シリスと後日談
「え、なにこれ……?」
「見ての通りです」
思わず素の口調になった。
私は孤児院の院長室で、マムから渡された一枚の書類を手にしている。
そこに書かれている文面に目を通せば、誰だって同じように驚くよ。
だって、この書類は……。
「どうして私が学院に通うことになってるんですか?」
私とメルの『入学申請を受諾』したことを通知するものなんだからね。
正確に言えばまだ入学が決定したわけじゃないけど、問題はそこじゃない。
これがメルだけだったら私も文句はないのに……なんで私まで?
「シリス、私にも考えというものがあります」
「はぁ……?」
「理由はいくつがありますが、ここで建前を話しても納得できないでしょう」
「せめて建前だってことは隠してください」
「ですので、あなたにとって重要な部分から説得を始めましょう」
少し気になる言い方だったけど、とにかくマムの言い分を聞いてみた。
それによると、この街にあるエルザス学院には貴族や商人の子女……つまりは身分が高かったり裕福な者ばかりが集まり、平民なんて数人いるかいないからしい。
さて、そこへ孤児院出身のメルが入ればどのような問題が起きるのか。
「えっと……メルが優秀すぎて目立っちゃう?」
「微妙に惜しいですが、根本的に理解していませんね?」
違ったらしい。
マムが言うには、貴族というのは非常に見栄を重視する生き物だとか。
そして貴族との繋がりが欲しい商人からすれば、その意思を尊重するのは当たり前で、そんなところへ後ろ盾のない優秀なメルが放り込まれたら……。
「自分より頭のいいメルを蹴落とそうとするってことですか?」
「優劣に関係なく、生まれで人を判断する者も少なくありませんよ」
「……学院は実力主義で、生まれは関係ないって話でしたが?」
「それを鵜呑みにして遵守するなら、そうなるでしょう。……ですが幼い頃から甘やかされて育った子は、魔獣より手に負えませんからね」
実感が込められた声で言われては、私はなにも言い返せない。
そうか、そこまでなのか……。
てっきり学院では生まれに関係なく、平等に教えてくれるものだと考えていた。
というか、あんなに高い学費を支払うんだから、それくらいしてくれないと割に合わないでしょ。
でも残念ながら、その割に合わない話が現実らしい。
ちょっと私の見立ても甘かったかな。
それを見越して準備していたらしいマムには感謝だ。
「だから私も学院に、ってことですか……」
「そのほうが安心でしょう。あなたも、あの子も」
「まあ、たしかに」
私が学院に通う理由としては十分すぎるほどだ。
元々、メルを学院に送り出した後は予定もなかったからね。
また団長に付いて傭兵団に参加したり、一人旅に出ようかとか色々と考えていたけれど、そっちは次の機会にしよう。
「納得はしました。ちなみに建前のほうはどういう話だったんですか?」
「あなたが優勝したおかげで怪しげな輩が増えて困っています」
「本当に申し訳ありません!」
即座に頭を下げて謝罪する私。
いや、これは私が悪いわけじゃないんだけど、発端ではあるし……。
というのも、私が武術会で優勝した後のことだ。
あれからメルはすぐに魔力切れで意識を失ってしまい、当然ながらキズはひとつもないけど、休ませるために救護室へと運ばれて行った。
残った私は本来なら優勝者として表彰され、精霊祭の締めくくりである夜宴に移行して精霊祭を祝うはずだったんだけど……。
私とメルの膨大な剣気同士がぶつかり合った結果、試合会場は当然ながら、周辺の建物にまで被害が及び、衛兵まで駆け付ける騒ぎになってしまったのだ。
率先して後片付けを手伝ったけど、視線が少し痛かったな……。
言い訳させて貰うと、あんなに威力が出るとは予想していなかったんだよ。
武術会を運営する冒険者ギルド側も、ルール上は問題ないと配慮してくれたようで、幸いにも私は賞金の没収だけで済んだ。
きっと修繕費用に充てられるのだろう。
ただ今後、舞台そのものや周辺に被害の出る攻撃は禁止するルールが加えられるのは確実だろうね。
こうして決まり事が増えてしまうんだなぁと、私は身に染みて理解した。
ま、まあそっちの被害はいったん置いておくとして……。
あの決勝戦では他にも、かなり目を引くことをやってしまった。
それは……あの正式魔法だ。
正式魔法と、魔法の区別ができる人は極少数だと思うけど、あれだけ大勢の前で披露してしまったのだから、完全に露見したと考えていいだろう。
これが『魂の覚醒』や、メルの『最愛の黒』だけなら言い訳もできたけど、さすがに体が大きくなっては言い逃れが難しい。
魔法に詳しいプロンやベティの他、ディーネたちに団長まで、あれはいったいなんなのかって聞きに来たくらいだからね。
結果を言えば孤児院の周りには、貴族や商人からの勧誘に加え、うさん臭い人たちの影まで増えてしまったわけだ。
もちろん勧誘はすべて蹴っている。
一応対策として私は『そういった話は今後すべて冒険者ギルドを通すように』と宣言してはみた。ギルド側も引き受けてくれたからね。
すぐにギルドから紹介状をいくつも渡されて、丁寧に断っていたんだけど……それでも大人しく引き下がらないから困ったものだ。
余計に反発したくなるって理解できないのかな?
そういった意味ではマムの言うように、ほとぼりが冷めるまで学院に行く、という案はとても理に適っている。
なにせ学院には、生徒のための『学生寮』があるからね。
私が孤児院から離れれば注目はそっちに向くだろうし、学院には多くの貴族が在籍するのだから警備も固いはず。強引な勧誘はできなくなるだろう。
近くでメルも守れるので良いこと尽くめだ。
唯一、懸念があるとすれば冒険者としての活動だけど……そっちはプロンとベティにも相談しないとね。
「では入学に賛成ということで、いいですね?」
「それ、もし嫌だって言ってもマムならどうにかしちゃうでしょ」
「そうですね。以前あなたは約束を破ったら、なんでも言うことを聞くという約束をしたはずですが」
「え、あれってもしかして……」
「どうやら温存できそうなので、まだ保留にしておきましょう」
は、図られた……!
たしかに、まだリザードマン討伐の際にした約束があったけど、ここで持ち出して来るなんて……。
いやまあ、どちらにせよメルの件と、勧誘の件もあったんだけどね。
温存されるのは怖いけどマムも無理なことは言わないし、どうあれ私の学院行きは確実だったわけだ。
「あ、でも私の分の学費は……」
「そちらはすでに手配済みです。ちょうどあなたが優勝までしてくれたので、問題なく通りそうですよ」
「よくわからないけど、問題ないならよかったよ」
「ところでシリス、言葉使いが戻っていますよ?」
「あ……すみません」
「学院では油断せず、礼儀作法に気を配りなさい」
「はい。孤児院は少し気が抜けるだけで、外では完璧ですよ」
とはいえマムの話では、相手が生徒であっても貴族と同じくらい気を使ったほうが良さそうだから十分に注意しよう。
――この時の私は、マムの忠告をそういう意味だと受け取った。
その真意が、私の縁談目的だったと知るのは、もっと後のことである――。
「メルー、入るよー?」
「あ、シリス!」
「いま開けますのでお待ちくださいシリスさん」
院長室を後にした私は、次にメルの部屋を訪れた。
中から聞こえたのはメルの声と、もうひとつはプロンの声だ。
すぐに部屋に招かれた私はプロンに礼を言いながら、ベッドから起き上がろうとしているメルに近寄る。
「メル、体調はもう大丈夫?」
「もちろんだよ」
相変わらず白い肌だけど、その顔色は悪くない。
念のためにプロンにも視線を送ると、彼女も頷いてくれる。
どうやら本当に問題ないみたいだ。
メルがベッドで横になっているのは、正式魔法を使用し続けた弊害……というほど重いものでもなく、単なる魔力の使い過ぎだった。
プロンにメルの容態を診て貰ったところ、安静にしていれば問題ないとのことで一安心だ。前に死霊騒動で私が倒れたのとまったく同じ症状らしいからね。
あれだけの正式魔法を使い続けて、それだけで済むのかと思うけど、正式魔法は本来、使用者に害を与えるようなものじゃない。
私の場合が特殊だっただけだ。
ただメルは病弱だったこともあって、少し尾を引いている。
どれだけ魔力で強化して、どんな正式魔法で変質しても、元々の肉体が弱いことに変わりはないのだ。
……要するに、魔力切れで疲労が一気に出たという話だね。
そのメルは……もう以前と変わらない態度で私と接してくれている。
今のところは私に再戦を挑むつもりもないみたいで、あどけない笑顔を向けるメルは、本当に元通りの彼女に戻ったみたいだった。
まあ、もしまたメルの愛情が暴走しても、その時は私もまた全力で抵抗させて貰うけどね。
私は守られるのではなく、メルを守り続けたいのだから。
例えそれが私のワガママであっても、譲れないモノがあるんだよ。
「ねえシリス。もう一回あれ見せてくれる?」
「え、また? 別にいいけど……」
譲れないモノもあるけど、メルに頼まれたら大抵のことは譲歩する私である。
なので今回も、あまり気乗りはしないまま準備を始めた。
身に着けていたシャツとハーフパンツを脱ぎ、肌着である森妖精の黒絹だけを残した私は正式魔法……『可能性の英雄』を発動する。
尋常ではない魔力が全身を駆け巡り、胸の辺りが焼けてしまいそうなほど熱い。
その熱が口から吐息となって漏れ、徐々に体から火照りが失われていく。
やがて閉じていた目を開けば……私の姿は様変わりしていた。
他人から見るとどうなっているのかは知らないけど、この状態の私は、大人になった私と言えるだろう。
軽く頭を振れば足下にまで届くほど伸びた黒髪が揺れて、見下ろせば大きな山が膨らんでいる。
ちなみに元の服だと裂けてしまうから脱いでおいたんだけど、幸いにも森妖精の黒絹だけは成長した体にも対応できた。
試合中は気にしてなかったけど、これがなかったら一大事だったよ。
「メルはこれ見るの好きだね」
「だってー、大人になったシリスがすっごく綺麗なんだもん」
「それには私も同意します」
「プロンまで……」
いつもより高い視点から二人を眺める。
身長が伸びているせいで、今の私からすると小さな子供のようだ。
ただ、大人の姿ばかり褒められると、普段の私にあまり興味がないみたいで少し複雑でもある。
まあ喜んでくれてるから、いいんだけどね。
左右から長い黒髪を弄り始めた二人を見て、私はそう結論付ける。
「……そういえばメルに聞きたいことがあったんだけど」
「なあにシリス?」
「うん、あのアルマティアって偽名は、どうやって付けたのかなって」
「どうって言われても……なんとなく?」
「……思い出したわけじゃないんだね」
「なんのこと?」
「ううん、なんでもないよ」
どうやらメルは、私と違ってすべてを思い出したわけじゃないらしい。
いや、私もまだ……すべてとは言い切れない。
ただ彼女がアルマティアという名前を自ら口にしたのは偶然ではないだろう。
あの試合中、私は過去の私たちと混ざり合っている。
いくつもの記憶がぐちゃぐちゃのごちゃごちゃになり、今と昔の区別も難しいくらいに頭の中身が掻き混ぜられた。
そうして残ったのが、結局はシリスという私だ。
……なんというか、あれだけ警戒して怖れてたのが馬鹿らしいんだけど、初めから私が私ではない『わたし』になってしまうことはなかったんだよね。
だってグレヴァフの記憶を思い出しても、私はグレヴァフじゃない。
私はあくまで……古い記憶を掘り起こしてしまった私だ。
まるで別人になってしまうように思えても、それは錯覚に過ぎない。
私の精神はひとつだけ、シリスだけだったのだ。
とはいえ、記憶が偽物だったわけでもない。
あれらは確実に、過去に私という誰かが生きた証だ。
そして……その中でも最も古い記憶に私は行き着いていた。
あまりにも遠く離れたせいか灰色に掠れた光と、擦り切れた音だけの記憶。
きっと、そこで私は最期を迎えようとしていたのだろう。
そんな私を抱き抱える……メルとよく似た白い女性がいた。
彼女は涙を流しながら、こう口にしていた。
『これから、あなたは何度も繰り返し、この世に生まれ、そして死に続けることになるでしょう。そして流転するたびに魔力を蓄え、やがては記憶すらも取り戻すはずです。その時こそ……ですが、これは永遠の呪いでもあります。こんなことになって、ごめんなさい。もう、私とあなたしか生き残った者がいないのです。それでも私たちは、あの者を見過ごすわけにはいきません。だから……どうか私を許さないでください。このアルマティアが、聖女として罪を背負いますから――』
彼女がなにを言っていたのか、私になにを求めていたのか……。
はっきりしているのは、私がグレヴァフや過去の記憶を思い出したのは正式魔法ではなく、彼女の力によるものだった……ということだ。
今まで私が正式魔法だと思い込んでいた『魂の覚醒』も、私ではなくアルマティアとやらが施した『呪い』が大元なのだろう。
そして多分メルは……アルマティアが生まれ変わった存在だ。
だとすれば、あれだけの魔力をメルが保有していたのも納得できる。
私と同じように、何人分もの魔力が積み重なっている状態だろうからね。
ただ『聖女』というのは聖天教が信仰する『聖女エルザ』を差すはずで、アルマティアという聖女なんて聞いたことがなかった。
もっとはっきり思い出せたら良かったんだけど、残念ながらこれ以上はなにもわからない……。
ひとつだけ、確実なこともある。
それはメルと私の過去にどんな因果があろうと、今は関係ないってことだ。
私にとって彼女はとても大事な存在で、それだけはずっと変わらないよ。
「そうだシリス、私も謝ろうと思ってたんだけど」
「うん? 決勝戦のことなら別に気にしてないけど……」
「私も気にしてないし諦めてもないけど、そうじゃなくてね、シリスの剣を勝手に持ち出しちゃったから……」
やっぱり諦めてないんだ……いやまあ、そっちは置いておこう。
なんのことかと詳しく聞けば、メルが持っていた二振りの剣はどちらも私の物だったという話だ。
しかし一本は予想通り予備のナマクラだったようだけど、私にはもう一本の剣に心当たりがなかった。
「お店から届けられた剣だったんだけど」
「……あ、そういえば発注してたっけ」
たしか桜花をエドに返そうと考えて、あらかじめ発注していた剣だった。
特注品で値段も結構な物だったけど……通りで逸品だったわけだ。
結局は桜花を譲り受けたから必要なくなり、すっかり忘れてしまっていたのをメルが受け取っていたのか。
まあ、どうせ倉庫送りになっていただけだから、メルに使われるなら剣としても本望でしょう。もう折れた……というか溶けたけど。
一方で私の桜花と、星宝剣はビクともしていなかった。
こんなに素晴らしい剣を譲ってくれたエドと、あの店主さんに感謝しないとね。
それから私は二人に髪をたっぷり弄られ続け、その次に私とメルでプロンの髪を弄り、最後にメルの髪をさらにかわいくなるように弄んだ。
なんだか、こんな風にメルと一緒に過ごすのは久しぶりに感じるよ。
普段は大人しいプロンも、なんだか楽しそうだったし……ここにベティもいれば良かったんだけど、今日は用事があるとかで別行動中だ。残念だな。
ちなみに私が学院に入学することは、まだメルに明かしていない。
マムにも頼んで、もうしばらくはヒミツにするつもりだ。
決勝戦では驚かされたんだから、これくらいのイタズラはいいよね?
さて、私がそうして心の平穏を取り戻した翌日。
精霊祭が終わってから、三日後のことだ。
そろそろ街を発つと団長が挨拶にやって来た。
「そっか……」
寂しくないと言えば嘘になるけど、初めからわかっていたことだ。
私は暗い顔なんて見せないよう、努めて明るい表情と声を保つ。
「それで、次はどこに行くの?」
「ああ、実はまた隣国がきな臭くなっていてな」
「え、また戦が始まるの?」
私が傭兵団に加入していた頃、内戦していたノードランという国だ。
原因としては王様が急死してしまい、玉座を狙っていくつもの派閥が対抗勢力を排除しようとした、という定番だったかな?
私としては近隣で稼げたので嬉しい反面、こっちにまで戦火の影響がないか心配していたんだけど……また始まるのか。
「でもたしか、どこかの王子が勝ち残ったと思ったんだけど」
「そいつが暗殺されて、また玉座が空になったんだ」
「……国としてもう終わりじゃないかなぁ」
「だろうな。すでに他国の手の者が入り込んでいるはずだ。賢い貴族や商人共はとっくに国外へ逃げている。残っているのは欲深い亡者ばかりって話でな」
軽い口調の団長だけど、それはつまり治安も悪く、荒れに荒れていると言っても過言ではない。
まともにお金が支払われるかも怪しい。
下手をすれば、用済みになったら始末されるかも知れない。
まあ団長たちなら心配無用だけど、一応は心配する。
「そんなところに行って大丈夫なの?」
「ああ、ここだけの話だが……どうも人探しをしているようだ」
「人探し?」
「血筋ってのは重要でな、もう途絶えたと考えられていたが、もしかしたら逃げ伸びた王女様が生きているかも知れんって話だ」
「なるほど。その王女様を保護した者に報奨金が出るってことか」
「保護というより、担ぎ上げて傀儡にするためってのが実情だろうが……そもそも本当に生きているのかも定かじゃないからな。それならそれで、戦場でひと稼ぎしたら引き上げるだけだ」
「依頼料を踏み倒されたら?」
「その派閥が王権を手にする日は来ないだろうな」
敵に回したら怖いぞ、って脅すわけだね。
それでも侮る輩は徹底的に打ちのめすのが、この傭兵団のやり方だ。
舐められたら戦場で生きていけないのである。
「俺たちよりもシリスのほうは本当に大丈夫なのか?」
「もう話したと思うけど、学院に行けばしつこい勧誘もなくなるよ」
「そっちもそうだが……その学院ってのは試験があるんだよな?」
「……ま、まあ私も、それなりに勉強してるからね」
そうだった!
メルはまったく心配いらないけど、私はちょっと不安だ……。
試験ってなにをするんだろ? 計算問題は苦手なんだけどな。
「団長、こっちは準備できましたぜ!」
「そうか……シリス、また会おう」
「うん! みんなもね! 元気で!」
「おうよ!」
「行ってくるぜー!」
「またなーシリスちゃーん!」
私にとって、もうひとつの家族である団員たちも手を挙げて応える。
その背中を私は手を大きく振って見送った。
最後まで騒がしいみんなだったけど、やがて見えなくなると途端に静けさを感じて肌寒い。
もう夏季も終わる頃だ。
吹き付ける涼やかな風に目を細めながら、私は孤児院へと戻った。
これで武術会編は終わりです。
あとキャラ紹介を今日中に更新します。




