◆一章 監視システム(3)
次の週、午前中の会議に参加しているとポケットが振動した。登録されていない番号からだった。付き合いのあるメーカーは、プライベート携帯に掛けてはこない。出るわけにはいかなかった。
急いで携帯を仕舞った。相模課長の医療向けモニタ開発のプレゼンは続いている。
パワーハラスメントを意識している心優しい中間管理職である。セクシャルハラスメントを意識していないのは、同じ部署に女性社員がいないからである。
相模課長は上からも下からも意見を言われ、サンドイッチ状態になる光景を見る機会は少なくない。同情したところで、状況を革新することは出来ない。立場は違えど、僕は相模課長とは気が合った。
「先程も言いましたけれども、我が社としては初めての解像度となります。当然技術的にも開発は難易度及びリスクが高くなると予想されます」
そう言って咳ばらいをし、他社の開発製品一覧画面へとシフトした。
僕の勤めている会社のモニタ製品ではQXGA(二〇四八×一五三六)の解像度が最高だった。図面をパソコンツールで使いこなす技術者に人気であり、一般向けになるにはもう少し時間が必要なので、購買層は限定されている。それなのに開発コストは異常に高い。それ以上の解像度になってくればレントゲン写真を映し出すモニタ限定になってくるので受注があっても断っていた。
今回開発される製品はQUXGA(三二〇〇×二四〇〇)である。思いきった発想であり、他社との差別化を主の目的として立ちあがった計画だった。当然既存の量産部材だけでは成り立たない。
最後に、
「皆さんの協力が必要となりますのでよろしくお願いします」
締めくくり、集まった十五人の社員は部屋を後にした。ネガティブな発言は厳禁、月並みな励ましで声を掛け合っている他部門の社員を他人事として観察していた。
直属の上司である大野主任は、会議が終わると話しかけて来た。僕は何でしょうかと構えた。
「バイブとは言え、会議中に携帯を見るのは良くないぞ」
「気を付けます」
苦笑いだった。目の充血具合が、徹夜でネットサーフしていた姿を想像させる。僕は留守電の内容が気になって、まともな対応をしているか定かではなかった。今年三十二になる大野主任は恐らく見開きの携帯を閉じた時の音に関して注意しているに違いなかった。
「それと、会議に参加したのであれば貢献すべきだ。ちょっとでも発言しないと」
「了解です」
「返事はわかりましたにしないと。了解ですは目上の人に使うべきではないよ」
少し神経質なぐらいが技術系の仕事に向いている。彼と僕はICの設計部門に属していた。英語と数値の羅列を理論的に並べる作業。日本語は無効としてメモ扱いだった。
設計ツールとしてフリーソフトしか導入していないが、社内では充分通用していた。許容範囲を超えれば設計外注して製品化してきた。
ただ大野主任は最近、妙に優しくなった。少し前なら、社員が近くに居たとしても説教されるのが当たり前だった。上司や会議でも物怖じせずに意見が言える性格は尊敬するのだが、五十分間の説教となれば話が違ってくる。嬉しい出来事があったわけでもないというのが僕の予想である。
「まあ、久保木君も後少しで」
言葉を飲み込んでいた。大野主任にしては珍しいイージーミスだった。ちょっとしたマッチポンプ的思考はあまり変わらない。相手の反応を待たずに自問自答する彼の性質が説教時間を大幅に増加させている要因である。
「そうですね」
僕に対して言いかけた話の内容は予想が出来ていた。あまり詮索しないようにした。左頬を歪ませて目を逸らした。
喫煙所に行くふりをして、お目当ての女の子を観察しにいく、のではなく非常階段で留守番メッセージを聞いた。
「西日本債権回収サービスの松本です」
「はぁ?」
思わず声を上げた。誰だそれ。
「料金滞納の件で大至急連絡ください。明日までにご連絡頂けなかった場合は地元調査員が動き、自宅回収を取らせて頂きます」
声だけでも柄の悪い男という印象が強かった。言葉使いは丁寧だが、全体的に威圧感がある。もしサービス業を生業としているのならばありえない対応だった。猫を被り切れていないのを自覚しているのだろうか。苦笑いしながら続を聞いた。
サイトから債権回収委託されているという。金曜日を含むと四日放置であり、料金は二十万円まで跳ね上がっていた。エッチ画像を扱うサイトへのワンクリックから情報がリークしている。或いはサイト運営と債権回収を同時に行っている。
携帯番号、メールアドレス以上は知られていないんだと言い聞かせた。
次のメッセージを確認した。
「もし払わなかった場合は、弁護士依頼費用、調査費用まで発生し、金額は五十万となります」
その後、わけのわからない法律用語を並べた説明を加え、裁判になればと言った時に時間切れだった。留守電メモリは満タンである。消さないようにした。
お目当ての女の子は営業部に居た。三十代で僕よりも大分年上だが、そうは見えない。会話を殆どしていなかったのが心残りだった。
溜息を付いて席に戻った。隣にいる大野主任は、貧乏ゆすりを繰り返し、強くキーボードを叩いていた。どれも機嫌が悪い証拠だった。僕が引き金じゃないと祈りながら仕事を再開した。