冒険者のシリス3
「ただいまー」
「え、シリス?」
時刻は日暮前。
孤児院に戻った私は、ちょうど入口の前を通りがかったメルに出迎えられる。
「おかえり。今日はもう戻らないと思ってたけど、なにかあった?」
言いながらパタパタと駆け寄るメルに私は安らぎを感じた。
それはつまり、無事に帰ってこれたのだと。
「うん、色々あってさ。でもメルを見たら元気が出てきたよ」
「よくわからないけど……って、その髪!?」
「え、え、なに? なんか変?」
慌てたように私の頭に触れるので、どうしたのかと私も狼狽えてしまう。
「髪がぼさぼさに乱れてるし、葉っぱとかも付いちゃって……あ、土も!」
「な、なんだ髪かぁ」
疲れていたので整える気も起きず、森を出てからそのままだったのだ。
「なんだじゃないよ。せっかくキレイな髪なのに」
「別に髪くらい構わないよ。ホントは切りたいくらいだし」
「私は長いほう好きだけど……」
「うん、だから切らないの」
これは数少ない、メルからの頼みごとだ。
私の黒髪を『シリス色の髪』などと称して好む彼女は、昔から短く切ろうとすると悲しむので、気付いたらかなり伸びてしまった。
長髪だと戦闘時に掴まれたり、激しく動くと引っ掛かったりで、あまりいいことはないのだけど、最近では慣れたのか割と気にしなくっていた。
それに後ろでまとめておけば大して邪魔にならないからね。
「それなら、せめてもうちょっとだけ髪を労わってあげて」
「ごめんなさい」
別に蔑ろにしているわけではないよ。
ただ疲れると、どうしても気を配るのも億劫になってしまうのだ。
これは私に限った話でもなく、メルも理解しているので本気では怒らない。
むしろ、こういう時のメルは……。
「ほら、キレイにしてあげるから早く上がって」
私の髪を思う存分に弄れるので、内心では喜んでいたりするのである。
まあ、笑みをまったく隠せていないのはご愛嬌だ。
そして私の髪はメルの成すがままにされる運命にあった。
もし断れるのなら、この髪はとっくに短いからね。
泉での一幕のあと。
このまま森に残るのは危険だと判断した私は、すぐさま荷物を樹洞に隠し直すと急いで元来た道を引き返した。
原因は不明だけど、あれだけの死霊が出たのであれば他にも大量に彷徨っている可能性が高い。そんな場所で夜を明かすなど自殺行為に等しかった。
そもそも死霊は暗くてジメジメとした洞窟や水場を好むため、こんな日中に現れるなど珍しいを通り越してあり得ない。
いや、たしかに泉の近くではあったけど、だとしても数が多すぎだ。
なにか異変が起きているのは疑いようもなかった。
途中、先に逃げた男たちと合流できたので事情を話して同行する。
見知らぬ森では方向感覚に不安があったらしく、私が姿を見せると屍人になったのではと疑いながらも喜んでいた。
他にも、できる限りすれ違った同業者に声をかけて引き返すよう注意したり、木こりのオヤジさんたちに森へ入らないよう伝えながら先を急ぐ。
真っ先に向かったのは冒険者ギルドだ。
私はなるべく慌てた様子で報告し、一刻も早く森を閉鎖するよう懇願した。
するとギルド職員たちは迅速な動きを見せてくれる。
なるべく深刻そうに印象付けようと、恐怖に震える演技が功を奏したようだ。
その頃には相方に運ばれていたヒゲ男も目を覚まし、実際に死霊の被害を受けた者として恐ろしさを職員に伝えていたので、より信憑性は増していた。
周囲で聞き耳を立てていた冒険者も、今後の予定を見直すだろう。
ひとまず、これで被害は最小限に抑えられるはずだ。
しばらく森への調査が入り、事態が収束されるまで依頼は取り消されるだろうけど命には代えられないからね。
ここでようやく私も肩の力を抜く。
あとはギルドに任せればいい。
ふと見れば、無事だったほうのヒゲ男が居心地悪そうにしていた。
まあ、直前までやろうとしていた自分たちの所業を思えば当然である。しかも、その相手に救われたとあれば、良心も痛むはずだ。
逆にいえば、まだ人の心が残っている証でもあった。
だいぶ反省しているようだし、今回のところは見逃すとしよう。
そう思い孤児院に帰ろうとしたら、向こうから声をかけられる。
「なあ、どうして助けてくれたんだ?」
「助けたいと思ったから、かな」
「なんだよ、そりゃ」
「私もわからないけど、あの時、助けてあげたいと思って、私には助けられると思った。だから助けた。それだけだよ」
冗談めかして言うと、ヒゲ男も苦笑しながら頭を下げた。
「すまなかった。オレはリオマってんだ。あいつは弟のイルジだ」
なんと兄弟だったのか。
「もし嬢ちゃんが……」
「ああ、嬢ちゃんはやめて。私はシリス」
「……シリスか。もしなにか困ったことがあれば、いつでも頼ってくれ。アンタは恩人だ。受けた恩は必ず返すぜ」
「いやぁ、普通にしてくれていればいいんだけどね」
ともあれ改心したのは伝わったので良しとしよう。
罪滅ぼしに恩返ししたいというのなら、断るのも悪いからね。
ヒゲ兄と別れると、今度こそ私は疲れて重い足を引きずるようにして帰路へと就いたのであった。
「危ないところだったんだね……」
話を聞き終えたメルは、私の髪をクシで梳きながら心配そうに呟く。
なぜこんな話をしていたのかといえば、いつも話しているように私の冒険者としての活動を聞きたがったからだ。
しかし、ただでさえ心配してくれる親友に、今回は死霊に遭遇したなどと正直に話していいものかは非常に悩んだ。
とはいえ、いずれ死霊が出たという報せが孤児院にも回って来るだろうし、そうなると私がどうして日帰りだったのかも見当が付いてしまう。
ならば余計な不安を与えないためにも自分から説明するべきだろうと、なるべく明るくに語ってみたけど、そんな意図を見抜かれたのか効果は薄い。残念。
ところで、メルとは部屋数が足りなかった頃に同室で過ごしていたし、今でも互いの部屋を気楽に行き来するほど仲がいい。
だからなのか、メルはごく自然に、まるで自室であるかのように私のクシを探し当て、髪を拭うタオルまで慣れた手つきで用意してくれた。
寒い時期はメルが尋ねて来て一緒に寝ているくらいだし、物の場所なんてお見通しなのかな?
「しばらくは森に入らないから危険はないよ」
私は部屋に唯一のイスに座りながら、安心させるために事実を口にする。
あれからギルドは、森に入らなければならない依頼をすべて取り下げた。
本来なら途中でキャンセルすると違約金が発生するけど、ギルド側からの要請という扱いなら問題ないし、最初からそう取り決められているので依頼人も納得せざるを得ない。
だから私が受けた依頼も達成する必要がなくなったのだ。
「明日また、他にいい依頼を見つければいいだけだし」
この大きな都市では様々な仕事がある。
例えば荷運びや店番、子守りに掃除などだ。
魔獣討伐に比べると収入は大きく下がるけど、安全かつ楽な部類なので負傷した冒険者が療養期間中の宿代稼ぎに、あるいは初心者の小遣い稼ぎに重宝されているのである。
「あ、でもみんな狙ってるかな。明日は早めに行かないと……」
「ねえシリス」
静かな、でも強い声色に私は口を噤む。
「シリスが私や孤児院のために頑張ってるのは知ってるし、とっても感謝してる。だから私だって頑張れるんだもん。でもね……私はシリスが一番なんだよ? もしシリスになにかあったら、そんなことになったら私は……」
振り返ると、思い詰めたように俯くメルの瞳には暗い光が滲むようだった。
だからこそ私は、なんでもないように答えを返す。
「なに言ってるのさ。私だってメルになにかあったらと思うと夜だって眠れなくなるんだからね。それとも私って頼りないのかな?」
「そ、そんなことない、けど……」
「ねえメル」
今度は私が有無を言わせぬ勢いで畳み掛ける。
しっかりとメルの赤い瞳を覗き込み、両頬を押さえて逸らすのを許さない。
「私はね、きっと欲張りなんだ。ただでさえマムの孤児院でみんなと暮らせて、メルみたいな親友と出会えて、毎日が楽しくて……でも足りないんだ。これまで苦労しちゃった分だけ、もっとみんなが幸せになって欲しい。そのために……ううん、だからこそ私は頑張れるんだよ」
「シリス……そっか、そうだよね」
どうやら納得してくれたみたいだ。
するとメルは、私の両手に自分の手を重ねて瞳を閉じる。
「でもねシリス、私が幸せになるには、シリスも幸せにならないとダメだよ?」
「もちろん。というか私は薄情だからね。ホントは自分の幸せが第一だよ」
「えー、そうかなー」
「ホントだってば。いざとなったら自分を優先しちゃうからね」
「……ん、信じてるからね」
そこを信じられるのは妙な感じがするけど、気持ちは伝わった。
いつだって、私は私にできる限りのことをするだけだ。
努力はするけど無理はしないと心に誓う。
じゃないと、いつかメルを泣かせてしまいそうだからね。
それだけは避けたいと願うよ。
翌日、私は再びギルドを訪れた。
新しい依頼を探すのもそうだけど、あれから死霊がどうなったのかが気がかりだったからだ。
下手をすると街にまで出没する危険性があったし、そうなると被害に遭うのは街の北側からで、孤児院が建っているエリアでもある。
さすがに、そこまでの大事となれば教会も動き出すだろうし、領主だって騎士団を動員して対処する。
だから私は、あくまでも調査の進捗状況を把握しておきたい程度だった。
なのだが……。
「これはいったい?」
ギルドでは慌ただしく職員が動き回っていた。
私より先に訪れていた冒険者たちもギルドの中央に集められて職員から話を聞いており、何人かは不満の声をあげているようだ。
この光景は、見覚えがあった。
正式には『大討伐』と称され、ギルドと領主の合意によってランクが上級者の冒険者へ召集をかけて事態の対処にあたる……通称、徴兵だ。
やりたくもない危険な魔獣討伐に向かわせられるのだから当然、行きたくないと駄々をこねる者もいる。
しかし、これは上級者になる際に伝えられており、了承しているはずだ。
それに見合うだけの恩恵を、ギルドは上級者に与えているので文句を言うのは筋違い。仮に正当な理由なしに拒否すればギルドから追放もあり得る。
でも、今日の場合はいつもと様子が違った。
集められている中に、よく知る顔が並んでいる。
それは上級者だけではなく、中級者も含まれているのだ。
そもそも大討伐が発令されるような魔獣が出たなどと聞いたこともないし、例えいるとしても死霊のせいで森に入るのは危険すぎる。
まさか、死霊退治なんて無茶な依頼を強要するわけがないし……。
面倒事に巻き込まれるのは嫌だけど行くしかないか。
ここで引き返すのも後味が悪い。
「なにかあったの?」
近くにいた事態を見聞きしていたであろう顔見知りの冒険者に尋ねる。
こちらを振り向くと、なにやら慌てたように言葉を詰まらせたが、そこは冒険者として瞬時に冷静さを取り戻し、咳払いしてから話し始めた。やたらいい声で。
「んんっ! ……ああ、実はギルドから森への捜索依頼が出されたんだ。それも中級以上なら参加可能だって」
「捜索依頼って、というより中級者も?」
「あ、でもまだ領主様の許可がないってことで不参加でもペナルティはないそうだから安心していいよ。ただギルド側から、ああやって何度も頼まれてね……」
親指で差された先では、今も冒険者たちの前で職員の男性が頭を下げていた。
その後ろでは、冒険者ではない一般人の女性が同じように懇願している。
「お願いします! どうか皆さんの力を貸してください!」
「そんなこと言われてもなぁ」
「昨日、死霊が出るからって閉鎖したばかりだろ?」
「なんでも百体以上は見かけたって話だぜ」
「マジか、そんなところ誰が行くってんだよ。死にたい奴くらいだぜ」
私の報告が脚色されているようで、ほとんどが尻込みしている。
そして、そんな様子からして本当に大討伐ではないらしい。
断れるなら、命が惜しい者は誰だって断るからね。私だってそうだ。
「それで、捜索っていうのはどういうこと?」
とりあえず気になる情報だけ聞いたら、今日のところは孤児院で大人しくしていようかな……と考えていたんだけど。
「オレも詳しくは聞いていないんだけどね、どうやら子供の初級冒険者が昨日から戻らないそうなんだ。普通は森の浅いところで採取するだけだから、たぶん」
うっかり奥に踏み込んで遭難したか、死霊に襲われたか……。
「その子供って、もしかして三人組の男の子?」
「よくわかったね。……まさか知り合い?」
必要な情報は得られたので、私は沈黙こそ答えだと言わんばかりに前へ出る。
そのまま冒険者の塊を突っ切ろうと思ったけど即座に諦めて足早に迂回し、頭を下げ続けている職員と女性に話しかけた。
「ちょっといいですか」
「はい! あっ、あなたはシリスさん?」
「参加する条件は中級以上、でしたよね?」
「そうですけど……え、それでは」
「参加します」
いつの間にか静まり返っていたギルド内に、私の声はよく響いた。
「非常に助かりますけど、あの、本当にいいのですか?」
「行方不明になっている三人組のことは私も知っています。それに、採取の依頼を勧めたのは私です」
別に、責任を感じているわけじゃない。
放っておいても彼らは森へ出かけていただろうから。
だけど、だからって見捨てる理由にはならないじゃないか。
「私ひとりでは限界がありますけど、初級の採取ならそう深くまで入ってはいないはずです。もしかしたら崖から落ちて身動きが取れないだけかも知れません」
初心者がうっかり陥りやすい要注意ポイントがいくつか思い浮かぶ。
昨日のアドバイスを受けていた様子では知らないはずはないだろうけど、死霊に驚いて逃げるうちに、という可能性はあった。
まずは、それらを見て回ることにしよう。
死霊に囲まれると厄介だけど、立ち止まらなければ行けるはずだ。
などと決心していたら、予想外の事態に発展した。
「シリスちゃんが行くんなら、儂らも黙って待つわけにはいかんのう」
「おう、テメェら! さっさと装備を整えてきやがれ!」
「……フン、たまには死霊を相手にするってのも悪くはない」
「ちっ……ジジイどもに負けてらんねぇしな」
「よっしゃ、だったら俺らも行くぞ!」
「ま、マジかよリーダー……」
口々に参加を宣言する冒険者たち。
数いる冒険者の中でも彼らの顔と名前は、この街の住人なら誰もが知る。
このギルドの上級冒険者で、もっとも経験豊富な『剛鉄組』の翁たち。
『カタナのエド』と、『戦斧ガラン』。
その剛鉄組にライバル心を燃やす、戦闘力だけならトップの『ドラグノフ』。
『竜剣のジークリフト』と、『魔槍のランドルフ』。
地味だ地味だと言われ続けながらコツコツと経験を積み重ねた『パワーズ』。
『力持ちのジョン』と、『縁の下のリック』。
上級冒険者パーティのリーダーたちが揃って参加を表明したことで、捜索メンバーは大討伐にも引けを取らない、そうそうたる顔ぶれとなっていた。
一部のパーティメンバーは乗り気ではなさそうだけど、リーダーの決定に逆らう様子もなかった。
これには職員も驚きを隠せていない。
というか私もびっくりする。急にどうしたの?
よくわからないけど、とりあえず、お礼を言っておくべきかな。
「ありがとう、みんな。だけど無理はしないで。私から注意するまでもないだろうけど死霊はとても危険だからね。それと……」
私は参加を決めかねている中級冒険者たちに視線を向ける。
「捜索に向かわない人にも頼みがあるんだ。ケガ人が出ると思うから受け入れる準備をして待っていて欲しい。そして、もし死霊が街に降りて来るようだったら、少しでもいいから戦えない人たちが逃げる時間を稼いでくれたら嬉しい」
これは冒険者の義務ではなく、頼みごとなので断られる可能性は大きかった。
だからダメ元のつもりだったんだけど。
「……わかった。足手まといになると思って言い出せなかったが、それくらいなら任せてくれ」
「街のことは私たちがいるから安心して」
「シリスちゃんも、危ないと思ったらすぐに引き返すんだよ!」
「うん、ありがとう」
こうして最終的に、集まった冒険者はなにかしらの形で全員参加が決まった。
ギルド職員と、依頼主らしい女性も深く頭を下げて何度も感謝していた。
みんなの思いがひとつになっているように感じられて私も嬉しい。
ただ相手が死霊となると相応の備えが必要だということで、ひとまず装備が整い次第、木材集積所へ集合する手筈となった。
私の場合、他に用意できる装備なんてないけどね。
他にすることもないので一足先に待っていようと北の大門を抜ける。
そこで封鎖された森に立ち入らないよう監視に立っていたギルド職員を見かけたので声をかけておく。
すでに情報は伝わっていたようで、真剣な面持ちで応援してくれた。
「あ、そうでした。実は先に冒険者の方が通ったのですが……」
「私の前に?」
「ええ。みなさんと同じように捜索に向かうと言って、ひとりで。てっきり連絡があった捜索隊の方だと思って通したのですがマズかったでしょうか」
あの場にいた者であれば、みんなが集合するまで待たない理由がないし、なによりもギルドから直行している私より早いというのは妙だ。
もしかして、最後まで話を聞かずに飛び出した人がいたのかな?
おまけに単独で挑むほどの自信があるようだ。
「どんな人でした?」
「白銀の甲冑に身を包んだ、背が……これくらい低い方でしたね」
手の平を横にすると、その人物の身長であろう高さで宙に留める。
だいたい私と同じくらいか。
それに、白銀色というのは……。
なんにせよ、味方がいるのなら心強い。
ひとりで向かったのなら勝算があるのだろうと私は判断して、出会えたら一緒に行動しないか持ちかけてみようと思った。
応じてくれなくとも目的が同じなら共闘はできるはずだからね。
監視の職員に礼を言うと、ちょうど上級冒険者の面々が揃っていた。
かなり急いでくれたようで、その手際の良さは流石である。
さあ、いよいよ死霊が蔓延る森へと突入だ。