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02.侍女マリィベルの昔話


「エリィ様とご結婚されてから、旦那様はとても明るくなられたのですよ」


「え、そうなの?」


「ええ、ええ、それはもう!この世の春と言わんばかりですわ」


上機嫌に朝の身支度を手伝ってくれる彼女は、侍女のマリィベル。お喋り好きな彼女は、話し上手で聞き上手だ。もう子供も大きくなったという彼女の、お母さんらしい優しさは親しみやすくて、細やかな気遣いは素直に嬉しい。


マリィベルをはじめとした多くの使用人の人達とも、だいぶ打ち解けてきた。敬語を使って話しかけ、すっかり恐縮されてしまった日のことが懐かしい。最初は戸惑いばかりだったが、こうやって普通に話すのに慣れることができたのも、話しやすい彼女がいたから。


目が覚めてからの一ヵ月はあっという間だった。


ベッドの上で体を起こす時間を徐々に増やして、マリィベルに支えてもらいながら歩く練習をして、一人でお風呂に入れたときの達成感と開放感といったら、言葉にできない喜びだった。どこの世界でも日本人にとってお風呂は極楽だ。


マリィベルに体を拭いてもらったり、助けてもらいながらお風呂に入るのには、どうしても申し訳なさが付きまとう。それまで出来ていたことが出来なくて、誰かの手を借りっぱなしの生活は、私が庶民ゆえか日本人ゆえか、感謝よりも居たたまれなさが先に立つ。一人で、自分で、お風呂に入る時間にはとても癒された。


お屋敷の中での行動範囲は徐々に広がって、今では庭にも出られるようになったくらいだ。朝食の後に庭を散歩したいなと言うと、マリィベルは散歩用にとドレスを選んでくれた。貴婦人のドレスは簡易なものでも一人では着れない構造らしい。こう毎日ドレスの着付けをされるというのも庶民の私は戸惑う文化だけど、マリィベルとのお喋りが楽しからいいかな。


「ねぇマリィベル。旦那様は、私と知り合う前は……どんな人だったの?」


「あらいやですわ、エリィ様。わたくしたち使用人のように旦那様とは呼ばず、どうかユリウス様と呼んでさしあげてくださいな。旦那様もその方が喜ばれますもの」


「ユリウス様、ね。うーん、ちょっと恥ずかしいかな」


「うふふ、すぐに慣れますわ」


「そうかな?じゃあ改めて…マリィベル、ユリウス様はどんな人だったの?」


「旦那様は……………社交界の華ですわ!!!!!」


「えっ」


社交界の華ってそれは、麗しき令嬢を指していう言葉じゃないの?


「エリィ様、旦那様のあの美貌を、よくご存じでございましょう?」


「え、うん、確かにユリウス様のお顔は美貌と言って……うん、言っていいけれども」


「今でこそ立派に成長されて、美しい青年となられましたが、ご想像くださいませ。あの方がもっとお若い頃を…」


若いというよりは、幼い彼を想像してみる。現在の彼はすらりと背が高く、男性らしく肩幅も相応にしっかりしている。けれど少年の時はもっと華奢だっただろう。線の細い体には若木のようなしなやかさがあって、瑞々しい果実のような肌に、艶めく銀髪。神が美を創るならこうデザインするであろう相貌と、磨き抜かれたアメジストのような瞳は、見る者を捕らえて離さない。


「それは……、だめだよ、マリィベル。ユリウス様、みんなに狙われちゃう!!!」


「お分かりいただけましたか?あの方の美しさがいかに危険か」


自分の持ちうる限りの妄想力と語彙力を尽くし、脳内に再現したユリウス少年は、魔性だ。傾国だ。老若男女問わずに、見惚れてしまう存在だ。現実よりもだいぶ盛ったはずの妄想だが、現実はときに妄想を超えてしまうのだと、私は頭を抱えたくなった。


「一度でいいから、ユリウス様の少年時代を見てみたかったよ…」


尊い。もうそれだけで生きていける。遺言のような発言をする私に、マリィベルは満足げに頷いている。


「旦那様は容姿端麗なだけでなく、ダンスもお得意ですのよ。社交界デビューした令嬢はみな、一度でいいからアルノルト公爵様と踊りたい、そう夢を見るのですわ」


「私、ダンスはできないけど、その気持ちはちょっとわかるな。きっと、一生に一度の思い出になるもの」


「エリィ様がもう少しお元気になられたら、旦那様に教えていただきましょう!きっと優しく指導してくださいますわ」


「そうだね、一回くらいお願いしてみようかな」


ユリウス様は超をつけても足りないほどの優良物件だ。きっとモテてモテて仕方がなかったはずだ。肉食系令嬢たちの中に放り込まれたユリウス少年が逃げられるわけもなく……むしろ、若きユリウスは数々の令嬢たちと浮名を流した、とか?だとしたら、ちょっと解釈違いだな。ユリウス様に女ったらしなイメージがない。


推しへの解釈に悩んでいると、ユリウス様の過去の女性関係を気にしているのかと心配し始めたマリィベルが、慌てて言葉を継ぎ足した。


「淑女をエスコートするのは紳士として当然のことですわ。旦那様はアルノルト公爵であらせられますもの。でもエリィ様、心配なさらないでくださいまし。ユリウス様は、決して誰とでも踊ったわけではありませんの。王族の方々や親戚筋のご令嬢のエスコートなど、断れないときはそれはもう優雅にエスコートしていましたのよ。でも、そうでなければ…ご令嬢とのダンスはすべて断ってしまいますの」


ユリウス少年、そっちか!高嶺の花か!その解釈ならありですよ!表情をやわらげた私に安堵したのか、マリィベルは、ぽつりとこぼす。


「旦那様は、お若い頃から…、いつも憂いを帯びておりましたわ。心配するわたくしたちを安心させるように笑ってくださっても、その笑顔も儚くて、消えてしまいそうで、触れれば壊れてしまいそうで、誰も…あの方を…」


「マリィベル?」


彼女の泣きそうな声が心配になって、思わず声をかけてしまう。


「あら、いやですわ、わたくしったらこんな話を……とにかく!旦那様はエリィ様とご結婚されてから、とても幸せそうですのよ。それは確かです!わたくしたち使用人一同、みなエリィ様に感謝しておりますのよ」


「私、何もしてないよ。むしろ私がみんなのお世話になってるのに」


「わたくしたちの奥様は謙虚な方ですわ。エリィ様がいらっしゃるだけで旦那様が幸せそうで、わたくしたちは嬉しいのです。もちろんわたくしは、エリィ様の幸せも願っておりますのよ?」


「なんだか大袈裟だよ。でもありがとう。マリィベル」


こうやって、真正面から人の幸せを願える、彼女の素直なところが大好きだ。


「さあ、エリィ様、仕上げに御髪を整えますわ」


「はーい」


ついついお喋りに興じてしまったが、ドレスの着付けはとっくの昔に終わっていた。私がドレッサーの前に座り、マリィベルがブラシを取り出したところで、こんこん、ノックの音が響く。


「エリィ?なかなか朝食に来ないので迎えに来てしまいました。中に入ってもいいですか?」


「ごめんなさい、もうそんな時間だったのね。どうぞ!」


「失礼、まだ支度の途中でしたか」


「あと髪をまとめてもらうだけなんです。ごめんなさい、ユリウス様。もう少し待っていただけますか」


「あらあらあら、旦那様ったらエリィ様がいらっしゃるのを待ちきれないのですね。お若い方は素敵ですわねえ」


うふふふ、と笑いが堪えきれない様子のマリィベル。それにつられて、ユリウス様がかわいく見えた私も、つい笑ってしまう。


「マリィベル!笑わないでくれよ。……エリィ、君まで」


「ふふっごめんなさい、だって、ね、おかしくて!」


「ひどい人だ、エリィ。……マリィベル、そのブラシを貸して」


「何をなさるのですか、旦那様」


「ブラシでする事といったら一つしかないだろう。エリィ、ひどい君には、僕に髪を梳かれる罰を受けてもらいます」


「えっユリウス様が?」


「女性の髪を梳くなんて、やったことないですから、文句は言わないでくださいね、エリィ」


ユリウス様に優しく肩を押されて、ドレッサーの鏡に向き合うと、見慣れた黒髪の自分と、ぎこちない仕草で私の髪に触れ、ブラシをかけようとするユリウス様がよく見える。そっと、そっと、壊れ物を扱うような彼の手は、


「くすぐったいですよ、ユリウス様」


「うまくできてないですか?」


「優しすぎて全然。もっと力を入れて大丈夫ですよ」


「その、エリィ……、君の髪は、柔らかすぎて…傷つけてしまいそうで……それに、君は首が細いから…力を入れたら壊れてしまうんじゃないかと…」


「そんな簡単にどうにかなったりしませんよ。ねえ、マリィベル、私たちのユリウス様は、まだまだお勉強が必要みたいよ?」


「このマリィベル、もはや旦那様のお世話をすることはないかと思っておりましたが、エリィ様の御髪を整える技術、みっちり叩き込まなければなりませんね」


「エリィ、マリィベル、冗談はよしてくれよ……僕は先に戻るから、エリィ、早く来てくださいね」


マリィベルの勢いにたじたじとなったユリウス様は、手にしたブラシをマリィベルに返し、降参!というように戦略的撤退をした。その背中がドアの向こうに消えるまでを見届けて、私とマリィベルは顔を見合わせ、また笑う。


「いっぱい笑ったら、おなかが空いちゃった!」


「せっかく旦那様が梳いてくださいましたから、少し仕上げをして、シンプルにおまとめしますわね。料理長と給仕が首を長くして待っておりますわ」


「ありがとう、マリィベル」


「いいえ、お礼を申し上げるのはわたくしのほうですわ。あんなに顔を真っ赤にしながら、エリィ様の髪を梳く旦那様を見れるなんて!」


「マリィベルがあんなにからかうからだよ」


「あら、エリィ様も共犯ですわよ」


「ええっ私も?」


「お名前で呼ぶことを恥ずかしがっているかと思えば、とても自然に呼んでいらっしゃいましたし、『私たちのユリウス様』とおっしゃられた時の旦那様のお顔といったら……エリィ様もすっかり、わたくしたちの奥様ですわ」


「あ、そういえば、呼んじゃってたね」


私、推しを“様付け”で呼ぶことに、抵抗のない文化圏のオタクでして。ごめんなさい、ユリウス様。他意はないのです。


その後、食後の散歩に付き合ってくれたユリウス様は、まだ少し頼りない歩き方をする私を心配して「危ないから掴まってください」と腕を貸してくれた。距離が近い。


ありがたくその厚意に甘えながらも、そんなに過保護にしなくても大丈夫だと伝えると、彼は何かを言い淀んだあと、恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに微笑む。


「君に触れられる理由なら、何だって欲しいんです」


この人、これで本当に女ったらしじゃないの?と、沸騰しそうな脳で考えながら、私はマリィベルに向け、聞こえない抗議をするので精いっぱいだった。



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