俺の深淵を覗こうというのか?
今日も俺達は、町の近辺で冒険にいそしんでいた。
稼いだ路銀の多くをスケさんの妹に渡したため、再び稼ぐ必要があったのだ。
異変が起こったのは、冒険を終えて町の門をくぐり抜けた時だった。
北の山から黒い閃光が立ち昇ったのだ。
直後、地震が起こった。
地震は体感で震度3といったところか。俺達日本人にとっては、取り乱すほどではない。
けれど異様な事態が起こっているのは、誰の目にも明らかだった。
「あれは!?」
「まさか、冥界竜クーガストが!?」
町の住民達が口々に声を上げる。
「冥界竜クーガスト……だと!?」
俺は衝撃に声を上げた。
光井が怪訝な顔で尋ねてくる。
「どうしたハルタ? まさか、知っているのか!?」
「いや、よく分からんが、カッコいい名だ……! くっ……俺の左腕がうずきそうだ」
「そ、そうか……」
光井は何かを諦めたような表情で、そっと視線を外した。
「ねえ、スケさんはその冥界竜っていうの知らない?」
水戸の質問にスケさんは頷く。
「ふ~む、子供の頃に聞いた覚えがある気がするだぎゃよ」
「それで?」
「……ってへ、忘れちゃっただぎゃ」
スケさんはお茶目な声で笑ってごまかした。
役に立たないしもべだ。……とはいえ、妹のことすら思い出せなかったぐらいなのだ。さすがに酷というものだろう。
「すみません。いったい何が起こってるんですか? 今の黒い光に心当たりが?」
そこで光井が動いた。町の住民達へ向かって尋ねたのだ。
「ほう、さすがはリア充。知らぬ人に話しかけるにもためらいがないな。この点については、俺も評価せねばなるまい」
「評価のハードルが低すぎて泣きたくなるわね……」
俺が感心してみせれば、赤江は哀れむような視線を送ってきた。
ともあれ、光井が住民達から聞き出したのは以下の通りだ。
五百年前、恐ろしい竜が冥界より現れたという。
冥界竜はこの一帯を荒らし回り、多くの人々が命を落とした。
色々あって冥界竜は、とある賢者が自らの命と引き換えに北の山に封印したらしい。
だが、賢者は同時に、封印が解ける時を予測していた。
その表れこそが、黒い閃光なのだという。
「伝説が本当だったなんて……」
「もう駄目だ! 絶望だ!」
「この町はおしまいだ!」
町人のざわめきは止まらない。徐々に恐怖が蔓延し始めているようだった。
……というか、冷静になってみると何なのこの展開。
北の山の封印って、今までそんな伏線なかったじゃん。
……まあ、この世界は限りなくゲーム的だが、実際はリアルだ。都合よく伏線なんか張ってくれないってことか。
鐘の音が響いてくる。文字通りの警鐘というヤツだろう。
衛兵達が忙しく動き出し、避難を呼びかけている。
どうやら女子供と年寄りを優先して、西の町に避難させるつもりのようだ。
スケさんはしきりに妹を気にしていた。やむなく俺達は彼のために動く。結局は、妹が避難の列に入り込んだのを確認して安堵していた。
一方で、男達の多くは町に残るらしい。
この町はとある王国に属しており、既に国軍へと支援を要請したようだ。町の男達と軍が力を合わせて、冥界竜から町を守るのだという。
そこで冥界竜を撃退できなければ、町は踏み荒らされる。さらには、西へと避難した彼らの家族も無事では済まないだろう。
彼らは家族を守るため、命を賭して冥界竜と一戦を交えるつもりなのだ。
「で、あたし達はどうする?」
「決まっている。俺達も脱出するぞ。路銀は心許ないが、四の五の言ってはいられまい」
赤江の問いに俺は即答した。他に選択肢はない。迷う要素はないはずだ。
ところが――
「そうか……。俺はこの町を守るよ。みんなは先に逃げてくれないか」
光井が突如、そんなことを言い出した。
「馬鹿かお前は。ひょっとして、真の勇者にでもなったつもりか? 下手をすれば死ぬぞ」
「おいおい、ハルタがそんな常識を説くなんてな。けど、俺がこの世界に転移したのには、何かの意味があると思うんだ。実際、俺はこの町の誰よりも強いだろうからな」
光井の強さは本物だ。幾度か他の冒険者の戦いを観戦したが、はっきり言って比較にならない。十人やそこらの冒険者が束になっても、こいつには到底敵わないだろう。
けれど――
「うぬぼれるな愚か者! 所詮は他の連中より強い程度に過ぎん。本物のバケモノに勝てると思うな! そういうのは、この国の軍隊にでも任せておけ!」
俺は一喝した。
俺は一度はオークに殺されかけたのだ。こいつらのようにピンチになったこともない連中とは違う。
だからこそ分かる。ここで止めなければ、こいつらは死ぬかもしれないのだと。
ところが――
「あたしも行くよ、ヨーイチ。この町には短い間だったけど、世話になったからね」
「私も。少しでも誰かを助けたいから」
赤江と水戸も光井に賛同した。
「ありがとう、アカネ、シズカ。無理だと思ったらいつでも逃げてくれ」
「お前達……正気か?」
「ハルタ、スケさんと二人だけで逃げてくれ。たぶん、本気でヤバい戦いになると思う」
光井はいつになく鋭い目で、そう言い放った。
「そういうこと。悪いけど、あんたじゃ足手まとい。まっ、あたしらに任せときなさい」
「佐藤君は避難した人達を守ってあげて」
*
俺はスケさんと二人で、西の町へと向かう街道を歩いていた。
しかし、足取りは重い。既に避難の列はずっと先まで進んでしまっている。
列にいる人々の大半は、女子供にお年寄りだ。健康体の男の姿は見られない。みな冥界竜との戦いに向かったのだろうか。
「……マスター、本当にこのまま逃げるだぎゃか?」
「ああ、戦っても死ぬだけだからな」
「三人を見捨てるだぎゃか?」
「奴らが自分で選んだ道だ。助ける義理はない。それに俺の暗黒魔法では、大した戦力にはならん。忌々しいが赤江の言う通りだ」
「マスター、いつも『俺は史上最強の暗黒魔道士だ』って言ってるじゃないだぎゃか」
「攻撃もできないのに史上最強もクソもあるか! 大体、俺は光井の野郎には恨みがあるんだ! 俺はあいつだけは許さない! 助けてやるもんか!」
「マスター……。それほどまでにヨーイチ殿のことを……。いったい何があったんだぎゃか?」
「ほう、それを聞くか? お前は俺の深淵を覗こうというのか? よかろう、ならば教えてやる。深くどす黒い真の闇をな……。だが、後悔するなよ」
そうして、俺は語り出した。
あれは高校一年の夏休み前の出来事だった……。
* 回想始まり *
「ようハルタ。おはよーさん」
「おはよう、ヨーイチ君」
あの時はまだ、俺も光井のことを下の名前で呼んでいた。当時は数少ない友人だと思っていたからな。
その時、光井が俺のスマホを覗き込んだ。
「それって、『小説家になるぜ』か」
「うん。最近、僕ネット小説にハマっててさ。ヨーイチ君も読んでみたら? ほらこれなんてどう?」
「なんじゃそりゃ、ニート無双転生? ニートが生まれ変わって最強になる話か?」
「そうそう。けっこう面白いよ」
「悪いがパスだ。『なるぜ』の小説は、俺もいくつか読んでみたけどな。なんつーか、ワンパターンなんだよ。主人公が死んで異世界に転生して、大して苦労もせず最強になって無双して、ハーレム作ってさあ」
「た、確かにそういう小説もあるけど、そればっかりじゃないよ! このニート無双転生だって、冒険ファンタジーとしてもよくできてるんだから」
「あんなんが面白く感じる奴って、どうせ人生うまく行ってない奴ばっかりだろ。自分の人生が不遇だからって、小説の異世界に逃避かよ」
「偏見ありすぎだよ、ヨーイチ君! 大体、ファンタジーなんて昔から逃避の文学みたいなもんじゃないか!」
「まっ、別にお前がなに読もうが勝手だけどよ。けど、そんな根暗な趣味ばかりじゃモテないぞ。たまには昔みたく外で遊ぼうぜ。いつでも誘ってやるからよ」
そんな根暗な趣味ばかりじゃモテないぞ。
そんな根暗な趣味ばかりじゃモテないぞ。
そんな根暗な趣味ばかりじゃモテないぞ。
その言葉は、俺の頭の中で幾度となく繰り返して響いたのだった。
* 回想終わり *
「光井陽一許すまじ! あの時の言葉を、俺は生涯忘れないだろう」
「……どうせしょうもない理由だとは予想してたけど、その斜め上を行くしょうもなさだぎゃね。ていうかマスター、キャラ変わりすぎだぎゃよ」
「しょうもない……だと! お前も! お前も俺の嘆きと苦しみを分かってくれないのか!」
「いや、趣味を否定されて腹立つのは、分からんでもないだぎゃ。だからといってマスター、ケツの穴が小さいにもほどがあるだぎゃ」
「うるさいうるさい! 貴様に何が分かる! 友達だと思っていた奴に裏切られたんだぞ! お陰で俺は、ボッチになるしかなかったんだ! 貴様に分かるか!? 『体育の時間に二人組作って~』っと言われた時の困惑を! それで結局、先生と組まされた羞恥を! 登校から下校まで誰とも一言も会話しなかった日の虚無感を! リア充どもには想像もつかない世界だろうがな!」
俺は積年の鬱憤を一気に吐き出した。
スケさんは表情のない仮面で、そんな俺をジッと見ていたが。
「マスター! 歯を食いしばれだぎゃ!」
「ぐへあっ!?」
スケさんの拳が俺の頬を殴りつけた。俺はあえなく地面に転がった。
「こんな体でも蘇生してもらったことには、感謝するだぎゃ。けれど、マスターには愛想が尽きただぎゃ。吾輩は行かせてもらうだぎゃ」
「おい! 待て!」
俺が制止するも、スケさんは町へと戻っていった。
あの野郎! 骨ばかりで血も通ってないクセに熱血かよ。
ていうか、あいつ。俺から離れると活動できなくなるんだが……。ネクロマンシーにも有効射程があるんだぞ。
「ちっ、馬鹿どもが!」
俺は舌打ちするなり、よろよろと起き上がった。




