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ミステリアスボード  作者: 京理義高
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◆一章 監視システム(2)

 僕は無言だった。何を言っても聞いてくれそうにない。あきらめて途方に暮れた。彼の足元から埃が舞い、頬に衝撃が走っても無言の状態は変わらなかった。スケートをやっていて、転んだ拍子に氷面へぶつけた衝撃に似ている。伸びきった拳が彼の胸元に収まった。遅れて口内から痛みが湧いてくる。


「ちょっとまっ」


若者の膝が胃の下腹部を捉えた。呻き声が工場内に響いた。飲み会での食べ物を吐き出しそうになる。地面に左手を付くと、鋭い痛みが走った。膝をついて若者を見上げた。


「ふざけんな」


 肩で息をしていた。悲しそうな表情が上下している。喧嘩慣れしていない、勝手に想像した。感情に体が付いてきていない。飾りなく、楽しんでいるといった複雑な心理とかけ離れていたが故に、罪悪感が込み上げてくる。


「すいませんでした」


 上ずった声になった。彼は目を見開いた。


「だから済まないっていってるだろ」


 語尾は聞き取り憎かった。それ以上の行動に出るべきかを考案しているようだ。


「良く出来ているよ」


 僕がそう言うと、握っていたビー玉大の顔を若者に付きつけた。彼は後ずさっていた。割れて血で汚れていた。


「僕もたまに創作はするんだ。機器とかだけどさ」


「いるか、そんなもの」


 背負っているものがあるにせよ、ないにせよ、僕は決まって同じ態度を取っていたはずだった。どんなストレスを抱えていても、戦う度胸は存在しない。行動に出ないプログラムが組み込まれているていても否定はしない。ましてや彼にはマグマのような憤怒と、大切な人に向ける純粋な気持ちが渦巻いている。勝ち目は最初からない。


 場が収まると、正確には彼が落ち着いてくれると、若者は携帯でメールを打ちながら工場から消えて行った。友達へ逐次の状況報告依存症である。唯一優越感に浸れる瞬間だった。彼が素面であり、肩を並べて歩いている友がいなかったのが救いだった。


 受けた傷は浅かった。休憩無しでその場を後にする。痛みを顔に出さなければ人に不快感を与えないように装える程度だった。今さら親にも殴られたことがないのにという箱入り娘のセリフを借用する気はない。馴染みがなかった暴力だが、悪くはないと感じていた。彼の失ったものとギブアンドテイクだと思ったからだ。


 コンビニでワインのハーフボトルを購入し、周りに人がいない場所を選んで一気飲みした。唇に付着していた血液と赤ワインの色素が解け込みいい感じになっているはずだ。


 東急東横線は横浜方面に向かっていた。お決まりの街頭だけが夜を照らしている。見なれた景色が通り過ぎる。


 金曜日の終電だというのに、酔っ払いの乗客は僕を含めて少なかった。飛び乗る人よりも、プラットホームのベンチに寝そべって始発を待つ人が多のではないか。もし週明けであれば最悪の現状を見つめなければならない。今が楽しければすべて良し、そう見える年代の人間ではない。


 次の日まで残る分量を飲んでいた。気分は悪くない。体のリズムが高鳴っている。二十分の乗車時間がとてつもなく長い。極端に言えば人生を二倍の時間与えられていると錯覚しそうだった。


 正面に座っている手と顔を垂れていて熟睡したスーツ姿のおじさんを見た。疲労をたたえたオーラを露呈している。僕はこのように成りたくないと考えた学生時代の向こう側に属してはいるのだけれども、この瞬間だけは違っていた。


 ふと携帯電話を見た。文字が回転して見える。山程届く迷惑メールのなかから適当なURLをクリックした。通信速度が魯鈍に見えてきた画面を見て、そんなことをしても解決されるわけではないのに、決定ボタンを連打していた。


『入会ありがとうございます!』


 脈絡もないのに事実だけが先行している。車の衝突事故を思わせた。何かの間違いだと言い聞かせても既に遅かった。


 エッチ画像ではなく、利用規約画面になった。どうやら六万円を振り込まないといけなくなったらしい。しかも三日以内という期間限定である。払えば三十日は見放題だそうだ。すぐに感謝メールが届いた。ご丁寧に銀行口座の案内を添えて。すべて削除した。


 綱島駅を出て電車は加速していった。年を重ねるごとに時間の流れも加速していくものだと思い、うんざりしていた瞬間、横転しそうな重力がかかった。中途半端な位置で停車した電車内は静寂に包まれていた。駅員は線路内に人が立ち入ったというアナウンスを告げた。目に見える世界がぐるりと三百六十度の回転動作をしているようだった。正面のおじさんは熟睡したままである。視点はおじさんに落ち着いた。


 ここからだと最寄駅は歩いても酔い覚ましには丁度良い距離だった。思わず携帯を投げだしそうになった。聞こえないぐらいの舌うちで反抗するしかなかった。


『ポンポロピン、ポォンピィン』


 忘れていた。多様すると効力が望めないということを。


 玄関の鍵を閉める余裕は与えてくれなかった。便器で喉に指を入れ、嘔吐する。ペットボトル二リットル分の水で飲み込まれて行く、片付け終了。気分はマシになった。予定のない週末のドアはこうして開かれた。


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