徴(しるし)の罪状
世界は色めき立った。
遥か彼方の虚空に飛び立った有人宇宙船からの朗報だ。緑が生い茂り、生命が息づき、資源も豊富、植民も可能な惑星を、その文明史上初めて発見したというニュースに、全ての人が歓呼の声を上げた。
女王は、化粧の厚いその頬を、興奮によりさらに紅くして、言った。
「その星に我を連れていっておくれ、一刻も早くその惑星の地表に、降り立ちたいのじゃ」
女王の発言に臣下は恭しい礼で応じた。大臣のひとり、ジェラベルが答える。
「ぜひとも、陛下の望み、叶えてみせましょうぞ。すぐに陛下専用の宇宙船を準備いたします」
「頼むぞ、ジェラベル」
女王は腹心の部下の名を、甲高い声で呼びつつ叫んだ。
「我の足で彼の星の大地に徴を付ける。それが重要なのだ。そうすることによって、その星を支配するのは、他でもない我と、この世界ならず、後世に知らしめられるのだからな」
王宮に勤めるハルバラは、大臣の直々の声がけと聞き、怪訝な顔をしてジェラベルの執務室に現れた。こんな何の取り柄もない、数多くいる、中年の侍女のひとりに過ぎぬ自分に、いったい何の用であろうかと訝しみながら。
「……ジェラベル様、参りました」
ジェラベルはおずおずと部屋に入ってきたハルバラの手を引き、いきなり、大理石の冷たい床に押し倒し、その足を持ち上げた。
「あっ! 何を!」
ハルバラは突然のことに抵抗も出来ずに、床に転がる。一方、ジェラベルは一言も語を発さずに、ハルバラのエプロンとスカートが捲れるのも構わず、その片足になにやら木製の靴らしきものを押しつけた。そして、頷く。満足げな笑みを浮かべて。
「やはりな、ぴったり同じだ」
そう独りごちると、ジェラベルは、恐怖と羞恥のあまりに声も出せずに横たわったままのハルバラに、漸く声を掛けた。
「もうよいぞ。立ち上がるがよい、ハルバラ」
その言葉に、ハルバラは恐る恐る、捲れ上がったスカートを直しながら、起き上がる。まだその唇は、突然のジェラベルの狼藉に、青白く震えたままだ。
「ハルバラ、これからお前に重大な任務を依頼する。他言は無用だ、よく聞いてくれ」
ジェラベルはひとつ咳をすると、密やかな声音でハルバラに任務の内容を語り始めた。
「女王陛下は宮中の者なら知っての通り、重度の腰痛により、輿を使わねば移動が叶わぬお身体だ。それ故、新しい星にご自身の御御足で徴を付けるなどとても無理なのだ。いくら、ご自身が望もうとも。そして陛下ご自身もそれはご承知だ」
ジェラベルはゆっくりと部屋を歩き回りながら、語を継ぐ。
「だが、陛下はその儀式をお望みだ。それをしてこそ、陛下の御代を全宇宙に宣言できると、重々、存じておられるからな」
かつん、かつん、と、ジェラベルの靴音が執務室のなかに響く。
「しかし、その様子は全宇宙にテレビジョンで中継されるだろう。その場面で陛下に、万が一の粗相があられては、帝国の沽券に関わる」
窓から注ぐやわらかな日差しのなかを彼の影が動き回る様子を、ハルバラは視線を下に落としながらただ見つめていた。
「そこでハルバラ、お前が必要なのだ。女王陛下と実によく似た体型と同じサイズの足型を有してる、お前がな」
急に自分の名前が呼ばれ、ハルバラははっとして、目線をジェラベルに戻した。そんな彼女に、ジェラベルは重々しく、問うた。
「お前に求めるは、身体、ことに、その足だけだ。その後、口は堅く閉ざさねばならぬぞ。……どうだ? この役目引き受けるか?」
ふたりの間をしばし沈黙が支配する。やがて、それまでずっと話を黙ってただ聞いていたハルバラが口を開けた。
「……その役目を果たした末には、私めは、一生、不自由なく暮らせるのでしょうか?」
「永久に贅沢させてやる。それは約束しよう」
ジェラベルの即答に、ハルバラの脳裏を打算の嵐が吹き荒れた。こんな侍女暮らしには、正直、もうあきあきだ。もし、その役目で、残りの人生を苦労せずに過ごせるのなら……こんな好機はまたとない。
逃してはならない、とハルバラの頭の中で自らの声が響く。
「御意……。御国のために、お役に立ってみせましょう」
気が付いたときは、ハルバラはそう答えながらジェラベルに跪いていた。
それから半月後、女王専用の宇宙船の用意が整った。人々は祝福の声を上げ、その出発を一目見ようと宇宙港に押し掛けた。
そんな喧噪のなか、ハルバラは宇宙船に密かに同乗させられた。その短いとは言えぬ道中で、ハルバラは女王の足取りを真似ることを徹底的に練習させられ、躾けられた。やがて一月半ほどの旅路を経て、彼の惑星に船は到着した。
その日、ハルバラは女王のクローゼットより選びぬかれた、ことさら豪奢なドレスを着せられ、髪を華麗に結い上げられた。そして入念な化粧の後、最後に差しだされたのは幾多の宝石が輝く、女王自慢の金色のハイヒール。
そのハイヒールがぴったりとハルバラの足に収まったのを見て、ジェラベルはあの満足げな笑みを再び浮かべた。
「いいか、中継のテレビジョンのカメラマンには、なるべく顔を映さぬように厳しく申しつけてある。ハルバラ、お前は、ただ、練習したとおりに、陛下の物腰を真似て、新しい惑星の地表に徴を残せれば良い。その光景さえ撮影できれば、カメラはすぐに切り替わる。そうすればお前の役目は終わりだ」
宇宙船の扉が開いた。未知なる世界の風がざわっ、と船内に流れ込み、ハルバラの髪とドレスを揺らす。
「さあ、儀式のはじまりだ。くれぐれもミスのないようにな」
ハルバラは、卒倒しそうなほどに緊張に固まる足を何とか動かし、宇宙船のタラップをそぉっ、と降り始めた。一段、二段、ただただ、踏み外さぬように、倒れ込まぬように。
やがて金色のハイヒールが最後の段にたどり着くと、ハルバラは慎重に、新しい惑星の大地へと片足を差し出した。やわらかな土と草がハイヒール越しの足裏に触れる。祈る想いで、ハルバラは両足を地表に移す。
一歩・二歩・三歩。
ハルバラの足は、たしかに、新天地の地表に徴を付けた。
「よし! カメラ、止め!」
それを確かめたジェラベルの声が飛び、即座にカメラマンがその指示に応じる。ハルバラは思わず、豪奢なドレスが汚れるのもかまわず、地表にへたりこんだ。
「新天地に女王陛下の御御足、ついに触れる。その高貴な徴は、この惑星がまごうことなき我が帝国の領土だと証明した。女王陛下万歳! 帝国に栄光あれ!」
翌日、そんなキャスターの興奮気味の台詞と共に、自らの足跡の立体映像が大きく躍るテレビジョンのニュース番組を、ハルバラは、どこか白々しい心持ちで眺めていた。
ハルバラの母星に還ってからの日々は、ひたすらに永かった。
彼女は、王宮の一室に幽閉させられた。彼女は、鉄格子の嵌まった窓のうちで、はじめは抵抗と憤慨を露わに暴れ、やがて諦めが心が満ち満ちると、その日その日をただ漫然と暮らした。
翻って、新惑星の植民は難航を極めた。未知の生物や流行り病が、新天地を踏んだ臣民を苦しめた。それでも、帝国は女王の威光に掛けて、その星に人々を送り込むことを止めなかった。半ばそれが強制となっていく過程で、いつしか、臣民の新天地への失望は、帝国への叛逆の息吹と姿を変える。
それが革命の狼煙となって、帝国全土に発火したのは、あの儀式から十年後のことであった。
王宮になだれ込んだ民衆は、刃物で王宮に仕える人々を切裂きながら、女王を探しあてようと躍起になり、鬨の声を上げる。
外の様子も知らされることもなく、永い時放置されていたハルバラは、その状況を知るよしもなく、聞こえてくる激しい物音やかつての同僚の断末魔に、ただ、怯え、幽閉された部屋の隅で震えていた。
やがて、唐突に部屋のドアが破られ、民衆がハルバラを取り囲む。
「なんだ!? この女は?」
「王宮の者だろう、構わない、斬っちまえ」
民の刃物に追いかけ回されながら、老いたハルバラは必死に叫んだ。
「違います、私は、私は、ずっと助けを待ち望んでいました……!」
革命軍のリーダーである青年は、ハルバラのあの儀式についての告白を、重苦しい心持ちで聞いていた。
新天地での徴の真実を聞き終わると、彼はハルバラに向かい合って言った。
「そうか、お前は犠牲者でもあるのだな。だが、欲に溺れて、自らの身を売り、民を欺いた罪は重い。お前がその役目を断れば、今日に至る歴史も変わっていたかも知れぬ」
ハルバラの顔色がさっ、と青く変わった。彼女は必死に抗弁する。
「そんな……断ったら、きっと、私に、命の保証はなかったのです……!」
「そうだな、ならば、俺も命までは取らぬことにしよう。だが罪は罪だ。その報いとして、その罪深い両足を切り取ることで償いとしろ!」
青年の声は容赦無いものだった。そして、呆然とするハルバラに、彼は過酷な宣告を告げる。
「明日、女王をギロチンに掛ける。あの女の隣で、お前も民に許しを請え。女王からは、首を、お前からは、足を、その刃で奪い、もらい受ける。そして、あの懐かしい儀式と同じように、その様子も全宇宙に中継することにしよう」
半狂乱になったハルバラが連行されていく。その後ろ姿を見て、革命軍のリーダーは、ただその場に一人だけ残した年長の腹心に零した。
「まさか、あれが、彼女の足跡だったとはな。しかし、あの新惑星での儀式を、テレビジョンでの中継を見て、子どもだった俺の心も興奮の渦に飲まれたものだ。その俺に彼女の足を切り落とす資格はあるのだろうか……?」
「それが人間の歴史というものですよ、リーダー。あまりお気になさらず」
青年はそれを聞いて、静かに頷くと、明日のふたつの処刑の準備に指示を出すべく、石造りの部屋を足早に出て行った。