冒険者のシリス6
……ここは、どこだろう?
なにも見えない、真っ暗な世界に私は立っていた。
右も左も、上も下も、前も後ろも、自分という存在すらあやふやだ。
それになんだか眠い。
静かだし、このまま……寝てたまるか!
ジンが死霊に取り憑かれてすぐに死んでいなかったことから、抵抗できると踏んでいたのだが、一か八かの賭けは成功したようだ。
ただ、この状況はまったくの予想外で、なにがどうなっているのやら。
ぼんやりしていたら私は死ぬってことはわかるけどね。
その前に、なんとか死霊を私の中から追いだせばいいだけだ。
気合で意識を覚醒させると、暗闇の中にも見えてくる光景があった。
場所は、たぶん古城の大広間なのだろう。
曖昧なのは朽ち果てた城ではなく、埃ひとつ落ちていない真っ赤な絨毯に、美しい調度品が並ぶ空間へと様変わりしていたからだ。
あの古城に、かつてあった姿を私は見ている。
『――様、ここは限界です! お早くお逃げください!』
『それには及びません。私が行く場所なんて、他にありませんから』
二人の男女が悲壮な表情をしている。
片方は見覚えのある騎士甲冑を纏った老齢の男で、もう片方は淡い若草色のドレスに身を包む麗人。
会話内容からも、二人が主従関係にあるとわかった。
『ならば、せめて思い出の残るこの場所で……』
『――承知いたしました。では僭越ながら、お供させて頂きます』
二人の姿が徐々に薄れると、再び私は闇の中へと戻った。
そして目の前に立つ死霊騎士に気付く。
「今のは、お前の過去ってことかな?」
「それを知ったところで意味など無い」
意外にもまともに返事をしたので、ひとつ聞いてみる。
「私の体を手に入れたとして、どうするつもりなんだ?」
「……我らは主君を守れなかった。あの時すでに城は包囲され、多くの同胞たちが湖畔に散った。あの御方には、この清らかな湖だけが居場所だったというのに」
「それじゃあ無念を晴らそうってこと?」
「すでに終わった話だとは理解している。だが我らの未練が、悔恨が、憎悪が縛り付けて離さないのだ。この苦しみから逃れるには、これしか方法がなかった」
「この……ばかもんがぁぁぁーーーー!」
殴った。グーで。
これまた意外にもぶっ飛んで転がった騎士は、心底驚いた表情で私を見る。
「つまりお前、いや、お前たちか? ただ自分たちが救われたい一心で無関係な人を巻き込んでいるっていうのか! まったく情けない騎士共だな!」
「なに、を……」
「戦士たるもの、覚悟を決めて今を全力で生きるべし!」
ずびしっ、と指差して断言してやる。
正確には騎士だけど、戦士との違いなんて些細なものだろう。
「ゆえに後悔などあるはずもない……って続く言葉なんだけどさ。ずっと前に誰かが言ってたの気に入ってるんだ」
「…………」
「未練や後悔を断ち切るなんて、ホントは難しいってわかってるよ。だけどさ、だからって、今を生きている人たちに迷惑をかけちゃダメだよ」
「……だが、我らは未だここにいる」
「別に消えろなんて言ってないよ。ただ困らせるなってこと」
実際、私だってある意味では過去の亡霊が蘇った存在だからね。
こんな風に偉そうに言える権利だってないのかもしれないけど、誰かが言わないと騎士たちは、この先も苦しみ続けてしまう。
それは、とても悲しい。
「すぐに成仏したいなら専門家が来てるから任せればいいし、まだ留まっていたいなら、あの城は誰も近寄らないから引き籠る分には文句も言われないよ」
「お前は……いや、貴女はいったい?」
「そういえば自己紹介もしてなかったね。私はシリス。そっちは?」
「我が名はゼフィム……」
「ゼフィムか。いい名前なんだから、その名に恥じないように生きようよ。あ、ごめん。もう死んでたんだったね」
「ま、まさか貴女は……いえ、貴女様は!」
急に死霊騎士の様子がおかしくなった。
「承知しました。このゼフィム以下、リゲル騎士団はシリス様に従います」
「え、あ、うん……そうしてくれると、ありがたいけど」
下手に理由を聞いて気が変わっても困るから、とりあえず頷いておく。
するとゼフィムの背後に、数多くの騎士たちが整列していた。
さっきから居たのは気付いていたけど、こんなに多いとは思わなかったな。ざっと数えて百人は超えていそうだ。
どんな心変りがあったのかは知らないけど、迷惑をかけないならいいでしょ。
「えーと、それで私はどうなるのかな?」
「我らは城の最奥にて機を待ちます故……いつの日かお呼びいただければ」
「わ、わかった」
本当はなにひとつ理解してないんだけど。
ともあれ納得してくれたんだから良しとしておこう。
「またお会いできる時を楽しみにしております、シリス様」
その言葉を最後に騎士たちは陽炎のように揺らめいて消えると、真っ暗だった闇に光が差し込み、私の意識までも白く塗り潰した。
「シリスさん、大丈夫ですか?」
「……プロン?」
目を覚ますと、すぐ近くに月明かりに照らされるプロンの整った顔があった。
どうやら膝枕されているようで、柔らかい白銀の髪が頬をくすぐる。
「どうして目を覚ましたのに、また寝ようとするんですか」
「うぅーん、もうちょっとこのままで」
甲冑を外しているようでプロンの柔らかく暖かい膝に、仄かな花の香りがとても心地よく、疲れた体と精神に安らぎをもたらしてくれるのだ。
再び眠りに落ちかけたところで、左右に頬っぺたを引っ張られた。
「起きてください」
「はひ……ひゅひふぁふぇん」
いけない、いけない。
つい寝ぼけてしまったようだ。
「えーっと、どうなったの?」
「死霊はすべて去りました。もちろんシリスさんの中に入ったのも、そちらの子に取り憑いていたのも含めてです」
ということは、あれは夢ではなかったのか。
「いったい、どうやって死霊を払ったのですか?」
「あーそれは私にもなにがなんだか」
起き上がりながら改めて周囲を見れば、すでに日は落ち切って薄暗い。
幸い満月によって明かりは必要なさそうだが、帰るのに一苦労しそうだ。
それでも隣で眠るジンの無事な姿を見ると、苦労した甲斐があったと、報われた気がした。
「では、どうしてあのような無茶をしたのですか?」
「……どうしてって言われても」
心の底から不思議そうな顔をしてプロンは言うので、私も悩む。
というのも、明確な答えがあるわけじゃないからだ。
「助けられると思ったから、助けたいと思ったから、ただその通りに体が動いているだけっていうか……」
「ですが、一歩間違えればシリスさんが」
「死ぬかもね。わかってるし、覚悟もしてるよ。もちろん死ぬのは嫌だから生きる努力はするけどね。ただ私が動かなかったらジンが死んでいたでしょ。私はそれも嫌だったんだ。えーと、つまり私は欲張りってことだよ」
こんな時、頭のいいメルだったら、きちんとした答えを出せていただろうか。
上手く言葉にできなくて申し訳ない。
「それに今回はプロンがいてくれたから、最悪でもジンを助けられるってわかってたからね。私ひとりだったら諦めてたと思うよ。だからプロンのおかげだね」
「シリスさん、貴女は……」
拙い言葉ながらもどうにか理解してくれたようで、プロンは優しく微笑んだ。
その笑顔が、あまりにも可愛らしかったので不覚にもドキッとする。
「さ、さあ、そろそろ帰ろっか」
「はい、シリスさん」
思えば彼女の笑顔を目にするのは初めてだったかな。
いやいや、今の私は女だ。だからといって男なんかに興味はないが……。
あ、あれ? だとすると私って将来はどうなるの?
ようやく一件落着と思いきや、とんでもない問題が浮き彫りになった。
その後、ジンを背負って街まで帰る道中、私はずっと悩み続けるのだが、結局ちゃんとした答えは出せず先送りにするのだった。