羽音
盆の頃になると強い風が吹く。
熱風と砂にまみれた郷里。小さな部落で私は生まれた。
家は貧しく、いつもひもじくて、私は隣家の下働きに身体をさらし、
砂糖水や菓子をもらうような、愚かしい少女時代を過ごした。
盆の頃になると強い風が吹く。ぴいぴい鳴くのは、ひもじくて死んだ百姓だ。
一日中縫い物をしていた婆さんは、隙間風に向かって唄うようにつぶやいた。
ボンが越してきたのは、十二の頃だった。
真新しい黒い鼻緒の下駄を履いて、白い木綿のシャツを着込み、
お手伝いを伴って学校にやって来た。
いじめっ子はすぐに目をつけ、見たこともないような長いトンボの鉛筆を、ボンの筆箱から取り、
わざと折って返したりした。
それでも翌日にはすぐに、真新しい鉛筆を持ってくる。
ついにはいじめっ子にも飽きられ、ボンは教室の片隅に追いやられていった。
ボンとは、金持ちの坊ちゃんと言う意味で、いじめっ子達がつけたあだ名だった。
ボンは綺麗な顔立ちをしていた。賢そうな眉に涼やかな目をして、すんなり細い脚は長く、
清潔そうなうなじからは、いつも石鹸の香りがした。
放課後になると、お手伝いのミツが迎えに来る。ボンはここぞとばかり偉そうに、
鞄を放り投げ、砂埃の中をすたすた歩いて帰っていった。
明日から夏休みだという日、私は帰り支度をしながら、一日中続く野良仕事のことを
憂鬱に思い巡らしていた。
むしゃくしゃして履いていた草履を放り投げると、衝撃で砂埃が舞う。
埃の先に視線を上げると校門に座り込むボンがいた。
ボンの姿を捉えた私は、胸の奥に小さな痛みを感じる。
ボンの近くに行きたい。
すぐそばまで歩いていき、ボンを見下ろすと、日に焼けた額に幾筋もの汗が滴っていた。
「ねえあんた。お手伝いさんまだ来ないの?」
ボンは日差しに眉をしかめて私を見上げると、すぐに視線を地面に落とし、
黙って蟻の行列を見ていた。
「蟻…好きなの?」
隣にしゃがむとすぐに、ふんわりと汗と石鹸の混じった匂いがする。
その匂いを嗅ぐと、へその奥がぎゅっとなった。
私はぼんやりとしながら、ボンにささやいた。
「ねえ。いいもの見せてあげようか?」
心に芽生えた淫靡な思いを、素直に告げてしまった。
沈黙する私とボンに、太陽がじりじり照りつける。唸るような蝉の声がいっそう煩くなる。
しばらく黙って地面を見ていたボンは、目線をそらさずに言った。
「お前の股ん中なんて、見たくねえよ。」
言い終わるが早いか、ミツの坊ちゃまと呼ぶ声がして、ボンは走り出した。
取り残された私は、しゃがんだまましびれたように動けなくなり、
乾いた地面に額から大粒の汗がぽたりと落ちた。
汗の中で、蟻が一匹溺れていた。
野良仕事の朝は早い。夏でもまだ暗い頃に起き出して、野良へ出る。
水だけで昼まで働き、太陽が一番高くなったところでやっと昼餉につく。
後は日が傾くまで、散歩、昼寝など許された。
子ども達は、この間に遊びに出かける。
私は下働きの六次と約束をしていた。
胸が膨らみ始めた最近では、シャツのボタンもはずせと言われる。
「砂糖水をもうひとつ、ちょうだいよ。」
ボタンを外そうとする六次の手を止め、私は詰め寄った。
「今度の祭りで、お前に草履買ってやるよ。」
六次は脱ぎかけていた野良着を整えながら、にやりとして納屋を出て行った。
コップに一杯、橙色の砂糖水を持ってきながら、六次はさらに、にやにやした。
それを受け取り、ゆっくり口に含む。六次の顔が近づいてきて、荒い息が喉もとにかかる。
土のついた指で、シャツのボタンをもどかしそうに、焦って外していく。
私は目を閉じて、口の中に広がる甘さを確かめながら、ジワジワと唸る蝉の声を聞いていた。
ただれた時間が過ぎていき、六次は満足すると汗でべたついた身体を拭きながら、
明日も来いと言った。
私は返事はせずに、乱れたスカートのすそを整えて、立ち上がる。
納屋を出ると、既に日が傾いて長い影が差した。
私はさらにやせっぽちな自分の影法師を見ながら、昨日ボンに言われた言葉を思い出す。
「お前の股ん中なんて、見たくねえよ。」
盆の祭りは、貧しい部落に暮らす人々にとって、唯一の楽しみに違いなかった。
行商人が店をひろげ、みた事もないような色とりどりの髪飾りや、化粧品、
タバコや菓子などの嗜好品が並ぶ。
部落の中に、買い物ができる者はそうそういなかったが
畑の地主や、街で商売をしている小金持ちが、妾や娼婦を連れて冷やかしにやって来た。
街はずれの娼館へ、この部落からも、昔は数人の娘が売られていったことがある。
娼婦は皆、だいたい貧しい村落の出で、祭りがあると懐かしがり
旦那衆に連れて行ってとせがむのだそうだ。
夜は六次に呼び出され、林の奥まで行かなければならなかった。
祭りのお囃子に混じって、どこかの行商人が弾く胡弓の音が風にのってここまで届く。
私は胡弓の音が好きだった。
祭りの夜に決まって聞こえてくるその音色は、夜気にあたり、いっそう艶やかで
胸が締め付けられるように切なかった。
目を閉じて、注意深く聴き入る。今日の風は湿っていて、日に焼けて乾ききった私の頬を
優しくなでるように吹いていた。
明日は雨になるだろう。
うっそうと生い茂る木々の先に、大きな背中の六次がいる。
見慣れた野良着に、屈強な背中。だらりと腕を降ろしている。
ざくざくと、藪の中を掻き分けて近づくと、目に飛び込んできたその異様な光景に、
全身の体温が奪われた。
いつも汗を拭いていた手ぬぐいを木にかけて、六次はくびれていた。
充血した目からは血が噴出し、あたりは六次が垂れ流したおびただしい糞尿の臭気がたち込めていた。
私はたちまち吐き気を覚え、胃の中にあったわずかなものを全て吐き出した。
そして、次の瞬間目の前が真っ暗になり気を失ってしまった。
小一時間、藪の中で気を失っていただろうか。蚊の鳴く声と、猛烈な痒さで目を覚ます。
祭囃子はもう聞こえなくなり、がやがやと大人たちの声がして、無数の提灯の明かりが
林の先にちらちらし始める。
灯篭流しへ向かう行列だと気づいた。
六次のいる方へは目を向けられず、一目散に林を駆け抜けて、大人達に向かって叫ぶ。
「誰か来て。林の奥で人が、人が死んどる。死んどるでよ。」
行列はざわめき、数人の男衆が駆け出した。
私は、こっちだよと、六次の亡骸のほうを指差す。
雑木林はさまざまな虫が唸るように鳴き、湿った風が木々の葉をざわつかせた。
「おい。なんもねえぞ。人どころかウサギ一匹いねえじゃねえか。」
大人たちは提灯であたりを照らし、口々に言った。
「仕方あるめえ。盆祭りのひにゃ、ここいらでは死んだもんがうようよしとるし。
そんなもんが見えることもあるかも知らんで。」
ひとりの男がため息混じりに言う。それを合図に、男衆は林を出て行こうとした。
確かに、そこには六次の屍も、臭気を放っていた汚物も、跡形もなく、
あるのは闇と、草いきれ、山へとつづく獣道だけだった。
男衆はぞろぞろと林を出て行き、私も提灯の明かりを頼りに後をついていった。
どうしようもなく後ろ髪を引かれ、振り返ると、六次のいた場所が黒い。
よく見ると、それは無数の小さな虫が群れて飛び回っているように見えた。
虫は互いの黒い身体で闇を作り出し、ぶんぶん羽を鳴らして私を威嚇している。
これ以上見ていては、きっとよくないだろう。
ぞくりと寒さが走る。
私が見た六次の亡骸は、本当に幻だったのか。それとも…
私はとにかく、行列の中に加わった。
しかしどう思い直しても、あの六次のおぞましい姿が頭を離れることはなかった。
提灯を持った行列は、灯篭流しの川べりにつくといっせいに川面に灯篭を浮かべる。
私はしゃがんで、うつろに無数の光りを眺めていた。
まぶしくなり目を閉じる。蛙と虫の声、そして風の音がいっそう強くなり、
やがてその音はぶんぶんとあの黒い虫の羽音に変わった。
ぎょっとして尻餅をつき、泣きそうになる。
誰も六次の亡骸を見ていない。誰も見ていないのだから、黙っていれば済むことだと、
心の中で繰り返した。
それと同時に、たった一人であの恐怖を抱えていかなければならない事を悟った。
翌日、大雨が降った。
六次はあの晩から姿を消し、二度と戻ることはなかった。
六次の噂は、小さな部落にすぐに広まった。
祭りに来ていた金持ちの妾とねんごろになり、駆け落ちしたと言う者、
街の娼館で見かけたという者、
どこかで間男をしたのがばれて、自分から村を出て行ったという者もいた。
六次について、皆口々に女がらみの噂を立てるところを見ると
おおかた似たようなことをいつもしていたのだろう。
盆の祭りが終わると、野良仕事はいっそうきつくなる。
部落の大人も子どもも皆、一日中野良仕事に追われ、六次のことなど忘れ去った。
隣家でも、すぐに代わりの下働きを雇ったようだ。
痩せた背虫の男だった。
昼餉の後、することのない私は川で水を浴びるようになった。
水浴びから帰ると、一日中縫い物をしている婆さんが、ぼそぼそと何か言った。
「六次はもう、戻ってこねぇじゃろうのう。熊か猪にでも食われたじゃろか。」
私はぎくりとして、婆さんの方を振り返った。
六次の無残な最期の姿がみるみる頭の中によみがえり、耳元でぶんぶんと羽音がするかのようで
私は耳をふさいだ。
婆さんは時々死者の声を聞いた。
母親が山に入って帰ってこなかったときも、ひもじさにくびれて死んだと言った。
その通りだった。
「風が泣いとるじゃろう。風に乗って、死んだもんが知らせに来るんじゃろねえ。」
その夜、母が夢枕に立ち、私をあの林へと誘った。
うつろに指差す方を見やると、そこに六次の亡骸があった。
手ぬぐい一本に預けていた体は、朽ちて地面に突っ伏し、目も鼻も無くなっていた。
こけた頬には蛆虫が湧き、腐った肉を食らう。
ぽっかりと穴の開いた目は、恨めしそうに虚空を見つめ、口からは黄色い歯と、
腐って紫色に膨れ上がった舌が覗いていた。
獣に食いちぎられ、穴の開いた喉からひゅうひゅう風が吹く。
その風の音は、確かに浮かばれない六次の声を告げていた。
背中にじっとりと汗をかき、目を覚ました。
真夏だというのに、寒さで手と足は痺れていた。
がたがたと震えは止まらず、ぎゅっと目を瞑り、南無阿弥陀仏と唱える。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…
三回唱えると、今度は耳元ではっきりと六次の声がした。
「ネンブツジャァ オレァウカバレネエ」
私は飛び起き、婆さんの布団に潜り込んだ。
婆さんは、汗でぐっしょり濡れた私の額を、しわしわの手でぬぐいながら
低い声で呟いた。
「仕方あるめぇ。」
婆さんはそう言うと、いびきを立てて眠ってしまった。
仕方あるめぇ…それは、六次に対してとも、私に対してとも取れる言葉だった。
一睡もできないまま野良へ出る時間になり、まだ眠っている婆さんの布団から抜け出す。
昨日、夢枕に立った母は何故、六次の死について知らせにきたのだろうか。
まだ薄暗い道を、父の後をついて歩く。
乾いた砂埃が貧相な父の脚を白く染め、まるで死人の脚のようだと思った。
地主にわずかな畑を借りて、やっとの生活をしている部落の者は皆いつでもひもじくて、
死線のすぐ傍を彷徨っているようだった。
母はひもじさに耐え切れず山に入って死に、生まれた子どもを川に流す者もいくらかいた。
くちべらしだ。
ふと、母を殺したのは父なのだろうかと思った。
昼餉に婆さんがわずかな食料を用意する。芋がらを炊いたのやら、川の小魚を持たされた。
私は父へそれを届けに、畑と家を往復した。
熱い昼間の風は乾いている。
地面の照り返しを顔に受け、滴る汗が染みてひりひりする。
とぼとぼと歩いていると、一陣の風が巻き起こり、砂埃が渦を巻いた。
両手で顔を覆って風が静まるのを待ち、やっと視線を上げると、
目の前にボンがいた。
ボンはミツを伴い、無言で通り過ぎていく。
すれ違いざまに、ミツがちらりと冷ややかな視線を向けたのがわかった。
私は立ち止まって振り返り、しばらく二人を見送った。
あの日、思いがけずそこにいたボンの、汗と石鹸の匂いに、淫靡なものを感じた。
私の誘いにはボンはまるで取り合わず、酷く淋しい思いをした。
あの時と同じように、ボンは目もくれずに歩いていった。
その夜、私は再び川で水浴びをした。
家にある粗末で小さな石鹸を手ぬぐいに包み、川の水につける。
泡も立たず、香りもしないその石鹸で、丁寧に身体をこすった。
ついでに服や下着を洗い、素っ裸になって川の水に半身を沈める。
夏とはいえ、夜の川は流れが速く冷たい。
私は身震いをしながら水から上がり、川べりで洗濯の後片付けをした。
ふと、川の向こう岸へ目をやると草の陰からこちらを見ている者がいる。
不思議と恐怖を感じなかった私は、替えの服を着ながら声に出した。
「誰?」
一瞬、しんと静まり、背の高い雑草ががさがさ揺れた。その草陰に白いものがちらちらしている。
やがて、ざこざこという下駄の音がして何者かは川原を遠ざかっていった。
それは確かにボンだった。
私は歩きなれた道を提灯で照らしながら、ボンの事を思う。
洗濯物から、髪の毛から、ぽたぽたとしずくが零れ落ちる。
あくる日も、あくる日も、私は夜の水浴びに出かけた。
ボンも必ずやってきて、向こう岸で息を潜めている。
私は声をかける代わりに、月明かりの下に身体をさらした。そよそよと風が吹く。
それから静かに、流れの速い川に身を沈め、ゆっくり、ゆっくり、ボンのいる岸まで
泳いでいった。
川から半身乗り出して、そっとボンに向かってささやいた。
「誰にも言わんよ。」
ボンは姿を現わし、月明かりの下で、黙ってまじまじと私を見た。
その瞳に吸い寄せられるように、私は川から上がり、全身をさらした。
今度は少し驚いたような顔をして、突っ立っている。
二人とも、どうすればよいのかわからず、しばらく黙ってにらみ合うような格好になった。
やがてボンは、うつむき、ため息をついて言った。
「腹減ってないか…」
私はその言葉を聞き、すぐに六次との事を思い出す。
六次とのただれた時間は、決して私が心から望んだものではなかった。
ただひもじくて…
「うん。何もいらんよ。」
言い訳するかのように、そう答えた。
ボンは困ったように、しばらく何か考えるような顔をした。
「お前、家分るか…」
今度は、はっきりと私の目を見て言った。
「お医者の先生のところからすぐのお屋敷。」
私は答えて、明日行くと付け足した。
ボンは、黙って頷くと帰っていった。
途中何度か振り返るボンを、私は見えなくなるまで見送った。
目覚めると雨が降っていた。
こんな日は野良には出られず、私は気持ちばかりが急いた。
気がつけばボンのことばかり考え、昼餉の時間まで待てずに、黙って家を飛び出す。
背後で婆さんが何か呟いていた。
走ると、雨で濡れた砂の匂いがする。
背中で、いっせいにヒグラシの鳴く声がした。
学校の先にある医者の屋敷が見え、その先にある、さらに大きな屋敷には
ボンとミツが二人きりで暮らしている。
ボンがここいらに越してきた頃、その奇妙な暮らしぶりについて、
大人たちは口々に噂した。
ボンは妾の子。お手伝いとは名ばかりで、ミツがその母親だろうとも
また別の妾だろうとも言われていた。
屋敷はしんと静まり返り、正面の戸だけが開け放たれていた。
屋敷をぐるりと庭が囲み、庭に面した障子は全て閉められている。
覗くと、正面の戸の先には長く、薄暗い廊下が続く。その脇にいくつもの部屋があるようだった。
私は、そっと入口から中を覗く。
人の気配がして、ボンの姿を探そうと、さらに首を伸ばす。
廊下の途中に、ひとつだけふすまが細く開いた部屋があり、隙間から明かりが漏れていた。
目を凝らし、耳を澄ますとかすかな物音がした。畳をするような、かすかな音と、人の声がする。
それは女のささやくような声で、しきりに何か言っているようだった。
私はとうとう草履を脱いで上がりこみ、息を潜めてふすまの間から部屋の中を覗いた。
そこには、ボンとミツの姿があった。
ボンはうつろな目をして椅子に腰掛け、その上にミツが座るような格好で絡み合っている。
ミツは髪を振り乱してあえぎ、襟元からは大きく真っ白な胸がこぼれていた。
やがてミツは、畳にボンを押し倒して馬乗りになり、うめき声をあげ始める。
押し倒されたボンは、じっと天井を見つめ続け、うんともすんとも言わない。
私はその光景を目にし、一瞬でボンの気持ちを悟った。
ただただひもじくて、一杯の砂糖水をもらうために身体をさらしていた自分と、
古く大きな屋敷で行き場を無くし、無表情にミツに組し抱かれているボンの姿が交差する。
私は静かにその場を離れた。
その晩、雨は激しく降り続いた。
今日も日が昇る前に野良へ出る。昨夜の雨のせいで、田畑が荒れているだろうと父がぼやいた。
私は昨日の晩、川へは行かず早めに床に着いた。
もう婆さんは何も言わず、ひたすら縫い物をしていた。
野良へ出ると、数人の大人たちが既にいて、神妙な顔をして話し込んでいた。
「昨日の雨でゃ、川の水が増えとったし、仕方あるめぇよ。」
「ほんで、おっ死んだんは、どこの子どもだ?」
「お医者の先生の先さぁ屋敷があるで。そこの坊ちゃんだそうだ。」
私は既に、大人たちの顔色を見て、何が起きたのわかっていた。
ボンは、昨晩川にやってきたのだ。増水した川に…
そこで溺れてボンは死んだ。
私は昼餉の後、ボンの屋敷まで走って行き、ミツの姿を見つけると、
衝動的にミツの着物から紐を取り、首を締め上げた。
ミツは振り向きざまに何かを言い、濃い血の泡を唇の端に浮かべて、やがて白目をむき
痙攣して息絶えた。
ミツが息絶えるまでの間、渾身の力を込めて縛り上げた紐は、ところどころほつれ
それを握り締めていた私の手にも、跡が残った。
ぜえぜえと背中で荒く息をして、きっとこんな風に、ボンも六次を殺したのだろうと思った。
庭に向かって開け放たれた障子から風が入ってくる。
ぶうん…と音がして一匹の黒い虫が入ってくる。また一匹、二匹と次第に増える。
あの時の虫だった。
やがて虫はぶんぶんとあの羽音を鳴らして、真っ黒な固まりとなり、ミツの身体を覆い尽くした。
虫は、跡形もなくミツの屍を食いつくし、どこへともなく消えてしまった。
私は、十三になると部落にやってきた女衒について村を出た。
父親と婆さんは、泣き笑いのような顔をして、見えなくなるまで見送ってくれた。
村を出る私の後を、ついてくる者がいる。六次と、ボンと、ミツだ。
客に抱かれる私を見て、六次は目のない顔でにやにやし、
ボンはいつまでもうつろな目をして、狂ったミツに犯され続けていた。
そして私の耳元では永遠に止むことのないあの羽音が、今もぶんぶんと唸り続けている。
書いているうちにキャラクターが、一人歩きすると言う経験を初めてしました(笑)
ホラー文学に挑戦するのは、初めてですが、怖いお話にできたと思います。
主人公の「私」は、貧しさの中で生きていくために小さな罪から最期は殺人を犯します。
貧困がもたらす、曲がった愛情と狂気を、十二歳の少女の目線で稚拙に表現しました。
本当はあってはならないこと、(人身売買や売春、殺人)が文中にありますので
R-15指定とさせていただきました。