憧れ
あれから特にいつもと変わりのない日常が進み、ついに放課後を迎えた。
これからは生徒会。大好きな先輩に会える時間。僕は自然とテンションが上がっていた。
「じゃ、また明日な小清水」
「うん、また明日ね葉山君」
放課後遊びに行くメンバーだろう。けっこうな数が集まっているが、それを気にせず生徒会室に向かうために僕は歩き出す。大好きな先輩に会えると思うと足取りは軽い。
そのまま教室を出ようとした時、ふと視線を感じる。
チラリと視線を感じた方を振り向くと、梓沢さんと目があってしまった。
僕は急いで視線をそらし、教室を後にする。
僕は行かないので安心してください。そう心の中で唱えながら……
「湊先輩!お疲れ様です!」
「和泉、お疲れ」
僕が生徒会室に着くとすでに湊先輩は来ていて、会議の準備をしているようだった。
昔から染めたところを見たことがない黒髪をポニーテールにしていて、先輩が動くたびに綺麗に揺れる。眼鏡の奥に見える瞳は綺麗で見惚れてしまいそうだ。そんな先輩が静かに笑いながら挨拶を返してくれる。先輩の顔を見るだけで元気が無限に湧き出してくるような気がした。
「いずみぃ、湊だけじゃなく私もいるんだけど?」
「あ、姫野先輩!すいません、お疲れ様です!」
恋は盲目とはよく言ったもので、僕の目には文字通り湊先輩しか入っていなかったみたいだ。
姫野先輩は生徒会の副会長、湊先輩とはタイプが違い、派手な感じの元気な女性だ。あの出来事のせいで、若干苦手意識はあるが、明るくて面白い人だと思っている。
「はいお疲れ、相変わらず湊しか見えてないなぁ。よ!慕われてますね、会長?」
「うるさい姫野」
楽しそうに湊先輩に話しかける姫野先輩とそれをあしらう湊先輩。よくあるいつもの光景なのだが、何か違和感があった。
「じゃあさっそく会議を始めるから、みんな用意して」
そう思ったのも束の間、いつも通りの湊先輩の掛け声でそのまま会議が始まった。何事もなく会議は進み、つつがなく終了した。
会議中も先輩は変わりなく、先ほど僕が一瞬感じた違和感は勘違いだったのかもしれない。
みんなが帰り支度を始める中、湊先輩はまだ何かすることがあるのか書類を眺めていた。
「湊先輩、帰らないんですか?」
「うん、まだ残してた仕事があって、和泉こそ帰らないの?」
「先輩が残るんなら僕も手伝いますよ!」
「いいの?なんかいつも手伝ってくれるけど、無理してない?」
「全然してません!むしろ先輩のお手伝いがしたいです!」
「そ、そっか、じゃあ頼もうかな」
「はい!」
湊先輩に頼ってもらえることが最高に嬉しかった。
先輩もどこか嬉しそうに見える。
もし本当にそうなら最高なんだけど……
そうして先輩と準備をしていると帰り際の姫野先輩が声をかけてきた。
「お、和泉は今日も湊のお手伝い?」
「はい!」
「嬉しそうにしちゃって、こんなに後輩に好かれて先輩冥利につきますねぇ、か・い・ちょ」
そう言って湊先輩の肩をポンポンと叩く姫野先輩、何か返答を待っていたが、湊先輩は下を向いたまま何故か無言だった。
「湊?どうかした?」
「先輩?」
「……イ」
「え?」
聞き取れはしなかったけどボソッと湊先輩は何か呟いた。心配になって覗き込もうとすると湊先輩は顔をあげた。
「姫野、今日なんか用事あるんじゃなかった?」
「あっと、そうだった。今日はもう帰るね、また明日」
「うん、また明日」
顔をあげた湊先輩はいつも通りの先輩だった。
「じゃあ、和泉はこっちをお願い」
「あ、はい!任せてください!」
「いつもありがとうね、和泉」
「そんな、僕が好きでやってることなんで、全然」
そうして僕は先輩とふたりで作業を始めた。
作業中はお互いに無言、黙々とするべきことを進めていく。先輩は見た通り、もともと自分からたくさん話をするような人ではないし、僕も作業中は先輩の邪魔をしないように気を付けている。
そんな無言で進む時間とは言え、好きな人と一緒にいることがきるこの時間は僕にとって、とても幸せで尊い時間だった。
楽しい時間はすぐに過ぎていく、もともと手際のいい先輩とふたりでやっていたのだ。残していた仕事はすぐに終わった。
生徒会室にカギをかけ、先輩とふたりで昇降口に向かう。
あとは帰るだけなのだが、僕はとてもドキドキしていた。何故なら湊先輩と一緒に帰れるかもしれないからだ。誘ってみる気恥ずかしさはあったが、僕は勇気を出して誘ってみることにした。
「あの、湊先輩」
「どうかした和泉?」
「きょ、今日ってその、一緒に帰ってもいいですか⁉」
ちょっと声が裏返って語尾も強くなってしまった。かなり恥ずかしい。
いっぱいいっぱいになっている僕とは違い、先輩は辺りを見て何か考えているようだった。
まだそれほど遅くない時間、辺りには部活動をしている生徒や、帰ろうとしている生徒、まだそれなりの人が残っていた。周りの人達を気にしている様子の先輩、誰か探しているのだろうか、考えてもわからないので僕は先輩からの返事をじっと待つことにした。
「ごめん和泉、今日は用事あるから」
「あ、そう、ですか……」
思ったよりあっけなく断られてしまった。なんというか一人で舞い上がっていただけに一気に現実にひきもどされたような感覚だ。
でも、仕方ない。先輩に用事があったなら、僕が誘うタイミングが悪かったんだ。
「じゃ、ごめんね」
「いえ、いいんです!気を付けて帰ってくださいね先輩」
湊先輩は振り向きざまに手を振って、そのまま僕の視界から消えて行った。
一緒に帰れなかったのは、残念だけど先輩とたくさん一緒にいることができたのは嬉しかった。
また明日、誘ってみよう!
だって僕は先輩が好きだから!もっと先輩と一緒にいて、僕の覚悟が決まったら、絶対にこの気持ちを伝えたい。
恋は人を変えるというけど、本当にそうだと思った。
僕から見える世界は明るかった。
今見ているその景色が、明日もその先も、ずっと続いていくんだと、その時の僕は疑いもしなかった。