぬる過ぎて必要ないからな」
「おおきに!」
電話口から狂ったような笑い声が聞こえてきた。
「なめてんな。わかっているんだよ。お前たちの居場所がよ」
「怖いな~関東の人間は愛嬌がなくてシャレが通じないんや」
「わかっているじゃないか。調べは着実に進んでいるんだ。覚えておけ」
彼の言う通り、加奈の携帯番号も調べ上げているようだった。そして四人で行動を共にしていることも。
「俺達も悪物ではないから、お前たちの実家にはまだ手出さないでおいてやるよ」
「本当のわけは、訴えられるからではないんか?」
「そう思っておけばいい」
「おもろい話してや」
直人が言っている間に切れた。
「コントやっているんじゃないんだから、真面目にやってよ~」
「真面目のつもりだったんだけどな」
呆れた加奈は口を開かなかった。
「分からへんかな~」
「わかんない」
頼りがいがあると思った。僕では感情的になっていた。真面目に向き合ってしまえば相手のペースに乗っている状態でも気がつかなくなる。微妙なところだけれども、態度を観察している限り加奈は好感を持っていた。
【オブサべーションベンチャー】への盗聴を担当したのは加奈だった。ラジオ変わりに聞いていると集中できないのだ。こっそり聞いていて、重要な情報だと判断すれば僕達にも聞こえる位置にレシーバを移動してくる。もちろん録音も忘れてはいない。
分かってきたのは、社長の言葉通り、公共団体とのつながりがあることだった。個人情報の横流しは架空請求業者や警察だけに留まらず、副業程度に考えている市役所勤務の職員にまで及んだ。罪の意識がないのは、社会的認知されている企業だと思い込んでいて、恐らく監視システムが架空請求として使用されていることを知らないからであるのだろう。体裁に関しては病的な徹底ぶりだった。下手をすれは社会貢献とさえ考えているかもしれない。
いつものように声が聞こえてきた。
『いつもお世話になっております』
初めて合う人物なのか定かではない。『いつもお世話になっております』は挨拶の決まり文句みたいなものだからだ。神田の声、恐らく監視システムの打ち合わせなのだろう。モニタが動作しない話は避けていた。
『福島県、XXX町の情報をお持ちしました』
僕達は手を止めた。
「あれ、XXX町ってここじゃないか?」
直人がそう言うと、加奈はレシーバを落としそうになった。
「ま、間違いないよ」
『約三百人のデータが入っていますので。後カメラもお返しします』
『すばらしいです。報酬のお話といたしましょう』
耳にする会話だった。データの噴出を懸念して、直接手渡しに来る団体の人間もいて、仕事の内容は話さず報酬の話になる。一人いくらという額も設定されていない。何を基準に出来高としているのか判別不能だった。
話を聞いている限り、今までの解析結果と照らし合わせるとこうだ。データは監視カメラで捉えた映像と個人情報がセットになって初めて成り立つようになる。そのデータをモニタ内のメモリにアップデートすることによって、監視カメラからの映像と照合できる。
ふと録音機をOFFにした加奈はレシーバに耳をあてた。僕達への声が遮断される。
「密談を俺達にも聞かせてくれよ?」
直人は言ったが加奈はまったく聞いていなかった。一分ほど聞き入ったところでレシーバを目一杯高く持ち、思いっきり地面に叩きつけた。
「おい、何してるんだ!」
ノイズさえも拾わなくなった機器はスクラップと化していた。加奈は肩で息をしている。
「大丈夫か?」
僕は腫れものを扱うような聞き方をした。
「相手はお父さん、お父さんだった」
「マジで!」
出張中とあればありえないことではない。真奈美が戻ってくるまでの間、加奈は何も語ろうとしなかった。真奈美は日が沈んでから現れた。
「真奈美のお父さんってどこに出張行っているの?」
「東京だって。明後日には戻るみたいだけど。頑固だから馴染めんのかな」
呑気な真奈美を余所に、
「その話はもう止めて!」
加奈が絶叫した。一同は声も出なくなった。
「ねえ、どうしたの?」
加奈は入口の脇に肩をぶつけながら倉庫から出て行った。
「全然わかんないんだけど」
真奈美の問いかけに直人は追いかけないで説明をしていた。神田と真奈美達の父親が繋がり、誰もが予想の範疇を超えている事実だった。呆然としている真奈美から車のキーを借り、後を追った。