心のままに
次の日、私は和泉と羽月の噂について、少し探ってみることにした。
思っていた通り、和泉と羽月の仲は今ではそれなりに噂になっているようだった。
生徒会長と役員という少し特殊な立場の二人。先輩と後輩という関係。なにより真面目な生徒会長の好きな人は?
というところで、変に調べようとしなくても自然に耳に入って来るくらい、特に一つ上の学年では噂になっていた。
自分たちの学年では、まだそこまでだったから気が付かなかったけど、羽月の周りでこの状態が続いているとしたら、何かのきっかけさえあれば溜まっていたものが爆発するかもしれない。
昨日の羽月の目はそんな感じだった。
どんな形になるかにもよるけど、そうなったら和泉と羽月の関係は、悪い方へ変わっていくことになるかもしれない。
私にとっては都合がいい、けれど……
それは和泉がまた傷つくということで、そうなってしまうかもしれないことに事前に気が付いた私はどうするべきなのだろうか……
それは思っていたより早く起きた。
放課後だった。
一人、覚悟を決めたような表情で上級生の教室に行く和泉。
目当ての人物にはいなかったようだが、そのまま特別教室棟へ歩いていく、おそらくは生徒会室へ向けて……
事が起きたのはその生徒会室だった。
中に入ろうとした和泉が固まったまま動かない、何があったのかは遠くに離れている私にも聞こえるほど、静かな特別教室棟に響き渡った。
「だから‼付き合ってなんかないって言ってるでしょ!」
「さっきから五月蠅いんだよ!付き合ってないって何度言えばわかるの⁉」
「だいたい、私がなんで和泉なんかと付き合うわけ⁉」
「いつもいつも向こうから寄って来るだけで、私は何もしてないでしょ!」
「そうやって色んな所で噂されて!もうほんっと迷惑!やめてくんない!」
「勝手に寄って来る和泉も!そうやって無責任に噂するあんたも!私には迷惑なの!」
「ハァ、ハァ……わかったらもう止めてくれない」
あぁ……
言っちゃった……
言っちゃった言っちゃった言っちゃった。
感情が爆発したような怒鳴り声、心の奥深くにしまっておいたものが勢いよく噴出する。
あれはきっと紛れもなく彼女の本心で、けれども普段はもっと大切なもののために隠しているもの。
それを、一時的な感情で知らずのうちに彼女は吐き出してしまった。
和泉が聞いているだなんて考えもせずに……
和泉は結局、生徒会室に入っていくことはなかった。
よろよろとした足取りで生徒会室から離れていく、顔面は蒼白で、目は虚ろ、私が見ていることなんてまったく気が付く様子もない。
当たり前だ。
憧れの、大好きな異性から自分があんな風に思われているなんて知ったら、そんなもの誰だってショックに決まってる。
それに加えて和泉には小学校の頃のトラウマがある。私がつけてしまった深い傷……
今回の事は、昔と状況は違うとはいえ、和泉にとっては同じこと、仲が良かった、好きだった存在からの一方的な拒絶。
しかも今回は初めのトラウマから立ち直るきっかけをくれた人からの拒絶だ。
誰にだって耐えられるものじゃない。
ふらふらになりながらも昇降口から出ていく和泉の後を、私はいつもより近くから追いかけた。
家に帰るまで和泉に危険がないように……
こうなるかもしれないって事はわかっていた。
それでも私は何もしなかった。
そのせいで、和泉はあんなにボロボロに傷ついてしまった。
ごめんね。和泉、本当にごめんなさい。
私は和泉が傷つくのを何もせずに見ていた。
そうだ、結局私は何もしなかった。
和泉を傷つけてしまったこと、一生をかけて償うからね。
次の日、和泉は学校を休んだ。
教師は体調不良らしいとホームルームの時に言っていたけど、きっと本当は昨日の出来事が原因なんだと思う。
生徒会、羽月に会うことが嫌なだけなら、生真面目な和泉のことだから学校には来ると思った。
でも和泉は学校自体を休んだ。学校にも行きたくなくなるくらい心が弱くなっているんだ。それだけのショックを和泉は受けたんだ。
和泉にとっての羽月の存在の大きさを改めて思い知らされる。
羽月は自分で和泉の心に穴を開けた。その穴に入り、和泉の心を埋めるのは、これからはまた私がする。
和泉の心が弱くなっている今が、最大のチャンスなんだ。
放課後、私はすぐに和泉の家に向かった。
すぐに玄関のチャイムを押そうとして、少し考える。
和泉が弱るほど傷つくのを知っていながら、黙って見ていた。そして弱っている和泉に付け入るためにここまできた。
最悪で、最低の人間だと自分でも思う。
それでも私は、和泉のことを……
迷いを捨てて、チャイムを押す、少し待つが何の反応もない。何度かチャイムを押してもそれはかわらなかった。きっと親は留守だ。
都合がいい。
和泉が家にいるのは確実だ。あんな状態ではどこにも行くはずがない、玄関まで来る気も起きないだけなのだろう。
私はこの家には何度も来ている。
和泉の部屋は1階にあるのも忘れたことはない、庭に回り込んで、カーテンがかかっている窓をノックした。
少しすると、予想通り和泉はいたようで、カーテンが開いた。
「開けて、お見舞いにきた」
「…え?」
驚いた様子の和泉、その顔に最近の明るさは面影もなく、顔色は悪そうで目の下にはクマができていた。
「とりあえず、入れて欲しいんだけど」
「あ、ごめ、今玄関開けに行くから」
こうして私は何年振りかで和泉の部屋に入ることができた。
懐かしい居心地のよい空間、年相応に部屋の中は変わっていたけど、大きな家具の配置はそのままで、あの頃の日々は嘘じゃなかったと教えてくれているようだった。
「あの、梓沢さん?今日はどうしてここに?」
「何度も言うけどお見舞い、体調大丈夫?」
「大丈夫、ありがとう……ってそ、それだけ?なんか窓まで叩いて重要なことでもあった?」
「別に、昔来てたし部屋の位置知ってたから、窓叩けば気付くかなと思っただけ」
「あ、そう、なんだ。よく覚えてたね」
忘れるわけないよ。
あの日から一瞬でも忘れたことはない、和泉のこと、和泉と一緒に過ごした日々を……
「あの?梓沢さん?」
「覚えてるに決まってるじゃん」
「え?」
「忘れたことなんてないよ、キミのこと、一緒に遊んだこと、この家のこと、あの頃の日々全部!」
「梓沢さん⁉」
私は確かに、よこしまな思いでここに来た。
今の和泉なら、すぐに私のことを頼ってくれる。
そんな打算を働かせてきた。
そんな自分が嫌で、けど、それでも、和泉のことが大切な気持ちは紛れもなく本物で、何年振りかでまともに話しをすることができたことで、嬉しくて勝手に涙が滲んでくる。
もう私はあの頃の弱い自分じゃない、今はもう変わったんだ。
自分の気持ちを大切に、本当に伝えたいことをしっかりと伝えたい!
「今日はね、お見舞いとキミに伝えたいことがあって来たの」
「つ、たえたい、こと?」
「そう、小学校の頃、よく一緒に遊んだあの頃のこと、キミは覚えてる?キミと私が友達じゃなくなった、あの日の事も……」
「そ、それは……」
「覚えているよ」
「そっか、ならこのまま伝えるよ……」
「あの時は!キミを拒絶してごめんなさい‼」
「ちょ、ちょっと梓沢さん⁉いきなりどうしたの⁉顔を上げて!」
いきなり目の前で頭を下げた私に、和泉は慌ててやめさせようとする。
「嫌だ、上げない!ずっと、ずっとずっとずっと後悔してた!あの時キミを拒絶しちゃったときのこと、小さい頃の私は弱くて、周りに何を言われるか、そればっかりを気にして、私を助けてくれた一番の友達だったキミを拒絶した。」
「…梓沢さん」
「あの時だけの、一時の恥ずかしいって感情で私は取り返しのつかないことをしてしまった。あとで冷静になったらバカな私でもそれくらいわかったよ。一番の友達のキミを、もっと大切にすればよかったのに!だから、すぐに謝ってまたキミと一緒に遊びたかったけど、そんな都合のいいことはできないと思った」
「そ、そんなこと考えてくれていたの?」
「本当は一生、私にはキミに謝る権利なんてないと思ってた。もう二度とキミと仲良くする資格なんてないって、だけど、そう簡単には割り切れなくて、今まで何もできなくて、そしたら昨日、ふらふらになって学校から出ていくキミを見て!心配で、我慢して、だけど!キミは今日学校を休んで!居ても立っても居られなくて‼」
「あ……」
「それで、心配してきてくれたの?」
私はもう二度と、和泉と離れたくない、もう二度と自分の気持ちをないがしろにしない。
私は顔をあげて、和泉の目を見て、震える声を振り絞って、はっきりと伝える。
「私にはそんな資格ないのかもしれないけど、それでも昨日のキミを見たら何か力になりたいと思ったの。小さい頃、怪我をした私を助けてくれたキミように、今度は私がキミを助けたいと思った」
「……」
「都合のいいことを言っている自覚はあるし、キミに拒絶されても構わない。だけど、私はキミと仲直りがしたい!またキミと一緒に遊んで、一緒に過ごして、今みたいにキミが辛い時、助けてあげることができる存在になりたい!」
「だから……」
「だから、あの時はごめんなさい!また私と友達になってください!」
「梓沢さん」
「……」
「僕の方こそ、ごめんね。あの時は何もできなくて、だから、お互い様ってことで、また友達になりたいです。よろしくお願いします」
「い、いいんだよ。キミが、謝る必要ないよ、わ、わたしが悪いっ、悪いんだから、…っだから、ありがとう、本当にありがとう!」
「ぅ、こ、こちらこそ、ありがとうね」
もう我慢できなかった。
涙はどんどん溢れてくるし、和泉も私と一緒に泣いてくれた。
私たちは自然と抱き合った。私が和泉を癒してあげたいと思っているのと同じくらい、和泉も私を気遣ってくれているのを感じる。
私たちの心は、また繋がった。
「実は昨日、生徒会長の湊先輩に告白するつもりだったんだ」
お互いが落ち着いた頃、和泉が昨日のことを私に話してくれた。普通なら話しにくいことだと思う。けど、もう私に対してへんな距離は感じない。
「けどね、偶然聞いちゃって、先輩が、僕のこと迷惑、だって言ってた」
「すごい悲しかったし、自分勝手だけど裏切られたような気もしたんだ」
「何もする気になれなくて学校も休んだし、今じゃ先輩に会うのも考えただけで、少し怖い、かな」
弱弱しく心情を吐露する和泉の姿に胸が痛くなり、これからは私が守ると改めて決意する。
「じゃあさ、まずは私と会うために学校に行こう」
「え?梓沢さんに会うため?」
「まぁただの理由付け、だけどせっかく仲直りした一番の友達に会えないなんて、私悲しいなぁ」
「う、もちろん明日からは行くよ!その、梓沢さんに会いに」
照れながらも私のためにと和泉がはっきりと言ってくれた。その言葉に身体が熱くなる。我慢しないと、和泉との関係はまだ、修復したばかり、大切に、大切にと自分に言い聞かせる。
「あと、生徒会はとりあえず休むか、私は辞めてもいいと思うよ」
「……それは、僕も考えはしたんだ。けど無責任かなって」
「でもね、私は無理してほしくない。それに行ってもこれまでみたいに仕事はきっとできないよ。それなら早めに伝えた方が、生徒会にとってもいいと思う」
「そう、かもしれないね。元々先輩に会うためって不純な動機でやってたから、辞めるべきなのかもしれない」
「うん、でもさ、好きな人のために何かするって別に不純じゃないと思うよ」
「はは、そうかな。なんかありがとう」
ふたりで見つめあって微笑む。
こうして私は遅くまで和泉の部屋で話をして過ごした。外が暗くなってくる頃には和泉もすっかり元気になって、今まで話ができなかった期間を埋めるようにお互いのことをたくさん話した。
そこには確かに昔もあった。最近までなくしていた大切な空間があった。
私の大切な、大切な存在、もう手放したりなんかしない。