◆一章 監視システム(10)
明日香から連絡があり、十四日間会っていない事実と直面した。誘いだす勇気がなくなりつつあった。新記録を更新する前にダウンジャケットにジーンズ、二ット帽子を被った明日香がみなとみらいの待ち合わせ場所に着いた。
強い風が吹く日曜日の午後、いつもの調子を取りもどせぬまま山下公園を目指していた。
「久しぶりだよね? 会うのは」
「明日香が忙しそうだったから」
「忙しいってわけでもないんだけどね」
「適度が一番」
「痩せた?」
僕の顔を見ながら言った。意識はしていなかった。僕はいくら食べても太らない、ダイエットブームとは無縁の体である。逆に少しぐらい食事を抜いても変化はない。
「やつれているんだと思うよ」
「ふーん、忙しいんだ」
「昨日は徹夜しちゃったし」
部屋で仕事を持ち込んでいると話した。仕事熱心は万物に好印象を与える。明日香も例外ではなかった。彼女は店の売上が深刻なのと話す。以前、店へ遊びに行ったことがあった。ふっくらした体をもつケーキ屋の店長は、美味しそうに試食し、僕にも勧めてきた。心優しいおじさんで、奥さんも含めて経営している。
「明日香ちゃんは本当に良く働いてくれるんですよ」
年齢より若く見える奥さんは話題の間に何回も言った。自慢の彼女ですからとふざけると、からかわれた。アルバイトをリストラすることになっても明日香だけは残しておきたい、それぐらい気に入られていた。
「乗ったの久しぶりだね」
マリンルージュ用のチケット二枚を買い込んでから明日香は言った。
「付き合う前ぶりだったかな」
「もうそんな時間がたったんだ」
「友達期間含めると三年近い、長いようで短いね」
客船が出港する。僕は明日香に告白しようとして失敗した経験のある船だった。その後、遠くに見える観覧車で僕は告白した。
船内ではしゃいでいる子供を微笑ましく見ていた明日香は、上に行ってみようと施してきた。強風でも船体にぶれは無く、さざ波を爆ぜていく。横浜港を進む。迷いもなく、進む。
下ろしていた前髪がなびいて額が露わになっていた。卵形の頭がくっきりとしている。眩しそうに地平線を見ている明日香から目を離せなかった。
どこに梶を取って進むべきかわからなくなっていた。肩を並べていると切実になった。気持ちを偽って、詐欺師のごとく気の利いたセリフでも言えれば、僕達の進路は少しでも見えてくるのだろう。
子供の頃からの夢を実現し、着実に進んでいる明日香を嫉妬して、卑屈にならないようにしていると、無口になるしか能がない。思い出と風景に頼らざる負えなかった。強いていうならば、出会ってから今までデートスポットといった類に頼らなければならなかった。
「最近なんだけどさ」
海に向かって言っていた。さりげない切り口かと思えば消えいりそうな声である。僕達の関係ではないかと緊張した。
「毎日店の前に来てじっと待っているお客がいるの」
「お客と呼べるの?」
「ケーキは買ってくれるし、美味しいって言ってくれるから」
どれだけ怪しいお客なんだよという言葉を飲み込んだ。
「うん、それで?」
「私の仕事が終わるまで待っていて、しつこく連絡先を聞いてくるの」
「客ってわけじゃない」
自分に言い聞かせていた。明日香はどうしたらいいのかなとは言わなかった。待ち伏せしている奴なんてろくな男じゃないんだと勝手な想像をし、
「無視しないと駄目だよ」
棘のある声で言った。そう簡単にはいかないんだからという反応だった。煮え切らない明日香に腹立てていた。
「そいつに気があるの?」
微妙なためらいがあった後、首を横に振っていた。二年間費やしても明日香が嘘をつく時の仕草はまったくわかならなった。
「じゃあ、なんだよ。単なるストーカーでしょ?」
「ちがうの」
「絶対可笑しいよ」
「違うから!」
大きな声で体が動いた。同時に眼を見開いた。前方を横行していた漁船から発せられた波で船体が振動する。大きな揺れでもないのに、僕の体を支えるには柵を掴んでいる必要があった。
「ごめん」
「本当の話を聞きたい」
「家にまでは着いてこないから私にとってはお客様なの」
そこまで言われると返せなかった。明日香と彼に引き剥がせない絆があるのではないかと思ってしまうばかりになった。揺れが納まっても足が地に付いていない感覚が拭えない。体全体に揺れの残道が取り付いているようだった。
大規模な喧嘩に発展しないのは僕のお陰であると傲慢になれない。彼女の地雷を時として踏んでしまうことはあった。どこに落ちているか分からないから余計に扱い辛い。どんな理由にせよ、タイタニック号のように沈没しかけて、奇跡的に二人が助かる場面の方がまだマシだ。そう考えた。