一時の感情
「およよ~湊」
「おはよう」
「会長おはよう」
「おはよう」
朝の教室、クラスメイトのみんなと挨拶を交わし、自分の席に着いて鞄から教科書を取り出していく、いつもの通りの朝。
こうして私にとって人生の大きな分かれ目となった日は、なんの変哲もなく始まった。
授業中、少し集中力が切れて、窓の外を眺める。いい天気だ。
どうにも最近は集中力がない。
原因ははっきりとわかっていて、最近ではそのことが私の思考のほとんどを占めていた。
一つはいい意味で気になること、もう一つは悪い意味で気になること。
もともと真面目で面白みのない性格だった私は、小さい頃はあまり目立つような存在ではなかった。それでも先生たちからの受けはよく、クラス委員、生徒会の役員などを自然とするようになった。
幸いにも勉強も得意だったので、そういう役職に就くことは誰も反対せず、真面目だからと自然に決まっていった。別に嫌ではなかった私は、生徒会に入ることで学校では目立つ存在になっていったが、面白みのない性格は変わらず、見た目も普通に地味な眼鏡女子のため、異性的な意味での人気なんてまったくなかったし、自分からも別に求めるようなことは必要ないと思っていた……
のだが、最近はそんな私にも気になる異性がいた。
後輩の小清水 和泉。
小柄で柔和な表情をしている彼とは、中学生の時からの付き合いだった。
なんの面白みもないであろう私を慕ってくれ、一生懸命に生徒会の仕事をしてくれた。それは高校の今も変わらず、彼は頑張ってくれている。
一緒にいる時の和泉はいつも楽しそうで、初めはなんでなのかまったくわからなかったが、最近は少し思うところがある。
自分の自惚れの可能性もないではないが、和泉のあの様子を見ていると、どうしても私のことをとても慕っている。というか、好き、なのではないかと、そう考えてしまう。
なんて自意識過剰なと自分でも思うが、最近の和泉を見ていると本当にそうとしか思えなくなって困る。
でもそれは別に悪いことではなく、というか、かわいい後輩が慕っていてくれると思うと普通に嬉しい。次第に私も意識してしまい、なにかあるたびに和泉のことを考えるようになってしまった。
そのことで授業にも集中できないのだが、それでも私は和泉のことを考えると何故だが心が温かくなるようで悪い事だとは思わなかった。
だけど、もう一つ、悪い意味で気になっていることがある。
和泉の様子は他から見ても、どうやら私が考えているように見えるようで、最近はいろんな人から私と和泉の関係を聞かれるようになってしまった。
始めは中学からの後輩で、いい子だと話をしていたが、そのうちに質問が変わってきて、もう付き合ってるのか、キスはしたのか、どっちから告白したのかと憶測で話をしてくる人が増えた。
さらに悪いことに、私たちの仲を揶揄うような聞き方をしてくる幼稚な男子生徒もでてきた。
私は今までこういう話題とは無縁で、実際に恋愛関係で揶揄われることは初めてだったが、自分でも驚くほどに恥ずかしくて、嫌な気持ちになったし、イライラもした。
関係のない他人の事を聞き出して、勝手に想像して何が楽しいのか、まるで小学生のように幼稚なその男子を罵倒しそうになったが、その時はなんとか軽くあしらうことができた。
私は自分でも思っている以上に沸点が低いのかもしれない。最近は和泉のことばかり聞かれることが増えて、もうウンザリするほどだ。私と和泉のことなのだから、他人が首を突っ込んでほしくなかった。
昨日もせっかく和泉と二人で帰れるかもしれなかったのに、運が悪いことに二人でいるところを私を揶揄ってきた男子生徒たちに見られてしまった。ニヤニヤしながらこちらを見て何か話をしている男子生徒たち、私は恥ずかしくなって誤魔化すように和泉から距離をとって一人で帰宅した。
和泉はとても残念そうにしながらも笑顔で私を見送ってくれた。
その健気さに少し胸が痛くなる。
けど、和泉も和泉だ。あんなに何か言われていたのに気が付かないようで、気にせず一緒に帰ろうと大き目の声で誘ってきて、周りの目を気にしない和泉の行動に私はハラハラさせられることもあった……
いや、やめよう、和泉は何も悪くない、悪いのは幼稚な男子生徒たちだ。
あんな人達いなければよかったのに、そしたら私はあの時、和泉と二人で……
せっかくの機会が無駄になったことで、イライラも募るばかりだった。
「それじゃ今日はここまで」
そんな先生の声にハッとすると授業はもう終わってしまっていて昼休みになっていた。また考え事をしているうちに時間がすぎてしまったようだ。
辺りは学食に行く生徒、お弁当を持ち寄る生徒ですでに賑やかになり始めている。
私はいつも生徒会室で副会長の姫野とお弁当を食べていて、今日ももちろんその予定だったけど、お弁当を探している時、鞄の中の違和感に気が付いた。
最近は本当に抜けているようで、どうやらお弁当を忘れてしまったようだった。
少し、へこみそうになるが、忘れてしまったものは仕方ない、私は姫野に今日は行けない旨をメッセージで送り、学食に向かった。
「湊先輩!学食にいるの珍しいですね!」
和泉のことばかり考えていたからか、本人が登場した。
会えたのは素直に嬉しいが、予想もしていなかった展開に少し焦る。私の手元にあるのは先ほど注文したカレーラーメン。もう少し、女子らしいメニューを頼めばよかったと今更ながらに後悔する。
「あ、和泉。今日はお弁当忘れちゃって」
「そうだったんですね。よかったら一緒にいいですか?」
「もちろん。いつも食べてる友達は教室で、一人だったから」
「ありがとうございます!」
当の和泉は私のメニューがなんだろうとまるで気にしていないようで、嬉しそうに前に腰掛ける。そのまま何気ない会話をしながら二人で昼食を食べる。その間も和泉はニコニコとしていた。
その笑顔を見ていると自意識過剰も甚だしいが、本当に好きでいてもらっていると思えてしまうようだった。
「和泉、なんか機嫌よさそう」
「へ?」
「ずっとニコニコしてるから、いい事でもあったの?」
「その、湊先輩と一緒にご飯食べれるのが嬉しくて」
「え⁉」
自分の顔がとても熱い、この後輩はいきなりなんて事を言うのだろうか、ためらいながらも頬を染めて真っすぐに私に気持ちを伝えてくる和泉。今の言葉は、本心から私といることを嬉しく思ってくれているのだと疑いの余地もない。
「えっと、別に私と一緒にいても面白くないでしょ」
「そんなことないですよ。僕、先輩と一緒にいるの好きです!」
照れ隠しで言った私の言葉も意味をなさず、和泉のストレートな言葉でさらに恥ずかしくなってくる。
「だって、私そんなに話さないし、話しても生徒会のことばかりだし」
「それでも、僕は湊先輩と一緒にいる時間、すっごい好きです!もっと先輩と一緒にいたいです」
「ぅ、そうなんだ、ありがと……」
その後はふたりで黙々とご飯を食べた。
食べている間も私の頭には和泉に言われた「好き」という言葉がリピートされている。あれじゃまるで告白みたいで、私はもう何も言えなかったけど、恥ずかしそうに微笑んでいる和泉の顔を見ると、無言のこの時間も、居心地は悪くなかった。
「湊、今日はもう帰る?」
「いや、やり残してたことがあるから生徒会室に行くかな」
「なら私も手伝うよ」
放課後、一人で生徒会室に行こうとしている私の元に隣のクラスから姫野がやってきた。
副会長の姫野は私とは違って、女の子らしく、明るくて可愛い。私とは全然タイプが違うのに、会長と副会長という関係だからか、よく私に会いに来る。
女性として私にはない物をたくさん持っている姫野に、少しコンプレックスを感じたこともあったけど、それでもこうして仕事を嫌な顔もせずに付き合ってくれ、なんだかんだ気の合う彼女はいい友人だと思っている。
だからだろうか、
そんな彼女に揶揄われたことは、
今までで一番、
頭にきた。
「んで~どうなの湊?」
「何が?」
「決まってんじゃん!和泉のこと!」
今思えば、姫野としては単なる普通の話だったのかもしれない。
それでもこれまでそんな経験がなく、最近揶揄われることが多かった私は、一番の友達に裏切られたような気がして、段々と自分の感情を抑えられなくなっていた。
「…和泉がなに?」
「だから、もう付き合ってるの?」
「付き合ってないよ」
「うっそだ~、あんなに和泉グイグイ来てるのに」
「嘘じゃないよ」
「ホントは?ホントのところどうなの?」
「だから、付き合ってないって」
「和泉ってほとんとわかりやすいよね、湊が好きって感じがにじみ出てるもん」
「……」
「結構噂になってるよ湊、今日も学食で一緒にいたんだって?お熱いですなぁ」
「……」
「羨ましいなぁ彼氏、もうキスとかしてたり?」
「…だから」
「先輩と後輩の恋愛!普段真面目な湊が年下に手を出してたなんて!」
「だから‼付き合ってなんかないって言ってるでしょ!」
「さっきから五月蠅いんだよ!付き合ってないって何度言えばわかるの⁉」
「だいたい、私がなんで和泉なんかと付き合うわけ⁉」
「いつもいつも向こうから寄って来るだけで、私は何もしてないでしょ!」
「そうやって色んな所で噂されて!もうほんっと迷惑!やめてくんない!」
「勝手に寄って来る和泉も!そうやって無責任に噂するあんたも!私には迷惑なの!」
「ハァ、ハァ……わかったらもう止めてくれない」
怒鳴りつかれて息が切れた。その時に見た姫野は本当に申し訳なさそうな顔をしていて、そんな顔をするなら初めから揶揄ってほしくなかった。
「ご、ごめん湊。揶揄うつもりはなかったんだ。和泉とのこと、私は応援したくて……」
「…別にいいよ」
口ではそういいつつも、私はしばらくイライラしたままだった。
私は恋愛とは無縁で生きてきた。
友達とそういう話をするだけでも気恥ずかしさを感じて、自分のことははぐらかしてしまう。それなのに、姫野はそんな私を揶揄ってきた。
姫野はどうせ、恋愛の話をするのは恥ずかしくもなんともないのだろう。私と違って活発で、可愛くて、女の子らしくて、だから私の気持ちなんて姫野にはわかるはずない。
その後は、お互いに無言で作業をした。昼休みとは違い、居心地の悪い空間だったが、私はそれ以上にイライラしていたから、まったく気にすることはなかった。
そのイライラにまかせて自分が何を言ってしまったのか、それすらも深く考えようともしなかった。