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07.エリィ・アルノルト公爵夫人の恋物語


湖畔の花畑を、二人、手をつないで歩く。


そういえば、こんなにも近くにいたのに、手をつなぐのは初めてだったな。そうぼんやりと考えながら、遠く、夕焼け雲の映える湖を眺めていると、もうすっかり聞きなれた声が私の名前を呼ぶ。視線を向ければ、ユリウスが笑った。いつもの、私がよく見慣れた、幸せそうな顔で。



結局のところ私は、私にすがる、この美しい人を選んだ。



彼を見ていると、夢を見ているような気持ちになる。彼の笑い方が好きだ。目尻を少し下げて、眩しいものを見るように、大切なものを慈しむように、柔らかく笑う姿が好き。斜陽を浴びてなお、きらきらと輝く銀色の髪。こんなにも綺麗なものを他に知らない。私は何度だって見惚れてしまう。彼の紫色の瞳は、昼と夜の混じりあう夕闇の色だ。愛も嘘も、誠実さも卑怯さも、すべてを混ぜて微笑む彼によく似合う。



「エリィ、君を愛しています」



彼がくれる、蜂蜜のように甘い言葉。ただそれだけで泣きそうなくらい嬉しくなって、私は微笑みを返す。どこか現実離れした、でも確かに手触りのある幸せの形。彼の望む幸福が、ここにはあった。




花畑をしばらく歩けば、そう遠くない場所に止まっている三台の馬車が見えてくる。すぐ近くには、ハンカチを手に目元を拭うマリィベルと、彼女を慰めるオスカー、そしてマルクスが待っていた。


私達を見つけたマリィベルが駆け寄ってくる。いっぱい泣いたのだろうか、目を赤くしたマリィベルに「だいじょうぶ?」と声をかけると、彼女は唇をキュッときつく結んだあと、堰を切ったように泣き出した。遅れてやってきたオスカーもまた、精神的に疲れ果てた様子で、いつもの彼らしくない弱々しい姿だ。


すべてを話したと、マルクスから聞いたのだろう。私を騙していたことを気に病んで、私とユリウスが決別すると想像して、彼らは憔悴してしまったようだ。


「エリィ様……わたくしは…わたくしたちは、貴女様になんと謝罪を申し上げたらよいのか…償うにも償いきれないほどのことをしてしまいました……」


「大丈夫。わかってるよ、オスカー。みんな、ユリウスを思ってしたことでしょう?私は誰も責める気はないよ」


「どうかお許しくださいませ、エリィ様……わたくしはエリィ様が、本当の奥様になってくださったらと…何度願ったことか分かりませんわ。どうか、どうかエリィ様……」


「マリィベル、大丈夫だって。私はどこにも行かないから、これからもよろしくね」


平謝りする二人を宥めて、落ち着かせて、私はユリウスに向き直る。こんなにも優しい二人だから、この人のたったひとつの願いならば叶えてあげたいと、私を騙すようなことをしてしまったのだろう。物語の黒幕には、けじめをつけてもらわなくては。


「ユリウス、あなたのせいだからね」


「わかっています、エリィ。みんな、僕のためにしてくれたことです。二人を責めないでくれてありがとう。……オスカー、マリィベル、君たちには苦労をかけた。僕の我が儘に付き合わせてすまない。ありがとう」


「ユリウス様……!」


困ったな、今度はオスカーが男泣きだ。淑女教育の時は鬼教官のオスカーだが、私はよく知っている。オスカーは、ユリウスには、甘々だ!ユリウスのこの言葉で、少しでもオスカーの献身が報われたらいいな。


感極まったマリィベルにぎゅうぎゅうと抱きしめられていると、マルクスがユリウスの方へと歩み寄るのが見えた。面差しがよく似た、眉目秀麗な二人が並ぶと絵になる。意外なことにマルクスの方が背が高いようだ。でかい弟ってかわいいよね。兄弟は静かに言葉を交わす。


「兄上、ぼくの勝手をお許しください」


「いいんだ。お前の性格は分かってる。いつかは知れてしまうことだとは思っていたよ」


「ぼくは生まれて初めて、怒っている兄上を見ました。ぼくはそれほどまでの事をしてしまったと、身体が震えたくらいです。それでもぼくは、やはり…いつかは義姉上にすべてをお話していたと思います」


「僕が怒っていたのは、エリィを想うあまりだよ。もしお前が彼女に触れでもしていたら、許さなかったかもしれない」


「……兄上」


「ふふ、冗談だよ、マルクス。僕はお前だからこそ、召喚魔法のこともそれ以外のことも、すべて話したんだ。たった一人の弟だからだよ。例えそれがエリィに知れてしまう結果になったとしても、承知の上だ」


「兄上…………ぼくは…、こんな運命を生きると決めた兄上を尊敬しています」


「僕だって、王の盾を全うしているお前を誇りに思ってる。だけどマルクス、違うんだ。僕の今は、僕自身が選び取ったものなんだよ。誰に決められたものでもない。僕が、僕の意思で、運命(エリィ)を選んだんだ」


「……義姉上がもし、逃げることを選んでいたらどうしたのですか」


「マルクス。存在しない未来の話は、してもしょうがないことだよ」


にこり、有無を言わせないような表情のユリウスと、困ったように曖昧に笑うマルクス。二人は何の話をしていたのだろう。マリィベル達と話していたら、すっかり聞き逃してしまった。イケメン兄弟の貴重な会話シーンだったのに、残念だな。


「それでは、僕はお先に失礼します。王の盾があまり王都を離れてもいられないですから。義姉上、今度改めてご挨拶に伺いますね」


「うん、マルクス、気をつけてね」


「はい。もう快復されたとはいえ、義姉上もお体にお気をつけて。オスカー、マリィベル、僕が言うまでもないことだが、義姉上をよろしく。もちろん兄上のことも」


「かしこまりました。マルクス様」


「どうぞお任せくださいまし」


マルクスが馬車に乗って王都に帰っていくのを見届けて、すっかり暗く日が落ちた頃、私達はようやく別荘に到着した。


長い一日だったように思う。マルクスが現れて、義理の弟がいることを初めて知って、異世界召喚のこと、私にかけられた魔法のこと、ユリウスのことを教えられて、私とユリウスの関係が少し変わった。色んな事を知って色んな事が変化したように思えたけれど、結局私のいる場所は変わらないままだ。


それからの七日間、私とユリウスは、別荘で過ごしながらたくさんの話をした。


自分の事、好きな事、嫌いな事から始まって、お互いの世界の話、家族の話、小さな頃の思い出話、友達の話、趣味の話、仕事の話……思いつく限りのことをたくさん話した。時間はいくらあっても足りない。それこそ、おはようからおやすみまで、一日中語り合った。朝食をとりながら、湖畔を散歩しながら、お昼ご飯のこれが好きだとかあれをもう一度食べたいだとか、くだらないことまで談笑して。午後のお茶を楽しみながら、夕日に沈む景色を見ながら、蠟燭の明かりの下で囁き合うようにしながら、お喋りをした。


私とユリウスはもっと、言葉を尽くして、お互いのことを知らなければならない。きっとそれが、生まれも育ちも、世界そのものが違う、私と彼とを近づける唯一の方法なのだから。


そうして、お互いのことを話していくうちに、いつしか私達の話題は、これからのことになっていた。


誕生日にはケーキを食べてお祝いするんだよ、そんな些細な言葉から、初めて彼の誕生日を知る。見慣れないこの世界の暦に当てはめて、私の誕生日はこのあたりかなと言うと、彼はその日が待ち遠しそうに、お祝いしましょうねと笑った。あなたの誕生日もね、そう返すと、幸せそうにする彼が愛おしい。


季節はもうすぐ夏を迎える。秋になればこの国の建国祭があるそうだ。出店が軒を連ね、演劇やパレードなどの催しも多く、闘技会や御前試合もあるらしい。それを見るために多くの人が王都を訪れ、一年で一番の賑わいになるという。興味津々の私に、二人で一緒に見て回りましょうと、彼は約束をくれた。


私達はたくさんの約束をする。二人でやってみたいことがたくさんできた。行ってみたい場所、見てみたい景色が、話せば話すほどに増えていく。


「エリィ。僕は君といると、毎日が鮮やかで、何もかもが美しく思えるんです。君となら、なんだってできるような、どこへだって行けるような、そんな気持ちになるんです」


そういって愛を伝えてくれる彼が、私には眩しくて、とても尊いもののように思えて、愛しくて、大好きで。だけどこんな感情は言葉にできなくて、私は彼を抱きしめた。せめて、私も同じ気持ちだと、伝わるように。


こうして彼と過ごして、その愛を知り、たくさんの約束を重ねていくと、ぼんやりとした未来の輪郭が少しずつくっきりとしていくようだった。私はこの七日間のことを、きっと生涯忘れないだろう。私と彼の、これから積み重なっていく、たくさんの思い出の最初のひとつだ。日記を綴るように日々の出来事を慈しみ、まだ先の、白紙のページに描かれるだろう未来の物語を思えば、胸が高鳴る。


一度目は存在すらしなかった、架空の恋物語。

二度目は私を騙して成立していた、嘘の恋物語。


果たして、これから始まる三度目は、どうなるんだろう?











「エリィ様、お時間です」


「ええ、ありがとう」


支度を終えて部屋から出ると、すぐ近くに正装の染井さんが待っていた。彼は私を見て数回瞬きをすると、さらりと笑う。


「芳野さんにかけるべき言葉はあるんだろうが、それは主役のために取っておくことにする。横取りしちゃ悪いからな」


「お気遣いありがとうございます。でも染井さんの場合、恥ずかしいだけでしょ?」


染井さんにつられて軽口を言いながら、二人で並んで歩き出す。


「そりゃあね。実の妹の時だって、俺は何も言わないさ」


「え、それは可哀想。女の子は褒められて綺麗になるんですよ」


「それは一理ある話だが、褒めるべき立場の奴が褒めればいいだけの事だ。俺の仕事じゃない」


「それもそうですけどー」


「仕事といえば、今日のこの大仕事、なんで俺に頼むんだ?他に誰かいなかったのか」


「最初はオスカーに頼もうと思ったんですけど、オスカーったら、この話をする度に号泣するから頼むに頼めなくって。マルクスにお願いしようとしたら、人前に出るのは苦手ですって断られちゃうし。あと、男性の知り合いといったら、染井さんしか思いつかなかったんですよ」


「まあ、俺たち稀人はこっちに家族がいるわけもないからな。君には色々と黙っていたこともあるし、これで貸し借りなしにしてくれよ」


「そう言いそうな気がしてました。もちろんこれでなしですよ。でも、染井さんが主役の時にはちゃーんとお手伝いしますから、呼んでくださいね」


「ははっそんなの、いつになるかも分かんないな」


二人して笑っていると、そう間もなく大きな扉の前に辿りつく。染井さんが差し出す手に、私も手を重ねた。


「芳野さん、心の準備はいいか?」


「もうずーっと緊張しっぱなしなので、むしろいつでもオッケーです」


「そりゃあ良かった。こういうのはさっさと済ませちまうに限る」


「もう!他人事だと思って!」


「実際、他人事だからな」


じとりと睨むと、緊張なんてしたこともないと言いそうな顔で、染井さんは不敵に笑う。重ねた手をそっと引かれ、扉の前に二人で並んだ。



「行くぞ、芳野さん……じゃなかったな、エリィ・アルノルト公爵夫人」



ぎぃと古めかしい音を立てて、扉が開く。

光溢れる聖堂の景色に、一瞬、目が眩みそうになった。

歓声と共に花びらを撒く人々。

まるで今この瞬間を、世界中に祝福されているよう。

染井さんの肘に手を添えて歩く。躓かないように、慎重に。

体温が上がる、鼓動が早い、息が止まりそう。

そんな緊張感はピークを超えて、いつしか高揚に変わっていく。

私の視線の先にいるのは、ひとりだけ。

この道の先に、彼が待っている。



「エリィ、とても綺麗です」



私の純白のウェディングドレスに合わせて、純白の正装に身を包んだ、ユリウスが微笑む。元いた世界によく似てるけれど、どこか違う、異世界の結婚式。


今ならきっと、いいえ今だからこそ、私はずっと言葉にできなかったこの気持ちを、伝えることができる。



「ユリウス。……私ね、あなたが好き」



彼は一瞬驚いて、でもすぐに嬉しそうに笑って、嬉しさのあまり泣きそうな顔をして、私に口づけをした。


歓声があがる。桜色の花吹雪が世界を鮮やかに染め上げる。鳴り響くのは祝福の鐘。遠く、どこまでも聞こえるように、幸福の在り処を知らせるように、鐘が鳴る。



偽物だった花嫁は、今この瞬間、本物になる。



ずっとずっと考えていたの。言葉じゃ足りない。愛があるだけじゃ充分じゃない。行動して、形にして、見せつけて。嘘から始まった私たちの物語が、本物になったと証明してほしい。私は偽物なんかじゃない、あなたの隣にいていいのだと、あなたに好きと言える資格があるのだと、他の誰でもない私自身が信じていたいの。


そしたら私は自信を持って、何を恐れることもなく、あなたの前に立って、あなたを見つめて、あなたが好きだと、伝えられるから。これから先、何度だって、あなたの愛に応えられるから。


私は、私の意思で、あなたと生きることを選んだ。その運命すら愛したい。愛してみせる。だから、お願い。私が愛したあなたから、もうひとつだけ、約束が欲しい。



「私を愛して生きると誓って。ユリウス」


「エリィ、僕の命のある限り、君を愛し続けます」



一度目は存在すらしなかった、架空の恋物語。

二度目は私を騙して成立していた、嘘の恋物語。


三度目の、新しい物語が幕を開ける。






さあ、今度こそ、本物の恋を始めよう。






END

お読みいただきありがとうございました!

今後は、本編の補完やサイドストーリーとして、マルクスの話や染井さんの話も書きたいなーと思ってます。評価・ブクマとても励みになります。ありがとうございます!

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